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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第一章  普通でない日常の始まり
34/66

おまけ間話 『されど三人目の子羊は懊悩する』

三人称視点の回です。


※これは、第8話『一週間前、とある子羊の一幕』の続きになる話です。

本来は書き加えようと思っていたのですが、文字数や話のテンポの関係で省いていました。

これを読んでも読まなくても、第二章の内容の読解に支障が出ることはありません。単なる間話です。

ですので、少しダラダラと長ったらしく書いてしまいました。興味のある方は是非、どうぞお気軽な気持ちでお読みくださいませ。

 ――ウェズポート漂着より二日後。


 ウェズポートから北東へ丸一日費やして馬車を走らせると、セリウ大陸の中でも農作物の鮮度と生産量が五本の指に入るとまで言われている領土と王国が姿を現す。

 セリウ大陸特有の温暖な気候は勿論のこと、ラマヤ領とはどこか似通った印象を受ける地域で、農作物の中でも特に青果物の栽培が盛んだった。また、王国内部にある王都にはリカード王都にも引けを取らない露店商の数に加え活気が満ち満ちており、そのせいで、近隣住民・近場の村人界隈からこれまた酷くしたわれているのだ。


 そんな王都の街商が立ち並ぶ区画は、昼下がりとあってか今日一番の盛況ぶりを見せている。

 ――と、そこの雑踏ざっとうの中ほどに、暗緑色のローブを全身にまといフードで頭をすっぽりと覆っている、一人のとある人物が立ち尽くしていた。


 弱ったな……。


 厚みの薄い地図を横長に広げ、とある人物――ナディアは難色を示す。

 どうしよう、と。

 腕を組み、一度瞑目し、開き、また地図を広げても結果は同じだ。


「悩んだ時にはひとまず腹ごなし、果実の甘い蜜でも吸って一息入れろ……ってな」

「えっ……?」


 不意に横合いから声が飛んできたことで、ナディアは思わずビクッと体をすくめてしまう。

 ナディアがそちらへ振り向くと、露店商の屋台主であろう大柄な男が頬骨の張った強面の顔を盛大に歪ませていた。

 ――大きく見開かれた瞳、片側だけ極端に吊り上げられた口角、いかつい容貌ようぼうを軽減させるために無理矢理下げたであろう眉尻、最後にほんの少しだけ上目遣い。

 おそらく本人は、ニッコニコのにこやかな笑顔を本人なりに想像イメージして提供しようとしているらしい。

 ……が、あまりにも男のさじ加減が悪いせいで、偶然の不一致というか、偶然に偶然を重ねた上で奇跡的に形成されたのは世にも奇妙な顔面凶器だ。純真無垢の可憐かれんな乙女であれば、初対面で卒倒するのに五秒――いや、三秒とかからないだろう。

 それを保証できるぐらい、かなり怖い。


 さらに、男の片手に握られているのは丸々と太った赤い果実。

 不気味にも思えてくるそれを手中でもてあそびつつ、男はおもむろにナディアの方へと歩み寄った。


「これは今朝仕入れた新鮮なラップルなんだがよぉ……フヘヘ、どうだい? お一ついか――」

「いいえ結構ですさようなら」


 異様な覇気を纏って近寄ってくる男にいよいよ生命の危機を悟ったナディアは、そそくさとその場から退散しようとする。

 賢人は虎穴に入らず、ましてや危険をおかしてまでわざわざ鬼神に触れようなどと誰が思うのか。


「お、おいっ! ちょっと待ってくれ! せめて味見だけでも……!」


 足早に立ち去ろうとしたナディアの後背に、男が狼狽うろたえるかたわらですがるような声を投げかける。

 しかしナディアは奔逸ほんいつする足を緩めない。一刻も早く逃れようと、人混みによって切り詰められた路地を遮二無二しゃにむに突き進む。ただひたすらに、突き進む。


「そんな無視するなんて冷てぇことしないでさあ、頼むよぉ……ちょっとだけでいいから。このラップルだってほら、果肉がしっかりと詰まってる上に瑞々《みずみず》しくて美味しそうだろ? 値段だってセリウ銅貨十五枚――いや、特別に十三枚とお安くしとくぜ?」


