第32話 『五日後』
更新遅くてすみません。。
――五日。
“あの日”から、今日で約五日が経とうとしていた。
「いらっしゃいませ! 便利の旗印、何でもお道具店・『LIBERA』へようこそ!」
…………。
結論から言って、俺は無事に職場へと復帰することができた。
とは言っても、まだ身体の各所に刻まれた傷が完全に癒えたわけではない。体力の低下もだ。
諸々含めて完調……とまではいかないが、それでも仕事で体を動かすのに支障が出ないぐらいまでには回復している。
フランカは『もう少し休んでからの方が良いんじゃないですか?』と俺の身を案じてくれたが、“一刻も早く店の手伝いに戻りたい”という想いを俺が強く主張した結果、昨日から復帰できたというわけだ。
異世界の何でも道具屋・『LIBERA』は、本日ものんびりまったり営業している。
いつもと変わらず。そう、いつもと何も変わらずに……。
「おぅ、おはようさん。フランカちゃんと……って、おぉ!? なんだなんだ、イトバの兄ちゃんもいるじゃねぇか! もう傷の調子は良いのかよ?」
「はい、ユウさんには昨日から復帰してもらいました」
「そうかそうか、こりゃめでてぇなあ。これでまた、サボ――じゃなくて、昼時に俺の店へ立ち寄って金を落としてくれるってわけか……。まぁ取り敢えず、無事で何よりだったぜ。な!」
「…………」
「ん? フランカちゃん?」
「――あっ、はい! そうですね! それで、今日のご注文はいかがいたしましょうか?」
「ああ、そうそう。今日はだな……」
…………。
あの日からの約五日――。
最初の三日ぐらいは、モナの家の応接間を間借りして、そこで傷の治療に専念した。
今だからこそ正直に言うが、本当は内心申し訳ない気持ちで一杯だった。幾ら俺が瀕死の負傷者だったは言え、居住区間の一室を赤の他人が無償で占拠し、さらには食費まで全額負担してもらったのだ。
モナとその両親は性根の優しさ故に、『好きなだけいてもらって構わないからね』と温かい言葉を被っていた毛布の上からかけてくれたが、それで気を遣わない方がどうかしてる。
だから、三日ぐらいで自宅療養できるほどにまで復調したのは勿怪の幸いだった(骨が折れていなかったことも含めて)。
モナの家にいる間、毎日俺の傷の具合を確かめるため診察に訪れ、またポルク村一番の回復魔術の使い手と称される名医・ドクターによれば、『あれだけの深手を負ったにも拘らず、ここまでの治癒速度は目を見張る』だそうだ。まぁ、それもこれも、モナとモナの両親が俺を労わり過ぎてくれたおかげなのだが……。
ドクターだけではない。ポルク村のみんなや村長、勿論フランカも見舞いに来てくれたことがあった。
そのことも、あの日の一件以来複雑な思いを抱えて悶々《もんもん》としていた俺の精神を和らげ、復調の一端を担っていたように思う。
みんなには本当に、感謝してもしきれない……。
「フランカちゃんや、またセリウ銅貨を三枚も多くいただいているわ」
「……え? ――あ! す、すみませんっ!! ボーっとしてました……。あ、あれー? おかしいですね……」
「……大丈夫? 最近、なんだか元気が無さそうに見えるけど」
「そ、そうですか? 私はいつでも元気百倍ですっ! なんたって『獣人種』ですから、体力だって人一倍ありますよ!」
「……無理、しちゃダメよ」
「無理だなんてそんな! 寧ろもっと働かないと……。ただでさえ売り上げはそれほど芳しくないのに、あはは。……でも、はい。ありがとうございます、ロプツェンさん」
「…………。そう。じゃあ、また来るわね」
「…………はい」
…………。
――それから。
あの日から今日までを振り返るのに、忘れてはならない存在が二名ほどいる。
俺が今いる『セリウ大陸』の西端に位置する、セリウ大陸と『中央大陸』の大陸間を埋める天空海闊な青の大地――『セリウ海』。
そのセリウ海を中央大陸から一ヶ月もかけて渡航し、丁度五日ほど前にここ『ラマヤ領』の『マルチーズ地方』に行き着いた、中央大陸にある世界最大の王国・『オーティマル王国』に籍を置く“放浪魔術師”――ナディアさん。
そして、もう一人――。
ナディアさんより先にセリウ海を渡航し、つい一週間ほど前にここへ行き着いた、同じく『オーティマル王国』に籍を置き尚且つナディアさんの同僚でもある“放浪魔術師”――ルミーネ。
