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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第一章  普通でない日常の始まり
15/66

第13話 『されど懇篤な鍛冶師』

遅くなってしまって申し訳ありません。。

まだちょっと日常的なシーンが続きそうですが、もうそろそろ第一章の佳境に入り、動きもありますので。

どうかゆったりとした心持ちで、本作をお楽しみくださいませ。

「…………悪かったな」


 もぞもぞと芋虫の如く身をくねらせ、武具の山からやっとこさい出てきた俺。

 カンカンカン! と、かまど付近で鍛冶の作業に没頭するボッフォイの背に、和解の第一声としてそう告げた。後は温和な笑みさえあれば完璧だったが、どうしても表情が引きつってしまう。

 すると、言葉を耳で拾ったのか、ボッフォイはその岸壁がんぺきのような巨躯をゆったりとした動作で背後へと振り返らせる。


 おっ、無視しない……。寡言かげんで頑固で無愛想で、おまけに憎たらしさまで兼ね備えたスーパーヘイトマッスルクソジジイのくせに、一体どういう風の吹き回しだ?


 どこか様子――と言うよりかは雰囲気の違うボッフォイに、俺はいぶかしげに眉をひそめる。

 “作業場ここ”は既に知っての通り、パチパチと薄闇に散り行く火花や、耳に障る甲高い金属音や、上階の機械の駆動音だったりと、基本的に騒音の絶えない場所だ。

 にもかかわらず、ボッフォイはきちんと反応してくれた。地獄耳なのかどうかはさて置いて、ましてや低く消え入るような声で言葉を投げかけたのにだ。

 となると、


 そ、そうか……。そういうことだったんだな。

 今まで“いけ好かない”と互いに忌み嫌い、さげすみ合っていた仲だったが、本心はそうじゃなくて、本当は仲良くお喋りしたかっただけなんだな……。

 そりゃ話し相手と言ったらお客さんぐらいしかいないし、ただでさえ『ファクトリー』は発注形式だから、“本店”の雑貨店と比べて客足はとぼしいだろうし……何より、こんな閉鎖空間に一日中コモリっ放しだったら、息苦しくもなるだろうな。

 だから、俺という身近な存在――フランカは女の子だから、腹を割って話せる同性の俺と親密になろうと、ようやく俺に心の窓を開いてくれる気になったってわけか……。ヘッ、今日はえらく素直じゃねぇかクソジジイ。ったく……誰かと親睦しんぼくを深めようとか、らしくねぇことしてんじゃねぇよ。思わず鼻から涙が出ちまったじゃねぇか。ジュルッ。


 ――想いは、届く。

 それがたった今、この場で証明された。

 一人の人間と、一人の半巨人によって。


 なんて美しい情景なのだろうか……。

 今正に、種族間の境界線を踏み越えた新たな友情が芽生えようとしている。

 生命の神秘、ここに極まれり。


 さあ、クソジジイ。友情の証として、俺と握手を――いや、もうこの呼び名は不要だったな。俺も性格タチが悪いぜ。

 コホンコホン、と俺は咳払いを一つ挟み、声の調子を整える。

 そして、


 だからさ、ボッフォイ……。


 見上げたボッフォイの顔をしっかりと見据え、ゆっくりと口を開き、


 これからあんたのこと、“爺さん”って呼んでもいいか――?



「……ん? ああ、そういやお前まだいたのか」



 にべもない。


「って、対する第一声がそれですか!? おおッ!? そもそも俺は存在すら忘れられてたのかよ!!」


 まさかの返答。

 予想の範疇はんちゅうを通り越すどころか、範疇そのものをぶち壊すレベルの返答。

 そんな返答に呆然とする暇さえ与えられず、心の奥底より急速に煮えたぎってきたのは純然たる憤怒。俺はそれに駆り立てられた。

 決して差し出した手を振り払われてもいなければ、距離を縮めて融和ゆうわを図ろうとした態度をけなされてもいないのだが――そう、それならまだ救いがあったのだが、俺はあろうことかボッフォイに認知すらされていなかったのだ。

