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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第一章  普通でない日常の始まり
32/66

第29話 『普通でない日常の始まり』

「――――どうして、ルミーネの誘いに応じてくれる気になったんだい?」

「えっ……?」


 ふと。

 俺に左肩を貸し、横一列に並んで歩いていたナディアさんから、不意にそんな質問が飛んできた。


 ――俺の身長とほぼ同格の背丈を誇る木製の杖。

 それを空いている方の手――左手に持ち、コツコツとつきながら歩いていた俺は咄嗟とっさに文句が浮かんでこず、返答にきゅうする。


 何かが可笑おかしかったのか、ナディアさんはクスリと微笑んだ。


「ははっ、別にそこまで熟考じゅっこうしなくても。……ウチは単に、“どうして、つい半日前に自分を殺そうとした輩の誘いを躊躇ちゅうちょなく承諾しょうだくしたのか”、ってことに疑問を抱いたわけだよ」

「はあ……」

「だってそうだろ? もし仮に、ウチがイトバ君の立場だったとして、そんな輩が『“話し合い”をしたい』なんて言い出してきたら、即門前払いだよ。普通に考えたら、誰でもそうする……。ほら、あの場にいた村長さんとオジサンは、イトバ君が行くことを全力で猛反対してたろ?」

「そう、ですね……」

「だろ? だから正直に言って、“こんなフザけた誘いは絶対に断られる”って、ほぼ内心で諦めてたんだよ。実際に君の元へ行く前、ルミーネにもそう言って反対した。――でも君は今ここにいる。だから、その理由を知りたくてね」


 俺はますます首をひねった。


「うーん、そう言われましても……。――“信じた”、としか……」

「信じた? 何を?」


 興味津々と言いたげに、ナディアさんは声を弾ませた。

 妙に気恥ずかしさを覚え、俺は斜め下の水溜りに視線を逸らす。


「ルミーネさんと……それからナディアさんをですよ」

「…………っ」


 隣で僅かに息を呑む音が聞こえ――。

 ナディアさんはそれに、直ぐには返答しなかった。


「――――同じだ」

「……へ? 何か言いましたか?」

「ん? ああ、済まない。……いや、そう言えばさっきね、ルミーネに今のと全く同じことを尋ねた時も、それと似たような返事をしてたなあって、思ってさ……」

「ルミーネさんが……ですか……?」

「ああ。……フッ。そういう点で見ると、二人には二人にしか分からない――何かしら共通するモノがあるのかもしれないね」

「え、えーっと……いやぁ、ど、どうなんでしょうか……」

「ハハハッ! まぁでも、一度殺されかけた相手と一緒、と言われると流石さすがに嫌か。ハハハ」

「あ、いえ、別にそんなことはないんですけど……」


 言葉尻をにごしたその時――ボシャン! と。


 俺の片足が水溜りに突っ込み、そのぬかるみに危うく足元を掬われそうになる。

 だがそこは、ナディアさんがしっかりと俺の身体を支えてくれていたおかげで、軽くよろけただけに終わった。


 ナディアさんに一言礼を述べ、俺たちは再びゆっくりと歩き出した。




 ――夜のとばりが完全に下りていたポルク村には、どんよりと湿った空気が流れていた。

 ナディアさんの話を聞くところによると、どうも俺が眠りに落ちている間、ポルク村近辺――マルチーズ地方一帯が、突然の驟雨に見舞われたらしい。

 ……つまり俺の“天気予知”は大当たりだったというわけで、これでまた的中確率が上がってしまった。


 漆黒の闇夜に物音は何一つとしてせず、昼間の賑やかさが嘘のように、村は寝静まっていた。また、灰色の雲と鈍く光る星々がまばらに点在する夜空に月は拝めない。

 地盤の緩んだ大地を踏み締める度、湿気を多少含んだ、しかしそこに外気の清涼さも織り交ぜた夜風が吹き、俺とナディアさんとたわむれた。


 俺とナディアさんは、そんな闇夜を彷徨さまようようにして、歩いていた。


 ――村長とオッチャンの説得にはかなり苦労し、大変だった。

 でも、ナディアさんが先述でも言っていたように、最終的には二人の方が泣く泣く折れる形となって、村長が体を支えるがてら“お守り”と称して貸してくれたのが、今正に俺の左手に握られている杖だった。しかもこれが存外扱いやすかったりする。


