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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第一章  普通でない日常の始まり
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第17話 『三人目の子羊:おっちょこちょいな旅人』

 さて、困った……。


 一応女性の元までやって来たものの、そこで俺は思い悩まされる羽目におちいっていた。

 別にコミュ障だとか、女性に対しての気恥ずかしさとかではない(まぁ、全く無いと言えば嘘になるが……)。仮にそうだとしたら、毎日『LIBERAリーベラ』で接客するなんて到底無理だろうし、普段からフランカにキャッキャウフフでアレ的な仕打ちもできないだろう。


 違うのだ。そうではないのだ。

 もっと単純で明快なものが、男性の――特に思春期も終わりに差し掛かっている純情な少年の情欲をもてあそんでいるのだ。

 それは何かと言うと、


 どうしてこう……ねぇ……あなた様はそれほどまでに卑怯ひきょうで素晴らしい造形をなさったのでしょうか神様……。


 尻。ヒップ。臀部でんぶ御居処おいど――。

 人によっても呼び方は様々だと思うが、とにかくそういうことである。


 おそらく武具やら装飾品やらをもっと近くで拝みたかったのだろう、俺がその場へ着いた時、女性は膝に両手を付いて腰を屈めていた。それ故に、女性が秘める二つの武器の内の一つ――一般大衆的に“桃”と称される例の双丘が惜しげも無く突き出されることになったのだ。

 また幸運ふうんなことに、女性のプロポーションが美しいせいで、ローブ越しにでもくびれのキュッ! と“桃”のボン! のメリハリがはっきりと見て取れる。それに時々左右にプリプリ動きやがる。

 うーむ、実にけしからん。


 ……しかし、ただこうして憂慮ゆうりょする素振りを見せつつ、女性の無防備な姿をチラ見して興奮するのは実に実に変態的で犯罪的なので、俺は手っ取り早く用を済ませることにした。


「……あ、あの〜」

「――ッ!」


 ビクッと、女性は驚いた様子で直ぐ様こちらへ振り向いた。

 咳払いを挟み、若干遠慮がちに声をかけてみたのだが、それほど驚くものだろうか。

 ……確かフランカと初めて出会った時もこんな感じで驚かれた記憶がある。背が若干高いせいもあるかもだが、俺は女性に不審がられやすいのだろうか。だとしたらちょっとへこむな。


「は、はい。……なんでしょうか」


 素早く居住まいを正し、はにかんだような笑みを見せる女性。

 しかし、そのフードの隙間から覗かせた口元を見ると、こちらに気を遣っていることは明らかだった。


「あ、えーっと……そろそろお連れの方――村長がお帰りになるらしいので、その報告をしに来た次第なんですけれど……」


 女性の反応に影響されたのか、なぜか妙に気恥ずかしくなってしまう。結果的にコミュ障みたいな喋り口調になってしまった。


 ダァーッ! これも全部あんな卑猥ひわいな造形物を見てしまったせいだ! なぜあなた様は私目にあんな仕打ちをなさったのですか神様! ヒーップ! ヒーーップ!!


 一頻ひとしきり脳内で喚き立てると、俺はかまど付近でボッフォイと団欒だんらんしている村長の方へと振り返る。


「どうしますか?」


 女性はわずかに黙考すると、今度ははっきりと笑ってみせた。可愛らしい笑みだ。


「はい、ありがとうございます。でもウチはもう少しだけここで色々と見ていたいので、まだそちらには戻れないと思います。……ダメでしょうか?」

「い、いえいえ全然大丈夫だと思いますよハイ!」


 俺がブンブンブンブン!! と激しく首を横に振ると、女性はホッと胸を撫で下ろす。


「じゃ、じゃあ村長には、『まだもう少しだけかかりそう』という風に伝えておきますね」

「すみません、お手数をおかけします。あ、あと『そんなに時間はかからない』ということも付け加えてくださってよろしいでしょうか? あまりご迷惑をかけるわけにはいきませんので……」

