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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第一章  普通でない日常の始まり
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第23話 『もう一つの出逢い』

「うげっ、なんじゃこりゃ……」


 眼前に広がる光景を前に、俺は思わず苦い顔をし、うめいてしまった。


 ――ポルク村の“中央広場”。

 ようやく辿り着いたそこで俺を待っていたのは、人、人、人――。

 溢れんばかりの群衆だった。

 本当に“臨時集会”でも開いていそうな膨大な人数で、これではモナが勘違いするのも無理はないだろう。

 また、雑多な人混みはそれぞれが違う目的で往来しているのかと思えば、どうも“何か”を中心として一つの大きな“波”を形成しているようだ。


 “中央広場”には、村で唯一の情報伝達手段として用いられている『ポルクの掲示板』や、ポルク村の象徴シンボルとして村人からあがめられている『カピトの聖像』、また、掲示板の近くには中央広場の目印となっている『ポルクの噴水』などもある。

 群衆の渦の中心は、おそらく『ポルクの噴水』か、あるいは『カピトの聖像』――その近くにあった。


「…………」


 中央広場ここは“村の心臓”でもあるためか、いざ多人数の人々が密集すると、露店街より華々しく見えてしまう。

 右に左にと、忙しなく目の前を通り過ぎて行く人々にしばし唖然とし、俺は腹の底から深い嘆息たんそくを絞り出した。


 はぁ…………。ここに来て今さらではあるが、人が密集してる場所って、あんまし得意じゃねぇんだよな……。


 しかし、そうとも弱音を吐いていられず。

 先のオッチャン曰く、目的の村長がいるのはその渦の中心らしいので、ならばいち早く村長に会うためには、人波に揉まれながら正面を突っ切るしかない。


 ……仕方ない。行くか。


 腹を決め、俺は色鮮やかな大海へと足を踏み出した。




「む、むごぉぉ……っ! う、動けん……!」


 大海の渡航は、想像以上に過酷で、荒々しいものだった。

 何せ、人と人との隙間がほとんど無いのだ。皆一様に、自分一人分のスペースを確保すると、そこで立ち往生してしまっている。“身をくねらせて動く”など、到底できたもんじゃない。

 まぁ確かに、俺の体格が少しばかり大きいとか、今は長剣ロングソードたずさえているからというのはあるが……。


 とにかく、思うように渦の中心へと足を運ぶことができなかった。

 けれど横合いからは波が――大小様々に止めどなく流れ続け、そんな俺の不自由さなど意に介さない。


 こんな状態だと、寧ろ下手に動いたら危険なのでは……?


 俺は一度冷静になってそう考えてみると、納得し、波の流れに身を任せてみることにした。

 そして、本当に波風の強い日の小舟の如く、俺は波に揉まれに揉まれ――――。


「…………そう。そこで、その生意気な小娘が私に向かってこう叫んだんだ…………」


 揉まれに揉まれ、針を通すようなか細い隙間を辛うじて潜り抜けると――


「ぐえっ」


 押し出されたことで、地に顔面から突っ伏すという無様な格好になり。

 静かな、開けた場所に躍り出た。


「……はい。以上で、私の“セリウ大陸冒険記・第一章”はおしまいだ。続いての物語は――っと。おやおや、ここで熱心な聴取者のご登場だ」

「痛っててて……。クソ、どうして、俺がこんな目に……」


 再三に渡って言うが、これは全くって理不尽な現状だ。

 しかし、幾らここで嘆こうと、砂埃すなぼこりだらけの顔面に悲涙をにじませようと、誰かが都合よく手を差し伸べてくれるわけではない。自分という存在が、余計にみじめに感じてしまうだけである。