 そして、俺とナディアさんはモナの家を出ると取り敢えず、ナディアさん曰く、ルミーネさんとの待ち合わせ場所の“目印”になっているという『カピトの聖像』のある中央広場まで赴いた。

 赴くと――『よし。ここからウチが案内するよ』と、先陣を切る案内人・ナディアさんの指針に従い、こうして目的地に向けて歩みを進めている今に至る、という経緯わけなのだ。



「――――着いた。この先だよ」



 と、意外にもあっさりとその目的地へと到着し――。


 けれどそこは、鬱蒼うっそうと木々の生い茂った“森”の入り口でしかなかった。

 ナディアさんの言葉から推察するに、ルミーネさんが待っているのは、どうもこの鬱蒼とした森の“先”のようだ。


「んじゃ、一緒に行くよ?」

「えっ? ――あ、はい」


 ――あれ、そもそもポルク村付近にこんな森あったっけ……?


 転瞬。

 そんな思考が脳裏を過ぎったのもほんの束の間、ナディアさんに引っ張られるようにして、俺は闇の口腔こうこうへと誘われた。




「あの、ナディアさん……」

「んー? どうした? もしかして、暗い所は苦手かな?」

「いや、別に暗所恐怖症とかじゃないですよ。一つ……お聞きしたいことがありまして」

「ほぅ。……何かな?」


 ナディアさんが右手で持っている手灯ランタンが左右に揺れ動き、中の灯火もまた、それに合わせるようにゆらゆらと揺らめいた。


 一寸先、またその先も闇――。

 森に入って幾許いくばくか時間が経過したが、未だ視界には深黒の暗闇以外、ほとんど何も映っていなかった。もしかして失明したのか、と錯覚するほどだった。

 しかし頭上を見上げれば、葉を茂らせた木々の間隙かんげきから微弱な星明かりが射し込んでおり、また足元からはパキパキと、俺とナディアさんが落ちていた枝を踏み折る音が甲高く鳴り渡っている。

 俺たちは一歩ずつ、着実に目的地へ向かっているのだと、そこから何となくそう思えた。


「あの時……俺がルミーネさんに負けて、その……殺されそうになってた時、その場に駆け付けて俺を救ってくれたのは、ナディアさん……ですよね?」

「ああ、間一髪だったよ――って、かなり今さらだね。憶えていないの――ああ、でもそうか……。あれだけの窮地におちいっていたから、記憶が混濁こんだくしていても不思議では……」

「あ、違います。別にそういうことではなくて……」

「? じゃあ、それがどうかしたのかい?」

「はい……。あのですね、俺が気絶しちゃった後の話なんですけど……村長から話を聞く限りでは、ナディアさんが俺を村長たちの元まで運んだ、と聞きまして……」

「うん、確かに。運んだね」

「じ、じゃあ、ナディアさんは、どうやってルミーネさんを止めたんですか?」

「えっ、どうやってって……。うーん……どうやってって言われてもなあ……」


 言葉尻を曖昧に濁したナディアさんは、それからしばし黙考する。

 そして、さも当然であるかのような口振りで、一言こう言った。


()()()()()()

「――――へ? な、殴った……?」


 そのあまりにあっけらかんとした物言いに、俺は思わず間の抜けた声を出してしまう。


「そ。あの直情的な分からず屋に、一発頭にボコって食らわしてやったよ。ハハハハっ!」

「…………」


 驚き過ぎて……二の句を告げることができなかった。


 あの時――ルミーネさんに命をける覚悟を表明し、無い知恵を必死で働かせ、あれこれ策を講じ、必死になって走り回った挙句、ようやく背中を捉え、掴みかけた……でも実は全然届いてなくて。

