第33話 『不可思議な来訪者』
今は昼休憩だ。
各々の個性的な表情を形作る雲が自由気ままに漂う空の下、人々の隙間にも非情にゆったりとした時間が流れている。
そんな中、俺は“ハムカツ玉子サンド”を片手に、買い物客で賑わうポルク村をぶらぶらと散歩していた。
『LIBERA』の“雑貨店店員”として復帰した昨日と今日の昼食時、俺は外で昼食を取っていた。
無論、例の“森”とか“秘密基地”の謎を追究する目的があったからだ。しかし、それよりももっと別の、何て言うかこう……外で食いたい気分だったのだ。
一日の内に三回鳴る仕組みになっている『LIBERA』のオルゴール――。
あの“二回目”の音色が流れるといつも、フランカは俺のために愛情をたっぷり詰め込んだ手作り飯――もはや定番の特製“ハムカツ玉子サンド”を作ってくれていた。俺が異世界に来て間もない頃に思い付きで作った“ハムカツ玉子サンド”のレシピを伝授してから、ずっとだ。
それを毎日毎日、俺とフランカは正に新婚ホヤホヤの新郎新婦みたく、ナプキンの上で談笑を繰り広げながら美味なサンドを頬張っていた。
俺がバカなことを言うと、それを聞いたフランカが照れたり怒ったり、笑ったりしてくれる。またその眩し過ぎる純白の太陽につられて俺も、笑う。
幸せだった。世界中のどこを探しても、そこ以上に昼食を堪能できる場所は無いと俺は断言できた。
過言かもしれないが、こんな昼食が永遠に続くのだと、俺はそう半ば信じていた。本気で。
……そろそろ聞き飽きただろうが、“あの日”以前までは。
俺がフランカのことを嫌いになるなど、たとえ天界と魔界がひっくり返って悪魔が降ってきたとしても有り得ないし、特別俺たち二人の関係が気まずいわけでもない。
ただ、今はそういう気分になれない……。この気持ちに以上も以下もなく、それだけなのだ。
『……はい、わかりました。では、これを持って行ってください』
昨日と今日の二日……外で昼食を取る旨を伝えると、フランカはほとんど何も言わずに紙に包んだ“ハムカツ玉子サンド”を二個、俺の手に持たせてくれた。
若干前髪に隠れていたその表情は、怒っているようにも寂しげに眉尻を下げているようにも見えない。寧ろ俺を送り出す時は、満面の笑みでこちらに手を振っていた。
違和感や後ろめたさが無かったと言えば嘘になる。
が、二日とも俺は、自分の気持ちに素直になった。
できるだけ早く帰ろう、と心に決めて――。
「……で。やっぱし無いのか、森……」
もしかしたら、というささやかな希望さえも見事に打ち砕いてくれた雑木林を見上げて、俺は深いため息を漏らす。
たった今、愛と幸福と美味で口腔と、さらには心までをも蹂躙した昼食の最後の切れ端は喉を通ると、胃袋に色鮮やかな花畑を築いた。しばらく枯れることはないだろう。
「昨日と同じように、モナの家からスタートしてここまで来たけど……やっぱここに間違いねぇしなぁ」
やはり念には念を入れて、ここへ向かう道中、もう一度だけ村民にそのことについて尋ねてみた。けれど返ってくる答えは昨日をやり直しているようで、それどころかいよいよ『しつこい』と煙たがれ始めたので、これ以上村民の反感を買わないためにも諦めた。
俺は両腕を組み、雑木林から“村の心臓”――すなわち『カピトの聖像』がある村の“中央広場”に続いている道のりを見やる。
「…………」
そしてまた道に沿うように視線を戻していく……が、結果は同じだ。
残念なことに、どうやら俺が“あの日”目にした“森”やら“秘境”やらというのは、全て俺の脳が見せた幻だったらしい。
元々視力はあまり良い方ではなかったが、まさか幻覚を見るほどまでの深刻な状態だとは気付かなかった……。
これは早急に眼科に行って診てもらい、適切な処置を施してもらわねば。この世界に眼科があるのかどうかは知らんが……。
はぁ、と本日二度目の嘆息。
「――帰るか。そろそろ俺の体内時計が昼休憩残り三十分前を告げてる……。それに、“早く帰る”って決めたしな」
確かに、この謎自体はナディアさん本人に直接問い質せば丸く収まるのだが、そもそも消息不明だし、ルミーネに至っても面会謝絶で誰とも会えない状況下にいる。要するに手詰まりだ。
とは言っても、いつまでも幻想相手に喧嘩を売っていては埒が明かないし、時間の無駄だ。
