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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第一章  普通でない日常の始まり
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第3話 『勉強の一週間と見習いの一ヶ月』

 ――異世界に来てからの一ヶ月。

 時間は目まぐるしく過ぎ去っていった。


 それは、これまでに俺が体感してきた一ヶ月という時間の流れとは全く異なり、今でもつい昨日のように思い返せるほどだ。

 “あっという間”という表現があるが、おそらくそれに近い。


 でも、それだけ濃密な一ヶ月でもあった。

 とにかく全てが一からのスタートだったので、俺にはやることが山積みだったのだ。

 と言っても、最初の一週間は店の手伝いをしていたわけではない。ていうか、いきなり店番とか配達をするのはフランカに即却下され、店自体にもろくに足を入れられなかった。


 では何をしていたのかと言うと、俺はまず異世界の基礎知識を覚えることから始めた。

 そりゃそうだ。常識やマナーの欠如した得体の知れない輩を店に立たせるわけにはいかない。俺もマナーを守れていないバイトの後輩には嫌悪感を覚えたものだ。


 そうと決まれば勉強あるのみ。――と、意気込んだはいいものの、


「ヤベェ……ちょー帰りてぇ……」


 当初はホームシック駄々漏れだった。

 今思えば無理もない。たとえ夢と魔法の国・異世界に偶然来たとは言え、元いた世界と比べて文明はすこぶる退化している上に文化もまるで違う。そんなカルチャーあるいはヒストリーショックに類似した心理的負傷も被っていたのだ。


 おまけに、転移してきたのは生身の身体一つだけ(それも『ヤブン・ヨレブン』の制服を着たまま)。スマホはバイト先のロッカーの中に眠ったままだし、パソコンも無い……。


 年齢的に現代っ子である俺にとって、電子機器類の無い生活というのも中々に応えた。四六時中触るほどの重病者ではなかったが、普段からどれだけ依存していたのかがよく分かる。

 身近で便利な物ほど、その節度をわきまえなければならないようだ。


 そんなこともあって、なんとか元の世界に戻る方法はないかと模索したこともあった。

 来た時同様、数秒間大きく伸びをしてみたり、ゲームやアニメの知識で得たありきたりな呪文などを幾つか唱えてみたり、フランカに直接相談してみたりなどなど……。

 現況を見てもらえば分かるが、その全ては無意味な徒労として終わった。


「俺は、ここで働くしか道はないのか……」


 いつもと違う天井、いつもと違う部屋の匂い……。寝て覚めたところで都合よく戻ってるはずもなく、“夢ではない”という認識を一層強められただけだった。


 しかし、だからと言って寿命が尽きるまでそれを続けるわけにもいかない。

 フランカはあくまで俺を居候いそうろうさせてくれているわけだし、年下の女の子が働いて無職の俺を養い続けるというヒモの絵面は、流石に良心の呵責かしゃくに苦しむ。ついでに最低限所持している男のプライドもすたれる。


 それに、“理不尽な異世界転移”を理由に何もせず、ただのうのうと残りの人生を消費するのは俺の気が許さなかった。

 十八年間“普通”に生きてきた俺だが、それでも今日まで死なずに生きてきた意味とか、“普通”から脱却したいと葛藤し努力していた半年前の日々とかが、それこそ全て無意味な灰となって消えるような気がしてならないのだ。


「どうにもならないことを躍起になって変えようとしても、それは無駄……ってわけか」


 ならば――


「よし……決めたぞ。俺は今日いまからここで“雑貨店店員”として働きつつ、“普通”な俺とおさらばできるすべを身に付けようではないか……ッ!! 俺が独り立ちできるまで!」


 そうだ、別に『LIBERAリーベラ』でずっと働く必要もないのだ。

 そこそこ金銭が貯まって独り立ちできるぐらいの術が身に付けば、後はどこへなりと自由奔放に世界を歩き回って冒険たびしてみるのもいい。

 それまではフランカとキャッキャウフフな毎日を堪能して過ごすだけで――って、あれ? なんだか早速ワクワクとドキドキが止まらないのですが!?