 一つの命を懸けても、それだけ俺が苦戦を強いられた『ルミーネ』という相手に対し、あちらは拳一発――。

 昨日の『ファクトリー』でのおっちょこちょいな素性を知るだけに、にわかには信じがたい話だ。が、でも実際にナディアさんが俺を助け、村長の元まで運んだのは紛れも無い事実で……。

 だから今は、それを信じる他なかった。


「――あ、ナディアさん」


 明朗快活に笑う隣の彼女に、俺は比較的大きな声で呼びかけた。


「んー? 今度はどうした?」

「もう一つだけ、お聞きしてもよろしいですか?」

「ははっ、随分と質問熱心な上に元気だね。もしやするとイトバ君は、見かけによらず案外屈強なのかも……」

「質問熱心……ていうか、“今知っておかなければならないこと”かもって、思ったんで……」

「ほぅ、何かな何かな?」


 ナディアさんは、また興味津々そうに俺の方へ耳を傾けた。

 一拍置き、俺はたずねた。



「――――どうして今日、俺はこんな目に遭わされたんですか?」



「――――!!」


 そう言った途端、ナディアさんは押し黙った。

 それは皮肉でも悪意でもなく、作為的なもので何でもなく、ただ心の奥底より湧き出た純粋な疑問……のはずだった。

 でもやはり、ナディアさんはその質問をそういう風には解釈していないようだった。


「…………」

「…………」


 ナディアさんが押し黙ったことにより、二人の合間にひっそりとした静寂が降り立つ。

 俺もそれ以上は言及することなく、口を閉ざして無言になった。


 パキパキ、パキパキと――。

 歩き、杖をつき、手灯ランタンを揺らし――俺たちはひたすら歩き続けた。


「…………っ」


 それからまた、幾分か歩いた頃だっただろうか……。

 ふと、遥か前方の彼方より、一縷の光明らしきものを確認した――――その時。


 それと同時に、ずっと押し黙ったままだったナディアさんの口が、ようやく開いた。


「ははっ……。いやぁ…………まったく。随分と……きわどいところを突いてくるんだね、イトバ君は」


 口元をほころばせ、こめかみ辺りを指で掻くと、ナディアさんは子供のような無邪気な笑みを顔貌がんぼうに浮かべる。

 そして嘆息たんそくを一つ挟むと、続けざまにこう言った。


「……生憎あいにくだが、ウチはその質問に答えてあげることができない。本当に申し訳ないが……」

「ナディアさん……?」


 暗夜に消え入るような声は先程よりも一段とか細く、そんなどこか雰囲気の違うナディアさんに違和感を覚え、俺は隣にいる彼女の表情をうかがう。――が。


 彼女は至ってにこやかで、一片の曇りも無いザクロ色の瞳で俺を見つめると、



「でも彼女なら。――――ルミーネなら、もしかすると、君の要望に応えてくれるかもしれないよ?」



「――――ッ!!」


 瞬間。

 遥か前方の彼方にあったはずの一縷いちるの光明は、いつしか眼前にまで迫ってきており、そして――――。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「――――――――」


 視界が開けた。


 遮る物は何も無く、つい先程まで全身にまとわり付いていた、じめじめとした不快感も刹那せつなに消え去り――代わりに湿り気が全く無い清涼な夜風が肌を撫で、心地よさをもたらす。


 未だまぶたの裏でちらつく光明に、俺は固く閉ざしていた双眸そうぼうを徐々に持ち上げていく。

 すると、隣にいたナディアさんが声を上げた。


「着いたよ。――――ここがその、“目的地”だ」


 俺とナディアさんが辿り着いたそこは――頂上に一本の巨樹が屹立きつりつしている、小高い丘だった。無論俺は初めて訪れた、見たことのない場所だった。


 夜空に雲は一切かかっておらず、裸になった数多の星々の鮮明なきらめきと、それから森に入る前までは拝むことさえできなかった、一つの真ん丸な月が燦然さんぜんとそこに照り映えていた。

