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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第一章  普通でない日常の始まり
21/66

第19話 『ポルク村への配達依頼』

ここから第一章の佳境に入っていきます。

もうすぐで第一章完結です。

 また俺とボッフォイの二人だけになってしまった……。


 魔術師の女性に続き村長も帰ってしまったことで、『ファクトリー』にはまた物寂しい雰囲気が降り立っていた。二人分の居場所が唐突に、しかも一編いっぺんに無くなったものだから、ただでさえだだっ広い空間が余計に広く感じられてしまうのだ。

 ま、二人とも個性が強くて寧ろうるさかったというのもあるが……。


 ――ところで、村長が帰ってからしばらく経った時、俺はとある過失に気付いてしまった。


「……で、結局これ忘れてんじゃん」


 そう、台座の横で行儀よく寝そべっている長剣ロングソード

 ボッフォイが最終調整の済んだ手斧を村長に手渡した直後、


『……っと、それとお前。手斧と一緒にもう一つ発注していた長剣ロングソードがあっただろ。あれも完成しているから、持って帰るのを忘れるなよ』


 能天気なノホホン爺さんのために、ボッフォイが念押しして確認したアレのことである。

 ……って、思い返してみればあの時、村長は『おっほぅ〜、了解したぞ』と言っていたような。“持って帰るのを忘れるな”と注意されても尚忘れるって、どんだけ忘れっぽいんだよ……。


「ったく、あの耄碌もうろくジジイ……。無駄話に花を咲かせてる場合じゃねぇぞ」


 鍛冶の作業をする手は休めず、しかし流石に呆れ返るしかなかったのか、そんなボッフォイの盛大な嘆息たんそくが隣から聞こえてきた。


「にしても、なんで村長は長剣ロングソードなんか注文したんだ? 何かに要るのか、これ?」

「知らん。詳しいことは聞いていない」

「ふーん」


 俺は亜麻色の布に包まれた、長剣ロングソードの長々とした柄の部分に視線を落とす。


 とは言っても、あの村長の気質を考えればやりかねない失態ではある。どうやら、村長と旧知の仲であるボッフォイもそこは重々承知しているようで、それ以上の苦言をていすることはなかった。

 それに、そのことを忘れていたのは俺もボッフォイも同じで、多少なりともこちらに非はあるだろう。


 うーん、でもあんな失態を日常茶飯事的に起こしているとなると、よくあれでポルク村の村長を務めていられるよな……。世界とは不思議だ……。


 村のみんなも大変だな、と何人かの親しい村民の顔を思い浮かべて同情の念を抱きつつ、俺はボッフォイに「今からでも追っかけて届けてきた方が良いか?」と提案する。

 が、ボッフォイは「とりわけ急いでるようでもなさそうだったし……明日でもいいんじゃないのか?」とぶっきらぼうに返答した。

 ま、それもそうか、と納得した俺はその時、またしても重大な過失に気付いてしまった。しかも今度は、脳天を叩き割られたぐらいの衝撃で。


「うわっ、そういや大分と長居してたような気が……。や、やべぇ、フランカさん……もしかして、プンスカプンのプンプン丸でありますかッ!?」

「ハァ……ならお前も早く帰れ」

「あ、ああそうする! 長居して悪かったな。世話になった!」

「……フン」


 いつもそうだ。

『ファクトリー』みたいな薄暗い閉鎖的な空間にいると、どうも時間の感覚が狂ってしまう。これは俺の体験談――半年前の春休みに部屋でアニメ視聴をしていた時やネトゲをしていた時もそうで、気が付けば朝……ということが度々あった。

 だからみんな、生きてる時はしっかりと太陽の光を浴びとくんだぞッ! ……って、俺は誰に向かって言ってるんだ?


 これも台座の傍らでポツンと放置されてあった、パンズーの残滓ざんしが残るバスケットが二つ。

 それらを片手で担ぎ、ボッフォイと短い言葉のやり取りを終えた俺はその場をそそくさと退散しようとする。――――がその前に、


「なあなあ、クソジジイ。……んまぁ、こうやって改めて話すのも気持ち悪いんだけどよぉ……」

「は? 何をしている。帰るんじゃないのか」

「うん……いやだからそうなんだけどよぉ……」


 実を言うと、ボッフォイの腕を見込んで、一つ折り入って頼みたいことがあったのだ。

 本当はもっと早くお願いするつもりだったのだが、何しろつい先程までお互いの仲が険悪だったし、そもそも会う機会が少なかったりなど諸々あって中々言い出せずにいたのである。

 で、今それをたまたま思い出したので頼んでみることにした。


「……はっきりせんな。揶揄からかっているのなら相手にせんぞ」

「あ、そうじゃないんだって……! いや、だからさ……」


 くぅぅ~、このクソジジイめええ! 俺がわざわざこうして低姿勢になって頼み事をしようとしているのにぃ……!