 だがどうやら、荒れ狂う大海原の渡航にはなんとか成功したようである。

 俺は取り敢えず立とうと、両手を地に付け、黄色く薄汚れた顔を上げた。

 すると、



「――――大丈夫かい?」



 不意に、手が現れた。

 眼前に現れたそれは非常にほっそりとした、しなやかな手だった。

 あと純白で、一言で言い表すと、そう――“綺麗な手”だった。


 純白なのは太陽のせいなのか、それとも元々その“手”の持ち主が色白なのか定かではない。

 が、俺にはなぜか、その手が“差し伸べられている”ように思えてならなかった。いや、そうとしか思えなかった。


「…………」


 俺はさながら、真っ白な太陽の輝きでも追い求める放浪者のように、その手の指の末端から、徐々に徐々に視線を上げていき、そして――――


「――――」



 そこに、太陽を見た。



 しかし一瞬太陽だと認識したそれは、俺と同じ人間だった。

 ――全身にまとった灰色のローブ、レモン色の瞳、そしてそれ以外の全ては、白色透明の銀世界。前に垂らした、片方だけ編み込みが施されたお下げ髪。

 加えて特筆すべきは、長く尖った二つの耳と、頭に付けているオリーブのようなもので彩った冠。


 太陽はそれらで構成されていた。

 一言では言い表すことのできない、息を呑むほどまでの美貌びぼうがそこにあった。

 俺たち『人間』とは少し違う、でも俺に手を差し伸べてくれる人だった。

 膝を折り、上から覗き込むような形で、こちらに驚いたような――じゃなくて、薄っすらと微笑んでいる。


「立てる?」

「あ…………」


 今日はお日柄の良い一日だということを知っていたが、視界はこんなにも眩しいものだっただろうか。

 まるで、白昼夢はくちゅうむでも見ているかのようだった。思わず目を覆いたくなるほどの、その輝かしい純白の光に魅せられた俺は、自然と手を伸ばしていて――。


「おっほぅ~! なんじゃ、誰かと思えばイトバちゃんではあるまいか!」


 と、その時。

 唐突に頭上から飛んできた能天気な声が鼓膜を刺激し、それによって俺は我に返った。

 声のした方へ頭を傾けると、そこには見慣れた両足と、どこか見覚えのある木製の杖が視界に映り込んだ。


 ……………………。


 おのずと口端が吊り上がり、笑みがこぼれるのが分かる。

 おいおい、ようやくお出ましかよ、と俺はその人物をにらみ上げた。


 俺をこんな無様な目におとしいれた張本人――ポルク村の村長を。


「なんじゃ誰かと思えば…………じゃねぇよッ! 昨日あんたが長剣これを『ファクトリー』に置き忘れてったから、今日はわざわざ配達しに来てやったんでしょうが」


 立てるかの? と村長は親切にも手を差し伸べてくれる。

 が、俺はその手を振り払い、地に付けた両手に力を込めて自力で立ち上がると、服に付いた砂埃を軽く叩いた。

 そして胸から足にかけて一通り叩き終えると、俺はフン! と猛々しく鼻を鳴らし、村長にこれでもかと眉根を寄せる。

 もはや心中では抱え切れない、莫大な量の不満を一気に吐露するように。


「おおっ! これはこれは。確かにワシが昨日『ファクトリー』で持って帰ろうとしていた長剣ロングソード……!」

「そうだよ。あんたが新調した“手斧”と一緒に発注してたやつだよ」


 憮然ぶぜんと言い放ち、俺は両腕を組んで少し仰々しく呆れてみせた。

 すると村長は、その小さな矮躯わいくをさらに縮まらせると、素早く顎髭あごひげを撫で、


「いやはやワシとしたことが……そう言えば昨日、ボッフォイの旦那も帰り際に忠告してくれていたのぅ。はぁ……またうっかりと忘れておったわい。この歳のせいか、最近はそういうのが特に酷くての……。嫌になるわい」

「いや、ここ最近というかですね、かなりの頻度でそういったことをしてると村民の方たちも嘆いておりましたし、俺もそういう気がしなくもないのですが……」

「まぁ、とにかく大切な品だったから助かったわいイトバちゃん。わざわざ届けに来てくれて済まなかった。手間をかけさせたのぅ」


 これは非常に珍しいことなのだが、その時村長は俺に向かってペコリと頭を下げ、謝罪の意を表明したのだ。

 完全に不意を突かれてしまった。先程の能天気な態度から一変した村長の態度に俺は面食らい、言葉を失い、結局行き場を失った感情を後ろ頭に持っていく。


「…………ったく。別にいいよ、これも仕事の内だし。それに、長剣これの存在を忘れてたのはお互い様だしな。俺もあんまし上から文句言える立場じゃねぇんだ。……けど、今度からは必ず忘れないように頼むぜ。絶対な」