 また、丘の至る所には多種多様な色と、個々様々な形を有した花々が縦横無尽に咲き乱れている。それらはそよそよと夜風になびき、それぞれの吟声ぎんせいを晴夜に慎ましく奏でていた。


 他にも特筆するべき点は山のように……とは残念ながらならず。

 そこには、ただそれだけしか存在していなかった。


 ――けれど。


 誰が見ようと、何と言おうと……そこが、魂を奪われてしまうぐらい魅入ってしまうほど“美しい”ことに、何ら変わりはなかった。


「…………っ」


 そんな多分に漏れない俺は、息を呑み、暫し頭の中を空っぽにして周辺を眺め回した。

 切り立った崖の一角に偶然形成されたようなその丘を目の当たりにした俺は、そこが一種の“秘境”であると認識したと同時に、どこか懐かしい……“秘密基地”を彷彿ほうふつとした。


 ――少年時代。俺にも覚えがある。

 学校や公園、空き地や河原など、よく遊ぶ場所で冒険しているとたまに見つける、隠れ家的存在――子供オレたちはそれを、“秘密基地”と呼んだ。

 本当は、建物の構造上ぽっかりと空いていた空間だったり、自然の成長過程でたまたまできた“イタズラ的空間”だったりするのだが……少年ながらに夢と浪漫だけは一丁前に大きかったせいか、当時はその空間だけが“世界と切り離された唯一無二の特別な場所”のように思え、熱く盛り上がったものだ。


 だから今回の場合は、森を彷徨っていると、そこで偶然見つけた見晴らしの良い場所――そういう類の“秘密基地”ではなかろうか。


「――おーい、ルミーネ! お前に言われた通り、イトバ君を連れて来てやったぞ!」


 ハッ、と我に返ると――。

 隣にいたナディアさんが、前方に向かって声を張り上げていた。


 もはや手灯ランタンは用済みだった。

 俺もナディアさんの視線の先を追うように、ゆっくりと、その方向へと首を向けた。


 すると、


「……………………」



 ここから少しばかり距離のある巨樹の下――――そこに()()()()がいた。



 ルミーネさんはこちらに気付いていないのか、巨樹の根元を見つめるように項垂うなだれ、佇立ちょりつしており、一向に反応を示そうとする気配がない。


「おいっ! ルミーネ!」


 俺とナディアさんは顔を見合わせ、それからナディアさんは再度ルミーネさんの名前を大声で呼ぶが、それでも反応は返ってこず……。

 仕方ないから近くまで行こう、ということで、俺たちは真下の、巨樹まで一直線に伸びている道を歩み始めた。


 ――そよそよと、柔らかな夜風が、俺の頬を優しく撫でた。

 段々と、ルミーネさんの背中に近付いてきたことで気付いたのだが、彼女はただ項垂れて突っ立っているのではなく、何かに祈りを捧げている様子だった。少なくとも、俺にはそう見えた。


 ……やがて丘の頂上、その手前まで到達する。


「おいルミーネッ! まったく……随分な御愛想じゃないか。人が呼んでいるのだから、何か返事ぐらいしろ。……それとお前のお望み通り、ここにイトバ君を連れて来てやったぞ。彼に何か、話があるんだろ……?」