 たとえ頼み事であったとしても、ボッフォイにこうして頭を下げるのは実に気に食わない。実に。


「そのぉ…………仕事の合間でもよろしいので、め、眼鏡をお一つ作っていただきたいのですが――」

「お断りだ」


 ほぉれ見ろッ!! 結局こう言われんのがオチだって分かってたんだよ!!


 内心で怨嗟えんさの込もった握り拳をにぎにぎと固めていると、ボッフォイが続けざまに言葉を放った。


「メガネだと……? お前は普段からそんなものかけていないではないか」

「元の世界にいる時は時々かけてたんだよ。……まぁ、確かにお前の言う通り、日常生活に支障をきたしているわけではないが。でも注文された商品を探してると、たまにぼやけるんだよ。暗い地下倉庫だと特にな」


 これらは全て事実である。

 現に元の世界にいた時――数年前の高校時代から、授業中は眼鏡を着用してたし、それは大学に進学しても同じだった。

 先程も言ったが、別に一日中コンタクトの着用を義務付けるほど視力が悪いわけでもないので、眼鏡自体は講義中の黒板の字を見るぐらいの用途しか満たしていなかった。


 ……が、いざコンビニや『LIBERAリーベラ』で働いていると、商品名や数字などの文字に目を通す機会がどうしても多い分、眼鏡(と言うよりかはクリアな視界)のありがたみに気付いてしまったのだ。

 ま、コンビニバイト時代はシフトが深夜帯だったし、今ほどそれを渇望かつぼうしていたわけではないが。


「ハァ…………。幾ら出せる?」

「……へ?」


 ボッフォイが何か言ったようだが、考え事にふけっていた俺には上手く聞き取ることができなかった。

 すると、ボッフォイはわずかにこちらを振り向き、


「……幾ら出せるかと聞いたんだ」


 にらみを利かせた眼光を一層鋭くさせ、そう問いかけてきた。

 やっぱ仕事の邪魔しない方が良かったかな、と心中でびつつ、「う、うーんと……」とあごに手を当てて熟考じゅっこうする素振りを見せる。


「ち、ちなみに……相場はどの程度で?」


 我ながら上手く切り返せたと、若干己の臨機応変ぶりに慢心する俺。

 と、一旦槌を置いて作業の手を止めたボッフォイも、顎をさすってしばし黙考すると、


「そうだな……。銀貨五……六枚で――」

「だが断る」


 …………うん、だから結局こうなるんだよなぁ。


 ていうかアホですかこの人。銀貨五、六枚なんて下級魔術師の一ヶ月分の給料ではありませんか。だーかーらー、今朝来店したお婆さんが買っていった『マンドレイクの秘薬』で銀貨六枚だっての。一般庶民且つ雑貨屋の店員であるこの俺がそんな大金持ってるわけねぇじゃん。“雑貨店店員”としての初給料だって、まだちゃんと貰ってないのに。グスン。


 ボッフォイがハナから相手にしていないのは明白だった。

 しかし、ここで泣き寝入りをしてしまっては折角の機会チャンスを棒に振ってしまう。またいつ『ファクトリー』へ来られるかも分からないし、言をたないが、ボッフォイも今日のような団欒だんらんに毎度毎度付き合っていられるほど暇ではない。


「……フン、お前が拒否しようとしまいと知ったことか。銀貨五枚――これ以上は負けないからな。もしこれに納得できないのであれば、この話は無かったことにする。即刻立ち去ってくれ」



 ――――ならば、仕方がない。奥の手を出すまでだ。



「……ククク。じゃあ訊くが、その銀貨五枚と同等の価値を持つ“モノ”を支払えば、眼鏡は作ってくれるんだな?」

「なんだと……?」


 お話にならない、と辟易へきえきして態勢を元に戻しかけていたボッフォイが、その寸前でピクリと静止した。

 鋭くした眼光を緩める気配は一向になさそうだが、そこに新しく生まれた一驚いっきょうが微量ながら織り交ぜられている。どうも、興味を引くことには成功したようだ。

 ニヤリ、と無意識に俺の口角が吊り上がる。


「そしてそれが物理的な“物”ではなく、“情報”であったとしても……」

「情報……? 一体何の――」

「おおっと、クソジジイ。今交渉を持ちかけているのは俺の方だぜ? 立場を忘れてもらっちゃあ困るなあ」

「…………」


 くぅぅ~! なんすかこれ……めっっっっちゃくちゃ痛快なんですけど!?


