間話 『本日最後の客人』
東の空より目覚めた太陽は、やがて斜陽へと様相を変え、西の空へと眠りに落ちる――。
今日という一日が終わる直前。
そんな、西の空が茜色に染まりつつあった時のこと。
「じゃ、今日はもうこの辺で失礼しますね。これ……凄く気に入りました!」
「はい! そう言っていただけて何よりです。では、またのご来店をお待ちしておりますっ!」
「しまーす」
ペコリと頭を下げる俺に、ふふっ、と可愛らしい笑みを浮かべ、片先まで緩やかに伸びる金髪を靡かせる少女。
そのままクルリと身を翻した少女は緑の扉まで歩みを進め、カランカランと甲高いベル音を店内に鳴り響かせる。おそらく本日最後の客人であろう少女の、お帰りの合図だ。
「イトバさんも、ありがとうございました。さようならです」
「おう。……あ、明日もしかすると村に行くかもしれないから、そうなったらよろしくな」
「まあ、そうなんですか。はい、わかりました。是非いらしてください。歓迎します!」
そう言って律儀に礼を述べると、少女は扉を手でゆっくりと閉めてくれる。
几帳面な性格であるだけに、ああいった行儀の良い態度は毎度のことだ。
そして、バタンと扉が閉まった――と同時に、下腹部に鈍い痛みが発生し、内臓をじわじわと締め付け始めた。
「イタタタ……」
「? どうかしたんですか、ユウさん」
腹を摩って僅かに顔を顰める俺の異変を察知したのか、フランカが顔を覗き込んでくる。
「ん? ああ、いや……ちょっと突発的に腹痛がな」
「まあ。お薬いりますか?」
献身的なフランカはそう言って、カウンターの後ろにある商品棚に向かおうとしたが、俺は首を横に振った。
「いや、大丈夫。うーん……なんだろ。何か変なもん食った覚えもないし、ましてや拾い食いなんて意地汚ない真似は――」
と、そこで一つ、心当たりのある行動が俺の脳裏に蘇った。
「あ。そういや村長たちが来た時咄嗟に……」
「ほえ? 何かあったんですか?」
「…………」
だが別段、そんなことをいちいちフランカに話さなくてもいいだろうと、俺は口元を緩ませながら静かに首を横に振った。
「……いや。別に大したことじゃなかったよ」
「そう、ですか……」
そこで会話は一時途切れたかと思われたが、続けざまにフランカが不思議そうな顔をこちらへ向け、こう尋ねてきた。
「あの、さっき『モナちゃん』に言ってましたけど……明日ポルク村に行かれるんですか?」
「お? ん、あぁ……」
曖昧に言葉を濁すと、俺は頭を掻きつつカウンター脇に歩み寄る。わざわざ口で説明するより、“これ”を見せた方が手っ取り早いだろうと思ったからだ。
それは――フランカがいつも愛用している箒の隣に置いてあったのは、柄の部分が異様に細長い長剣。
そう。村長が『ファクトリー』に置き忘れていった、例の長剣だった。
俺は亜麻色の布を纏ったそれを片手で持ち上げてみせると、
「これを……って、結構重いな。……まぁ、とにかく今日『ファクトリー』にポルク村の村長が来たんだけどよ」
「まあ、村長さんがですか?」
フランカは目をパチクリとしばたたかせると、俺の手中にある長剣をまじまじと見つめた。
「そ。でだな、村長はどうも御杖と長剣の発注をしていたらしくて、御杖の方はちゃんと持って帰ったんだけど……長剣の方はすっかり置き忘れていったってわけですわ。あのクソジジイが事前に“持って帰るのを忘れるな”と忠告したにも拘らずな。……とまぁ、そういう経緯がございまして、俺はこれを明日ポルク村へ届けに行かなければならないのです」
「そ、それはお気の毒ですね……。でも、それなら今からでも行って、渡してくればいいんじゃないですか?」