「ああ。肝にめいじとくわい」

「ホントかよ……」


 その希望に満ち満ちた胡散うさん臭い発言に、一度緩みかけていた眉根を再び寄せた。

 これは俺の主観なのだが、同じ失態を幾度か繰り返す当人の口からこの“肝に銘ずる”という言葉が飛び出してきた場合、大抵次も同じ過ちを犯しやすい。にわかには信じがたいのだ。


 ……けれど、「おっほっほ」と軽やかに喉笛を鳴らす村長を見て、まぁいいか、と内心で適当になっている自分がいるのもまた事実だった。


 ――と、


「あれ? ねぇ、あそこにいるのって……ほら、ちょっと赤っぽい髪の。あれって、イトバさんじゃない?」

「え? イトバさん……?」

「どこどこ?」

「お。確かに言われてみりゃあ、あのパッとしねぇのはイトバの兄ちゃんじゃねぇか」

「イトバの兄ちゃんだって……」

「あ! 本当だ! イトバさんだ!」

「イトバさーんっ」


 ザワザワと。

 背後からそんな喧噪けんそうが、特に俺の名前を呼ぶ幾つかの声が耳に付く。


 今さらではあるが、俺はあの群衆の群れを掻き分けてこの深淵しんえんまで辿り着いた。

 つまりそれは、今現在俺は群衆の中心点にいるということで、それ即ち、今現在“群衆全員の目に晒されている”ということを意味しており――。


「…………」


 げっ、と改めて現況を理解した俺は内心で顔をしかめる。

 それからゆっくりと背後を振り返ると、案の定、そこには視界に収まりきらないほどの群衆がいて、俺一人に好奇な視線を注いでいた。

 ――こちらに笑顔を向ける者、手を振る者、首を傾げる者や不思議そうな顔をする者、隣人と小声で話す者。

 老若男女、種族を問わず、“俺”という存在に対しての反応は個々様々だった。

 しかし多方面から突き刺さる、あまりに多くの視線に俺は圧倒されそうになり、


「わーい! イトバの兄ちゃんだぁーっ!」

「イトバのおにいちゃーん!」


 ふと気付くと、群衆の足の隙間から子供たちが何人か飛び出してきて、こちらに駆け寄ってきていた。

 子供たちは俺の腰に抱きついたり、足にしがみついたり、背中に飛び乗ったりなど、思い思いに自分の安定したポジションを陣取ると、大きく口を開く。


「ねぇ、イトバの兄ちゃん! あそぼー!」

「あそぼーっ!」

「あしょぼーっ!」


 これまた思い思いに身勝手な要望を叫び、それでひとまずぶち撒けると、何が面白いのかキャッキャと陽気な笑い声を上げる子供たち。なんともまあ、暇人に見られたもので……。

 体質的に子供慣れしているとは言え、流石に青年一人に対して子供複数人――加えて元気爆発――が一斉に襲いかかってきては体力的に打ち負かされてしまう。


 うっ、あっちこっちに体を振り回しやがってこのガキどもがぁ……。――うっぷ。やべっ、昼間食い過ぎたボリューミーなハムカツ玉子サンドが胃の中で暴れて……!