 これでは想いがどうとか、友情がどうとか語る以前の話なわけで……。


「な、何をそんなに怒ってる……」

「うるせぇ!! 泣いてなんかねぇよ! ジュルッ! ほーれ、もう引っ込んじまったからな! ついでに歩み寄ろうとしてやった貴重な一歩も引っ込めてやったからな!!」


 珍しくたじろぐボッフォイ。頭上に疑問符を浮かばせ、俺が憤慨ふんがいしている理由がさっぱり分からないといった表情だ。

 一方で、俺はそこへ食ってかかるように怒声を張り上げる。本当に目尻に涙がまっているように見えるのは、うん、多分気のせいだ。…………気のせいだからな!?


「……? お前は泣いているのか?」

「だから違ぇって! 俺は泣いてなんか……あれ? また鼻水が出て…………。って、なんで鼻水止まらねぇんだよ!?」

「ハッ、知るか」


 ……にべもない。


 やはり種族間の枠組みを外れ、それぞれ異なる種族同士が絆を結ぶのはまだまだ先になりそうである……。

 友情締結による平和的和解、わずか数秒で呆気あっけなく崩・落ッ!


「チクショオオオオオオオオ!! 俺は……俺は信じてたんだぞクソジジイッ! お前とは、ようやく解り合えるんだって……男同士の、男にしか無い熱い“ソウル”で、通じ合えたんだって!」

「男同士の熱い“そうる”……?」

「そうだよ、“ハート”だよ“ハート”ッ! そして、この異郷の地において人類初の人外交流、未来永劫人類史に刻まれるであろう定礎かんけいが築かれようとしていた、正に世紀の瞬間だったんだぞ!? なのに……なのにィ……ッ!」

「言ってる意味がさっぱり分からん。それと仕事の邪魔だ。帰れ」

「……………………」


 絶句。

 夢のような友情は、またしても砂上の楼閣ろうかくのように、はかなもろく崩れ去った。

 こうなりゃヤケだ。どうにでもなっちまえ。


「返せッ! 時間を返せッ! さっきまでセンチメンタルになってた“純情な糸場君”を返せェェェェッ!!」


 喚き散らしながら、俺は精一杯の反抗とばかりに、周辺をピョンピョン飛び跳ねたり床をゴロゴロと転げ回る。

 石畳いしだたみの床は凸凹していて平滑へいかつでないため、角張った部分に全身が打ち付けられてそれなりに痛かったのだが……ま、多少はね。


「おい、“作業場ここ”で無暗に暴れるな! “仕事の邪魔だから大人しく帰れ”と言ったのが聞こえなかったのか!」


 これもまた珍しく、ボッフォイは語気を荒げて俺に一喝いっかつする。

 確かに、俺が暴れ回ったせいで“作業場”にある武具などに損傷が出ては一大事だ。発注依頼された物もあるのだから、危惧するのは至極当然だろう。


「バブ。ボクちん、純真無垢なあの頃に戻りたいでちゅ。謝ってくれるまで止めまちぇーん! バブゥウウウウウウウウウウウウッ!!」


 ――だがしかし、俺はその忠告に耳を貸さない。


 生後間もない赤子や物心が付く前のチビッ子などは、思い通りにならないと直ぐに癇癪かんしゃくを起こして泣き喚き、時や場所を無視して駄々をこねたりするものだが、今の俺の姿は正しくそれだ。


 しかし俺は青年、大学生である。

 オギャー! とこの世に生を受けてから十八年の月日を経て、外見も中身も立派に成長した、大きな大きな男の子だ。


 想像してみるといい。そんな大の男が目尻に涙を溜めながら奇声を発し、あまつさえ全身を麻縄で縛られたミノムシ状態モードでピョンピョンゴロゴロと暴れ回っているのだ。

 ……うん、そうだね。キモいよね。

 セリウ大陸があまりにも平穏なため、俺はついぞ“モンスター”というものに遭遇そうぐうした経験ことがないのだが、おそらく今の俺のおぞましさであれば、“それ”を遥かに凌駕りょうがすることができるだろう。


