第1話 『今日も開店します!』
プロローグの続きを除いて、本編に入ると主に主人公の一人称視点です。
※ただ、時々間話や小話などで視点が変わる時があります。
「ここか……」
ポルクの森を抜けてから、リカード街道の一本道をひたすら進んで数刻。
ゲル爺は、ようやく老女の目的地へと到着した。
それがあったのは、遠目からでも目視できるぐらいの大木の下。中々立派な木造建築物が二軒、二階部分の渡り廊下を挟んで堂々と構えていた。
いや、実際には二軒の背後にも何かあるのだが、蒸気を吹き鳴らす左の建物が邪魔でよく見えない。
「……よっこらせっと」
荷馬車を道の傍らに止め、ゲル爺は背後の小窓をノックしてから、荷台に乗っている老女を呼びに行く。
被さっていた緑色の幌を荷台の後ろから捲り上げると、老女はうたた寝をしていたのか、ビクッと体を強張らせた。
「ほれ、着きましたぞ」
「ん……あぁ、着きましたか」
毛布にくるまっていた老女は、寝惚け眼を擦りながら立ち上がる。
早朝だから無理もない、とゲル爺は老女を気遣った。ゲル爺は職業柄、この時間帯の気候などにも耐性があるが、一般人にとっては堪える寒さだろう。
「大丈夫ですか……?」
頭巾を被り直し、木の手提げかごを持った老女は、覚束ない足取りで荷台から降りてきた。
そして、目先の店を確認すると納得したように頷き、慈母のように微笑んだ。
「ええ、おかげさまで。何事もなくここまで来れました。これも全てあなた様のおかげです。何とお礼を申してよいやら……」
「先程も言いましたが、私は偶然通りがかっただけの商売人に過ぎません。ただ、私のがさつな運転で満足いただけて何よりでした」
「ふふふ、本当に謙虚な方ですね。やはりそういう性分でないと、商売人は勤まらないのでしょうか」
「いえ、ただ褒められたりすることに不慣れなだけですよ。こう見えても恥ずかしがり屋なものでね」
ははは、と自嘲気味に笑うゲル爺。その横顔を微弱な陽光が照らし出す。
東の空を仰ぐと、赤い太陽が顔を出しているのが見えた。朝が近い。
「もしよろしければ、ご一緒に店まで行きませんか? 色々な雑貨が置いてあって、見るだけでも面白いですよ?」
「いえ、私はそろそろ仕事があるので……」
ゲル爺が語尾を濁すと、老女は笑みを崩すことなく静かに頷いた。
「ああ、そうでしたか……。それは失礼しました。では、ここでお別れですね。今日していただいたご恩は決して忘れません。また出会えることを切に願います」
「はい、私もです」
言い終えて、二人は握手を交わした。
ゲル爺の分厚い手が、老女の小さな手をすっぽりと覆ってしまう。しかし老女の手は、ゲル爺の手の中で確かな温もりを持っていた。
温かい、とゲル爺は老女の手を離す。
「それでは」
「ええ。道中お気を付けください」
それだけ言うと、老女は店の方へと歩き始めた。
老女の後ろ姿を見送り、ゲル爺も荷馬車の方へと戻る。
「はぁ……。まったく、柄にもないことを。そもそもあの御婦人は、こんな肌寒い朝っぱらから何を買いに来たんだ? ……まぁ、ワシにはもう関係のないことじゃが」
独り言のように呟き、再び荷馬車をリカード街道のレールに乗せた。
最後にもう一度だけ、ゲル爺は店に視線を投げる。
『便利の旗印:何でもお道具店・LIBERA』
視界の端で捉えた立て看板には、カラフルな模様を添えてそう書かれていた。
「『LIBERA』、か……」
次にここを寄った際は、一度入ってみよう。
ゲル爺は再び走り出す。我知らず笑っていることにも気付かずに。
リカード王国に向けて。今日も、行商人としての生業を全うするために。
「五年――いや、もう十年はいけそうじゃのう」
眩い光が、ゲル爺の荷馬車を吸い込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
糸場有――という名前を聞いて、あなたは最初にどんな印象を受けるだろうか。
普通? ありきたり? パッとしない? まぁ、とにかくそういう“どこにでもいる人類の一員”みたいな印象をおそらく持つに違いない。
なぜそうやって断言できるのかと言うと、それは糸場有――本人である俺自身が誰よりも強くそう思っているからだ。
現に俺は、某有名――とまではいかないが、学部によってはそこそこ名声のある大学に通うごく平凡な大学一年生で、誰もが羨むようなハイスペック人間ではない。
勉強も運動も顔も普通、可もなく不可もなく、何事もそれとなくこなせるだけ。容姿も中肉高背、赤みの強い黒のボサ髪はアップバングと、とりわけ目立った特徴はない感じ。