 流石さすがは商売人と言うべきか、男はナディアにしつこく食い下がる。

 が、先程も言ったように、その場に留まるのは愚鈍極まる行為でしかない。もし仮にナディアが足を緩めでもすれば、たちまち男のおぞましい顔面凶器の餌食えじきとなるだろう。


「…………!」


 余計な想像をしてしまったことで背筋が途端に凍り付き、ブルッとナディアの全身が総毛立つ。拍動が若干早まり、手には嫌な脂汗あぶらあせまでにじみ出てくる。

 そうだ、最初から選択肢は一つと決まっていて、それに躊躇ちゅうちょする必要などどこにあるのか。

 “逃げる”以外の選択肢など、無い――――



「おじちゃん! いつものらっぷる、チョーダイっ!」



 と、その時。

 あわや叫び出したくなる衝動に駆られそうになったその時、ナディアの鼓膜を震わせたのは一つの声。

 清らかで、あるいは楽天的とも取れる明朗快活な声だった。


「……?」


 ナディアは、不思議とその声に惹かれるように、恐る恐る背後を振り返る。

 すると、そこにいたのは――


「ん? ……って、いつもの嬢ちゃんじゃねぇか。よしよし、ラップル八個と……ええと、オランゲ十個だったか。毎度買ってくれてありがとよ」

「うん! あのねあのね、この前みんなにあげたらよろこんでたよ! おじちゃんのお店のくだものがイチバンだって!」

「ハハハ、そうかそうか! そいつは嬉しいなあ! どれ、今日は特別に両方一個ずつおまけしといちゃる。ちなみに、その果肉が一杯に詰まってそうなラップルは、今日仕入れたラップルの中では一番瑞々しくて新鮮なやつだ。帰り道の途中にでもこっそりかじっときな。……ただし、お母さんには内緒にしておくんだぞ?」

「わーいやったぁー! ありがとおじちゃん! おじちゃんダーイスキ!」


 純真無垢の、可憐な乙女しょうじょだった。




「あんたってさ、よく人から誤解を受けるだろ?」


 ――強面の男が経営する、青果物を主軸とした露店商。

 ナディアと強面の男――もとい屋台主は、その店先にいた。厳密に言うと、ナディアは露店商の近傍きんぼう屹立きつりつしている一本の木の幹に背を預けている。


「例えばそうだな…………初対面の人に“目を合わせたら三秒足らずで息の根を止められる”だとか、“小さな女の子が好きそう”だと、近所のご婦人界隈から特殊な性癖を疑われたりだとか……」


 二つの麻袋を小さな胸に抱きかかえ、ルンルンと楽しそうに小躍りしながら群集の中へと紛れ込んでいく少女。

 それを尻目に、ナディアは今し方男から手渡されたラップルをしばし掌の上で弄ぶと、その赤々しい裸体にそっと唇をあてがう。


「戻ってきた早々、随分な物言いだなおい。一応言っておくがな、俺ぁここら一帯の露店街の区画じゃあ“実直で真面目な、心根の優しいおじさん”ってことで通ってんだよ。今さら誤解を受けやすいかどうかなんざ、俺にとっては至極どうでもいいこった。……まぁ、要因もそれなりに分かってるつもりだしな」


 無精髭ぶしょうひげの生えた頬とあごをなぞるようにさすりつつ、露店主は自嘲気味に嘆息たんそくする。世の中ってのは理不尽なことだらけなんだよ、とでも言いたげな憂い表情をしていた。

 そんな屋台主に、ナディアはふーんとつまらなそうに鼻を鳴らすと、ラップルを真上に放り投げる。


「へぇ、顔面凶器だってことは自覚してたんだな」

「いよいよブッ殺されてぇようだな、おめェは……」


 宙で一瞬間だけ静止すると、落ちて――。

 重力に従順なラップルは、再びナディアの手中に収まった。

 はぁ、とナディアはつまらなそうな吐息を漏らす。


「冗談に決まってるだろ。わっちは嘘をつくのが苦手なんだ」

「冗談って……おめェなぁ、じゃあさっきまで死に物狂いで逃げてた、あの敬遠してた態度はなんだったんだよ? それこそ正しく、おめェが俺のことを第一印象で“誤解”してた証拠じゃ――」