俺にはもっと、『LIBERA』の“雑貨店店員”としてやるべきことや、フランカとイチャイチャしなければならない使命がある。俺の今生きている日常において、その手をもっと別の場所で、効率的に使わなければならないのだ。
故にこうして、昼飯が済んだらさっさと帰って店の手伝いに戻るのが正解なのだ。
それに、視力に関してはついこの前、寡黙でいけ好かないジジイこと『LIBERA』に雇われている腕利きの鍛冶師――ボッフォイに相談し、“メガネ”を作ってもらえる約束になっている。
何も気にすることなどない。
踵を返し、その場を後にしようとしたところで――
「――――」
最後に雑木林の方を振り返り、三度嘆息し、俺はその場を後にした――。
「……ん?」
元来た道をそのまま辿り、しばらくして俺は『カピトの聖像』のある“中央広場”まで戻ってきた。
露店街での買い物客の盛況ぶりがひと段落したのか、人山は崩れ、村の雰囲気は既に落ち着きを取り戻している。
――と、何やら『ポルクの噴水』付近に小さな人集かりが成されているのを視認した。
「なんだ……? また集会でも開いてんのか?」
群衆の規模はさほど大きくはない。目算で十人そこらだ。
ここ最近のポルク村では、頻繁に集会が執り行われていた。そのほとんどが“あの日”に関連する後始末だったりするのだが、俺の推察の内情はつまりそういうことである。
しかし、集会を開くのであればもっと人数がいそうなものだが……と、俺は小首を傾げた。
十人程度の村人が“中央広場”の一角で呑気にだべっているのなら話は別だが、ある一箇所に一塊となって固まっていたらあまりにも不自然過ぎる。心なしか、どこか困惑しているように見えなくもない。
「…………」
妙な胸騒ぎがする。
“あの日”――ルミーネが臨時集会を開いていた時と同じ胸騒ぎだ。
……まぁ、あいつは只今絶賛謹慎中なのだが。
「……よし、一応行ってみるか」
一抹の不安とて、解消しなければ気分を曇らせる。
暫しの黙考の末、俺は『ポルクの噴水』付近まで足を運ぶことにした。
とは言っても、距離的には現在地から四十メートル前後ぐらいだ。三十秒もあれば余裕で到着するだろう。
俺はそちらへ足を向け、歩みを再開した。
「……………………じゃからそう仰られても、ワシらには本当に心当たりがないんじゃ……」
――二十秒後。
群衆まで残り約十メートルを切ったその時、聞き馴染みのある声が俺の鼓膜を揺さぶった。
わざわざ確認せずとも、脳裏に人物像を描き出す判断材料としてはそれで申し分ない。俺の親しい友人の一人だ。
――村長……? またなんで村長がこんな所に……。
が、形姿を拝もうにも、噴水が邪魔でよく見えない。
疑問符が生じた矢先、別の方向からもう一つの声が上がった。
「………………いえ、ですから先程から何度も申し上げております通り、ここら近辺で間違いないと思われるのですが…………」
もう一つの畏まった声――非常に礼節を弁えたような声の主は、俺の頭上にさらなる疑問符を生じさせた。
男性のものと思しき渋くて深みのある低音は、なぜなら俺の記憶の範疇から抜け出ているものだったからだ。
しかも、村長に対してそれだけ慇懃な物言いをするということは、少なくともポルク村の村民とは考えにくい。
そういったことも踏まえた結論、その声の主は俺にとって、おそらく初対面の人物である可能性が高い。
と、またもや村長が煮え切らない返事をした。
「…………つい五日前ほど前のことなんじゃろ? ふーむ……。ここにいる村民含め、ワシも身に覚えがありませんからなぁ……そんなこと。ワシが幾ら年老いてるとは言え、流石にそこまで物忘れが激しいわけではありませんぞ、衛士さん………………」
「……いやしかし、上は確かに受けたと。私たち衛士も仕事上すぐには駆けつけられない故、たとえ誤報であったにせよ、後日何かあってからでは手遅れになりますので……………………」
「おっほっほ、本当に律儀で心配性な衛士さんじゃのぅ……。そんなこと、有り得るわけありますまいのに………………」
――五日ほど前……? 衛士……? 誤報……? 一体どういうことだ?
もはやそれらは、俺に理解の余地を与える気などさらさら無いようだ。
村長と衛士とやらの声の主がやり取りを続ける中、特に“五日ほど前”という単語が胸のざわつきを加速させた。
俺は噴水周りを歩いていく。――残り約六メートル。
「――――ましてや、“犯罪者”など……」
――は……ッ!?