「う、承りましたッ!」

「よろしくお願いします」


 身を固くして敬礼すると、女性は緩めた表情をそのままに軽くお辞儀をした。


 まったく、村長の爺さんと言いこの人と言い、さっきから調子狂わされっぱなしだな俺……。


 するとその時、自然と脳裏に浮かび上がってきたのはフランカの笑顔だ。

 フランカも、俺に対してはいつもこんな気持ちなのだろうかと思慮しつつ、これからはちょっとイジワルをひかえてみようかなと反省してみたりする。……けど止めんがな。

 そんなことをぼんやりと考えながら頭を掻いていると、ふと眼前で佇立ちょりつする女性の全姿が視界に入った。


 つい先程まで全く気付かなかったが、スッと背筋を伸ばすとかなり長身の女性だ。下手をすると、俺より数センチ高いのではなかろうか。

 そしてそんな美丈夫びじょうふを覆い隠す、もはや彼女の代名詞とも言える暗緑色のローブ。時折彼女の動作に合わせて柔らかく且つしなやかに動く様子から、布地の材質はかなり高等と見て取れた。


 また、そんな高等な布地に見合う――いや、おそらくそれ以上の輝きを秘めるのはフードの奥に潜んでいる彼女の容貌ようぼうだ。

 フードの隙間からゆらりと垂れる赤朽葉あかくちばの横髪もさることながら、この『ファクトリー』の薄闇の中でも爛々とした輝きを失わないザクロ色の灯火が二つ――。全体的な容貌は未だ判然としないが、それだけでもやはり彼女を“容姿端麗”と呼ぶに相応ふさわしい条件は十分に整っていた。


 はぁ……こういう風に人を観察して値踏みしまうのももう癖なのかねぇ。嫌な癖だな。最近かなり癖付いてるってことは……お? これってもしかすると、いわゆる“職業病”ってやつじゃないのか?


 などとぶつくさ独りごちていると、突如眼前で静止していた女性のローブのすそが忙しなく動き始めた。


「あの、まだ何か……?」


 困惑の色を含んだ女性の声で我に返ると、そこには声色と同じく困ったような表情を浮かべた女性が。


 ぬぉわーーッ!! そりゃ女性の全身眺め回しながらぶつくさ言ってる男の人がいたら誰でも引くわー! だって今俺も俺自身に引いてるもんね! まったくどうしようもない変態でゴメンナスァイッ!


 シュババババ!! と俺の両腕は現状を誤魔化すための必死のポーズを編み出し、また脳内では同時進行的な処理として、この場に最適な言い訳を考えだそうとフル稼動かどうしていた。現代っ子の悪い癖だよね、これ。


「え、えっと、あのですね……つまりそのぉ……」


 だが、現状を納得させられるような上手い文句は何一つ浮かんでこず(単にボキャ貧というのもあるが……)、そろそろ言い訳を思い付くまでの間も窮屈になり、女性の瞳は徐々にいぶかしさを帯び始めてくる。

 と、


 ――そこでふと、俺は女性の真後ろで無造作に陳列ちんれつしてある武具や装飾品に目が留まった。


「……あ、あ! そそそうなんです! いやぁ、随分と熱心に武具やら装飾品やら見られてたから、そういうのに興味あったりするのかなぁ~って!」


 それらを指差し、俺は如何いかにもワザとらしい口振りで苦し紛れの演技いいわけを講じた。

 すると女性は俺の指先を追うように、その指し示された真後ろへと振り返る。

 そして、


「……ああ、実はそうなんだよ。どうもウチは、この武具や装飾品に目を奪われてしまったようでね」


 訝しさを帯びかけていた瞳は元の輝きを取り戻し、口元には例の可愛らしい微笑みと若干のほころびが見えた。


 よ、よし、なんとか話をらせることに成功したようだな……。ふぅ、ナイス機転だぜ。グッ!