 サクッと。

 腕組みをした屋台主が感情的に言葉を捲し立てている最中、小気味よい音が周囲に響く。

 ナディアがラップルに噛り付いた音だ。


「うむ、うむ、うむ……モグモグ、にゃかにゃかみじゅみじゅしくて(なかなか瑞々しくて)、味がしっかりしてて……うまひな(美味いな)」


 ナディアはそのままもう一口、次はもっと奥の方に噛り付く。

 すると、ひかえめな甘さを持ったラップルの果汁がナディアの口一杯に広がり、同時にシャキシャキという歯応えのありそうな快音が口腔こうこうから溢れ出してくる。ただの果実一つにしては、確かに美味しそうだ。


「…………もういい」

「ゴックン。……え? 何か言ったか?」

「俺の店のラップルはやっぱり美味いかって聞いてんだよッ! ったく、こっちから味見の提案を持ちかけたとは言え、いきなり試食させろだの俺を“顔面凶器”呼ばわりするだの、流石に虫が良すぎるってもんだぜ……」


 呆れ果てるように言葉を吐き捨てると、屋台主は苛立たしげに頭髪を掻きむしる。


「あっそ。じゃあ、わっちが帰りにでも大声で噂話を言い触らしといてやろうかな。“ここの露店商の店主が普段から豪語している自分の肩書きは、全て自作自演らしいよ”……って」

「ああ、もう好きにしな。俺の知ったこっちゃないね。……ていうか、大声で言ってる時点でもう噂話ですらねぇじゃねぇかそれ」


 的確なツッコミを入れるもナディアはラップルを貪り食うのに夢中で、屋台主の存在など気にも留めていない。

 はぁ、と屋台主は腹の奥底からありったけの空虚感を絞り出すように、大きく、そしてわざとらしく嘆息する。

 ついでに、「なんでわざわざ戻って来たんかねぇ……」という独り言を置き去りに、一度露店の方へときびすを返した。


「………………」


 屋台主を一瞥いちべつし、周辺の喧噪けんそうに眉根を寄せると、ナディアはラップルに口を付け直す。齧る。食う。咀嚼そしゃくする。噛り付く。むさぼり食う。咀嚼する――。

 そうしていると、ラップルはあっという間に身包み全てをがされた。

 最後に唯一残ったなよなよしい芯が一本、ナディアの二本の指に挟まれながら微風に揺蕩たゆたう。

 まるで振り子のように揺れ動くそれをぼんやりと眺め、


「なぜって……解けたからさ、誤解が。ただ、それだけのことさ。……簡単な話だろ?」


 誰にくわけでもなく、誰に問うわけでもなく、ナディアは太陽が天頂に達した碧霄へきしょうを仰ぎ、物憂げな表情を形作る。

 ――青々とした若葉の隙間から足元に燦々と降り注ぐ木漏れ日。

 その暖かな神の恵み(ぬくもり)に、ザクロ色の瞳を僅かに細めて。


 と、次の瞬間。そこへ――


「なーに物憂げなツラしてやがる!」


 野太い声が飛んできて。声を耳で拾って。

 ナディアが弾かれたようにそちらへ顔を上げると、握り拳一個程度の大きさはある塊――正体不明の“何か”が声と同じく飛来した。


「……!」


 パシッと、存外事も無げに“何か”を素手で受け止めるナディア。

 少々訝しげに手元に視線を落とすと、そこにあったのは、


「んなことする前に、おめェは何か悩んでたんじゃねぇのかよ!」


 オランゲだった。


「あ、ああ。そう言えばそうだった……」


 色とりどりの青果物がズラリと陳列する露店商。

 強面の男――屋台主はそんな数多ある商品棚の中でも、だいだい色をしたオランゲが山のように積み上げられている商品棚の前にいて、両手を腰に添えながら悠然ゆうぜんと構えていた。ニヤリ、と口角を吊り上げるのを忘れずに。

 不敵な様相は先程と対して変わらないのに、どうしてか恐怖心は微塵みじんも湧いてこない。

 現状をいまいち掴み損ねていたナディアだったが、折角なので、取り敢えず相談に乗ってくれるという屋台主の懇意こんいを優先する。


「ちょっと待ってくれ。えっと、実はだな……」


 木の幹から背を離し、屋台主の元へと歩み寄り、ナディアはローブのポケットに仕舞い直した地図をもう一度引っ張り出してくる。

 厚みの薄いそれを横長に広げ、ナディアはここに至るまでの経緯を段々と語り始めた。


 まず自分が在野の放浪魔術師であること、次にとある知人を探していること、そして最後に、その知人探しに協力してもらっている“同僚”に会うため、凡そ一ヶ月間にも及ぶ中央大陸からセリウ大陸までの渡航譚があったこと。