 気力を削がれ、げんなりとした様子がいよいよ表情にもくっきりと表れ始めた頃、突如群衆の中にいた男性が野太い声で哄笑こうしょうした。


「ガハハハハ!! 今日も今日とて、子供たちに大人気だなあ、イトバの兄ちゃんは」


 それが皮切りとなり、またも群衆内に喧噪が広がっていく。


「本当に。ウチの子なんて、もしかすると私より懐いてるかもしれないわ」

「子供に好かれる体質なんて、羨ましい限りだわねぇ」

「でも一体、いつの間に子供たちとあんな親密な関係を築いたんだ……?」

「バーカ。そりゃお前、あれだぜ? イトバの兄ちゃんだぜ? だったらそれぐらい造作もねぇだろ」

「あ、なるほど! 『サボりの魔王』……ですか?」

「そうか……。なら、納得だわな」

「そうだね」


 うんうん、と周辺の皆さんが揃いも揃って何かに異口同音していらっしゃる。


 え、ちょっと待って。皆さんヒドくないすか……? 『サボりの魔王』って……。大人の皆さんも俺を“暇人”として扱っている……そう仰られるのですか?


 それにこんな場面どこかで見たような、と思案していた時、またも彼らは揃って口を開いた。至極納得したような表情で。


「『雑技を極めし魔術師モノ』だからなぁ……」

「『雑技を極めし魔術師モノ』ですものねぇ……」

「そうじゃ、『雑技を極めし魔術師モノ』だからじゃぞ」

「『雑技を極めし魔術師モノ』だもんね!」

「――って、おいお前らッ!! さっきから黙って聞いてりゃ好き勝手にその黒々しい渾名あだなを連呼しやがって! だから誰がそれ考案したんだよ!? ていうかこのやり取り二回目なんですけど!? デジャヴだわチクショォォォォ――!!」


 俺はその場に膝から崩れ落ちた。

 そんな苦悶の様子を面白がる子供たちと群衆は、ハハハハ! と正に悪魔めいた嘲笑わらいごえを多方向から浴びせかけてきた。


 どうも俺は、この魔族の血を引く“ポルクの民”から『ヒマジン』という烙印らくいんを押され、知らぬ間に公認されていたらしい。

 ははっ……でもそうですよね。俺がこの村にちょくちょく顔を出さなければ良かったんですよね交流を持たなければ良かったんですよねウソです今までサボっててスミマセンでしたぁーっ!!


 体にしつこくしがみつく子供たちを振り払い、そうして独りでむがぁーっ! と頭を掻きむしっていたところ――


「プッ……ナハハハハ!!」


 背後から明朗な美声が響いた。

 一片の曇りも感じさせないそれは甲高かんだかく澄んでいて、けれど子供みたいな無邪気さが時折垣間見える――。そんな声だった。

 そして、


「ハハハ……。いやまったく、なんて愉快なんだ」


 言葉通り、カラカラと愉快気に喉を鳴らすと、太陽――灰色のローブで全身を包むそのやからは、パチパチと拍手しながらこちらに近付いてきた。

 笑い過ぎたのか、目尻には若干の涙が光っている。


 彼女は一拍置くと、「ふぃー」と息を吐いた。


「私から一瞬にして観客を掻っさらっていくとは……。一体どうしてくれるつもりなんだい、君は。ん? 折角の冒険譚が台無しじゃないか」


 肩の力を抜き、非常に悠然ゆうぜんとした様子で語り始める彼女。

 だが一方で、俺と村長――それに加え、周辺の群衆も皆一様に唖然としていた。

 少し存在を忘れてしまっていたというのもあるが、それ以上に、しとやかな見た目に反して陽気な声を出す彼女に驚いたからだ。


 と、しばらくしてそのことに気が付いたのか、彼女は再び口元を緩め、肩をすくめた。


「冗談さ。……君は、ここの住人たちから愛されているんだね。本当は、可愛い子供たちを横から攫っていった君に嫉妬したんだ。こうして気安く話しかけたことを許してほしい」


 彼女が軽く頭を下げたと同時に、胸の前に垂れ下がっていたお下げ髪が横に揺れた。


「あ、いえいえそんな……」


 突然頭を下げられ、尚且つその一挙手一投足に至るまでも美麗な彼女に、俺は思わずたじろいでしまう。


 女の子に耐性がないことバレバレだな……。


 視線を斜め上にらしてそんなことを考えていると、眼前の彼女は胸を撫で下ろすように、口元を緩めた。


「そうか……。君が気の優しい青年で良かった。……では、改めて名を名乗ろう」


 そこで彼女はスッと背筋を伸ばし、正面から俺を見据えた。


「――私はルミーネ。ルミーネ、と呼び捨てにしてくれて構わない。見ての通りエルフ――ああ、厳密にはハーフエルフなんだが……。中央大陸で一応『魔術師』をやらせてもらっている、コヒノコ好きのひねくれ者さ」