 そう。俺は今正に、この場のマウントをボッフォイから奪い取り、その現実かんかくに独り酔いれ、一時の愉悦ゆえつに存分に浸っている。

 なぜなら形勢が逆転しているからだ。あの人間が扱う生活用品が全てママゴトのおもちゃに見えてしまうほどの体格を誇るボッフォイを立場的に見下ろしている――これほどまでに愉快な喜劇が一体どこにあるというのか。……いや、無いであろう!


 ふーむ。さてさて、お次はどこをどう料理してやろうかしら……。ムフッ、ムフフ、ムホホホホホホ!!


「……フン。ならば話は簡単だ。この話は全て無かったことにする。じゃあな」

「――って、ちょい!! 雰囲気をブチ壊すような真似はよせぃッ!!」


 ごく自然な流れで会話を断ち切ろうとしたボッフォイ。

 危うく取り逃がすところだったがすんでのところで引き止めると、ボッフォイはいぶかしげに眉をひそめ、頭上に疑問符を浮かべたような顔をした。


「お前は本当に、俺にメガネを作って欲しいのか……?」

「勿論ですとも!!」

「ハァ……。ではその“情報”とやらをとっとと聞かせろ」


 そう言って、ボッフォイはわずらわしそうに眉根を寄せると、退屈なのか耳垢みみあかをほじくり始めた。


 むぅ、流石はボッフォイ。マウントをあっさりと取り返しやがった……。やはり一筋縄ではいかない、ということか……。


 ゴホン、と俺はわざと威張るようにして咳払いを挟んだ。


「してしてクソジジイ。つかぬことをお聞きするが……君、フランカのことは好きかね?」

「――――ブフォッ!!」


 その瞬間、ボッフォイはむせた――いや、と言うより変な咳き込み方で鼻水を周辺にぶちけた。

 そんな予想だにしていなかった反応と強烈過ぎる爆音に、俺は反射的に身を引いてしまう。……が、足元に少しかかってしまった。き、汚ねぇ。


「……き、貴様…………い、今、何て言った……」


 鼻水を腕で拭いつつ、ボッフォイは今度こそこちらを振り返って正面から俺を見据えた。


「……え? だから、フランカは好きかどうかって……」

「そ、そのことと銀貨五枚に相当する“情報”と、一体何の関係があると言うんだ……!」

「い、いやだって……その“情報”がそもそもフランカに関係する話だし」

「…………ッ!?」


 鼻提灯はなちょうちんを垂らすという醜態しゅうたいさらし、珍しく語気を強めたボッフォイ。しかし俺が戸惑った様子でそう言ってしまうと、何か言いたげな表情だったが二の句を告げず、再び鼻水を腕で拭い始めた。

 ゴシゴシゴシゴシと、強く荒く。


 ……ん? なんだ、このクソジジイの反応は……。フランカの話題になった途端、異様に恥ずかしがったり、異様に焦ったりって――――あ、ふーん。…………へぇ…………ほーん……………………ははーん。


 ククククク……フハハハハハハハハハハッ!!

 な・る・ほ・ど・なッ!!


 瞬間、俺は確信した。

 やはり俺の“眠りし灰色の脳細胞”――その明晰めいせきなる頭脳がはじき出した推論は間違っていなかったのだと――。


 どうりで前々からおかしいとは思っていたんだ。だって、フランカだけ『あの御方』とか呼んじゃってるんだもんなあ。さらに加えて家族の話までされりゃあ……そりゃそう思う他にないよなあ。