 これら三つの要点を踏まえ、しばらくして――。

 ナディアは全てを語り終えた。


「……で、ウェズポートから二日かけてこの街まで来て、今に至るというわけだ」


 最後にその一言を添えて。


「要するに、わっちはラマヤ領に行きたいのだが、どうも地図を見る限り、ここはそうではないらしい。だから悩んでいたんだ。そしてあんたに、ここからラマヤ領へ行き着くまでの最短且つ安全な道筋を教えてもらいたい。分かったか? 分かったな?」


 語尾の部分だけ早口でまくし立てると、ナディアはじっと話を傾聴していた屋台主へ半ば強引にけしかける。

 すると、何やら静かに黙考していた屋台主は、やがてその瞑目めいもくしていた双眸そうぼうを薄っすらと開き、


「……なあ、確認するようで悪いが、おめェはラマヤ領へ行きたいんだよな?」

「ああそうとも!」


 心なしか、少々誇らしげに胸を張っているようにも見えるナディア。

 そんなナディアに、屋台主はどこか申し訳なさそうに頬を掻く。


「あー、するってえと……こっちとは方角が全然違うじゃねぇか」

「…………む? そうなのか!?」


 一拍遅れて、ナディアは珍しく素っ頓狂な声を上げると、両手で広げていた地図を穴が開く勢いで凝視する。

 案の定の反応だったからか、屋台主はため息をつく。また、頬を掻いていた手で次は顎を摩り、首を小さく縦に振った。


「ああ。話を聞く限り、おめェ……ウェズポートから直接こっちに来たんだろ? ラマヤ領ってのは真東さ。こっからラマヤ領へ行きたきゃ、そうだな……一度南の方へ下って、下ると――ほら、広闊こうかつな原野が四方に伸びてるだろ? その原野の中央を走ってる『リカード街道』っつう一本の街道へ出るから、そこを真っ直ぐ東に辿らなくちゃならねぇ」

「げっ」


 片側から地図を覗き込み、屋台主は地図の上を指でなぞりながら順を追って説明していく。

 が、あまりにも現在地からラマヤ領までの距離がかけ離れていたため、それまで神妙な面持ちで相槌あいづちを返していたナディアは思わず苦い顔をする。

 実を言うと、そのことについて前々からナディアには一抹の疑念があった。

 それは、


 ――“もしかすると、自分は度を越えた方向音痴なのではないか”、ということ。


 さらに付け加えると、ナディアが疑念を抱くキッカケとなったのは、以前そのことを“同僚”から『お前は四六時中鳥目なのか?』と揶揄やゆされたからだった。

 行動自体が無意識とは言え、まさかそれが今日実証された上にここまで結果が悲惨となると、ナディア自身も流石さすがに苦笑せざるを得ない。


「まぁ……気長に旅をするこったな」


 地図から顔を離し、屋台主はニカニカと口端に笑みを刻む。


「にしてもおめェ、こりゃあ相当な方向音痴だな。普通ウェズポートから東に向かってただ直進してりゃあ、誰でも行き着きそうなもんだが……寧ろこっちに来ることの方が難しいと思うぞ? 一体どうやってここまで来たんだ?」