「ま、今は“放浪魔術師”……と言ったところだがね」と語尾に付け加え、「よろしく」と、彼女は片手を差し出してきた。

 ああ、やはりこの人が、とここに辿り着くまでに散々聞かされてきたうわさが彼女のことであるのだと、俺はそこで改めて強く確信した。


 初めてフランカと出会った時や、昨日の暗緑色の魔術師かのじょの時もそうだったが、どうもこの世界でも親交を結ぶ方法は“握手”のようだ。

 “名刺”だとか“挨拶”だとかその他諸々、俺の元いた世界の所作はほとんど通用しないのに、そういった文化は根付いてたりするんだなと不思議に思ってみたりする。


「……あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。俺は糸場有って言います。この村の近くにある雑貨店――『LIBERAリーベラ』って名前の所なんですけど、そこで働いてる者です」


 改めて純白の太陽と対峙し、途端に気恥ずかしくなってしまう思春期下り坂の十八歳。

 相手が異様に妖艶ようえんで大人びた雰囲気を纏っているためか、まだまだ子供心を捨て置けていない俺は妙にかしこまってしまう。風貌ふうぼうだけ見ると、歳は大して違わないと思わなくもないのだが……。


 そして差し出された手に対して、俺も片言ながら自己紹介を済ませると手を差し出し、握り返した。


「…………」


 握り返すと、彼女――ルミーネさんは一瞬間だけ静止したように思えたが気のせいで、即座にニッコリと微笑んだ。


「――ああ。こちらこそ、どうぞよろしく」


 そうして、俺たちは再度互いに強く握り合うと、手を離した。


 ぬ、ぬぉぉ……! 美人なお姉さんとさり気なく握手しちまったぁ……!


 ほのかな温もりの残るてのひらをじっと見つめ、俺は天上の神が与えたもうた一時の喜びを噛み締める。

 女性のおててってあんなにスベスベでしたっけ、と思わず問いたくなるほどのスベスベ具合だった。


 ――と、その時。“自己紹介”と言えばと、それについて一つやり忘れていたことを思い出した。


「あ、あの、ちなみになんですけど……これ、良かったら受け取ってください」

「ん? どうしたんだい?」


 俺の突拍子とっぴょうしのない発言にきょとんとするルミーネさん。

 そんな彼女に、昨日俺が暗緑色の魔術師かのじょにあげた例の“名刺”を懐から取り出し、手渡した。


「……ん? なんだい、これは」


 昨日の彼女と同じく、名刺を手渡されたルミーネさんの声音が、案の定困惑したものに変わる。

 返答として、俺が「これは“名刺”と言って――」と、これも昨日と同じように端的に説明すると、ルミーネさんは「へぇ」とか「ふーん」とか、曖昧な反応を繰り返した。


 紙面の裏を見たり、紙全体の方向をクルクルと変えたり――。

 紙面の文字も含め、彼女は暫しそうして、いぶかしげな様子でそれを観察し続ける。

 こちらとしては、何の変哲もない紙切れ一枚に真剣な眼差しを向けられると、それこそ困惑するものがあるが、しかし彼女――いや、この世界の住人にとっては自然とそうなってしまうのだろう。