 元の世界へ戻る可能性が低くこの世界で生涯しょうがいを終えなければならないのであれば、ならばせめて悔いの無いよう真っ当に生きて死にたいと、そう強く誓った。

 ……老衰で亡くなるかはわかんないけどね。


 故に決意を新たにした俺はその日から一週間、店の三階の一室を借りて、フランカおすすめの児童文学の絵本や読み書き入門書、歴史書などを読みふけった。

 ちなみに、字の読み書きはフランカが仕事の合間や就寝前に手伝ってくれたことで、基本的な単語類は一週間足らずでほぼ習得。火を灯したカンテラを挟んで、夜遅くまで付き合ってくれた。


 特に就寝前の時間は今でも忘れられない。

 至福の一時などと形容する度合いを遥かに超えていた。




 ――コンコンコン。

 扉を三回ノック。それがフランカの入室の合図だ。


「ど、どどどどどうぞ」

「失礼します」


 扉が開くと、注ぎ口から湯気を立てるガラス製のティーポットとアンティークのカップ二つを浮遊魔術で浮かせたフランカが静かに入室し、軽くお辞儀をした。

 生地の薄そうな赤色のネグリジェにガウンを軽く羽織ったフランカ。

 いつも風呂に入ってから来ているのか、髪は少し湿っていて、頰と唇は綺麗な薄紅色に。別人なのではと目を疑うほどに、その容姿には大人の妖艶ようえんさが確かに存在していた。

 さらに、隣に座るとフワッと甘い香りが俺の鼻をくすぐってくる。


「さて、今日も始めましょうか」


 嫣然えんぜんと微笑み、前に垂れ下がった髪を耳にかき上げるフランカお姉さん。ピアノを弾くような仕草で指を動かし、二人分の紅茶を淹れ始める。


「ゴクリ……。は、はい……お願いしゃす」


 それが毎晩。

 もう一度言う。それが毎晩続いた。


 想像していただきたい。

 一つの部屋で、薄着で無防備な巨乳獣耳美少女と二人っきり。しかも自分の隣で、勉強を教えてくれているというおまけ付きだ。

 天使様が空から落っこちてきたと思ったね。割と本気でキリスト教信者になろうかと思案したぐらいだ。


 にしても、俺の理性が何度ぶっ飛びそうになったことか。危うく本能丸出しのお猿さんになるところだった。

 そう考えると、最初の三日間なんてある意味拷問に近い。一日目なんて貧血で倒れたし、それ以降も自我を抑えることに必死すぎて、熱々のお茶(紅茶っぽいもの)やら勉強どころではなかった。