実を言うと、あの日からの彼女らの動向についてはいまいちよく分かっていない。
俺が療養している間も見舞いに訪れてくれたことは一度も無かったし、聞くところによるとポルク村のみんなも知らないらしい。
“あの日”――――俺は、ルミーネに殺されかけた。
その寸前、間一髪というところでナディアさんが救いに駆けつけてくれたおかげで事なきを得たものの、立派な殺人未遂だ。本来ならルミーネを即刻村から追放するのが至極当然の処置で、ポルク村の村人たちが直ぐ様提訴し、行動を起こそうとしたことは言を俟たない。
……が。俺とルミーネはあの日の夜、ナディアさんの仲介の元、一時的な和解として握手を交わした。
その行動の裏には、何か止むを得ない大きな理由と事情があった――と。
被害者本人である俺自身の意志で“それ”――謎には包まれているが――に納得し、俺自身の意志で“ルミーネを信じる”と決め、そして――まだ完全とはいかないが――和睦したのだ。
それもあって、ルミーネの誤解を解くには、俺からポルク村のみんなに説得しなければならなかった。一度や二度ではない。再三に渡って説得を重ねた。
その甲斐あってか、最後まで頑なに首を縦に振らなかった村長の妥協により、ルミーネは一応村の滞在を継続することが可能となった。
ただし先程も言ったように、俺が無事であっても未遂事件は未遂事件だ。たとえそれは、被害者本人である俺自らがルミーネへの信頼性を説くため、幾ら声を張り上げようと……然るべき相応の罰は受けなければならない。
というわけで村長曰く、現在ルミーネは村長の家の真横に位置する“離れ”に軟禁され、厳戒態勢を敷いた状態で監視されているのだとか。
考え直してみたら、これで見舞いに来るというのは無理な話である……。
一方のナディアさんだが……。
こちらはルミーネと違い、消息不明になっている。あの日以降、俺も含めて誰も彼女の姿を見た者がいないのだ。
最後に彼女を見た人物が二人いて、それは俺とモナだった。
あの日の夜――ルミーネとの話し合いが済んで、ナディアさんが例の“秘密基地”からモナの家まで俺を送り届けてくれた時だ。
その日は中々寝付けなかったらしいモナが、赤く腫れぼったい顔のまま戸口まで出てきてくれたことを今でも鮮明に覚えている。二人が顔を合わせるのは、その時が初めてだった。
それから、短く一言だけ――
『無責任なのは分かってるが、後のことはよろしく頼むよ。今日は本当に、色々と済まなかったね。……じゃ、ウチはこれで』
深々と頭を下げ――。
凛とした双眸で俺たち二人を一瞥したナディアさんは、どこか影の差した陰鬱な表情でその場から立ち去った。
俺とモナは家に入らず、しばらくの間ナディアさんの後ろ姿を見送っていた。やがて、暗緑色のローブを身に纏った彼女の背中が闇夜に紛れるまで。
モナにとっては、それが最初で最後の出逢いだった。
つまり、あれから彼女がどこで何をしているのかということは……豊穣の女神様のみぞ知る、と言ったところである。
…………。
約五日経った、現在。
世界はあの日以前の日常の様相を取り戻しつつある。
いつもと変わらない日常……。何の変哲も無い日常……。“平和”の二文字しか似合わない、安寧の日々……。
まるで、あの日そのものが最初から世界に存在していなかったかのように……。
ポルク村のみんなも、『LIBERA』のみんなも、俺も、普通の日常を謳歌している。
…………ただ、
「――――きゃああああっ!!」
突如、空間を裂くような悲鳴が店内に鳴り響き――。
続けざまにドンガラガッシャアアン!! と何かを盛大にぶち撒ける騒音が鼓膜を突き抜けた。
「!? どうした、フランカッ!」
心臓に悪い二重奏の音源はカウンター前からだった。
幸いにも、カウンター後ろの梯子に上って吹き抜けの二階にいた俺は、梯子を飛び降りるような勢いでカウンター前へと急行する。
するとそこには、散乱した雑貨の海の中で前のめりになって倒れているフランカがいた。
「い、イテテテ……」
両膝をつき、俺に尻と尻尾を向けた状態のまま腰を摩っていた。
小物類の雑貨を一纏めにして運んでいる途中、どうやら何かに躓いて転んだようだ。