 少々怒気が込められた声を、ナディアさんはルミーネさんの、土埃つちぼこりで薄汚れた灰色の背中に投げる。


「……………………」


 それに対し、ルミーネさんの肩がほんの僅かにピクリと反応したように見えた――が、それはおそらく俺の勘違いだった。


「……………………」


 ルミーネさんは、相変わらずこちらを向かず、沈黙したままでいる。


「ルミーネ。……おいお前、そろそろいい加減に……っ!」

「ま、まぁまぁ……」


 そんなルミーネさんの態度に、いよいよしびれを切らしかねないナディアさん。

 俺は隣から彼女をなだめ、抑えるようにと促した。


 ――――と、その時。



「………………………………ハァ」



 重い重い嘆息を、長く、長く吐き出し終えたルミーネさんは。

 ――クルリ、と。

 ゆっくりとこちらを振り向き、幾分か歩み寄り、あの時と同じように、俺を斜め上から見据えた。


 ――――――――そして。


「…………。……私がたとえ、地にかしづき、砂を噛み、『この命の限りを尽くし、どうか償わせてください』と慟哭どうこくを上げて謝罪し、弁明しようと…………」

「…………」


 ルミーネさんは語り聞かせるように……舌先より零れ出、紡がれる一つ一つの言の葉を清涼な夜風に乗せて、俺の元まで運んだ。

 ルミーネさんは一度そこで一呼吸置くと、視線を下に落とし、また俺を見据え直した。


「…………。“君に傷を負わせた”という事実は……たとえどんな言葉を以ってしても取りつくろえな――――」


「――――ああ、知ってるよ」


「――――ッ!?」

「――――!!」


 俺が、そこへ不意に明瞭な声を挟んだことで……。

 ルミーネさんは何の虚飾もない本懐ほんかいを暴露するように、“驚き”の二文字をその美貌びぼうに張り付けていた。

 また、一方のナディアさんも当惑したような表情を形作り、俺をいぶかしげに見つめている様子が、横目でいちいち隣を確認せずともありありと伝わってくる。


「だって、アンタ――――」


 あごを上げ、俺はこちらを見下ろしてくるルミーネを見上げ、真っ直ぐに見つめ返すと。

 ちょっとだけ呆れるような口調で、こう言ってやった。



「――――本当は、最初ハナから俺を殺す気なんて無かったんだろ……?」



「「!?」」


 今の俺の一言で、この“秘密基地”全域に衝撃がほとばしり、同時に動揺が広がったのは言うまでもない。


 …………しかし。


 大気より生まれた夜風が、俺たちの髪を優しくもてあそぶだけだった。


「なんで……」


 腹の奥底より迫り上がってきた溜飲りゅういんを押し戻すように、ルミーネさんは喉から声を絞り出した。


「どうして、君はそう…………。……つい半日前――たった半日前に、私は、君を殺そうとした輩なんだぞ……?」


 その短い言葉の中には、他にも色々な意味を多分に含んでいそうだが、流石に喉につっかえたのか、ルミーネさんは言葉を最後まで完結させなかった。

 だけど十分に――十二分に彼女の言葉の意味を理解していた俺は、至って冷静に応答することができた。


「だってあの時……アンタ、俺を殺すような目を、とてもしているようには思えなかった」

「“目”……?」


 隣でナディアさんが怪訝けげんそうな声を上げ、疑問符を浮かべる。

 俺は黙って頷いた。


「そうだ。……あれは、人を殺すような真似を平然とやってのけるような、そんな残忍な人の目じゃない」


 あの目――地に這いつくばり、頭上を見上げようとすると、幾度となく俺と目が合った、二つのレモン色の瞳。

 ……俺は見逃さなかった。

 その瞳は怜悧れいり冷酷れいこく冷徹れいてつで、完璧で美しく。――――けれど奥底では、それに勝るほどかなしく揺れ動いていたのを。


 それに、


「本当にアンタが俺を殺す気でいたなら……あんな長ったらしい会話まえおきなんて不要だったはずだ。俺をポルク村から出来る限り離れさせて、誰の邪魔も入らない、二人っきりになれる場所までおびき出すことに成功したら……その場でさっさと殺してしまえばいい。俺が逆にアンタの立場だったらそうしてる。――でも。あの時アンタは、そうしなかった……」


 ルミーネがハッ、と息を呑む気配がした。


「戦いの最中も――特に最後の最後で若干気絶してた俺なんて隙だらけ、まな板のこいそのものだ。……でも、アンタはそんな時ですら瀕死の俺に手をかけようとはしなかった。不自然過ぎるほどに……。まるで、俺が起きてくるのを待ってたみたいだ」