聞き捨てならない単語が村長の口から飛び出し、一抹の不安はいよいよドス黒い霧となって俺の内心を巣食い始めた。
俺は噴水周りを足早に歩いていく。――残り約四メートル。
「…………そうですか。そこまで仰られるのであれば、私もこれ以上査問するのは無礼千万。控えることに致しましょう」
残り約二メートル――というところで、衛士とやらが腑に落ちないような声音で諦観の嘆息を吐いた。
その一声が、二人の会話に終止符を打ったようである。
「村長殿、並びに村民の方々、貴重なお時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした。……では、私はこれにて。また何かありましたら、リカード王国・『魔導衛士』派遣部署までいつでもお声掛けください」
「おっほっほ、今後ともお世話にはならないと思うがの。じゃが、その気持ちはありがたく受け取っておきますわい。遠路はるばる、ご苦労様でした」
「いえ、なに。それが我々の仕事でありますので……」
別れの挨拶もそこそこに、衛士と名乗る人物が立ち去ろうとしている――丁度その瞬間。
群衆の尻尾に掴まる形で、俺は到着を果たした。
見ると、銀の光沢を放つ鉄の鎧を全姿に纏った高身長且つ筋骨隆々な輩が、革製の鞍を取り付けた『半獣種』のケンタウロス――上半身が人間で下半身が馬の姿をした――に騎乗している最中だった。
「……?」
「……?」
ケンタウロスの手綱を握り、踵を返しかけていたその輩――衛士と目が合った。
が、それは次の瞬きまでのことで、衛士とケンタウロスはそのまま俺たちに背を向けて走り去っていった。
衛士の偉丈夫は声からして大体想像通りだったが、側近のケンタウロスも中々に逞しい肉体を有していたように思える。“ペットは飼い主に似る”というやつだろうか。
ていうか、ケンタウロスなんて久々に見たな……。
現実世界から異世界に転移してきた日もそうだったが、俺は『半獣種』のケンタウロスを目の当たりにしたのはこれが初めてではない。
これまでにも、ケンタウロスを引き連れた御者が『LIBERA』の店先を左から右へ駆け抜けていく光景が度々見られた。俺はその時たまたま外出していて、偶然にも遭遇したというわけだ。
まぁ、それでも滅多にないことだが……。
「――おっほぅ〜、なんじゃなんじゃ。そこにおるのはイトバちゃんではないか」
名前を呼ばれて我に返ると、群衆の頭にいる村長がこちらに向かって御杖――俺の身長と同等のサイズ――を振っていた。
それにより、そこにいた他の村民たちもこちらを一斉に振り返って俺の存在を視認する。
そして、
「まあ、イトバさん! イトバさんじゃありませんか!」
「お怪我の方はもうよろしいので?」
「心配していたんですよ、イトバさ〜ん」
端から次々に笑顔を咲かせ、親交の歩みを寄せてくるポルク村の村民たち。
……だが、それとは正反対に無言で口元を緩めるだけの者も少なからずいた。“あの日”の凄惨な実情を知るだけに、俺に気を遣ってくれているのだろう。
俺にとってそれはありがたい一方で、けれどどこか歯痒さを覚える……そんな不透明な違和感だった。
「で、今日はどうしたのかの。何かの用事か頼まれごとかな?」
で、村長もその例に漏れていないのだろう。
たとえ顔中が霜の降りた体毛で覆われていようと、金のモノクルの内に潜む静かな慧眼を細めようと、心根から皮膚より滲み出る雰囲気だけは誤魔化せない。
まぁ、それはひとまず置いといて、
「あのさ、さっき村長とあの人が話してたことなんだけど……」
無遠慮に尋ねられる話題でもなさそうなので、俺は言葉尻を濁すようにそれとなく言う。
すると、和やかに顔貌を崩していた村長が若干口元を引き結んだ。
「……聞いておったのか」
「え? ああ、まぁ……それなりには」
村長の反応にしては珍しいくぐもった声だったので、俺は咄嗟に頰を掻く。
あれ、やっぱり聞いちゃマズイ内容だったのか……。
村長だけでなく、先程まで笑顔を振り撒いていた村民の表情にも軒並み影が落ち始める。
「…………」
「…………」
どうすりゃいいんだよ、この空気……。
まぁ元々興味本位で首を突っ込んだ俺が悪いのだが、想定外だった。まさか、ここまで思い悩むような深刻な事態とは……。
なんとか凝り固まった空気をほぐそうにも、“イケメンスキル”皆無の俺が気の利いた一言を爽やかに決められるはずもない。
そうして暫し沈黙が場を占める中、長い嘆息を漏らして口火を切ったのは村長だった。
「いや、もう既に聞いてしまったのならいいんじゃ……。今さら忘れることなぞできんし、誰も咎めはせん。……じゃが、できればイトバちゃんには、このことは知ってほしくなかったのぅ」
“このこと”? このことってやっぱり、例の“犯罪者”がどうたらこうたらっていう話のことか……?