床に散乱した数多の雑貨たちは三々五々と散り散りになり、それぞれが思い思いの場所へと転がっていく。
「おい、大丈夫か?」
直ぐにそばへ駆け寄り、俺はフランカの身体を起こすのに手を貸そうとした。が――
「いえ、平気です。ただ、ちょっと転んでしまっただけですので……。あー……でもかなり派手に転んじゃいましたね、えへへ。早く雑貨を拾わなくちゃ」
フランカは何事も無かったかのように、一人で立ち上がった。
「いや、そんなことよりお前――」
「ご迷惑をおかけしてしまってすみません、ユウさん。出来れば、一緒に拾うのを手伝っていただけるとありがたいのですが」
「あ、ああ……」
「じゃあ、よろしくお願いします」
「……本当に、どこも怪我してないのか?」
「はい、大丈夫ですよ。なんたって私、『獣人種』ですし、人よりも丈夫にできてますから」
「…………」
その一言が、妙に俺の胸に突き刺さった。
俺はそれ以上、フランカに対して何も言うことができなかった。
言ってしまえば、たった今生まれたこの……筆舌し難い冷たい感情が、あの日の生々しい記憶が教えてくれた血流の如く、湧き出る泉の如く溢れ返りそうになる気がして怖かった。人間にはこんな感情があったのか、と新鮮な驚きもあった。
けれど、
「……そうか。なら、良かった」
彼女が“無事だ”と言うなら、それで何よりだ。
俺はフランカと一緒に、床に散乱した雑貨を拾い始めた。
その作業が片付くまで、俺とフランカが言葉を交わすことはなかった。
…………。
火を見るより明らかだった。
あの日以降、フランカの様子がおかしい。
どこか俺によそよそしいというか、敢えて距離を置いているというか……。
まるで、初めて出逢った一ヶ月前に戻ってしまったようだ。
それに、ここ数日のフランカは、以前より格段にドジを踏むようになっている。俺や『LIBERA』の常連客なら尚のこと、誰もがそのことに気付き始めていた。
前々から天然ドジッ娘キャラではあったので、度々ドジを踏むような場面はこの一ヶ月幾度となく目にしてきたし、当たり前のように日常に浸透してはいたが……最近は特に酷い。もはやワザとやってるんじゃないのか、と疑惑が浮上してもおかしくないほどに。
日常茶飯事と言っても限度がある。四六時中ドジを踏まれていれば、それに慣れている俺たちでさえも流石に心配の目を向けざるを得ない、というわけだ。
だが、俺やフランカを慕うみんなが出来る限りやんわりとした口調で柔和な声を掛けるも……。
フランカは決まって太陽のような笑顔を周囲に振り撒き、そしてお決まり文句――『大丈夫です』を口にする。
そうしてはにかむフランカの耳と尻尾が忙しなく動いているだけに、その笑顔はとても儚げに見え、あまり口元を緩められるものでもなかった。
このことからも、フランカが最近“おかしい”という事実が顕著に表れている。
……俺は怖かった。
いつも隣にいたはずの可愛らしい横顔が、健気で溌剌とした姿が、俺に背を向けて遠退いてしまったようで……。
また同時に、悲しくもあった。
しかし俺も、人のことをとやかく言える立場ではなかった。
フランカ同様、俺もあの日からどこかおかしい。さらに言えば、昨日“雑貨店店員”として復帰してから尚更だ。
どこがどうおかしいのか、と問われれば具体的に説明するのは難儀するが、とにかく“おかしい”のだ。感覚的に。
胸に――特に左胸の辺りに、ぽっかりと円柱の穴が空いてしまったのでは、と。
視認できないし、手に掴むこともできない……けれどその日の自分の体調がなんとなく分かるように、俺にも分かるのだ。
俺も、フランカも、どこかおかしい……。
それはオルゴールの静かな音色のような、緩やかに流れる穏やかな“日常”という名の時の流れに、取り残されてしまったかのように。
いつもと何も変わらず、当たり前のように、平和に過ぎていく“普通”の日常。
けれどあの日から、おそらく――いや間違いなく、何かが変わったのだ……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――つい先日のこと。
俺は、あの日の夜にルミーネと対談した場所――“秘密基地”が一体何だったのか、興味本位で調べてみることにした。
当時はナディアさんに連れられるがままに誘われたが、後々になってよく考えてみると、やはり俺はあんな場所に覚えがなかった。