 でも、最後まで欲望あくまに心を許さなかった俺を褒めてほしい。


 だから時々、俺が高校受験とか大学受験前のことを思い出して「こんな子と勉強したかったなあ」と鼻の下伸ばしながらフランカを見ていたら、


「もう! ちゃんと聞いてますか……って、まさか私の顔に何か付いてます?」


 と一人で勝手にテンパって、顔をペタペタ触ったり、手櫛てぐしで髪を整え直していたこともあった。

 可愛い。


 それはさて置き、三日目ぐらいになると簡単な児童文学なら読めるようになっていた。

 お、案外俺ってやればできるタイプだったりしてと思い、歴史書や魔導書などの分厚い本にも着手してみたが一時間でお手上げ。

 虫食いで辛うじて単語は拾えるものの、単語の意味一つ一つが難解すぎる。英字で書かれた哲学書を読んでいるような感覚だった。

 コツさえあれば読める気もしたのだが。




 五日目。

 フランカの助力があったおかげか、俺は言語の読み書きが日常生活に支障が無いレベルにまで成長していた。


「短期間でここまで覚えるなんて凄いですね! 私も手伝った甲斐がありました!」


 と、フランカも大いに喜んでくれたのだが、それは決して俺の頭がいいとか、優れた理解力があるとかではない。

 ひとえに、フランカの教え方が上手だったのだ。

 ベテラン講師並みではないが、とにかくフランカは『基本をしっかり!』というコンセプトを前提に、それを崩すことなく教えてくれていた。

 俺もそっちの方が肩肘を張らずに済んだし、すんなり覚えられたのは、結局その『フランカ式勉強術』が活きたからだと思っている。


 そう思うと、覚束おぼつかないなりにも一生懸命教えてくれたフランカに対する感謝は、言葉などで取りつくろえる代物ではない。

 だが、それでも敢えて言おう。

 ありがとうフランカ。そして愛してる。


 で、早速俺は歴史書からトライ。

 驚くほどあっさりと読めた。やはり読み方にはコツがあったらしく、それを掴めばお茶の子さいさい。誰でも読める教科書に大変身。

 俺は努力が報われたことが嬉しくて、その日は一日中部屋に入り浸って読書していた。

 真剣に読書なんて、受験前とバイトの初給料でラノベを大量に買った時以来か。ま、それだけ夢中だったのだ。


 すると、この世界の仕組みが大体分かってきた。


 まず、この世界は“五つ”の大陸から構成されているらしい。

 五つの大陸の中心である『中央大陸』を軸に東西南北へ四つ。

 北の『コービャ大陸』、西の『ザクス大陸』、南の『ブーゲン大陸』、そして最後に東の『セリウ大陸』。

 俺が今いるのは、そのセリウ大陸のさらに東端――つまり、『ラマヤ領』だ。

 本によると、セリウ大陸全土を統括とうかつする統治国家『リカード王国』が置かれてある場所として有名なんだとか。


 それともう一つ、セリウ大陸は中央大陸含む五大陸の中でも“都市国家のある大陸”としての権力が一番低く、さらに肥沃ひよくした土地が少ないため、異世界ファンタジーお決まりの『モンスター』がほとんど出現しないことも判明した。

 詳しいことは明記されてなかったが、なんでもモンスターにとって気候的にも土地的にも、色々と発展途上なセリウ大陸は住処すみかとして適さないらしい。

 で、モンスターが繁殖しなければ冒険者や勇者なども数が少なく、冒険者や勇者がいなければ、無論『冒険者ギルド』といった男の血肉湧き踊る場所も少ないわけで……。


 別に伝説の勇者や英雄になりたいわけじゃなかったが、幻滅しなかったと言えば嘘になる。

 しかし裏を返せば、セリウ大陸は他の大陸と比べて比較的平和な土地ということだ。

 フランカにそのことを尋ねてみると、


「あー、確かにセリウ大陸は年がら年中日向ぼっこできるぐらい平和ですからねー。中央大陸に次いで居住者が多い所なんですよ、ここ。他の大陸――特に北のコービャ大陸なんて、魔物の巣窟そうくつで住めたもんじゃありませんよ」


 と懇切丁寧こんせつていねいに説明してくれた。

 うん。現実は想像(俺TUEEとか異世界無双)と違ってたなんてよくあることだ。やっぱ平和が一番だよ、平和が。


 歴史書には、他にも各大陸や種族関係について細かに記載されていたが、それは追い追い知るとして今は置いておく。




 六日目と七日目。

 さて、異世界の仕組みと現在地の把握を大まかに確認できたところで、俺は魔導書に焦点を当てた。


 お待ちかねの『魔術』。これこそ正にファンタジーの代名詞。異世界の醍醐味だいごみだ。


 フランカ曰く、この世界で最も数を占める職業が『魔術師』らしい。特にセリウ大陸は魔術に精通しているらしく、“セリウ大陸の一流魔術師”ともなれば世界を手中に収めることも可能だと言う。