で、そんな俺が唯一自慢することと言えば、これまでの人生の中で一度も挫折が無かったことぐらいだろう。
普通の家庭に生まれ、普通に小学校に通い、普通に中学校に通い、高校も普通に志望校に進学して、特に将来の夢とか進路希望の無かった大学も、普通に学力に合わせた所の経営学部を選んだ。で、結果的に一発合格して今に至る。
要するに、俺はこれまで何不自由ない普通の十八年間を生きてきた。いや、逆に言えば俺の人生は今まで普通過ぎたのだ。
だから、俺は変化を求めた。そんな“普通”を一度脱してみたいと思ったのだ。
そんなわけで、俺は大学に入学してから三次元とは隔離された世界――いわゆる“二次元”の境地へ足を踏み入れてみることにした。
と、ここで勘違いをしないでいただきたい。
普通ならここで、二次元の魅力に取り憑かれた俺は次第に自堕落な生活を過ごすようになり、気付けばダメダメニートに転身してましたというオチなのだろう。
そう、“普通”ならば。
ズバリ言うと、俺は二次元の世界を勉強するのと同時並行にバイトも始めたのだ。
これなら家に引きこもりがちになるだけでなく、社会において新たなコミュニティを作り、人脈も広げられる。それに、少なからずグッズやラノベなどを集めるのにも資金は必須だったし、正に一石二鳥。
こうして俺は、完璧な『アウトローに生きてやんよ計画』を組み立てたわけである。
で、その大学入学から約半年が経過した現在――
「ユウさん! ユウさん! そろそろ開店の時間ですよー」
俺の朝は早い。まだ太陽も顔を出していない時間帯からバイトは始まる。
俺がバイト先の更衣室で制服に着替えていると、扉一枚越しから聞き慣れた少女の声が飛んできた。
「ああ、直ぐに行く」
キュッとネクタイを締め、俺が渋みのあるダンディな声で応答すると、少女は「じゃあ、いつもの所で待ってますねー」と一言置き去りにして立ち去った。
元気で可愛らしい俺の先輩だ。低身長で華奢な体躯に、パッチリお目々の童顔を併せ持っている。歳は俺より一つか二つ幼く、おまけに常に笑顔を絶やさない優しい性格ときた。
正に天使。ちなみに巨乳です。やったぜ。
「ふぅ、俺も罪な男だな……」
とか何とか意味不明な発言を爽やかに決めて、俺は最後に更衣室の奥にある全身鏡で髪型と服装を整える。
――人は外見よりも中身が大事。しかし、第一印象はその人の中身を試される。
ここ半年のバイト期間で学んだ教訓の一つだ。
「さてと、今日も働きますか!」
両頬を叩いて喝を入れ、俺は誰もいない更衣室を後にする。
廊下に出ると、まず目に飛び込んでくるのが蒸気を吹き鳴らす大型機械。
大小様々の赤錆びた歯車がカラカラと激しく回転し、無数にあるボンベの上では起き上がり小法師状態のメーターの針、井戸の手押しポンプを彷彿させるやつもキュッポキュッポと上下に屈伸している。
一見異様な光景ではあるが、ここが“機械工場・作業場”として見れば納得できるだろう。
「にしても――ゴホッゴホッ! 相変わらず煙いんだよなここ……。何でここに更衣室を作るかなあ」
手で白煙を払いながら眉根を寄せる。そしてそのまま、左に続く長い廊下を早足で歩いていく。
すると次第に視界は晴れ、早暁でしか味わえない澄清な空気が俺の頬を撫でた。
作業場用の建物とは別の、もう一つの建物の二階とを繋ぐ木製の渡り廊下だ。
「やあやあ、ここから見れる朝の景観には相変わらず目を奪われるねぇ」
と言っても、ここで朝の情景をじっくり眺望するわけにはいかない。これから俺には、大事な大事な仕事が待っているのだから。
東の空から額を覗かせるお天道様の光を横顔に浴びながら、足早にその場から立ち去る。
短い渡り廊下を過ぎると、もう一つの建物の二階へと到着した。
こちらは作業場用の建物とは打って変わり、酷く物静かな場所だ。天井から降り注ぐ温白色の光が空間を包み込み、一階からの優しいオルゴールの音色が聞き取れるぐらいに。
廊下の幅は広く、部屋数も十個程度と充実した間取りなのだが、
「ここも、ちょっと整理した方がいいよな……」
一言で言い表すと“ゴミ屋敷”。美化して言ったとしても“散らかった物置”。
頭を掻き掻き、俺は廊下に散乱した分厚い本などを避けながら廊下を進み始める。
壁の至る所には木の根がびっしりと張り巡らされており、廊下の隅では何やら怪しい薬品や大量の羊皮紙が鎮座していた。
初見の人からすると、何十年も放置された廃墟のように映るかもしれない。
「おっとと……あっぶね」
ようやく廊下の突き当たりに辿り着くと、そこには人一人が乗れるぐらいの切り株があった。