異世界に転移してきてから一ヶ月、ポルク村への配達や昼休憩がてらの散歩であの周辺地域の地理はほぼ網羅していたはずだ。村の隅から隅に至るのは無論、そこから半径凡そ二キロ圏内なら、大体の道筋は知っている。村のガキンチョとたまに遊んだ時に自然と覚えたのだ。
だからあの日の夜に見た、鬱蒼と葉を茂らせた木々が連なる“森”やその先にあった“秘密基地”に興味津々だった。
ついでに、あの日俺が一度死にかけた場所も見ておこうと――。
フランカには強く反対されたが、半ば強引にその制止を振り切り、俺は現地へ赴いた。
まず最初に向かったのが、あの日戦場と化した『ケープ草原』の末端だ。
先に当てのない探し物をするより、確実にそこに存在する物を優先した方が効率が良いと思ったからだ。
この二つの目と脳裏にしかと焼き付けた、その戦場を……。
「……ッ」
やがて着いてみれば、なんとも――。
なんともそこは、見るも無残な焼け野原だった。
そこら一帯は“立入禁止”となっていたので、遠目からしか拝めなかったが、それでも見た者に恐怖を植え付けるには十分だった。
若々しい青草共々、大地から世界を根こそぎひっぺ返されたような荒々しい惨状が至る所に見て取れた。
蒼色から土気色へ……。元来美麗な壮観の中で喜悦に浸っていたであろう生命体のことごとくは汚され、潰され、灰と化していた。
遠方へ目を凝らしてみると、未だ溶けることなく鎮座している巨大な氷柱も無数に確認できる。あの日の時間を内包したまま眠っているように、俺には思えた。
――俺はあの日、あんな場所にいたのか……。
一度内から外へ出てみて、客観的に見て分かることもある。
記憶の淵より滲み出てきた悪寒がたちまちにして俺を飲み込み、誰かに脊髄を舐められるような嫌悪感を思い出す。いよいよ気を取り乱さないうちに、俺は足早にその場から立ち去ることにした。
で、目的の“森”と“秘密基地”探しなのだが……。
これは、驚くべきなのか残念がるべきなのか――そんなものはどこにも見当たらなかった。
と言うのも、その“森”があったであろう場所は確かにあったのだが、そこにあったのは“森”ではなく“雑木林”だったのだ。
俺はあの日ナディアさんに連れて行ってもらった記憶を頼りに、モナの家を出発地点として“あの日”を再現した。
当時は夜で視界も悪かったため、“森”へ行き着くまでの完璧なルートを把握できてはいなかったし、また再現することはより困難になる。が、あの日ナディアさんが『カピトの聖像』を目印にしていたことは、俺の記憶が確かだと告げていた。
故にひとまず『カピトの聖像』まで向かうと、頭を捻って記憶を呼び起こし、後は足の向くがままにひたすら歩き続けた――。
それで辿り着いた先に待っていたのが、この雑木林だったのだ。
“鬱蒼と葉を茂らせた木々が連なる”などという大層な名目とは程遠い、背の低い木々が疎らに生え揃っただけの、ただの雑木林だ。
――もしかすると、あの日見た“森”というのは目の錯覚だったのでは……?
そう考慮し直し、次に俺はその最奥にあるであろう“秘密基地”を探ろうと試みた。
……しかし。歩いても歩いても、そんな切り立った崖の一角に偶然拵えられたような丘はどこにも存在せず……。
結局、徒労の末に雑木林が誘った見晴らしの良い場所は――『ケープ草原』だった。
「…………」
一応念のため、ポルク村の村人を何人か捕まえて尋ねてみたところ、返ってきた答えは皆異口同音だった。
『そんな場所なんて今まで聞いたこともないし、ましてや見たこともない』
では、俺があの日の夜に見た“森”や“秘密基地”というのは、一体何だったのだろうか……。
これでは、あの日の出来事が全てただの悪夢で、本当は単に俺が夢に魘されていただけだったとしか思えない。雑木林を見た俺に、世界がそう言いたげだ。
けれども実際に、俺はあの日ルミーネから傷を負い、変わってしまった。ポルク村のみんなも、そしてフランカも……。
「果たして俺は人か蝶か、か……」
まだまだ不完全燃焼の謎や問題が多く残る中、それでも世界は廻り続ける。
そう……それは、“あの日”から約五日経過した今日だって同じことだ。
俺たちが生きている限り、また新たな日常が幕を開ける――――。