「フゥ……」


 やれやれこりゃお手上げだ、とでも言いたげな重い嘆息たんそくを漏らすボッフォイ。

 抑制の効かない俺にまなじりを鋭くし、口角を尖らせ、いつもより若干厳つい仏頂面に戻る。その様相からは、『口で言っても分からないのなら、いよいよ体で分かってもらうしかない』とすごまれている気がしなくもなかった。


「…………」


 が、ボッフォイはトサカ頭の側頭部――浅黒い肌が露出している禿頭とくとうをただ軽く叩き、さする。

 俺の方へ踏み出しかけていた足を自重するように引き戻すと、作業に戻るか、と腰の辺りへ手を伸ばし――



「――――ッ!」



 瞬間。

 キン、と。それこそ糸を横一文字に張ったような、甲走った音が周囲に反響した。


「…………っ」


 俺は息を呑んだ。いや、呑まざるを得なかった。


 なぜなら、石畳の床上をゴロゴロと転げ回っていた俺の元へ飛来したのが、あの刃渡り二十センチを誇る、先程のボウイナイフだったからだ。

 しかもそれは、たまたま仰向けとなって静止した俺の足元――敷石と敷石の隙間に深々と突き刺さっている。


 またその瞬間だけ、周囲一帯は凛とした空気に包まれた。

 それは静寂が支配したと言うよりも、緊張が張り詰めていると形容した方が相応ふさわしい。少なくとも、パチパチと竈の中で弾ける火の粉の音色が意識を傾けずとも聞き取れるぐらいには騒音が掻き消されていた。


「あっ……」


 そうしてかすかに声が漏れ出たことで一瞬間の静寂が破られると、放心状態だった俺はハッと我に返り、


「あ、あっぶねェええええええ!! 殺す気かお前はッ!? ああん!? あとコンマ数センチ斜め上にずれてたらどうしてくれるつもり――」


『だったんだ』と、がなり、喚き立てようとしたところで。


 ボスン、と寝そべっている俺の顔の真横に、何か重々しい物が音を立てて置かれた。

 それによって言葉をさえぎられてしまった俺は不審に思い、恐る恐る、顔だけそちらへ傾けると、視界の端に捉えたのは可愛らしい模様をしたナプキン――。


「……?」


 改めて目をらすと、そこにあったのは一つのバスケット。

 俺の今日の昼食――フランカ特製“ユウさんへの愛情たっぷりハムカツ玉子サンド(自称)”が入っている、あのバスケットだった。


「え…………」


 言葉を失う。それはたった今眼前にバスケットがあることも含めてだが、今し方ボッフォイに殺されかけたこともそうで、とにかく現況が上手く頭の中で処理できないでいた。

 さらに、


「ぬお……って、あれ? 縄が独りでに……」


 手足を動かし、思い切って上体を起こすと、蛇の如く巻き付いていた麻縄は俺の身体から滑り落ちるように、いとも容易たやく解け落ちた。

 結び目が解かれたようにも見えるが実際はそうではなく、それは足元を束縛していた麻縄に切れ目が入っていたことから明白だ。


 両の手を開いたり閉じたり、顔や胸や腹などを上から順に触ったりしながら、俺は身体の感触を一つ一つ確かめていく。

 ずっと縛られていたからか、まるで自分の体が自分のものではないようだった。“自由を得た”という実感は全身の神経を通して確かに得ていたものの、久々に得たその感覚にどことなく違和感を感じているのだ。


 ――目をこする。

 擦り、ふと前方を見やると、ボッフォイが竈付近にある乳白色をした巨大な大理石ブロックに腰を下ろしているのが見えた。

 そしてその右隣にある、大理石ブロックよりも一回り小さい焦げ茶色の台座を親指で指し示し、憮然ぶぜんとした、しかしそれでいて親切心の込もった声音で一言こう言った。


「そう言えばお前……昼食がまだだったろ。座れ。――――少し、話相手になってやる」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 そうして、俺はようやっと昼食に有り付けることができた。ボッフォイと共に竈の方へ体を向け、隣り合うようにして座りながら。