「ぐっ……」


 解せねぇなあ、と首を傾げる屋台主。

 そのもっともな疑問に、ナディアはぐうの音も出ない。……いや、厳密には出かかっていたのだが、この際どうでもいいだろう。

 それと、胸中に抱えていた疑念を屋台主にあっさりと指摘されたことで、ナディアは途端に気恥ずかしくなった。まるで、心の奥深くを見透かされているようで。


「んなこと知るかっ。そうだよそうですよ、どうせわっちは救いようのない鳥人間ですよーだ……。忠告どーも」


 決して屋台主はそんな意図を込めたつもりはないのだが、羞恥心しゅうちしんもあってか、ナディアからすると屋台主が自分を小馬鹿にしているように思えてならない。

 ムッと膨れた両頬がほんの薄っすらと上気する。ナディアはそれを自覚しつつ、わざと誤魔化すように開き直ると素っ気なく物を言い放つ。


 ――と、そこでナディアは、ずっと手中でオランゲを握っていたことを今になってようやく思い出した。


「…………」


 握り拳一つ分の大きさを誇る橙色のオランゲ。

 暫し見つめ、ナディアは現状の歯痒はがゆい気持ちを紛らわせようと、そのオランゲに頭からかぶりつこうとする。

 が、表皮に歯が接触する寸前で、「おいおい、それはちゃんと皮をいて食えよ」と屋台主に促され、ナディアは渋々といった様子で言葉に従う。


 オランゲの天辺にある緑色のヘタに親指を突っ込み、ナディアはそこにできた穴から外側に向けて丁寧に皮を剥いていく。一枚一枚、果皮が八方に剥落はくらくする様は、さながら花のつぼみが開花しているようだった。

 すると、全ての皮を剥き終えて姿を現したのは、外見よりも一回り小さいオランゲの果肉。

 不服そうに眉をしかめるナディアだったが、一度屋台主の方へ視線を送ると、今度こそ豪快に果肉へかぶりつく。


 鋭利な歯で果肉を押し潰し――。

 途端に爽やかな、柑橘系特有のさっぱりとした甘みが口腔を蹂躙じゅうりんし、加えてラップルとはまた一味違う自然の味わいが、ナディアの味覚に新たな刺激をもたらす。

 美味、の一言に尽きた。


「ウマい……」

「ハハッ。そりゃあ何よりだな」


 ナディアがハッと気付くと。

 思わず口端から漏れ出ていた感嘆に、両腕を組みながら満悦に浸る屋台主はすこぶる上機嫌だった。


「それにしても、値引きしてくれる上にわざわざ試食回数を増やしてくれるとは……。たまたま通りかかったにしては、とんだ好待遇だな」


 礼を言うよ、とナディアは食べ終わったオランゲの果皮ざんがいをプラプラとひらつかせる。


「バカ言え。そいつは聞きようによっちゃあ笑えねぇ冗談だな……。最初のラップルは、あくまでこの店の味を知ってもらうための客引き用の“試食”で、お一人様人生で一度きりだ。二度目はえ。だから、オランゲの分の料金はちゃあんと支払ってもらうぞ? ったり前だ」


 胸をらした屋台主は威張るように、鼻を大きく鳴らす。

 ナディアは屋台主の背後にある商品棚をチラリと一瞥し、


「じゃあ、なんでわっちにオランゲを……?」


「ま、それがお前さんに一番似合ってそうだったからな」


「…………?」


 ほんの数瞬間を空けて、屋台主は意気揚々とそう言った。

 しかし、ナディアとしては当然解せない。


 ――解せないが、


「あんた……そんな顔もできたんだな。笑顔なんかより何倍も、よっぽど良い顔じゃないか」


 フードの間隙かんげきからはみ出していた赤朽葉あかくちばの前髪を指先でいじり、ナディアは唖然とするようにそう言った。

 すると屋台主は顔を逸らし、乱暴に鼻頭を引っ掻くと、


「うるせぇ。余計なお世話だ」


 嬉しそうに、はにかんだ。


「んなことより……ほれ、取り敢えずとっととオランゲの料金を出しな。一個に付きセリウ銅貨十九枚。無論、値引きは無しだ」

「高ッ!? ラップルは十三枚まで値引きできたくせに、なんでオランゲはそんなに高いんだよ! この少女愛好詐欺師ッ!!」

「しょ、少女愛こ……ばっ、バカッ!! 違ぇよ!! オランゲは元々日間での生産量が各領地ごとに限られてるから、一つ一つの物価が高けぇんだよ! そもそもオランゲっつうのは、気候に左右されやすい果物なんだ。それこそラマヤ領みたいな生育環境がちゃんとした所じゃねぇと、上手く育たねぇ代物なんだよ。分かったか!」

「ウソくさっ。……あー、そうそう思い出した。さっき物価の相場を街の掲示板で見てきたんだ」

「ヘッ、鎌をかけようとしてるつもりか知らんがお生憎あいにく様だな。仮にもし俺が嘘をついているとしたら、さっき俺の店のオランゲを十個も買っていった嬢ちゃんはどうなるよ? それに物価の相場ってのは、そう易々《やすやす》と変動するもんじゃねえ。最低でも一月ひとつきは経たねぇとな」

