第15話 『忘れじの記憶』
……もう何も言いません。
しかし一言だけ、大変長らくお待たせ致しましたと、お詫び申し上げます。
「――なあお前、“家族”っているか……?」
「いやだから話聞けよッ! お前は天然か!? 天然なのか!? ……いや、もうここまでくるとお前は天然だよ! 天然の代表例と言えばフランカだけどなぁ、あいつのは天性的な個性みたいなものだから許されるんだよ! てかぶっちゃけ可愛いから許されてるんだよッ! それを筋肉ムキムキなウルトラヘイトマッスルジジイが一時的に演出したところで、一体誰得なんですかええ!?」
俺は最後の力を振り絞り、ほとんど掠れ声になりながら言いたいことを早口で捲し立てる。ニュースキャスターも舌を巻くほどの滑舌に加え、俳優も度肝を抜くほどのセリフ量でだ。
「……………………」
「…………で、何か言ったか?」
そうして開いた堰から自分勝手な暴論を一方的に吐き出し終えた結果、俺の溜飲は波が引くように下がっていった。
しかし少々感情的になっていたことで、先程ボッフォイが何かを言っていたはずなのだが、完全に内容を忘れてしまっている。自分で言うのもなんだが間抜けだ。あんぽんたんだ。そうだ、ここは一つテヘぺロ☆……って、いや何か違うな。
「…………」
「…………」
――再び場に静寂が募り始めている。誰も声を発しなくなったからだ。
バスケットの底が見え、いつの間にやらハムカツ玉子サンドも残り僅かとなっていた。
あぁ、俺の元気の源、もう無くなってしまうのか……。
涙を拭き拭き、俺はサンドイッチを惜しむように口に含み、一人でなんやかんやと思考を展開して盛り上がっていた。その一方で、ボッフォイは未だ何かを躊躇うように口を閉ざしている。
「…………っ」
だがそれは決して深刻な様子などではなく、どこか戸惑っている、あるいはもっと多角的に印象づけると、照れ臭そうにしているようにも見受けられそうだ。
――と、
「……家族はいるか、と聞いたんだ」
心が決まったのか、しばらくしてボッフォイは重々しい口を開くように、ボソッとそう呟いた。
しかし声量はか細く、おまけに側頭部の禿頭を摩りながらそっぽを向いている。普段の厳格さなど微塵も感じられないほどなよなよしい。
ぼ、ボッフォイさん……?
「……な、なんだよ、藪から棒に……」
ボッフォイの異様な様相もそうだが、質問の内容もやけに突飛なものだったので、俺は思わず聞き返してしまった。
そんな要領を得ない俺に苛立ちを覚えたのか、ボッフォイは軽く舌打ちをする。が、その反面、先程よりも乱暴に側頭部の禿頭を摩り、余計に気恥ずかしそうに俯いた。
身長三メートルを優に超す大男が背中を丸めて縮こまり、さらに肩を竦めて縮こまったことで、よもや彼は凶猛なクマなどではなく、寧ろそれに怯えるリスのようだ。
「さ、差し支えがあるならいい。聞き流せ」
憮然とした態度で短く言葉を言い捨てると、ボッフォイはまたプイッとっそっぽを向いてしまった。
それに対して俺は何も言わず、かと言って何もしない。
ただ――
口に運ぼうとしていたサンドイッチが俺の手からスルリと抜け落ち、そのまま石畳の床へと墜落した。
い、いつものボッフォイじゃない……!