 それは少し飛躍していると思うが、現に『世界三大魔術師』とうたわれる三人の魔術師は、それぞれがセリウ大陸の出身で、歴史に名を刻んだ英雄と本に記されていた。


 他にも『七人の魔女伝説』や『竜殺しの魔術師』、『天界と魔界』などのエピソードが本の前置きとして書かれている。

 中々にドラマティックで興味深い内容だったのだが、途中でフランカに課題を出されたことで、最後まで目を通すことは叶わなかった。


 ――ところで、そのフランカの課題なのだが、


「二日以内に火系の初級魔術を一個覚えてください。それが、ここで働く上での最低条件です!」


 だってよ。

 いやいや、ご冗談でしょうフランカさん。ようやっと言語の読み書きを覚えた俺が、いきなり魔術なんて無理っすよ。無理ゲーっすよ。


 お屋敷のご令嬢よろしく、口に手を当てて「ホホホ」と貞淑に笑ってみたのだが、フランカが聖母の喜色きしょくを変える様子は見られない。


「心配しなくても大丈夫ですよ。ウチにはありとあらゆる魔導書を取り揃えてありますからね。それに、ユウさんなら二日以内できっとモノにしてくれるはずです!」


 至って真面目なようだった。

 フランカは今にも鼻から蒸気を吐く勢いで、目を爛々と輝かせている。


「いや、幾ら何でも急すぎるんじゃ――」


 と、ハナから諦めかけていた俺の心を奮闘させたのはフランカの次の一言だった。

 その一言はあまりにも卑怯ひきょうで、でも俺を突き動かすには十分過ぎる一言だった。



「――だって、ユウさんのこと信じてますから」



 信じてますから……てますから……すから……。


 エコーが俺の脳内を振動させる。心臓を弾丸で撃ち貫かれたのかと錯覚した。


「え――」


 後光。


 動揺する俺がほうけた顔でフランカの方を向くと、胸の前で両の手を組まれた天使様が祈りを捧げておられた。

 相も変わらず、ニッコリと微笑みながら。


「はい、私は信じていますよ。ユウさんはやればできる人です」

「その課題、喜んでお受け致します」


 即断即決。逡巡しゅんじゅんなど不要。

 天使様の御前おんまえひざまずき、片手を胸に忠誠を誓えばそれでよし。


 いやさ、普通好きな女の子から『信じていますよ』なんて言われたらボルテージマックスになって電流放出しちゃうでしょ?

 要はそういうこと。


 こうして、俺は二日以内に火系の初級魔術を一つ覚えることになるのだった。




「えっと、まずは火系のどんな初級魔術を覚えるかだよな……」


 集中できるようにと、フランカが部屋を退出してから数分。俺は『魔術基礎 〜これであなたも一流魔術師〜』と題された薄っぺらい本をペラペラめくりながら頭を掻いていた。

 先程の分厚い魔導書はどうやら上級者向けだったようで、フランカに推奨されたのはこっちだ。

 前置きの続きが気にはなったのだが。


「攻撃魔術……防御魔術……回復魔術……回避魔術……って、てっきりRPGとかMMOみたいな感じだと思ってたけど、属性とは別に使用用途も予想以上に幅が広いな」


 一括ひとくくりに“火系の初級魔術”と言えど、この異世界には多種多様な使用用途があるようで、応用パターンまで掘り下げるとキリがなかった。

 基本的には『攻撃魔術』、『防御魔術』、『回復魔術』、『回避魔術』、『強化魔術』の五つを根底に魔術は形成されているらしい。

 属性は勿論、幻覚を見せる『幻覚魔術』や使い魔を召喚する『召喚魔術』などは、そこから派生した付属物だとか。


「んで、その説明だけでざっと二〇ページ。残りの厚みを目測で測ると、大体八〇ページだから……げっ、こんな薄っぺらい本が全一〇〇ページもあんのかよ」


 脇を見ると、他にも類似した本が四、五冊。表紙から察するに、魔術入門書のシリーズだ。

 セリウ大陸が魔術に精通しているというのも頷ける。


 一旦本を閉じて裏面を見てみると、著者の名前が右端に小さく記されてあった。


「えーっと……。あ、ふぃ……す、もーげ……る? アフィスモーゲル?」


 アフィス・モーゲル。

 それが著者の名前だった。無論誰かは知らない。


 セリウ大陸で使用される言語――『アオ文字』で金色の刺繍ししゅうほどこされている。手先の器用さをうかがわせる精巧な作りだ。

 つまり、著者はセリウ大陸の出身なのだろう。


「やっぱそうか。本を発行できるお偉いさんってことは、もしかしたら一流魔術師だったりして……」


 本というのは非常に高価で貴重な物なんですよ、とフランカが先日そう言ってたことを思い出す。

 ――おっと、与太よた話で脱線していた。本題に戻らねば。


「まぁ、覚えるなら使い勝手のいいやつがいいよな。できれば長期間有効的なやつ。……いや、魔術に消費期限とか無いか」


 攻撃魔術、防御魔術、回復魔術、回避魔術、強化魔術。

 この五つの中で最も有効性に優れているつフランカとの仲を深められる魔術と言えば――


「これだよな」


 しばし悩んだ末、俺はその魔術の詳細が記されたページを開く。


「えー、なになに?」


『第五の魔術――「強化魔術」とは文字通り、有機物・無機物に関係なく、その物体・物質が持つ能力を向上させる魔術です』


 ふむふむ。これは想像通りだな。

 俺は読み進める。


『回復魔術と同様、サポート面でのみ機能性を発揮すると思われがちですが決してそうではなく、鍛錬次第では強化した物体をコピーできる「複製魔術」などを扱うことが可能に。また、古典文献によると、「世界三大魔術師」の一人は「強化魔術」を得意としたらしく、上記の「複製魔術」の先駆者とも言われています』