「そんな…………まさか、そんな理由で……私を信用した、とでも言うのか……?」

「ハッ、勘違いすんじゃねぇよ。“信用した”? ……ふざけんな。俺は別にお前なんか、これっぽっちも信用しちゃいねぇよ。当然だろ」

「…………」

「……でも。それでも俺がアンタと“話し合い”をするため、わざわざこんな辺境地にまで赴いたのは、こうなる余地が――“可能性”があると信じたからだ。そんで今、少なくともその“選択”は間違っていなかったと、俺は思う。……ただ、それだけだ」

「…………っ」

「イトバ君……」


 コホン、と軽く咳払いを挟み、俺は左手の杖で軽く地面を小突いた。

 これまで会話してきた内容を脳裏で反芻はんすうしていると、急に小っ恥ずかしくなってしまったからだ。


「それに、アンタが俺を殺そうとした理由……。――俺がこの世界にとって“異端”の存在であること。それともう一つ――俺がフランカと一緒にいること。まぁ、今はこれ以上詳しく言及しねぇけどよ……別に無条件で無差別ってわけでもなかったんだろ? アンタにもアンタなりの理由があって、どうしても守らなければならない“正義”ってもんがあって……そんで、それと相反した俺の“正義”と今日たまたま衝突した。――――ただそんだけの話なんだろ? だったら俺は、今回の件に関してアンタが俺にした行為は……………………まだ万歩譲って赦せると思う」