「ぐっ……確かに」


 意外にも頭のえる屋台主。

 激論の末、やはり商売は商売人で、人を外見だけで判断してはならないということをナディアは痛感する。

 屋台主は再度催促するように、差し出していた片手を上下させると、


「ほれ、分かったんならつべこべ言わずに払え。この容姿不詳の守銭奴しゅせんど野郎。もし逃げようとでもしてみろ……常に王都の街中を警邏けいらしてる『魔導衛士マーキュリー』に即刻通報してやるからな」

「…………へいへい」


 “第一級衛士”にでも呼ばれたらたまらない、とナディアは内心で歯軋りしつつも、とうとう観念することに決めてしまう。

 肩を落とし、ナディアは背負っていた背嚢はいのうを前で抱えるように持ち直すと、路銀の入った巾着袋を取り出すために中身をまさぐる。――が、


「あれ? ……無い」

「ん? どうした? まさかおめェ、無一文とか言うんじゃねぇだろうな」


 どこか様子のおかしいナディアに、屋台主は怪訝けげんそうに眉根を寄せた。


「いやいや、そういうわけじゃなくて……探しはしてるんだが、“硬貨入れ”が見当たらないんだ。巾着袋の」

「巾着袋ぉ?」

「ああ。どこにでもある普通のやつだよ。んー、でも…………あっれー、おかしいなあ……」


 もっとよく探してみろ、と促す屋台主。

 素直に従い、ナディアはそれから幾度も背嚢の中身を掻き回したが、結局最後まで見つかることはなかった。

 屋台主は呆れたように肩を竦めると、


「無いっておめェ……ここに来る道すがらで気付かなかったのかよ。船舶とか馬車とか経由してたら、路銀を出す機会はそれなりにあったように思うが……?」


 うーん、とナディアは斜め上に視線を移しながら少々黙考すると、


「いいや。確かに船舶せんぱくは経由したが、わっちは馬車など一回も使っていないぞ」

「? ……じゃあおめェ、ウェズポートからここまでの道のり――馬車経由でも最低三日はかかる道のりを何で来たって言うんだよ」


 すかさず、躊躇ためらうことなくこう言って退けた。


「何って――――歩いてだ」

「はぁ?」


 何の冗談だ、と耳を疑う。

 何かの聞き間違いなのではとも思い、屋台主は耳の中の垢を小指でほじくり返した。

 かと言って、これ以上言及するとらちの明かない会話になりそうだったので、屋台主はそれを軽く受け流すことにする。


「そうだなあ……。となると、可能性は二つだ。道すがらで落としたか、もしくは誰かにスられたか……」


 独りごちるように、屋台主は指折り数えていく。


「スられたってことは……まさか――」


 ナディアの息を呑む気配に、屋台主は僅かに顎を引いた。


「ああ。おめェが手ぶらならまだしも、背嚢を背負ってるからな……前者はほとんど有り得ないだろうよ。……多分、おめェが今思い至った結論でほぼ正解だろうな」

「……海上商売人、か」

「言い辛いことこの上ないがな……。まあ、十日も寝食を共にしてりゃあ、隙の一つや二つはできるってもんだ。つっても、悲観するこたぁねえ。よくあるんだよ、そういった海上商売人絡みの盗難被害は。特別珍しい案件ってわけでもねぇから……まぁ、今回は運が悪かったな」

「そ、そうか……。そう、だな…………」

「…………」


 うつむき、悄然しょうぜんとするナディア。

 屋台主が幾ら気遣い、どれだけ慈悲のある言葉でなぐさめようとも、その下がり気味の肩には当分生気が戻ることはないだろう。

 何せ路銀の入った巾着袋――つまり全財産を一瞬にして失ってしまったのだ。落ち込むのも仕方がない。


「……なあ、おめェ――」


 最初は強気だった屋台主も、同情したのか、そろそろナディアが気の毒に思えてくる。

 嘆息を交え、頭を掻き。

 ついでに天を仰ぎ、しゃあねぇなあ、と逡巡しゅんじゅんして。


 もういっそのこと、オランゲもチャラにしてやろうかと――――



「フッ、フフ……フハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」



 突如、ナディアが声高々に哄笑こうしょうした。

 大声にビクッと仰け反った屋台主は勿論、周囲にいた往来人も一斉にナディアの方へと視線を集中させる。

 すると、ナディアは押し殺すような声音で喉を震わせ、


「クククク……。なーんてな」

「……?]