 とても遅い昼食だ。普段なら丁度食べ終わって午後からの営業に備えている頃合いだが、まだ昼休憩には若干の余裕があるので早めに片付けてしまえばなんとかなる。


 ――と、その前に、


「どうも、人間の糸場です」


 左胸にそっと手を置き、俺は悟りの境地に至ったかのようなご尊顔そんがんでそう告げた。


「それはもういい。さっきまでのことは水に流せ。……俺も、少し意地が悪かったと反省している」


 対してボッフォイはえらく謙虚に構え、苦々しい表情で一蹴いっしゅうする。


 ちぇっ、折角場をなごませようと話題作りしてやったのに……。“話相手”になってくれるんじゃなかったのかよ。


 どこかに落ちないものの、このまま会話が途絶えてしまえば飯の味気が損なわれかねない。かつて一読した経済学の参考書にも書いてあったが、食事というものはその場の“雰囲気”も重要視されるのだ。

 バスケットの中にあるハムカツ玉子サンドの一つを頬張り、何か適当な話題でもないかな、と思考を巡らせていた――丁度その時、俺の脳裏にとある記憶がよみがえった。


「そう言えばよ……さっきまでここにいた客人は誰だったんだ?」


 それは、ミノムシ状態モードだった俺が武具の山の中に埋没まいぼつしていた時のこと。

 その時微かに、だが確かに俺は聞いていた。ボッフォイがこの竈付近で誰かと話していたことを。

 一応補足しておくが、俺はあくまで二つの“声”を聞いただけであって、会話の全容までは把握していない。それが楽しい内容だったのか、はたまた深刻な内容だったのか、あるいは両方か……。


「……ん? ああ、あいつは、俺の古くからの顔馴染みだ」


 言葉に反応したボッフォイは、チラッと俺の方を一瞥いちべつする。

 手持ち無沙汰ぶさただったためか、ボッフォイは黒くて細長い火バサミを器用に使って竈の火を調整していた。時折竈の中から赤紫色の閃光が走り、それに合わせて火力も増減する。


「ふーん、知り合いねぇ。『ファクトリー』のお得意さんだったりするのか?」

「フッ、そうだな……。まぁ、そんなところだ」

「? 奥歯に物が挟まったような言い方だな。じゃあ、お得意さんじゃなかったら何なんだよ。腐れ縁とかか?」

「……フッ。腐れ縁、か……。あながちそれも間違ってはいないな」


 ――パチパチと、竃の中の火の粉がはじける。

 一聴すると無味乾燥にも聞こえる音色だが、実は静寂の中でも音を完全に殺さず、雰囲気にそれなりの背景音楽を提供しているのは正しくこいつだ。


「…………」


 結局、話はにごされたまま終結してしまった。

 興が冷めてしまった俺は昼食を再開することに決め、パクパクと、フランカ特製のサンドイッチを次々と口の中へ放り込んでいく。無論、口一杯に広がる美味をじっくりと噛み締めてから喉に通した。


 改めて思うが、たった数週間でよくこれだけの味を再現できたなと、俺はフランカの料理の腕前(それ以外の家事諸々も含めてだが)にただただ敬服する。

 いや、厳密に言うと、あの行き付けだった喫茶店とは根本的に材料とか調味料の配合とかが違うわけだから、これはもはやフランカの味――“メイド・オブ・フランカ”と称しても過言ではない。