「フゥハハハハ!! そうか、なるほどそういうことか……。ならばこの“情報”、クソジジイには必ずや有益なものとなり得るに違いない!」

「…………だから、それを先程から早く教えろと――」

「だがもし、お前がこの“情報”を知り得た場合、眼鏡を作る約束は豊穣の女神の名に誓って果たしてもらうぞ? なぜならそれが、等価交換というものだからな」

「……クッ。こんな時だけ都合よく女神の名を口走りおって……」

「クククク、さぁどうするクソジジイ。もはやお前には、選択の余地など残されていないように思うが?」

「……ッ」


 ボッフォイは悔しげに唇を噛み締め、まるで俺を射殺さんとするかのような血の眼で睨み据えてくる。

 一方で、今のボッフォイが睨もうが何をしようが全く怖くない『雑技を極めし魔術師モノ』。泰然たいぜんとした構えで、悠々と巨像を見上げた。


「……さぁ、どうする?」


 パチパチと、宙を舞う幾つかの火の粉が静寂の寒色に暖かみを添えた。


「……………………分かった」

「うん? 何か言ったかな?」

「……チッ、分かったと言ったんだ! メガネは作ってやる! だから今すぐとっととその“情報”とやらを俺に寄越せッ!」


 お、おおぅ……どんだけ食い付いてんだよこのクソジジイは。そして、どんだけフランカのこと好きなんだよ。相手が十六、七の女の子だってこと本当に分かってんだろうな……。それともあれか? 異世界こっちでも“恋愛に歳は関係ありません”とかいう感じなのか?

 ――だが、まあいい。


「――交渉成立、だな。よかろう……では耳の穴かっぽじってよーく聞くがいいッ!」


 ゴクリ、とボッフォイが唾を飲む音がした。

 ここまで勿体付けたのだ。さぞ期待に胸を膨らませているのだろう。


 では果たして、その“情報”とは――――



「フランカの昨日の下着、――黒でした」



 おおっと、俺としたことが……。危険な情報だけに、思わず声が震えちまったぜ。


 ささやくように吐いたその一言が、竈付近の周囲一帯に短く反響した。

 その後に続くのは、つつましやかな火の粉だけが音色を奏でるいつもの静寂。固めていた握り拳に、俺は確かな感触を得ていた。

 これはいけた、と。


「…………っ」


 すると、緊張とか期待とかがい交ぜになって固まっていたボッフォイの表情が、まるで糸が切れたかのようにみるみる――


「……………………」


 みるみる――


「………………………………」


 みるみる内にしぼんでいき、やがては強張っていた体もほぐれ、無欲の境地に至ったかのような無表情を形作ると、俺の前に片手を突き出した。

 俺は小首を傾げるも、おそらくそれが『ちょっと待て』という意味合いではないかと推測し、ボッフォイに納得の合図を示す。

 そして、ボッフォイは俺の合図を確認すると、なぜか眼前に水色の結界――『防護魔術』を凡そ半径三メートル、自分一人の体格分を張り巡らせた。


『防護魔術』とは文字通り、防御魔術に属する魔法の一つで、いわゆる“バリア”とよく似た性質を発揮するものである。

 形成の度合いや使用者の魔力量にもよると思うが、基本的にはある程度の攻撃――“害を為す”行為はさえぎることができると言われ、さらには音や光、熱などといった“感覚器官”に関することも防護可能らしい。


 ……まぁそれはいいとして、ではなぜボッフォイは防護魔術それを発動させたのだろうか。

 そして今から、一体何を始めるつもりなのだろうか……。

 これではまるで、今からボッフォイのする“行為”に俺が必ず邪魔してくると予見しているみたいだ。で、その干渉を避けるための前準備として、防護魔術を発動させたと……うーむ、ますます分からなくなってきた。


 大きく首を傾げ、怪訝けげんな表情がより険しくなる俺に構わず、ボッフォイは俺に背を向けると少し身を屈めるような体勢を取った。

 そしてごつい片手をしとやかに耳に添え、反対の手を肘にあてがうと、電話口でよく見かける例の“もしもしポーズ”が完成する。


 お、何か始めたぞ、と俺は防護魔術――薄い水の膜のようなその結界に片耳を押し当て、そっと、耳を澄ましてみた――――。


『…………あー、はい。そちらは、リカード王国の“魔導衛士マーキュリー派遣部署”でよろしいか? ……宮廷直属? んー……まぁ、そっちの方が良いか……』


 ……むむっ? 『魔導衛士マーキュリー』? 『魔導衛士マーキュリー』って言やぁ、確かこの前フランカが“大多数の住民を抱える地域”――例えば地方とか国とかに各所設けられている治安維持組織って言ってたやつじゃねぇか。

 まぁ要するに、俺の元いた世界で言うところの“警察”みたいなものなんだが……なぜそんなところの名前が?