俺は切り株の前まで行くと、「コホン」と軽く咳払いを挟み――
「オッパイサイコォォオオオオオオオオオオッ!!」
と、天を仰ぎ見ながら高々に叫んだ。
するとその直後、突然切り株から緑色の光が放出されたかと思うと、ゆっくりと回転しながら降下していった。まるで、ドリルが地中を掘り進めるかの如く。
「……………………降りるか」
妙な虚しさを覚えつつ、俺は切り株のあった場所まで歩みを進める。
――あったのは、一階へと続く木製の螺旋階段。
沈痛な面持ちで、俺はその階段を一段ずつ無言で降りていく。
途中、心が言い知れぬほど悲しくなった。
「あ、ようやく来ましたね! ユウさん、おはようございます!」
目的地である一階に辿り着くと、俺の目の前を低身長の小動物が横切った。
フワリとした赤っぽい茶色の長髪に、翡翠色の双眸。白いフリル付きの赤いエプロンドレスを着ていて、その上からはフード付きの紺色ローブを羽織っている。
特徴的なのは、いつも頭に装着している白の三角頭巾。日によって赤や黒になったりするのだが、基本は白だ。
ついでに、たわわに実った果実は服越しからでも圧倒的な存在感を放っている。
「う、うむ。おはようフランカ。今日も一段と可愛いよ」
どんよりとした気持ちも晴れ晴れとさせる元気百倍の挨拶。
その声に少し動揺するも、素早く紳士モードに移行。こちらも朝の挨拶を返す。
「もう、ユウさんったらまたそんなお世辞言って……。ほらほら、開店の準備に入ってください」
茶髪の少女――フランカは呆れたように眉尻を下げると、紅潮した頬をぷーっと膨らました。
――カワイイ。
朝一でこんな天使の御尊顔を拝めたことに、俺は全力で神に跪く。そして盛大な感謝を。
「にしても、今日も早起きだな。相変わらず、そのお掃除コスチュームもブレてないようだし」
「こ、これは“お掃除こすちゅーむ”なんかじゃありませんっ! 何度も言ってますが、立派な制服なんです!」
「そして早朝お掃除で俺を笑顔で出迎えてくれるとは……。くうぅ〜、どこまで真面目で健気なんだフランカ! マイエンジェエエエエルッ!!」
「い、いい加減、からかうのは止めてくださいよ! それよりも、ユウさんは店先の看板とかの手入れを早くしてきてくださいっ!」
“そんな君にゾッコンです”、という意味合いを込めたポーズを決め、フランカにサムズアップする俺。
流石にこれ以上言っても無駄だと判断したのか、フランカは呆れたようにプイッと顔を背け、壁際に立てかけてあった箒を取りに行こうとした――その時、
「ごめんくださぁい」
一階の玄関である緑色の扉が三回ほどノックされた。
「は、はーい! ただいま開店しますので、もう少々お待ちくださーい!」
少し反応が遅れて、フランカは声の主に声を投げ返す。
俺は小首を傾げた。
「あら、今日はどうしてこんなに早いの? 昨日予約してた人とかいたっけ?」
「それよりも早く出なくちゃ! あわわわ、まだ掃除もちゃんと終わってないのに……どうしよう」
途端に焦り始めるフランカだったが、お客様精神溢れた彼女は迷うことなく掃除を放棄(箒だけに)。腕組みする俺の腕を強引に引っ掴み、店の玄関に赴いた。
――ああ、フランカ。強引な君も……結構アリだね。
フランカの新しい一面を垣間見れて和んだ俺は、いよいよ仕事モードにシフトする。
「じゃ、開けるぞ」
「はい! 今日も一日よろしくお願いします!」
お互いに一礼。
そして、カランカランと年期の入ったドアベルが甲高い音を上げ、来客を招き入れる。
「「いらっしゃいませ! 便利の旗印、何でもお道具店・『LIBERA』へようこそ!」」
俺とフランカはいつも通り、マニュアル通りの掛け声に合わせて深々とお辞儀をした。
そう、そして今日もここから、俺の充実したバイトライフは幕を開けるのだ!
――――瞬間、糸場は我に返った。
「って、ちがぁぁああああああああああああう!!」
「ほえ?」
俺の隣にいるフランカは、きょとんとした表情で俺を見上げてくる。
「……………………」
一方、二人の眼前に立っていた客人は俺の叫声に驚き、腰を抜かして唖然としていた。
赤い頭巾帽子で頭を包んだ初老の女性。それが、本日最初の来店客だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ラマヤ領、ポルク村付近にある一本の街道――リカード王国へと通じる『リカード街道』の道中には、一際人の目を惹く一本の大きな木が立っていた。
その下に、それはある。
異世界の何でも道具屋、『LIBERA』として――。