誰だお前。明らかに別人ではないか、と。
たった今そこにいる人物が、本当にボッフォイ=レーベンなのかと疑わざるを得なかった。
何と言えばいいのか――そう、今のボッフォイの挙動・態度にはいわゆる、“乙女”に近しいものが内包されているのだ。そういう雰囲気を纏っているのだ。
俺は愕然とした。
そりゃそうだ。もし万が一、こんなむさ苦しい筋肉ジジイに突然『乙女スキル』なんて発動されてはたまったもんじゃない。ただでさえ風貌がおっかないのに、そこに輪をかけて危険度を助長されては、より一層近寄り難くなってしまう。ていうか、正直そんなヤバい輩には金輪際関わり合いたくない。
ましてその“『乙女スキル』を会得したボッフォイ”を想像なんてするものならば、先程から食べ続けてきたフランカ特製のサンドイッチをオールリバースしてしまうだろう。今でも少し危ないくらいだウプッ……。
生憎ではあるが、俺はそっち系の趣味の御方の考えを理解できるほど寛容ではない。
それに、これに限らず今日のボッフォイ――特に俺が武具の山から這い出てきた後辺りから――は何かと様子が変だ。
そもそも、今日に至るまで犬猿の仲だった俺とボッフォイが、今こうして隣り合って談話している時点で不可思議なのだが……。
やはり、“顔馴染み”と称していた客人との会話がキッカケになったのかと勘繰るが、本人はその話題についてはあまり踏み込まれたくないようなので自重する。
それでも、わざわざ鍛冶作業の手を止めてまで昼食の話し相手になってくれたり、自分から話題を持ちかけてきたりと、これらは全て彼の性格から鑑みればまず有り得ないことだ。
「…………」
「…………」
――だからこそ。
もう少しだけ、この時間と付き合ってみようかな、と俺は思ったりする。
「……いるよ、俺にも。家族」
「……!」
しんしんと、まるで雪のように降り募る静寂は二度目。
音は無く、ただほんのりと冷たい空気が時折肌を撫でる程度の優しい静寂で、俺はそれを打ち破った。
ボッフォイはほとんど反射的に顔を上げると、あまり悟られない程度に、俺の方へ驚いたような眦を向けてくる。
どうも反応からするに、とっくに聞き流されていたと勘違いしていたらしい。
失礼な奴だ。俺がそんな薄情な男に見えるのだろうか……。
「まぁ、と言っても今は離れ離れだけどな。言うまでもなく。一度俺が異世界に来てしまった以上、帰る手段を突き止めるか、もしくは俺をこの世界に召喚した輩を探し出して直接聞き出すことでもしない限り、おそらく一生会えなくなると思う。……当たり前のことだけどな」
声は存外にも高く反響した。
パチパチと、不規則に弾ける火の粉と共に、俺の声だけが段々と紡がれていく。
すると、横合いから黙って静聴していたボッフォイの声が飛んできた。
「確か……『ニホン』、だったか。お前のことに関しては、あの御方から大体の説明を受けている。遠い異郷の地から、ある日突然召喚魔術でこの世界に呼び寄せられたらしいな」
そう言いつつ、禿頭を摩るボッフォイ。相変わらず抑揚のない、素っ気ない物言いだった。
……が、いつもとはどこか違った声音。どこか違った雰囲気をその言葉は纏っている。
利口且つ空気の読める俺は、そういった微妙な差異に気付けるからこそ、話を前に進めることができた。
「そうそう、そうなんだよ。ってか、そもそも異世界に来たキッカケがひょん過ぎて傑作なんだけど、実は深夜のコンビニバイトの途中でさぁ――」
と、間抜けな俺はそこで気付く。
ボッフォイに現代の知識が通用しないことを。
「…………?」
案の定、ボッフォイは鉄製の仮面に、例の湾曲した模様の装飾を施したまま固まっていた。
俺は大きく咳払いをする。
「と、とにかく、俺にもちゃんと家族はいるんだよ。今年の春に独り立ちして、実家暮らしじゃないにせよな。……てか、誰でもそういうもんじゃないのか?」
ボッフォイの方を見、俺はそう問いかけるが、しかし彼は俺の方になど興味を示していなかった。
一瞥もくれず、ただ静かに眦を細め、どこか別の方向の“何か”を悠然と見据えている。
遠い遠い、それはもう手の届かないようなところにある、そんな遥か彼方の光景に想いを馳せるような――。
「……兄弟は? 姉妹はいるのか」
憮然とした声でハッと我に返ると、ボッフォイがいつもの辛気臭い表情でこちらを見下ろしていた。
なんでさっきの質問は無視するんだよ……。
愚痴を吐きたいところだが、ここは敢えて自重する。
「いねぇよ。両親からたっぷりの愛情を注がれて育ってきた、温室育ちの独りっ子ですよ」