 口端に不敵な笑みを刻み、ナディアは再び背嚢の中身をまさぐり始めた。

 今度はゆっくりと、冷静沈着に。

 先程まで意気消沈していたのはなんだったんだと、あまりにも突発的な様相の変化に戸惑いを隠しきれない屋台主。

 しかし構わず、ナディアは背嚢の中身をまさぐり続けると、やがて何かを発見したのか、片手でその“何か”を引っ張り出してくる。


 ――それは、とてもとても大きな巾着袋だった。


「ま、お互い様というやつだな」


 一呼吸の静寂が場を支配して。

 屋台主は我を取り戻すと、


「なっ……はあああ!? って、おいッ!! お、おめェ……まさか……ッ!」


 驚嘆の念が色濃くにじみ出ている言葉。

 言葉に、ナディアはさらに口端を吊り上げた。


「言わずもがな、さ。港の埠頭ふとうに降り立った時、おかしいと思ったんだ。運賃とか食費とかの支払いを強く拒んでいたからな。保険として、先に盗んでおいて正解だったよ。……クククク、だから言っただろう? “何事にも用心する”という言葉は、胸の奥深くに刻んでおくと」

「?」


 おめェは何の話をしているんだ、と言葉の意味を理解しかねた屋台主はそう問いかける。

 その返答として、ナディアは呆れるように首を左右に振ると、得意げに吊り上げた口端から長い吐息を漏らし、


「愚かで救われない輩に、わっちが教えてやってるんだ。――舌の上で滑らせ、転がすだけの言葉はただの上っ面で、喉の奥から迫り出てくる言葉こそが、正真正銘の本音だとね」


 刹那せつな薫風くんぷうが吹き、木立の青葉があおられ――。

 これまたフードの間隙から覗かせたザクロ色の瞳を僅かに細めると、ナディアは、丸々としていて重量感のある巾着袋の口紐くちひもを徐々に緩めていく。

 それをはたから傍観していた屋台主は、両手を腰に添え直した。


「なぁ、事情も事情だから魔導衛士マーキュリーには黙っといてやるけどよ、やっぱそれって…………犯罪じゃねぇか?」

「何を言う。わっちは被害者だぞ? スるならスられる覚悟があって当然のことで、これはいわゆる正当防衛みたいなものだ。相手が今頃泣き言を喚いていたって、それらは全て自業自得。知ったこっちゃない。何度も言うが……お互い様、なのだからな?」

「全ては計算通り、ってか? ハァ……おめェ、いよいよ悪魔じみてやがるな」

「それは感心しているのか? それとも呆れているのか?」

「……両方だ」


 そして、口紐が弛緩しかんすると巾着袋の口がひとりでに開き、ナディアと屋台主は同時に袋の中を覗き込んだ。


「さあ、店主ッ! これで会計を済ませたまえ!」

「おお……ッ!」


 ゴクリ、と屋台主は生唾を飲み込む。

 巾着袋の中には、輝きに満ち溢れた金銀財宝が湯水の如く――


「「ん?」」


 と、そこで。


 二人は同時に、違和感のある声を発した。

 袋の中に手を突っ込み、ジャラジャラとかまびすしい音を立てながら、二人は数ある金貨の内の一枚を――


「こ、こいつは……」

「これって……」


 指先で摘み上げたそれを、二人は目の高さにまで持ってくる。

 持ってくると、またも同時に素っ頓狂な声を発した。


「『キッカの種(『キッカ』と呼ばれる果物の種を、この世界における醤油に似た調味料で漬け込んだもの)』じゃねぇか……」

「『キッカの種』だ……」


 二人は顔を見合わせる。

 見合わせると同時に、パクッとそれを口に運ぶ。


 噛むと、パリポリと、小気味良い音が口腔で響く。また噛むと、ピリリと甘辛く、非常に食欲をそそられる味が口一杯に広がる。


「「……………………」」


 二人――特にナディアは、袋の中身を見つめたまま固まり、言葉を失っていた。

 一方の屋台主は頭を掻き、巾着袋の中から『キッカの種』をもう一つだけ取り出すと、


「まぁ……頑張れや」


 パクッと、パリポリと。

 ただ一言、苦笑をこらえるようにそう言った。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ――が、やはり所詮しょせんは気休め程度のもので。