「へぇー、俺のイメ―ジとは少し違ってたな。けど、これはこれで良さそうだ……いや、寧ろ活躍の場を大きく広げられるんじゃないか?」


 仮に日常生活に置き換えた場合。例えばコンロ(異世界ではかまど)の火力を強めたり、風の風速・風圧を大きくして洗濯物を早く乾かすことができるだろう。

 また、戦闘の場で『複製魔術』を流用した場合、前衛でも後衛でもシフトチェンジできるリベロ的な存在となり得る。

 ある意味、チートと相違ない魔術だ。


 ――これは、使える。

 そう確信したと同時に、フランカの笑顔が脳裏に浮かぶ。


「ちょ、ちょちょちょちょっと待て! 俺はたった今天才的な発想に至った! とすると、これを使えばフランカのお胸をさらに膨らませたり、おパ○ティーを複せ……」


 パシン!


 最後まで言い切る前に、俺は右頬を思いっきり引っ叩いた。

 最後まで言ってしまうと、人間としての何かが欠落すると思ったからだ。

 俺はまだ理性と常識を兼ね備えた人間でありたいのでね。


「コホンコホン! じゃあ“火系の初級強化魔術”を覚えるってことで」


 息を整え直すと、次のページを一枚捲る。

 すると、そこには両開き一杯に黒々しいインクで魔法陣が描かれていた。


「確か、中央に詠唱が載ってるはず……」


 ――『魔術詠唱』を読み上げる。もしくは魔法陣に右手を置いて『呪文スペル』を読み取る。

 事前にフランカから教わった魔術の取得方法だ。

 俺は『魔力マナ』を極小しか扱えない『人間種』という種族に分類されるため、魔術詠唱でしか魔術を習得できないらしい。


「さてさて、それでは気になる詠唱の内容は――」


 脳内でアオ文字を日本語に変換。


『我が身に宿りし火の精霊よ。我が身に与え給えその力。混沌の狭間から目覚めし赤き炎龍が漆黒の火炎を身に纏った時、我は――』


 パタン。

 本を閉じた。静止すること約五秒。


 それでは、人生初の魔術習得を前にした今の心境を一言でどうぞ。


「…………口に出すくらいなら、死んだ方がマシだ」


 という結論に至りました。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「フハハハハハハハハッ!! 我が身に宿りし火の精霊よ! 我が身に与え給えその力! 混沌の狭間から目覚めし赤き炎龍が漆黒の火炎を身に纏う時、我は指先に煉獄の炎を望むだろう! 出でよ、『指火ファイアー・フィンガー』ッ!!」


 ポッ、と俺の指先に灯る黄金こがね色の光。

 火系の初級強化魔術だ。それは指先から離れると、しばし部屋の中をシャボン玉のようにただよう。


 標的は部屋の中央に置かれた丸机テーブルの上にある一本のロウソク。さらに狙うはそこで揺れ動くか弱い炎。

 すると黄金色の光は、千鳥足のような動きでフラフラと標的の方へ吸い寄せられ、火の中へ溶け込み、見事に大きくさせた。

 火力も大きさもそこそこ。子供騙しレベルに過ぎないが、隣ではフランカがパチパチと手を叩き称賛の声を浴びせてくる。


「や……遂にやりましたね! 本当に二日以内でできちゃうなんて信じられませんっ! でも私は信じていましたよユウさん! 一週間本当にお疲れ様でした! わ、私、感動しちゃいました!」


 感極まったのか、フランカは俺の両手をブンブンと激しく振る。

 普通なら「このまま部屋でもっと激しいことしちゃう?」と軽口の一つでも叩けたのだが、魂の抜けた抜け殻になっている俺にそんな気力は残っていない。


 それよりも、


「……大学生としての尊厳を失った」


 頬を伝う一筋の涙。

 それが、魔術を習得した時に感じた感情の全てだ。

 マジで頭から布団を被りたい気分だった。




 こうして、一週間の勉強期間を経た俺はようやく店を手伝うことを許可された。

 そこからさらに一ヶ月。“店員見習い”として、俺は雑貨店の雑務や配達に明け暮れる日々を過ごし、同時にこの世界における知識や見識も深めていった。


 で、現在に至るのだが。

 結局、フランカに認められ、一人前の雑貨店店員となったのはつい三日前の話である。


 ちなみに、一ヶ月の見習い期間中は、魔術発動の感覚が身体に馴染なじんで詠唱不要になるまで『指火ファイアー・フィンガー』を毎日使わされ続けた。

 フランカさん鬼だ……。


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