『……っと、ああ、済まないがこちらに一人寄越してもらえるか――ああ、一人で大丈夫だ。罪人は二十歳手前の「人間種」の青年で、罪状は「獣人種」の少女の着替えの覗き見。特徴は…………正に性欲剝き出しの下賤げせんな面構えに――』

「――って、ぬォおおおおおおおおおおいぃぃッ!! ちょっと待たんかああああああいぃッ!!」


 あれ……? ナンダカコレ、マズイコトニナッテマセン……? という二段階を経て、俺はようやく事の重大さに気付いた。


 ――そう、ボッフォイは“魔導衛士けいさつ”に電話をしていたのである。俺がフランカの着替えを覗いた変体野郎だと。


 俺は防護魔術の結界を目一杯の力でぶん殴った。何度も何度も。一刻も早くボッフォイの行動を即座に中止させるために。

 暖簾のれんに腕押しのような感触だったが関係ない。たとえどんな手段を用いてでも止めさせる。だってこのままだと俺の人生終了するから――。

 故に俺は、取り立て屋の如く何度も何度も薄い水の膜を殴り続けた。


 いつの日だったか……俺が異世界こっちに来た直後の時も、確かこんな感じで危うく警察沙汰になりかけたことがある。その時は幸いにも魔導衛士けいさつの方がいなかったから、俺はホッと一安心していたのだが……今はマジで“その方々”に通報されてる。いやマジで。

 このまま放っておけば、一生拭えない羞恥しゅうちの泥を経歴に塗り、世の中から爪弾つまはじきにされ、さらには離れ住む故郷の親の涙を頂戴ちょうだい――などという事態になりかねない。


「…………」


 するとようやく観念したのか、ボッフォイは体勢を元に戻してこちらに振り返ると、防護魔術の結界を解いた。

 残念そうな表情を引っ提げていることから察するに、間一髪で通報完了の阻止は成功したようである。フゥィー。


「ゼェ……ゼェ……ゼェ…………お前、なぁ……どうしてくれんだ……。俺が危うく……咎人とがにんになる、ところだったじゃねぇか……」

「いや既にそうだろ」


 こ、こんのクソジジイめェええ~!!


「いや違いますよ旦那! なんでフランカの下着が“黒”だって判明したかと言うと、別に故意的に覗きを働いたとかじゃなくて、あれは風呂場の脱衣所の扉がほんのすこぉーし開いていたという不慮の事故が原因でして――!」

「言い訳をするな。まったく、みじめで醜い……。仮にお前の言っていることが本当だとして、脱衣所の扉がほんの少し開いていたとしても、見過ごすことはできたはずだ。それをわざわざ下心丸出しで覗きに行ったということは、明らかにお前の意思そのものではないか」

「…………」


 ……全く以って仰る通りでございます。ぐうの音も出ません。


「しかもよりによって、善良なるあの御方の着替えを覗くとは……。ハァ……罰当たりにも程があるというものだ。お前は今日にでも地獄の業火に焼かれてしまえ。お前には魔界の方がお似合いだ」

「おいちょっと! 言い返せないからって、立て続けにサラッと酷い言葉連呼してんじゃねぇよ! ってか、さっきから偉そうに上から抗弁垂れてますけど、そういうお前だって本当は見たかったんじゃねぇのか? フランカの下着」


 あおり口調でそう言って、俺が視線を細めてみると、ボッフォイは心底馬鹿馬鹿しいといった様子で一笑に付した。


「ハッ、俺が……? 何をバカな。くだらん戯言ざれごとで笑わせるな」


 が、俺はどうもその反応に違和感を感じたので、


「本当にぃ? …………でもお前って、フランカのことが好きなんだろ?」

「バッ――――!? き、貴様……っ!」


 ボッフォイを試してみると、これがまた意外と良い食い付きっぷり。

 ムホホン、と俺の内なる小悪魔が独りでに小躍りし始めた。


「おや? 何かなその反応は。まあ? 万が一? 君がフランカに対して好意――それも恋愛感情に近しい感情を抱いているのであればぁ〜、先程の発言はあまりにも苛烈かれつではないのかねボッフォイ君。何せ……ボクたちは“同士”なのだから」

「貴様と同士? ハッ、何を言い出すのかと思えば……。言っておくがな――いや、お前も言わずもがな承知しているとは思うが……俺は死んでも嫌だからな。貴様と同士になるなど」