ふと、俺は群衆の向こう側に視線を投げる。
先程ケンタウロスと共に立ち去った衛士の後背を、眩い陽光が幻影としてそこに投射しているような気がした。
不謹慎かもしれないが、そう言われると半分程度しか溜まっていなかった興味の水瓶が俄然水位を上げてくる。つい先日、その誘惑に負けたが故に一度死にかけたはずなのに……俺という人間がいかに愚かしいかよく分かる。
「まぁ、俺も無理に問いただす気はないけどさ……たまたま通りかかったら会話の断片が小耳に入った感じで。しかもそれが物騒な単語だったもんで、気になったと言いますか……」
“会話をそれなりに聞いていた”と話した手前、ここで変に取り繕うのは不自然だし俺の気が引ける。ここは正直な気持ちを打ち明けるのが正解だと判断した。
どうやら反応を見る限り、それでも村長たちは俺にその話を切り出すことを酷く躊躇っているらしいが。無言はやがて不可視の圧力にも思え、“これ以上首を突っ込むな”と暗に諭されている気がしなくもなかった。
とは言っても、今回は所詮話を聞くだけだ。首の突っ込み度合いで言えば、額の中央辺りぐらいだろうか。
まさかこれを聞いたことによって、再び瀕死の目に遭うなどということもあるまい。たとえヤバイ匂いを纏っていたことに気付いても、蓋をして関わらなければ済む問題なのだ。
そう、全てはそれだけの、簡単な話なのである。
――すると、
「ええじゃろ。話そう」
「村長さん……」
重い腰をようやく上げるように、俯いていた村長の顔が上がり、俺と向かい合う。決意を固めたようだ。
対照的に、未だ腹を決められないであろう村民の一人が弱々しい声を発したが、村長は「おっほっほ」と顎髭を撫で、愉快気に笑った。
「さっきも言ったが、仕方のないことじゃ。断片でも切れ端でも、内容の一端を齧ってしまえば後は知ろうがそうでなかろうが全部同じことじゃわい」
「……いや村長、俺は強要してるわけじゃないんだ。話したくないなら話さなくてもいいんだぜ?」
「おっほっほ、それでいいのならワシは構わんが……イトバちゃんはそれで満足するかいの? 三歩歩いたら忘れるような特技でもあれば話は別じゃが」
「うっ……」
なんだ……? 村長のくせに今日はやけに強気じゃねぇか……。
図星をつかれて言葉が詰まり、思わず手で後ろ頭を掻いた。若干紅潮した頬に嘘はつけない。
「まぁ、その……そうだな」
ついでに鼻梁も掻くと、「よろしい」と賢明な老君は御杖で地面を一回小突いた。
「未知への探求心は、人の本能であり、性じゃからの」
「お、おいおい、なんだかえらく大袈裟だな……」
「ん? これでもワシは一応イトバちゃんを擁護したつもりだったんじゃが……」
「ま、この際どうでもええわい」と、一旦話を断つ村長。
そしてほとんど間を置かず、口を開いた。
「実はの、リカード王国の衛士さん曰くの話なんじゃが……」
「あー、さっきそこでケンタウロスと一緒にいた人か」
「そうじゃ。で、その衛士さん曰く……五日ほど前、どうもここら近辺で犯罪者が出没したらしくてな」
残念ながら、物騒な単語は俺の聞き違いではなかったようだ。
「気味の悪い話だな」
「そうじゃろ? ワシの知る限り、こんな事案は初めてなのじゃが……」
その村長の意見に同意するように、周辺の何人かが小さく頷いた。
「イトバちゃんは何か知っとるかの?」
「いやぁ、知ってるかって言われてもなぁ……」
顎に手を当て、それっぽく頭を捻ってみるが、心当たりなど微塵もあるはずがなく……。
ていうか、俺はそもそもここ五日間ずっと寝たきりだったしな。
「んで、あの衛士さんは今日ポルク村に事情聴取に来たと……」
「……。いや、それなんじゃがな……」
「ん?」
そこで妙に口ごもった村長に違和感を覚えたのも束の間、村長は続けざまにこう言った。
「これも奇妙な話、――誰が通報したのか分かっておらんのじゃよ」