 内心で小さくガッツポーズを決め、思わず安堵の吐息を漏らしてしまう。

 その時、女性は何かに気付いたのか、口元を手で覆うような仕草を見せた。


「……っと、失礼。思わず言葉遣いが乱れてしまった」


 え? さっき何か下品なこと言ってたっけ? と、先程の女性の言葉を脳裏で反芻はんすうしてみるが俺には理解できない。

 しかし女性が気まずそうに視線を横に逸らしているので、俺はやんわりとした口調でこう言ってみる。


「別に構いませんよ? それがお客様の話しやすい話し方なのであれば、それで大丈夫だと思います」


「俺は気にしてませんので」とおまけに愛想よく笑ってみせると、女性は少し驚いたような表情を形作ったがやがて崩れ、可愛らしい微笑みへと次第に綻んでいった。


「……ありがとう。――ではお言葉に甘えて、そうさせていただくとしよう」




「で、お客様は武器とか装飾品などに興味があったりするのですか?」


 同じことを再度問うと、女性は「うーん」とあごに手を当ててしばし黙考した。


「別に、そこまで思い入れとか興味があるわけじゃないんだ。……ただ、ここに置いてある武具や装飾品は、ウチがこれまで見てきた様々な物の中でもかなり洗練されていたからね。はっきり言って、魅せられてしまったんだよ」


 そう言うと、女性は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。まるで、未だ大人になり切れていない自分を自嘲じちょうするように。

 俺も女性の隣に立ち、同じように武具や装飾品に目を走らせてみる。


「むぅ……洗練されてるとかそうでないとか、やっぱ俺には全部無機質な鉄の塊にしか見えん」

「ははは。まぁ、とにかくここの技師――あのたくましい体躯を持つ御仁ごじんの腕が良いことだけは間違いないだろうね」

「えー? そうっすかぁ? あんなヤツ、ちょぉーっと鍛冶師としての腕が良いだけで、実は愛想なくてぶっきらぼうで口悪くておまけに長年の引きこもり生活のせいで恥ずかしがり屋だし、実はそういう陰気なクソジジイなんですよ?」


 どうもボッフォイが他人から称賛されるとしゃくさわる。それは今日、初めてボッフォイと分かり合えたような仲になっていたとしてもだ。

 あいつは、あのデカい図体でも収まりきれないほど、多くの人たちから称賛を集めている気がしてならない。ここは一つ、あいつがあまり調子に乗らないためにも親切な印象操作をしてやらねば。


 大袈裟おおげさな身振りで俺は両手を上げ、呆れたように首を横に振ってみせると、女性は何か可笑しかったのだろうか、クスリと優しく微笑んだ。

 そして俺のボッフォイへの印象操作わるぐちは取り合わず、「それに……」と言葉を続け、


「見慣れている、そうでないというのもあるよ。ウチは職業柄、たまたまそういった物を目にする機会が多かったというだけだ」

「……ん? と、仰いますと?」


 俺が言葉の意味を理解するのに数秒費やしていると、女性はハッと何かを思い出したかのようにこちらを振り返った。


「ああ、済まない。そう言えば、君にはまだ、ウチのことをこれっぽっちも喋っていなかったね。てっきり話したものだとばかり思い込んでいたよ」


「いやあ、失敬失敬」と、女性は胸の前で両のてのひらを合わせ、再び自嘲するような苦笑を口元に浮かべてみせる。

 それから、一呼吸の間を空けると――



「ウチは、中央大陸にある世界最大の王国『オーティマル王国』に籍を置く――――魔術師だ」



 合掌がっしょうした手の内の一方を優しく胸に添え、そう短く言い放った。

 ああどうりで、と俺は失礼ながらもう一度彼女の全身を眺め回す。


 頭からフードを被ったり、“ローブを全身にまとう”という着飾りは、魔術師、ないしは魔術と強い結びつきがある一族や専門家、宗教団体などが好んでするものである――。

 これは数週間前、俺がこの世界について勉強していた時にも、確かそのことについては何かの歴史書に記されていたはずだ。

 俺は彼女が『ファクトリー』に来た時点で、おそらくそうではないかと推察していたのだが、どうやら的中したようである。

 ま、これまでにも魔術師のお客さんは何人も来たしな。


「ってことはまさか、王宮直属の魔術師だったりするんですか? それに中央大陸の魔術師は、最近じゃあセリウ大陸の魔術師とも比肩ひけんできるほど成長してるって聞きますけど」