「んにゃ、もうそろそろ店仕舞いする時間帯とは言え、まだ仕事残ってるし……。それに、あのクソジジイ曰くは、そんなに急いでる用件でもなさそうなんだとよ。だから、明日にでも行けばいいんじゃないかって……。ったく、行くのは俺なのに……ホント他人事だよな」
不満を垂らし、俺はあの憮然とした鍛冶師の顔貌を思い浮かべながら、ちょっとだけ憤慨してみた。
はぁ、と終いには肩を竦めた嘆息を添えて。
「…………」
すると、フランカは一瞬驚いたように目を見開き、何やら口元を手で押さえてクスクスと笑い始めた。
そんな突拍子のない反応に面食らった俺は、間抜けな面構えを晒し、
「あの……フランカさん?」
「え? ああ、すみません、ごめんなさい。……その、今日の今日までずっと相容れなかったお二人が、会って何があったかは知りませんが……“昼休憩”という短い時間の中で、そんな些細な会話を普通にやり取りできるぐらいの間柄にまで急速に発展したかと思うと、少し可笑しくて。クスクス……」
「いや、間柄っていうか……進展的な度合いで言えば、何も変わっていないと思われるのですが……」
「ふふっ、それで良いんですよ。何事も、“一歩ずつ”が大切なんですよユウさん。ふぅ……あーあ、本当は少しドキドキしていたんですけど、でもそれを聞いてスゴク安心しました! 私も『ファルシェの呪符』を使った甲斐があったというものです」
「いやそこサラッと流してるけど、あれはあれで色々と大変だったんだからな……」
弛緩し切った頬が揺れ、フランカは驚喜に満ちた笑顔でまた笑い始めた。
今日は色々なイベントがあったせいか、その笑顔を見れただけで膿の如く蓄積していた疲労が一気にすっ飛び、癒されていく気がする。そう、純水を取り戻した心の泉に浸るように……。
こうしてみると、やはり俺には『フランカの笑顔』という治癒魔法が必須らしい。
何度使っても魔力が減ることがなく、また世界を平和で包む画期的な魔法だ。これは是非とも毎日使ってもらわねば。
――と、
「んまぁ、それはいいとして……今日はもう店仕舞いするか?」
「うーん、そうですねぇ……時間的にもそうですし、さっきモナちゃんが帰ってから誰も来ませんしねぇ……」
モナ=ローレンツァ。
村長と親しいポルク村の村娘で、度々『LIBERA』に雑貨を買いに来てくれるお得意さんの一人だ。
(彼女には失礼だが)全体的な特徴としてはあまりパッとしないものの、肩先まで伸びた黄金色の絹糸は、まるで穂先を実らせた麦のようで……そこが彼女の最大の魅力でもある。
まぁ、他にも礼儀正しかったり几帳面だったりと、挙げるべき美点は沢山あるのだが。
村長も彼女のことを随分と慕っており、まるで我が孫のように可愛がっている様子をポルク村でよく見かけた。
それと、先程からフランカがモナのことを『モナちゃん』と愛称していたように、二人は大の仲良しさん――“親友”である。
と言うのも、モナとフランカは非常に歳が近く、そのせいもあってか、モナが店を訪れるに連れてお互いに自然と打ち解け合ったというわけらしい。
確かに、“ゆるふわ系女子”というカテゴリーで見れば、どちらも似た者同士な気はしなくもない……。
ちなみに、そのモナが今回お買い上げになられたのは『オルトマーレの花飾り』と『オホジック・ランタン』の二品。
大抵は両親から頼まれたお使いとか、農作業で欠損・不足した農具などを買いに訪ねてくることがしばしばなのだが、今日は珍しく雑貨らしい雑貨――と言うか、“自分のための買い物”をしにやって来たのだ。
『オルトマーレの花飾り』は、“何か可愛らしい髪飾りが欲しい”とのことだったので、長年乙女に愛され続けてきたロングセラー商品・オルトマーレ製の装飾品をフランカがおすすめした。