「そんだけって…………ああ、もうまったく」


 やりきれない、とでも言いたげに、ルミーネさんはほとほと呆れた――ほとんど憐憫れんびんに近い眼差しでこちらを俯瞰ふかんすると、両手をお手上げ状態にする。

 俺は間髪入れずに釘を刺した。


「だけどさっきも言ったけど、勘違いすんなよ。俺はまだお前を完全には赦していないし、赦すつもりは当面の間――いやもしかすると……もう一生ないのかもしれない」

「…………」


 ルミーネさんの表情に影が差し、雨空の空模様のように曇る。


 ――――が。


 口元が緩むのに、大して時間はかからなかった。


「――フッ。まったく、君というやつは…………実に解せん」

「………………………………」

「――――」


 ふと。隣から笑い声が聞こえて。

 そちらを見やると、ナディアさんの表情もいつの間にか綻び、崩れていた。

 つられて、俺も思わず口端に薄ら笑いを浮かべてしまう。


 そして。


「――――ほらよ。……………………これは、まあその……あれだ。一応…………“形”としてだけだ」

「――――!」


 それは、“握手”だった。


 俺は負傷した右手を、預けていたナディアさんの肩から外し――スッと、前に差し出した。顔をそむけて。


「…………」


 暫しそれを唖然と見つめ……。

 見つめ終えた相手に、もはや拒む理由などどこにもないようだった。


 一歩一歩こちらに近付き、歩み寄り、相手は言う。


「フフッ――――まったく。本当に君は、解せないよ」



 パン! と乾いた音が静寂より生まれ、宙に鳴り響き、木霊こだました――――。



 ――――優しい夜風が吹き、俺たち三人の合間をり抜ける――――。


 夜にしては温かな空気が、“秘密基地”に流れていた。




「――青年。率直な感想で構わないから、一つかせてくれ」

「な、何をですか……」


 握手を終え――会話がひと段落ついたところ。

 俺たちが大樹のある丘の頂上を目指してのんびりと歩いていた時、突然ルミーネさんからそう切り出された。

 またえらく唐突な質問だな、と思っていると、続けてルミーネさんの声が飛んできた。


「青年……君はこの世界に一ヶ月間滞在していて、この世界のことをどう思った?」

「は。ど、どうって言われましても……」


 俺は思わず顎に手を当て、一ヶ月間過ごしてきた異世界ここでの日常を可能な限り脳裏に思い起こしてみる。

 そうして暫し熟考し……けれどやはり、結局この結論にしか行き着かなかった。


「そう、ですね……。――――“平和”、ですかね。やっぱり……」

「…………」


 その俺の回答に、ルミーネさんは満足するわけでもなければ、嘆くわけでもない。

 ごくごく“普通”の回答である、と納得した様子で……クルリ、とまたしても俺たちに背を向け、そして――


「――最近。……この世界が、どうも妙におかしいんだ……」

「へっ……? 妙……?」


 再び対面した灰色の背中に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。


 一歩一歩、ゆっくりと……。

 地を踏み締め、ルミーネさんは元いた頂上へときびすを返す。


「…………」

「…………」


 置いてけぼりにされた俺とナディアさんは、お互いに顔を見合わせ。

 ナディアさんが『一応追いかけてみたら?』と、顎で先を促すので、俺は仕方なく後を追うことにした。


 ほとんど間を置かずして、俺たち三人は丘の頂上に辿り着いた。

 背後を振り返ると、壮大とまではいかないが、この“秘密基地”の情景を端から端まで余すとこなく一望できる。ささやかながら、それは“秘密基地”だからこそ許された特権――高台からの、小さな絶景だった。


 視線を戻すと――お次は頂上にて、大きな大きな巨木が、腰を据えて待ち構えている。

 “木”そのものに関しては、そこら辺りに繁茂はんもしている一般の木と何ら変哲はないのだが……とにかくデカい。ただただ、見る者全てを圧倒するほど凄まじく、デカい……。

 ちなみに、『LIBERAリーベラ』の店の背後にも、そこそこな偉丈夫いじょうふを誇る一本の大樹が深く根を下ろしている。

 遠目から来訪者に目印にされるぐらいには大きいはずなのだが……これを前にして、それをもう一度同じ土俵に立たせるほど俺は愚かではない。


「…………」


 頂上に辿り着いても、ルミーネさんは俺たちに背を向けたままだった。

 決して腕を組んでいるわけではなかったが、ルミーネさんは何か深く考え込んでいる様子だった。


 ――もしかして、言い辛いことなのか……?


 そう思ったことで配慮の心が芽生え、俺から口火を切ろうとした――――その時。


「この期に及んでおこがましいとは思うし、図々しいとも重々思うが……」

「!」


 巨樹の下――いびつな形をした、そこに書かれてある文字は判別することすらままならない、苔塗こけまみれの石碑の前で。

 ルミーネさんは口を開いた。


「もし君が、それでも私の言葉に耳を傾けてくれるのであれば……私は一つ、君に頼みたいことがある――――」

「――!」


 ルミーネさんは、音も無く、こちらへ振り向いた。

 そこにあった、湿布だらけのルミーネさんの表情は、笑っているわけでも泣いているわけでもなく……。

 この世に現存する言葉では到底言い表すことのできない、そんな生まれて初めて拝んだ人間の表情だった。


 そして彼女は、はっきりとその言葉を口にした。



「――――この世界を。もっと君自身の目で見て、知って、感じて……確かめてくれないか」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「……よかったのかい?」

「? 何がです?」


 小高い丘を下り――帰路につこうとしていた時。

 ふと、隣にいるナディアさんからそう尋ねられた。

 質問の意味を分かりかねた俺は小首を傾げるしかないが、その様子にナディアさんは嘆息する。


「さっき、ルミーネに言われていた“頼み事”の件だよ。あんな意味不明な約束をして、本当に大丈夫だったのかい……って。君はほぼ二つ返事みたいな感じだったけど……まさかとは思うが、旅をするわけじゃないんだろ? 君が働いているお店のこともあるのに」

「はあ……。まぁ、そうですね。別に、旅をする気はない……と思います」

「本当に? なーんかいまいちサッパリとしない物言いだなぁ……。おまけに君は、今わっちたちが抱えている問題にまで首を突っ込もうとしてくるし……ハァ。口酸っぱく言ってしまうようで悪いが、君というやつは一体何なんだ」