 今は軽食を客人に振る舞っている程度だが、このままフランカが、


『近場で新しく店舗を展開してみましょう! 名付けて、「満腹の旗印はたじるし:お食事処・LIBERAリーベラ」! 近日ドドーンとにゅーおーぷんですっ!』


 などと唐突に言い出しても俺はうなずけるだろう。

 そうなれば、魅惑のサンドイッチに引き寄せられた客人によって毎日満員御礼、黒字の連続、繁盛しまくりウッハウハだ。


「ウッハウハ……。……うへへ……うっへっへっ」

「何をニヤついているんだ、気色の悪い……」


 気付くと、隣でボッフォイが眉間にシワを寄せ、嫌悪感を露わにしていた。

 おっと、醜い情欲が顔に出てしまっていたか。いかんいかん。

 俺は話題をらすため、敢えて大仰な身振りで咳き込んだ。


「あーあー、ゴッホンゴッホン! ……ところでクソジジイ」

「ハァ……食ったり喋ったりと、忙しない口だな。飯の時ぐらい、その騒々しさを自重しようという努力はしないのか」

「だああ! うるせぇな、別にいいだろッ! こんな辛気しんき臭い空気をブチ壊すには丁度いい話題ネタをたった今見つけてやったんだよ! 寧ろありがたく思え!」

「……それで?」

「それでじゃねぇよ。ほれ、答えやがれ――どうしてお前は俺を拘束したんだ」

「ああ、なんだそのことか……。――ほらよ」


 存外にもあっけらかんと応答したボッフォイは腰の辺りをまさぐり、しばらくして指先と指先の間に一枚のシワシワな紙切れを挟んでくると、それをピッとこちらに差し出してきた。

 俺は少し訝しんだが、左手に持っていたサンドイッチを口にくわえ、素直に受け取ることにする。


「ぬぁああ〜。やっぱりこれだったか……」


 ――縦十センチ、横六センチほどの長方形型をした一枚の古びた紙。

 案の定、という意味を含んだ声音で俺は盛大に嘆息する。


『ファルシェの呪符』。

 それが紙切れの正体だった。


 そもそも“呪符”というのは、文字通り“魔力マナが込められた護符”という意味で、獰猛どうもうな獣――もしくは暴走して抑制が効かなくなった人間などをたしなめるために用いられる“魔道具”のことである。

 そのせいか、紙に込められた『防護魔術』の威力は強大で、一般的に取り扱うのは危険が伴うために難しいとされ、今では『LIBERAリーベラ』などの例外を除けば、あまり市場に出回っていない代物なのだ。まぁ、平和に満ち満ちたセリウ大陸であれば、使う機会というのは滅多になさそうだが……。


 また、遥か昔では尋問や拷問の類などに使用されていたという文献も残っていたりするらしい。が、それはさて置き。

 実はこの“魔道具”という名の、“魔力マナが込められた道具”というのは何も紙切れ一枚に限った話ではない。他にも、一見すると普通の日用品に見える魔道具というのは多種多様に存在し、使用効果もまたしかり。

 ちなみに、今回の“呪符”というジャンルの魔道具は、全体的な数はあまり無いものの、魔道具の中で最もポピュラーなものとされている。“呪符を使う直前に術者にかけられた魔術を解除することができない”『ファルシェの呪符』など、その代表例と言っても過言ではない。


 で、これらのことから導かれる答えはただ一つ――。


「要するに、フランカがさりげないボディタッチと見せかけて、店を出る直前に俺の背中へ貼っ付けたのはこれだったってわけか。……うーん、なんか残念だなあチクショォオオオオッ!!」

「フン、明白だな。疑いの余地も無い」


 つまらなさそうに短く言葉を切ると、ボッフォイは再び竈の火の調整へと戻った。


 表と裏、両方の紙面に余白を余すことなくびっしりと黒々しい文字――呪文スペルが書き記されている呪符。何度か目にしたことはあったが、やはり見た目もかなり“呪い”感全開である。