自嘲し、俺は皮肉を交えながらぶっきらぼうにそう言い捨てる。
“温室育ち”とは一聴聞こえが良いかもしれないが、あれもあれで色々と苦労するのだ……。
「両親は……そうか。片割れではなく、二人とも揃って健在か……」
「ちょ、サラッと不躾なこと言わないでくれます!? 俺ン家はそんな訳ありじゃねぇよ! ごく普通のありきたりな一般家庭なんでどうぞご安心を!」
「…………そうか」
暫し間を置いて短く言葉を告げると、ボッフォイは再び黙りこくってしまった。それはまた先程と同じく、恋する乙女が物思いにでも耽っているような表情で。
俺はそんなボッフォイがいよいよ奇妙に思え始め、
「お前……今日は何か変だぞ」
すると、ボッフォイは口端をほんの少しだけ緩め――そう見えただけかもしれないが――笑った。
「そうだな……。今日の俺は、少し変だ」
どこか嬉しそうな調子でそう言った。
俺としては、是非ともその笑顔の真意を訊ねてみたいものだが、今の安穏とした雰囲気を崩してまで言及するのは野暮というものである。そうなると、どうやらここが会話の終着点らしい。
喉を掻きたくなるような衝動を抑え、「変な奴だな」と結論付けて、そこで随分前にサンドイッチを床に落としていたことを思い出す。
台座に座ったまま身を屈め、俺はそれに手を伸ばし、拾い上げたところで――――ふと、思った。
“そういえば、家族は今頃どうしているのだろうか”、と。
「…………」
言われてみれば、確かにそうだった。
――父さん、母さん、友達、大学のみんな、バイト先の仲間や『ヤブン・ヨレブン』深夜帯の常連さん、近所の親切なおばちゃん。
こうして指折り数えるとキリがないが、とにかくそういった人達と過ごした日々や思い出を、俺は今の今まですっかり忘れていた。いつしか“元の世界”の記憶が頭の片隅に追いやられ、消えかかっていたのだ。
例えば“記憶”というのを一つの泡沫と捉えるのであれば、頭の中で無数に存在するその泡沫は日が経つに連れて色が薄まり、現状としてはほとんど全てが白色透明になっていたと言っても過言ではない。
つまり、俺はボッフォイのおかげで、危うく失おうとしていた“大切なモノ”を失わずに済んだのである。
異世界に来てから凡そ一ヶ月。
来て間もない頃は、元の世界への帰り方をあれこれ模索したり、先行きの見えない未来への不安に心を締め付けられたものだが、今では全くだ。
朝は愛しのフランカのモーニングコールで目覚め、昼はフランカと一緒に雑貨店の仕事に勤しみ、そして夜はフランカ特製の美味しいスタミナご飯を食べつつ、明日の仕事の話をしたり談笑したり。「今夜こそお風呂で一緒にフィーバーナイト!?」と聞いて尻尾でぶっ叩かれたり――。と、こんな感じで毎日がフランカパラダイスだった。
だから、無意識のうちにこの異世界での日常が普通となり、当たり前のようになっていたのかもしれない。
そして、そう認識した俺自身が過去の遺物を排斥しようと、古い記憶の真上から鮮やかな色を持った新しい記憶で塗り替えようとしていたのだ。
誰も――当人の俺ですら知らぬ間に、ゆっくりと。
「…………っ」
そう考えると、少しだけ背筋に寒いものを感じる。
前に『人の慣れというのは怖いものだ』と言ったが、ここでもそれが改めて痛感させられた。
みんな、元気にしてるのかな……?
大切な人たちの容貌が、次々と頭の中で思い起こされ、描かれていく。
喉の奥に物が挟まったようなもどかしさを覚えた。
さらに、考えや想いを一度脳裏へ巡らせると、心は薄藍の憂いを帯び、途端に哀愁を感じてしまう。
一ヶ月という期間は、果たしてこれほどまでに短く、濃密なものだっただろうか。
そもそも、こいつって家族はいるのか……?
チラリ、と隣を見やると、ボッフォイは槌を磨いて作業の手を再開させていた。いつもの憮然とした表情を引っ提げて。
この様子では、たとえ聞いたとしてもおそらく返答は返ってこないだろう。そういう態度だ。
はぁ、と小さな嘆息を漏らし、「……あれ、今さらだけどこいつなんでフランカのこと『あの御方』とか呼んでんだ?」と思ったところで、俺の灰色の脳細胞が天才的な推論を導き出した。
そうか、だから俺にそんな質問を……! まさかとは思っていたが……こいつ、フランカのことを――
「済まなかったな、辛気臭くしちまって。今の話は……忘れてくれ」
と、不意にボッフォイがそんな言葉を投げかけてきた。
チラリ、ともう一度隣を見やる。
やはりそこにいたのは、機械のように、しかし真剣な眼差しで黙々と槌を振るう職人の風貌だった。
「…………」