髪飾りだけでも多種多様に存在するオルトマーレ製の装飾品――。モナも年頃の乙女であるせいか、あちこちに目移りしながら目を輝かせていた。
で、最終的に気に入ったのはスミレ色をした花の髪飾りで、モナの髪の色と相俟って良く似合っていたと思う。
そして二品目――『オホジック・ランタン』。
えらく大層な名前をしているが、要するに今巷で流行りの手灯というだけである。
全体的なデザインとしては、白い頭巾で全身を覆った小型の幽霊らしきものが灯を飲み込んでいるという珍妙な姿なのだが……なんでもそれが可愛いのだとか。
空前の『魔術師』ブームである昨今、魔術師お決まりの格好――“フードを頭から被る”のに模したものらしく、モナもそういった流行りに乗りたい年頃なのだろう。俺には何が可愛いのかさっぱり分からんが。
でも、
「モナって、そんなに着飾るイメージはなかったんだけどなあ……。何かあった――いや、はたまた何かに影響されたのか?」
「そ、それはモナちゃんだって年頃の女の子なんですから、たまには可愛い髪飾りの一つや二つは欲しくなるものですよ」
「ふーん、そっか……。フランカもそうなのか?」
尋ねてみると、フランカは「うーん」と顎に手を添え、
「そうですねぇ……私も、たまに欲しくなる時はあります。って言っても、私は髪を括ったりだとか装飾品を付けたりだとか、普段からそういう女の子らしい格好はあまりしてないんですけどね。えへへ……」
「ふーん。やっぱそういうもんか」
「はい。そういうものですよ」
だがフランカよ…………お前今のままでも十分カワイイぞッ!?
こんな童顔天使がお化粧して着飾ったら一体どうなるのやら、と内心で想像し、それはもはや神ではないかと結論付ける俺。
フランカとの会話は一旦そこで途切れ、俺たち二人の間を暫しの静寂が埋めた。
店仕舞いをするべきか否か、決めあぐねていたのだ。
「ま、まぁ……あとちょっとだけ、待ってみるか」
「は、はい。私も今、ユウさんと同じことを考えてました」
お互いに苦笑せざるを得なかった。
そんな少しだけ欲深い二人の意見は見事に合致し、俺たちは店内の後片付けに取り掛かることにした。
基本的には、店内の清掃――雑貨を置いてある棚を拭いたり床を掃いたり、明日の営業を円滑に進められるよう、雑貨の備品・個数の確認をしたりする。
店先に出してある看板の収納とか今日の収入を算出するのとかは後として……と、そうこうしている内に大幅に時間が過ぎていたことに気付いた。
「っし、こんなところか……って、もうそろそろ店仕舞いしてもいい頃じゃない?」
「あ、本当ですね……。いつの間にか、お片付けに没頭していました」
顔を見合わせ、そして二人して『LIBERA』の玄関口である緑の扉へと視線を投げる。
扉の隙間からは、幾筋もの茜色の光線が射し込んでいた。それらは店内にあるありとあらゆるモノ――雑貨類やら用具やら壁面やら天井やら、さらに俺たちまでもを禍々しいほど赤く染め上げていた。世界が、夕焼け色で燃えていた。
世界が、終わる色をしていた。
“今日”という一日が、終わりを迎える色をしていた――。
「…………」
「…………」
それを告げられ、改めてそんな“普通”で当たり前のことを再認識させられた俺たちは少しだけ哀愁を感じるも、笑顔で顔を見合わせ――
「店仕舞い、するか」
「はい」
――が、その時だった。
バーン!! というけたたましい音と共に、扉が外側から内側へ乱暴に開け放たれたのは。
「ここか……。ようやく見つけたぞテメェこのヤロォォォォッ!!」