 そんな呪符を汚物でも持ち上げるかのように、紙面の端を指先で摘まんでいた俺は未だボッフォイから視線を外さず、


「ぬぉい。俺の質問の答えがまだだぞ」

「ああ、そういやうっかりと忘れてたな……」


 どうでもよすぎて、と何やら語尾に苛立ちを誘う文句を付加していたが、いちいち取り合っていては面倒なので軽く受け流すことにした。


「で? どうして俺を拘束したんだ? それと今思い出したが、俺はなんでその瞬間に気を失っていたんだ?」


 俺が覚えているのは、“作業場ここ”へ来て『おい、クソジジイ』とボッフォイの後背こうはいに素っ気なく言葉を投げたところまでだ。

 確かその後に二言三言言葉を交えた気もするが、今は幾ら頭をひねろうと思い出せそうにない。

 だが案ずることはなく、その真相はたった今、当事者ボッフォイの口から直接語られるだろう。


「質問が二つに増えてるぞ……」

「どうせ一緒に関係してる事柄だ。一つを喋れば、もう一方は自然と出てくるだろ?」

「……そうだな。と言っても、経緯なんて大層なもんはねぇぞ?」

「ああ。寧ろ一言で済ましてくれるなら、そっちの方がありがたい」


 呪符の話ではないが、なんだかこれこそ尋問してるみたいだなと俺が思っていたところで、ボッフォイは意外にも淡々と口火を切った。

 パチパチ! と竈の中の火が勢いを増し、火の粉を散らせた。


「じゃあ手短に話すか……。まずお前は、昼食を両手に引っ提げて“作業場ここ”に現れ、そして俺に一声かけた。……そうだな?」


 ボッフォイの目線は竈の方を向いたままだったが、俺は「そうだ」と静かに頷いた。

 それを了解と受け取ったのか、ボッフォイは言葉を続ける。


「で、俺はお前にこう尋ねたんだ。『どうしてお前がここにいるんだ? これは幻覚なのか? それとも明日は世界の終わりなのか?』……とな」


 ……ん? それは記憶にございませんな。


「すると、お前は渋々ながら“作業場”にまで行き着いた経緯を事細かく話し始めた。……無論、あの御方と“昼食騒ぎ”とやらで一騒動あったことも聞いた」

「ほうほう」

「しばらくして、お前は全てを話し終え、俺は全てを聞き終えた。そして俺は――」

「ほうほう」

「殴った」

「ほうほ…………………………は?」


 パチッ、と。

 その瞬間だけ竈の中の火が勢いを殺した。


 ほんの僅か一瞬の出来事だったが、俺には音の死んだその一瞬が随分と長く感じられる。


「な、なな殴った……って? 誰が? 誰を?」

「俺が、お前をだ。当たり前だろ」

「………………」


 言葉を耳でとらえ、脳内で咀嚼そしゃくし、ゆっくりと単語一つ一つの意味を紐解いていくと、


「って、結局元凶はお前かいゴゥルルァアアアアッ!!」


 そう突っ込まざるを得なかった。

 こうなってくると何もかもが理不尽に思えてきて、り出す感情に歯止めが効かなくなってしまう。


「大体お前なあ、これもついでに思い出したけど、“作業場”へ降りる時の“合言葉”も色々とおかしいんだよ! 月一で変わるのかなんか知らねぇけど、まるで俺が異世界に来るのを分かっていて計ったようなヒューマンアンチぶりじゃねぇかああん!? そういうねぇ、汚い言葉をオブラートに包んで暗にほのめかすのはどうかとボクは思いますけどねえ!!」

「ああ、あれか……」

「おう、あれだ!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………?」

「フッ」

「間長っ! しかも意味深な含み笑いで誤魔化そうとしたってそうはいきませんのことよゴゥルルァア!!」


 だがしかし、俺が幾らそうやって騒ぎ立て、まくし立てようとも――。

 ボッフォイは口端に笑みを刻むだけで、それについても何も答えようとはしない。


「ぬぉい! 聞いてんのかクソジジイッ!」


 大声を出し過ぎてしまったせいで、俺がそろそろ肩で息をし始めた時。

 竈の中を火バサミで掻き混ぜ、やがて彼は手を止めると、おもむろに口を開いた。

 開いた口の隙間から漏れ出す言の葉は、薄く吐き出された吐息のようで。

 けれどそれははっきりとした熱を帯び、周囲に大きく反響する。



「――――なぁお前、“家族”っているか……?」



次の更新はそんなに遅くはならなさそうです。

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