「フランカのオッパァイ……フランカのオシィーリィー……」

「…………」

「オッパァイ……オシィーリィー……ケモミーミィ……」

「………………………………」



 そして――――。

 遂に俺は、勝った。



「ハァ…………。……約束だ。メガネを作ってやる」

「うむ、分かればよろしい」


 当然不服そうな顔をするボッフォイだったが、しかしキッパリと腹を決めたのか、レンズの見本を取って戻ってきた時には、いつもの仏頂面に落ち着いていた。

 流石は“男”としても周囲から一目置かれる存在である。俺もそこは認めよう。そこはな。


 で、ボッフォイは様々な種類のレンズを提示し、全体的な形やらデザインやらの要望を尋ねてきたが、正直なところこれといった希望は無く……。

 レンズだけ度の合ったものを自分で探すと、あとの形やらデザインやらは適当に“無難なものでいい”とボッフォイに一任した。もし万が一、ふざけて変なものでも作ったりしたら、フランカにジジイの恋心を暴露バラしてやるまでだ。


「……で、メガネの他に、俺に何か用件は?」

「いや、別に。じゃあ、眼鏡作り……よろしく頼んだぜ」

「ああ。……ゴホン。だが、不慮の事故は百歩譲るとして、もう今後一切あの御方に破廉恥はれんちな真似はするな。“しない”とここで誓え。それこそ豊穣の女神の名に誓ってな」

「う、うるせぇな……。分かってるよ、反省してますってば……」


 けど止めんがなっ!


 バスケット二つを片手に、そしてもう片方の手に村長の忘れ物――長剣ロングソードを収めると、俺はボッフォイに背を向けようとする。が、


「あぁ……それと一つ、あの御方に伝えたいことがあったから、かごの中に手紙を入れておいた。後で渡せ」

「ん? ほほぅ……さては恋文ですかな? まったく~、気が早いんですから旦那はもぉ~!」

「……殺すぞ」

「……あ、はい。ごめんなさい」


 そんなやり取りを最後に、俺は今度こそボッフォイに背を向け、暖炉だんろの方へと足を向けようとした。


「じゃ、俺行くな」

「ああ。とっとと俺の目の前から消え失せてくれ……」


 ――――が、またもその直前。



「――特別だ。ありがたく思え」



 フッと、突如俺の眼前に巨大なてのひらが出現した。

 何事か、と一瞬戸惑うも、それがボッフォイの掌だということに直ぐに気が付いた。


 ――俺の顔をリンゴと見立てて握り潰せるぐらいの大きな手。

 皮は厚く、ありとあらゆるところに擦過傷さっかしょう裂傷れっしょうが見受けられ、五指はどれも筋肉質で骨太。だがそこに一切の無骨さは無く、洗練された技師の御業みわざ――正にそれを思わせる繊細さがうかがえる。


 俺はその手にすっぽりと覆われようとしていた。

 徐々に迫りくる掌の中心はさながら洞穴どうけつの暗闇で、そこへ吸い込まれそうな錯覚を覚える。


「え――――?」


 しかし吸い込まれなかった。


 寧ろ掌から手、手から腕、腕からボッフォイへと急速に視界が移り変わり、やがてはボッフォイのいる竈付近からも遠退いていくようだった。

 強大な力を有する何かに、背後から無理矢理引っ張られるように。


「お、おわぁああああああああああああ――――っ!?」


 そして、今や遥か彼方に拝める竈の火が一番星の如くきらめき、それを捉えた刹那せつな――俺の視界は完全に夜闇と化した。



『ヘーイ!! 迷える子羊ちゃんのお帰りだ~! またのご来店、心よりお待ちしてるぜぃ!』






 パチパチ、と音がして、カンカンカン! と音がして――。

 また一人になってしまったのだな、と寡黙かもくな鍛冶師はようやくそこで気付いた。


「そういえば俺の手拭い……さては、ジジイの手斧を縛るのに使いやがったなあの野郎……」


 ハァ、と大きな嘆息を吐き、ボッフォイは困ったように禿頭とくとうを摩るとつちを担ぎ直した。


 ――けれど。まぁいいか、と。


 今度何かのついでに、あいつに買ってこさせようと思うボッフォイだった。


「フン……」


 額の汗を腕で拭い、ボッフォイは鍛冶の作業に戻る。

 いつもの、普段通り、何も変わらない作業をまた延々と続けなければならない。少なくとも、九ヶ月先の『ツバキの月』までは。


「――――」


 では、なぜなのだろう――。

 カンカンカン!! と次に鳴り渡った槌の音が、『ファクトリー』に一層大きく響いたのは。



次回の更新も一週間後です。

そして次回……ようやくあのケモ耳ヒロインが帰ってくるぞォおおおお!!

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