「お、お、お、お腹空いたぁ~…………」


 屋台主に別れを告げ、王都を出立してからさらに三日後。

 結論から言うと、破産したナディアの手元に唯一残った食料は、僅か三日と持たなかった。

 そもそも『キッカの種』は、昼食を取る暇もないほど多事多端な商売人などが、よく小腹を満たすために持参していると言われている軽食である。また酒のさかなとしても有名で、幅広い世代と種族から好まれていた。

 故に、そんな軽食で三食をまかなうなど到底無理な話で、


「し、死ぬぅぅ……。いや……これホント……洒落に、ならない……」


 ――青々とした草本が一面に生い茂る広闊な原野。

 そこのど真ん中で、ナディアは手足を真横に放り出し、大の字になって仰向けにぶっ倒れていた。


 あれから早くも三日。

 ナディアは屋台主の助言通り、王都を出立してからとにかく南の方角へと南下し続けた。

 一文無しの身なので無論馬車は乗らず、元来た道筋を戻るには自分の足で歩く他ない。

 そこでナディアは、ウェズポートから王都まで行った時と同様、回避魔術応用のちょっとした『移動魔術』を駆使したのだ。が、体力に限界は付き物で、まして腹に充足感を得られない状態で延々と『魔力マナ』を消費していれば尚のこと。

 徐々に移動速度は減速し、最後に川の下流沿いにある群生林のやぶを幾つか抜け、ようやっとリカード街道が見えた頃には何もかもが力尽きていたというわけである。


「ぱ、パンズー一個……いや、それよりも水……。水ぅ……。一杯でも構わないから……なにか……何か飲み物を……っ!」


 そりゃあ、甘辛いものを三日もちまちまと食べ続けていると喉が干上がって当然だ。リカード街道に到着するまでの道すがら、ナディアは河原などで川の水をたらふく飲んだものの、未だに喉の渇きを抑えられないでいた。


「…………」


 ナディアは、片手に握り締めていた巾着袋を口元まで運び、残り一粒の『ナピーツ(『キッカの種』に合うからと、屋台主が慈悲として分け与えたもの。白い種実類)』を胃袋に捧ごうとするが、パラパラと口端に当たったのはただの残滓。

「そう言えば……最後の一粒、さっき食べたんだった……」と遅れて気付き、ナディアの胸中を何とも言い難い虚無感が支配する。


 ――仰向けとなったことで初めて対面した旅の空。

 太陽は見え隠れしているが忌々しいほど透き通り、澄み渡った雲霄うんしょうがこちらを俯瞰ふかんしていた。


 はぁ、という消え入りそうな嘆息の直後、グギュルルルルルル~、とナディアの腹部から周囲へと強烈な嬌声きょうせいが鳴り渡る。


 あ、声が、出なくなった……。


 見上げた雲霄はどこまでも高く、もしかすると、その果てしない青天の彼方へ吸い込まれるのではないか。

 ナディアは、両のまぶたがゆっくりと落ちていくのを自覚しつつ、他人事ひとごとのようなぼんやりとした思考でそう思った。


 ああ、そうか……。わっちは、ここで死ぬのか……。


 飢餓状態にあるためか、全身が虚脱感に覆われて力が抜け落ち、頭の天辺から手足の末端までまるで力が入らない。

 呼吸音も次第に薄れ、今や蚊の鳴くようなか細さとなっていた。


 ならば辞世の句として、最後に一つだけ、わっちはこの世に言い残したいことがある……。


 視界が揺らぎ、湾曲し、暗澹あんたんたる意識のふちへと沈みかける。

 空の青と雲の白がい交ぜとなっていた視界も、いよいよ端から順に黒一色へと塗り潰されていく。

 ――と、


『……お…………おい……ッ! 誰だ……? こんな……で寝ころ……るヤツは……』


 寸前、誰かの声が聞こえた()()()()


『ったく、これ……二日かけ……ラマ……へ行かな……のに……』


 だが、ナディアの耳にはもう何も聞こえていない。ザクロ色の瞳には何も映っていない。

 なぜなら、彼女の意識はもう既に、暗闇の奥底へと沈んでいたからだ。

 最後に、煮えたぎるような憤怒と憎悪を心に刻み付けて。



 ――憶えてろよ、ルミーネ……!



これで本当に第一章は完結しました。

引き続き、第二章もお楽しみくださいませ!

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