 なぜならこの“名刺”というのは、彼女らにとっては未知の物体であり、得体の知れないものだからだ。

 そう。一ヶ月前、俺が『LIBERAリーベラ』に置かれてある雑貨を物珍しそうに眺めていたように。


 そう考えると、それぞれの人の“普通”っていうのは、案外違っていたりするのかもしれない……。

 などとぼんやり考えていると、


「メイシ、か……。なるほど、興味深い代物だね。これは確か……頂いても良かったかな?」


「どうぞどうぞ」と俺が手でうながすと、ルミーネさんは薄く微笑み、「そうか。では遠慮なく頂戴ちょうだいするよ」と名刺をローブの内側へと仕舞い込んだ。


 すると突然、何か可笑しかったのか、ルミーネさんは片手で腹を抱えて笑い始めた。

 ――ハハハ、でも面白いよね。君が人間だということは見れば分かるのに、と。

 その笑いの沸点に解せない傍ら、彼女に笑われていると思うと顔に変な熱が帯び、俺は後ろ頭を掻く他なかった。

 でも彼女の屈託のない笑みを見ていると、そんなことはどうでもよく感じ、こちらもつられて表情が緩んでしまう。


 それと今気付いたのたが、目線の位置から、俺とルミーネさんの身長がほぼ同じであることが判明した。

 昨日の彼女ほどではないにしても、それでも女性にしてはかなりの高身長だ。もしかすると、“魔術師”を生業としている輩たちには、そういった割合が多い傾向にあるのかもしれない。

 あ、でもフランカは別か……。


「それでは、ルミーネさん。そろそろこの辺で……」


 ふと気付くと、周辺の群衆が俺とルミーネさんのやり取りにしびれを切らしてきていた。ルミーネさんに物語の続きを促すような態度をちらほらと見せ始めている。


 村長は、そんな俺とルミーネさんの合間に割って入ろうと、申し訳なさそうに薄ら笑いを浮かべていた。

 おそらく、村長は特に彼女の物語を聴きたくて仕方がないのだろう。まったく、実に熱狂的な“色ボケ聴取者”である。オッチャンの言っていた通りだ。


 ――しかし、


「いや、今日のお話はこれにて終了だ。……悪いが少しだけ、私に時間をくれないだろうか?」

「はあ……。……と言うと?」


 合間に割って入った村長を片手で優しく押し退け、ルミーネさんはこちらに一歩、ズイと前進してくる。

 その発言にポカンと目を丸くしたのは村長――だけではなく、歩み寄られた俺も片足だけ一歩後退し、若干ながら眉をひそめた。


 そして次の瞬間、ルミーネさんは親指で俺を指し示し、こう言った。


「彼と、少し話がしたいんだ」


 ザワザワ、ザワザワと。

 ルミーネさんの明瞭めいりょうな発言に、周辺の群衆も一斉に騒めき立ち、動揺が波紋のように広がっていく。

 だが残念ながら、その声音は決して黄色いものなどではなく……。


「おい! 勝手に一人で抜け駆けしてんじゃねぇぞこの『サボりの魔王』!」

「イトバさんって紳士に見えてたけど、意外と女性には見境がなかったのね……。 フランカちゃんというものがありながら……! 最低よっ! 見損なったわ!」

「そーだそーだ! みんなのルミーネさんを横取りするな『サボりの魔王』ッ!」

「ちゃんと働け『サボりの魔王』ッ!」

「ほんっと、最低よね……」

「醜いわ」

「この変態」

「ゴミ虫が」

「――って、おいお前らちょっと待ていッ!! なんで矛先が俺一点に向けられてんだよ! 理不尽過ぎるだろ!?」


「それと最後のはただの悪口だろ!」と、こちらも負けじと言葉をまくし立てていると、不意に片手を後ろに引かれ――


「それじゃ、行こうか。青年」


 まるで他人事のように、この騒乱の渦中かちゅうにあるルミーネさん本人はこちらにニッコリと、満面の笑みを向けていた。


「え、えぇ……」


 行くか、行かまいか――。

 そんな逡巡しゅんじゅんの間さえ与えてはくれなかった。


 何が何だかよく分からないまま、俺はルミーネさんに手を引かれ、連れられるようにして群衆の輪から脱する。


 周囲の喧騒が一段と増す中、人を抜け、人を抜け、また人を抜け――――。

 不思議と、来た時よりも人混みの窮屈さは感じず、寧ろ足が軽くなったように感じた。


 そしてそのまま、俺とルミーネさんは二人、中央広場から逃れることに成功した。


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