その姿を見て――。
俺はその時何を思ったのか、気付いた時にはもう既に口が開いていた。
「なぁ、お前も……お前にも、家族って――」
が、それがボッフォイの耳に届くことは叶わなかった。
なぜなら、
『ピンピンパンポ〜ン! イエ~イ!! 「亡霊種」になって三百年になるおいらからの通知だぜー!』
頭上から鳴り響く、特徴的な甲高さと有り余る活気を兼ね備えた声。
『ファクトリー』管理人であるカルドからの、訪問客の来訪を告げる一報だ。
『なにっ!? 近々魔界の門が開いて俺を冥土へ連れて行くって!? ……んまっ、そんなことは有り得ねえけどな! カーッカッカッカ!!』
…………うるせぇ。
『さてさて、おいらのすんばらすぃジョークはこの辺にしておいて、本当の通知をお知らせするぜぃ! 「ファクトリー」にお客様だ! 本日三人目の子羊ちゃん、ご案ナ~イ!』
鬱陶しい耳障りな声が遠退くと、再び“作業場”全域にゴゴゴゴゴゴ!! と微弱な地鳴りが起き始め、数多ある武具の山の一つが半壊した。
どこからか聞こえる、歯車の激しい駆動音や金属の鎖たちが奏でる摩擦音も先程と同じものである。
やがて継続する揺れは、半壊した武具の山の向こう側に拝めるレンガ調の壁面へと集中していき、不格好で粗雑な玄関をせっせと拵えていく。
――本日三人目の来客。……と言っても、カルドが俺を来客の一人として数えているみたいなので、実質的には二人目なのだが。
俺は反射的に床に落ちたサンドイッチを口に放り込み、胃袋に直行させると、台座から飛び上がるように立ち上がった。
数歩たたらを踏んで態勢を戻すと、軽く全身を叩いて埃を落とし、身なりを整える。
ボッフォイも大理石からのっそりと腰を上げると少しだけ前屈みになり、いかにも怪訝そうに目を細めてその“玄関”を睨み据えた。
――――そして、
「おっほぅ~。やはり“これ”を一人で作ったとは未だに信じ難いことじゃ。何度来ても、ここのカラクリには舌を巻かれてしまうわい」
騒音の余韻が鼓膜に張り付いて離れない中、その人物は感嘆の念を漏らしつつ、平然と壁の向こう側から姿を現した。声から察するに、ご年配の男性のようだ。
――コツン、コツンという規則正しい木製の音色が周囲に反響する。おそらく客人は御杖をついているのだろう。
しかしその客人は、土煙に塗れるのもお構いなしといった様子で、開門した玄関を慣れた動作で潜り抜けてきた。
「まぁでも、玉に瑕なのがこの玄関の砂埃かのぅ。毎度毎度、こうも服を汚されては面倒じゃわい」
至極残念そうな声を上げ、客人は衣服に付いた砂埃を払い落とす。
土煙のせいで客人の外形は判然としなかったものの、俺にはどこか聞き覚えのある、馴染みのあるしわがれ声に思えた。
――――と、
「ゲ、ゲホッゲホッ! ……な、なんだこれは。ここは一体…………」
もう一人。
客人を迎えるにはあまりに無作法な玄関を、これまた土煙に塗れながら潜り抜けてきた者がいた。声から察するに、こちらは年若い女性のようだ。
その人物は前者と違い、色濃くした驚嘆の念に微量の不安を織り交ぜた声で地下に降り立った。まるで、まだ誰にも知られていない秘密基地を見つけた子供のように。
「のぅ、ボッフォイの旦那や。発注の品はできておるかの?」
二人を纏っていた土煙が徐々に晴れていく。と、同時に二人の風姿も露わになった。
一人は俺の背丈の半分くらいの身長を持った長老で、その矮躯に見合ったサイズの質素な衣服を丁寧に着こなしている。また人生の“蓄"であろう、真っ白な顎鬚を長く垂れ伸ばし、金のモノクルが年長者特有の思慮深さと温厚さを示していた。
……が、一つだけ別の意味で特筆的なのは彼の御杖だ。素材が高級な木材であることは窺えるのだが、そのサイズが俺の身長と同じくらいで、つまり本人の身長の二倍もある御杖を所持しているという点である。
そしてもう一人は、全身に暗緑色のローブを纏い、フードで頭をすっぽりと覆っている高身長の女性だ。
そのせいで具体的な容姿までは把握できなかったが、フードの隙間からはみ出している赤朽葉の前髪と横髪、さらにその奥でキラキラと瞬くザクロ色の瞳だけで端麗な容姿を想像させた。
二人の存在を認識し、俺は思わず間の抜けた声を上げる。
「あれ? 誰かと思えば村長じゃんか」
そう、一人はポルク村の村長で、もう一人は名の知れぬ旅人――。
それが、『ファクトリー』において本日三人目となる客人たちだった。
次回の最新話更新は、なるたけ早くするよう頑張ります。
停滞だけは避けるよう心掛けるので、これからも何卒拙作をご愛顧くださいませ。