荒々しく語気を荒げた何者かが、扉を開け放った勢いをそのままに店内へと転がり込んできた。
――全身を包む暗緑色のローブ。ハラリと頭に覆い被さったフードの間隙から覗かれるのは、赤朽葉の毛髪とザクロ色の瞳。
転がり込んできた衝撃で、その何者かのフードが一瞬だけ取り払われたので、それらは俺の目に鮮明に映えた。
あまりに唐突な事態に俺とフランカは言葉を失い戸惑うが、俺は茜色の光線を後背に受けたそいつの特徴を一目で掴むと、
「あ」
指を差し、思わず頓狂な声を上げた。
それに対し、「ん?」と最初は訝しげに眉根を寄せていたそいつも、下から俺の全姿を見上げるなり、
「あ」
と、俺と同じように指を差して頓狂な声を上げた。
そう、そいつ――今し方不法侵入してきたそいつは、昼頃に村長と一緒に『ファクトリー』へ訪れた魔術師――。
オーティマル王国に籍を置き、自らを“放浪魔術師”と称していた、あの“彼女”だった。
「え、えっと……」
こうなってくると、現況に一人取り残されてしまうのはフランカだ。
俺と彼女――“放浪魔術師”の女性は、お互いの存在をよく熟知しているので(と言っても、昼間別れてから数時間程度しか経っていないが……)認識したはいいが、何も知らない彼女は蚊帳の外も同然の存在となるだろう。
困惑した表情で頰を掻き掻き、頭上をさらなる疑問符の山で溢れ返させているのも無理はない。
「あー……あの……えっと、その……」
何だかよく分からないが、取り敢えず彼女の様子から『LIBERA』に用件は無さそうに見える。
彼女は申し訳なさそうに腰を低くすると、バツが悪そうに後ろ頭を掻き、クルリと身を翻した。
そして、首を傾げながらトボトボと扉の元まで戻り、乱暴に開け放った扉に損傷がないか丁寧に確認し終えると、
「し、失礼しました……」
パタン。――と静かに、行儀よく扉を閉めてくれた。
また、カランカラン……と、甲高いはずのベル音はその時だけ低く唸り、店内に小さく木霊した。
それはまるで、静謐さを崩さない貴族の所作とも言える。故に、今彼女が扉の向こうで恥辱に耐え切れず、思わず西日に向かって全力疾走している姿が俺の脳内でありありと思い描かれた。
「…………」
「…………」
本日最後の客人が帰り――。
再び俺とフランカの二人だけになってしまった空間に、もはや時間という概念は存在していなかった。
そう、時間は死滅していたのだ。空間が凍てつくかの如く。
「…………」
「…………」
すると直後、『LIBERA』にあの柔らかい曲調を持ったメロディー――『オルゴール』が何の前触れもなく流れ始めた。
――つまりこれは、閉店の合図。
今日一日の『LIBERA』の仕事が終わったということだ。
「……なぁ、フランカ」
「……なんでしょうか、ユウさん」
「いや、ちょっと思い出したことがあって……。今さら別に聞くことではないかもしれないんだけどさ……あの一階と二階を繋ぐ“切り株”の合言葉って、どうして『オッパイサイコー』なの? 何かの呪文なの?」
「……え? 『オッパイサイコー』って、どこかおかしいですか……?」
ワァオ。真顔で下ネタ言っちゃったよこのケモ耳娘。
「いやいやフツーにハレンチでしょ。ヒワイでしょ、あれ」
「さっきからユウさんは何を言ってるんですか。『オッパ・イサ・イコー』ですよ? どこにもおかしな点などありません」
「あ、へぇ……そうなんだー」
「はい、そうなんです」
「ふーん……」
「…………」
「――――どぅェェェェェェェェェェェェエエッ!? そうなの!?」
あ、えぇ……でも確かに、でもえぇ……そ、そう読むのね。
ここに来て、まさかの意外な新事実だった。
次回の更新は一週間後の予定です。