 これは、ついこの前『LIBERAリーベラ』に来店したお客さんが言っていた情報だ。

 フランカもフンフンとうなずきながら、その来客と長々時事について語り合っていた記憶がある。


 と、女性は軽く鼻を鳴らした。


「いやまさか。ウチはあくまでオーティマル王国に籍を置いているというだけで、“魔術師”として何らかの組織や派閥に属しているわけではないよ。まぁ、そういう点から見たら在野の“放浪魔術師”ってことになるのかな。ざっくり大まかに言っちゃえば、だけどね。一応ウチの知り合いにも似たような感じの同僚ヤツがいるし……」

「あ、そうなんですか」


 コクリ、と女性は頷く。


「でも確かに、ここ近年中央大陸の魔術の精度が向上しているのは事実だよ。何があったのかは知らないけど。ウチとしては、元々この世界における五つの大陸を総督そうとくしている所なんだし、あまり不思議ではない気もするんだけどね……。とは言いつつも、やっぱりセリウ大陸の魔術文明は、他の大陸に比べて頭一つ飛び抜けてるしねぇ……」


 両腕を組み、「う~ん」とひねりながら熟考じゅっこうし始める女性。

 見かけの第一印象としてあまり口数の少ない人なのかと思っていたが、全くの見当違いのようだった。

 特に魔術のことに関するとご覧の有り様だ。職業柄、というのも勿論あるだろうが、他愛のない魔術の雑談にこれだけ真剣に悩めるということは、『魔術』に対して興味や好感を持っているという良い証拠だろう。


「……ところで君、そんなことよく知ってたね。魔術師でもなさそうなのに。そういったことに興味があったりするのかい?」

「い、いやぁ、これはただこの前来店したお客さんがたまたま話していたことでして、はい……」

「ははは。ああなるほど、そうだったのか」


 俺のあまりはっきりとしない物言いに、女性は酷く納得した様子で快活に笑った。


 …………うん、なんか……なんかね、ボクは今、他人の受け売りをさも自分の考えであるかのように喋ってしまった気分なんだよ。でも嘘はつけないじゃん? 『いえいえ。魔術師でなくとも、世間の情勢に常日頃から関心を抱くのは、私ぐらいの歳にもなると当然のことかと』とかサラッと言えないじゃん? ……うん、だからつまり何が言いたいのかって言うとね――恥ずかスゥィッ!!


 そうして暫し赤面していたが、ゴホンゴホン、と咳払いを挟んで俺は気を取り直す。


「でも“放浪魔術師”かぁ……。各地で困った人を助けたり、気の赴くまま自由に旅をしたりって……なんかこう“流浪人”みたいでカッコいいな。――あ、そうか。組織や派閥に属してないから、だから知人探しも行動に幅が利いたりするのかな……」



 と、言い終えてしまった時は既に遅く――。

 ハッ、と息を呑み、俺は咄嗟とっさに手で口元を覆った。



「……………………」


 恐る恐る、チラリ、と横目で相手の様子をうかがう。

 するとそこには、やはり驚きの念を隠し切れない彼女の表情があった。が、しかし。直ぐに口元を緩めると、何事も無かったかのように口を開いた。


「……あぁ、なるほど。村長さんから聞いたんだね? ははは。いや済まない、どうやら気を遣わせてしまったようだね……」


 フードの奥で見え隠れしているザクロ色の瞳が僅かに細められる。

 女性は静かに口を開き、言葉を続けた。


「別に構わないよ、事実だから。……そう、ウチは今、とある人物――知人を探しているんだ。中央大陸を出て広大なセリウ海を一ヶ月もかけて渡航し、そしてこの地に降り立ったのもそのためだしね。ははっ、そう考えると、先程君が言った“旅人”というのは存外間違ってもいないらしい」