「――人間です」

「いやそれは分かるよ。そんなキリリとした目付きで言われなくとも……」


 そんなこんなで暫し会話を続けていると、あっという間に傾斜が緩くなり、この“秘密基地”の入り口にまで行き着いてしまう。

 すると、丁度そこで会話が一区切りついたところだったので、俺はナディアさんに一応こう答えておいた。


「まぁでも。今回の経験を経て、ルミーネの言っていたことは改めて痛感しましたし……」

「そうやって呼び捨てで構わないって……あいつ、帰りしなにイトバ君にそう言ってたしねぇ」

「いやそれ今関係ないですよ……もう……」

「ハハハハ。話を遮って悪かったよ。だからほら、そんなに膨れなくてもいいじゃないか」

「はぁ……コホンッ! ――それに個人的にも、もっと興味が湧きましたので。……この世界に」

「……………………」

「……? どうかしましたか?」

「……あ。いや済まない。――君は実に、優しい子なんだなあ……と。つくづく」

「そ、そんなことは! 決して! あ、あったりなかったりします……」

「ハッハッハッ!! いやあ、まったく。君は本当に――――アイツとよく似ているよ」

「…………」


 ――『アイツ』。


 ルミーネとナディアさんの知り合いで、現在“行方不明者”で、二人がこのセリウ大陸で目的としている“知人探し”の張本人――。


 名の知れない、素性の知れない、ましてや出逢ったことすらない人物そいつに関して、俺は現時点でそれだけの情報を得ていた。

 ……でも逆に、たったそれだけしか知らなかった。


 これだけではない。

 他にも、ルミーネが俺を殺そうとした動機である二つの理由――俺がこの世界にとって“異端”の存在であることと、フランカと一緒にいてはならないということ。

 それに、フランカの口からまだ聴かされていない『LIBERAリーベラ』の軌跡についてのこともある……。


 やはり俺は知っていた気になっていただけで、まだ何も、これっぽっちも、この世界のことを知らないようだった。


 それに、もしかすると――――。


 俺の“普通でない日常”は――このちょっと不思議な世界で繰り広げられる、何の変哲もない、けれど確実に何かが起こりそうな予感のする“異常”な日常は。


 今日から――“ここ”からがようやくスタート地点で、本当の“始まり”なのかもしれなかった。


「――――」

「……ん? どうしたんだい?」


 なぜか後ろ髪を引かれたような気がして――ふと、振り返ると。


 巨樹のある小高い丘の頂上に、ポツリと独り、未だ小さな豆粒のような灰色の背中が情景に溶け込んでいた。

 またあの珍妙な石碑に祈りでも捧げているのか、それとも別に、また何かを考え込んでいるのか……。

 俺には無論、そんな見当は付くはずもない。


「――――」


 ついでに空を見上げると。


 裸になっている数多の星々――。

 その星群の中で唯一一つだけ、燦然と夜空に照り映えている真ん丸な月は、未だそこに健在していた。

 己の存在を闇夜に主張するかの如く――――が、しかし。


 そんな星や月――果てはこの闇夜でさえも、その全てを搔き消すほどの眩い光を有した“何か”が、小高い丘の頂上――その向こう側からこちらに到来するのを視認する。



 ――――もうすぐ、夜明けが近かった。



「あ、すみません。行きましょう」

「もう、いきなりどうしちゃったんだよ……」

「あははは……」


 最後にもう一度だけ背後を振り返り、一瞥いちべつすると――――。


 俺とナディアさんは、“秘密基地”から姿を消した。




「…………」


 そういえば、と。


 元来た薄暗い森の中へと舞い戻る手前、俺は先程から脳裏でちらつくとある記憶について考えふけっていた。

 それは――


 ――どうしてフランカは、俺が異世界ここへ転移してきたあの日、見ず知らずの俺をあんなにもあっさりと受け入れてくれたんだろう……。


「う〜む……………………」


 ……これは、解くのに時間を要する、中々に難解な“謎”のようだった。


次回、第一章最終回です。

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