「……その、なんでセリウ大陸なんですか……?」


 躊躇ためらいがちに質問をしてみると、女性は満足そうに大きく頷いた。


「うむ、良いところに着眼しているよ。実は、その探している知人がセリウ大陸にいるという情報を掴んでね、同僚――ああ、“知人探し”に協力してもらっているウチの知り合いの魔術師なんだが、同僚は先に来ていて、おそらく……三日ほど前かな? それぐらいにラマヤ領へ到着しているはずなんだ」

「……こ、こんなこと聞いていいか分からないんですけど……あの…………そ、その知人さんって、やっぱり、行方不明だったりするんですよね……?」

「…………」


 それに対して女性は何も答えず、ただ首を小さく縦に振っただけだった。

 俺は後ろ頭を掻く。


「じゃ、じゃあその“知人探し”に協力している同僚さんと、連絡とかは取れたりしないんですか……?」

「…………いや無理だろう。まず手段がないし、遠くにいる相手と意思疎通やりとりできる“魔道具”もあるにはあるが、おまけに一文無しときたもんだからね……。ウチはウェズポートに着いてから七日かけてここまで来たんだが、その道中でちょいとやっかいな出来事に巻き込まれたりして……。持っていた背嚢はいのうと全財産である路銀を失ったのもその時なんだ」


 女性はローブの両端をつまんで左右に広げて見せ、苦虫を噛んだような微笑を浮かべた。

 さらに彼女曰く、ここへ来る途中、空腹のあまり道中で行き倒れていたらしいのだが、たまたま通りかかった親切な人が介抱してくれたおかげで、なんとか一命を取り留めたらしい。


「……うん? でもウェズポートからここまでって、距離的に七日もかからない長さじゃ――」


 その時。

 女性が激しく「ゴホン!! ゴホン!!」とせ返った。それによって、俺の言葉が途中で途切れてしまう。


 そして女性は薄っすらと頬を赤く染めると、つつましやかに「コホン」と咳払いを挟み、


「失礼。気管に唾が。……と、とにかくウチはそういった事情でセリウ大陸に来て、“知人探し”をしているんだよ」

「あ、あの、失礼だとは思うのですが、その人の写真――ああ、絵とか持ってたりしないんですか? 何かのお役に立てれば、と思いまして」


 うっかり元の世界の知識が出てしまう癖は、一ヶ月経った今でも中々治らない。一応努力はしているのだが……。


「ありがとう。……でも生憎あいにくと、今それが手元に無くてね。確かウチの同僚は常に携帯していたはずなんだが……。まぁ、気持ちだけでも嬉しいよ。――ありがとう」


 そう二度謝礼されて、頭まで下げられた。

 俺も彼女につられて頭を下げる。


「…………」

「…………」


 暫しの間、静寂が場を占めた。

 次に何を話せばいいのか、どう切り出したらいいのか、お互いに考えあぐねていたからだ。

 俺は斜め下に視線を逸らし、彼女は目を伏せている。


 ――と、その時。

 ここより少し遠い場所から、村長の高らかな笑い声が耳に響いた。


 彼女は、また例の如く小さく微笑んだ。


「……湿っぽくなってしまったね。……そろそろ戻ろうか?」

「あ、そうですね……。意外と話し込んでいましたね……」


 申し訳ない、と再度頭を下げると、彼女は首を横に振り頭を上げるよううながした。


「いや、君が謝ることなんて何一つないよ。気にしないでくれ。……寧ろ最後まで真摯しんしに聞いてくれて、どうもありがとう。悪いのは全て、つまらない私事の話を切り出し始めたウチにあるんだ」

「あ、いえそんな……」


 自嘲気味に語る女性は、村長とボッフォイの待つ竈付近の方へと足を向ける。

 突然だったため、反応が少し遅れた俺は急いで彼女の背中を追った。


 コツコツ、コツコツと。

 悠然ゆうぜんとした調子で規則的なリズムを刻む靴音と、一方で焦燥しょうそうとした様子で不規則なリズムを奏でる靴音――。

 そんな二つの音色は、周囲の薄暗い空間に反響しては消え、反響しては消えを繰り返した。ほんのりと熱気を纏う大気は、まるでそれが役目だと言わんばかりに、それらを優しく飲み込んだ。


「…………」

「…………」


 会話は特になかった。

 ――ただ、俺はどうしてもこれだけは言っておかなければならないと思った。


「……あの」

「ん? なんだい?」

「あの、その…………本当にお役に立てなくてごめんなさい。“知人探し”のこと」


 僅かに後ろを振り向いた女性は、驚き半分呆れたように肩を竦める。


「……もうその話はいいよ。先程も言っただろう、全て私が悪いと。だから、君は気にしなくて大丈夫さ。…………うむ。では、また何か頼みたいことができたら、その時は君に頼むとしよう」

「はい……。あの、“魔道具”ならお貸しすることは……フランカに聞けばなんとか――」

「まさか。そこまでする必要もないよ」


 そう言うと、女性は軽やかに笑ってみせた。


「…………っ」


 ――それでも。


 俺は、これだけは言っておかなければならないと思った。



「早く見つかると良いですね、その大切な知人さん」



「――――!」


 それを聴いた女性は。

 こちらをもう一度振り向くこともなければ、規則的に刻む靴音のリズムを乱すこともない。

 ただ――フッと、口端から微笑をこぼした。


「……優しいんだね、君は。まるで……アイツを見ているようだよ」

「……アイツ? そ、それはどういう意味ですか?」


 俺は発言の意味を分かりかねる。

 しかし女性は俺の質問には返答せず、代わりに自分の質問をこちらへ寄越した。

 今度はきちんとこちらを振り返って。


「…………ねえ。君の名前を訊いてもいいかな?」

「ここでまさかの!? ……って、急にどうしちゃったんですか」


 思わず素の突っ込みを入れてしまったが、どうやら女性はそれで我に返ったようだ。


「いや済まない。いきなりで驚かせてしまったね。と言うのも……ウチにはどうも、君が今探してる知人とどことなく似てるような気がしてならなかったんだ」

「お、俺がですか……? その知人さんと?」

「ああ。だからウチは、是非そんなそっくりさんのお名前をお訊きしておこうかと思ってね。まあ、勿論無理にとは言わないけれど……」


 ふ、ふぉぉ……! 年、年上の美人なお姉さんっぽい人から名前聞かれるとか初めてだーッ! つーか異性から興味持たれたの初めてだーッ!(泣)


 欣喜雀躍きんきじゃくやくとは、今日この瞬間の俺を指すために生まれた言葉ではなかろうか。

 喜んでお教えしますとも! と俺は感涙を拭き拭き、シャキッと背筋を伸ばし、女性の方へ向き直った。

 そして胸に片手を添え、紳士モードに移行――。


「私、異郷の地――ここより幾千里もかけ離れた極東の地で神からめいを授かった者。名を、糸場有と申します!」

「イト……バユウ……? 随分と変わった名前をしてるんだね。服装もそうだけど……」

「何かお困りの際は、気軽に『イトバ』とお呼びくださいませ」


 異世界ここの住人に対する対応もそろそろ板についてきたな……。


 来店した異世界の客人にドギマギしていた、まだ“店員見習い”だった頃の自分を想起し、俺はしみじみとそう思う。


「イトバ……イトバ……イトバ…………。うむ、覚えたぞ。『イトバ君』だな」


 や、やべぇ……。ちょっと俺、泣いていいっすか?


 麗しい女性に名前を呼ばれたことで、またも感動に打ち震える俺。

 すると、女性はそんな俺の反応にクスリと、例の可愛らしい微笑みを口元に浮かべる。

 暗緑色のフードの奥、赤朽葉の前髪の奥で揺れ動く、ザクロ色の瞳も例によって細められ、


「コホン。……では、改めましてイトバ君。ウチ――いや、わっちの名前は――――」



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