第10話 『寡黙な鍛治師』
「……おい」
「…………」
「…………おい」
「…………っ!」
声に呼ばれ、俺は我に返った。
「………………」
――薄暗いがだだっ広い空間、肌を撫でる熱気、ひんやりとした固い床の感触、正面にある大きな大きな竈からは火の粉が舞い踊り、それを取り囲むように無作為に置かれているのは多種多様な武器、防具、農具に工具の数々。
周囲を見渡した時、俺の目に真っ先に飛び込んできたのはそれらだった。
そして、
「……おい、お前はここに何をしに来たんだと聞いている」
目付きの悪い、仏頂面があった。
――ボッフォイだ。
「何って俺は……」
と言いかけた時、俺は身動きが取れないことに気付く。
つい先程まで自由を拘束されていた催眠魔術とどことなく似ているがそうではない。“動かそう”という意思が働き体はそれに順応しているが、“何か”によって行動が阻止されているのだ。
え? と不可解に思った俺が首を下げると、その正体は判明した。
「……おい」
「…………」
「……おい、俺はなんで縄で縛られてるんだ」
「……フン、さてな」
そう、俺は両手を後ろ手に組まされ、麻縄で縛られていた。ご丁寧なことに、体の方にも這わせられている。まるで蛇がトグロを巻いたみたいに何重にも。
それと遅れて気付いたのだが、両手に引っ提げていたバスケットが消えている。フランカ特製“ユウさんへの愛情たっぷりハムカツ玉子サンド(自称)”が入っているあれだ。どこにも見当たらない。
クソ……ッ! どこだ……どこにある……! あれは愛しのハニー(自称)が俺のためだけに作ってくれたサンドイッチ! 俺の活力の源なんだぞ!
しかしバスケットは直ぐに見つかった。正面の竈の近くにある、乳白色をした巨大な大理石――そこに腰を下ろしていたボッフォイの足元に二つ並んでいる。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
「ふぅ……どうやら無事に送り届けられたようだな。催眠魔術の効力も完全に無くなってるし……。あ~あ、安心したら余計に腹が減ってきた……って、そろそろ空腹が限界に近い……」
グギュルルルルルル〜、と漫画にでも出てきそうな擬声語が周囲に木霊する。もはや胃袋に異常があるのではないかと危惧してしまうほどの大嬌声だ。
実を言うと、『ファクトリー』に来る前から空腹による腹痛に苛まれていたのだが、今ではそれが綺麗さっぱり消え失せていた。つまり、それだけ時間が経過していたということで、腹の虫もお冠になるというわけである。
「ま、縛られてる経緯について問い質すのはこの際後回しにして……おい、クソジジイ。そこにあるバスケット寄越せよ」
見ると、丁度ボッフォイがサンドイッチを口に頬張っていた。
バスケットの一つのナプキンを剥がし、その中身であるサンドイッチを指先で摘まんではポイポイ口に放り込んでいる。
俺の身長の優に二倍はある大柄な体格であるが故に、ボッフォイとバスケット、そしてサンドイッチの大きさの比率が感覚的に狂ってしまう。俺の掌一つ分サイズのはずなのに、ボッフォイが持ってしまうとパンの切れ端のように映るのだ。そしてそれを猫背になりながらちまちま食すボッフォイは、傍から見ると滑稽だった。
「ぬおぃ! 聞いてんのかクソジジイ! 俺はそこにあるもう一つのバスケットをこっちに寄越せって言ったんだよ!」
毎度のことなのだが、一向に無視するボッフォイの態度に不快感を覚え、俺は憎たらしい口調を変えずにキーキー喚く。
するとボッフォイは食事の手を中断し、ジロリと俺を睨め付けた。
「……お前に、今日の昼飯を食う資格はない」
「…………は? なんで……?」
唐突に理解不能な言葉が飛んできたことで、頭上に疑問符が浮かび、俺は思わず聞き返していた。
そんな物分りの悪い俺を睥睨するように、ボッフォイは鼻を一つ鳴らすと、
「フン、自分の胸にでも訊ねてみたらどうだ」
呆れるようにそれだけを吐き捨て、また食事を再開させた。
自分の、胸……?
言われるがままに、俺は自分の胸にそっと手を置こうとして――
「って、縛られてるから無理じゃボケッ!」
またも蓑虫のように身をくねらせて喚き散らした。
ボッフォイは今度こそほとほと呆れたように嘆息すると、
「……正真正銘のバカなのか、お前は。誰が本当に自分の胸に手を置けと……」
「んなもん分かってますぅー! それとバカって言う方がバカなんですぅー! あれれれ? ボッフォイお爺ちゃんは“ジョーク”って言葉を知らないのかなぁ?」
知能指数が小学生レベルにまで退化しいる俺だが、今の俺にとってそんなことはどうでもいい。
とにかくいざこざにおいて、ボッフォイにだけは負けたくなかったからだ。そのためなら、出会ったら顔面をブッ飛ばしたくなるようなウザいキャラを演じ、思い付く限りの罵詈雑言を並べ立てることも厭わない。
「……………………」
「うわぁ、不利になると直ぐにだんまりだねボッフォイお爺ちゃん。でもねでもね、実はボク知ってるんだよ☆ ボッフォイお爺ちゃんが老人気取って耳が遠い設定にしてること!」
「……………………」
「そういうのはさお爺ちゃん、世間一般じゃ“コミュ障”って言うんだよ☆」
「……………………」
チラリ、と横目で見ると、再びボッフォイは寡言になって食事を続けていた。おそらく相手にするのがバカらしくなったのだろう。
そろそろ勘弁しといてやるか、と俺は澄ました表情で天を仰ぐと、
「でもさー、お爺ちゃん。別に耳が遠い設定なんかにしなくても、色んな人とお話しすればいいじゃんか。なんたってお爺ちゃんは、誇り高き“半巨人”なんだから!」
ピクリ、と。
静寂が満ち、最後のサンドイッチに手を伸ばそうとしていたボッフォイも沈静したが、俺は気付かない。
高らかな笑い声が仄暗い室内に反響する。
「憧れるよねぇ~! 『巨人種』と『小人種』の――」
「――ッ!」
ガタッ!! と大きな音がして――。
次の瞬間にはもう、俺の喉笛に刃渡り二十センチもあるボウイナイフが押し当てられていた。
「…………………………へ?」
遅れて緊張が全身を支配し、毛穴からは嫌な汗が噴き出し始める。
それは額からこめかみ、こめかみから頬へと伝うと、最後は顎先にまでゆっくりと滴り落ち、
「…………あまり、調子に乗るなよ」
――低くくぐもった声。
よもや殺意まで込められていそうな剣呑な声はしかし明瞭で、俺の鼓膜を静かにノックする。
ポタリ、と。
重力に従順な冷や汗は刃の切っ先で弾み、動揺の色が刃元まで染み透る。
時が静寂したのかと勘違いした。
「………………っ」
恐る恐る、仰いでいた視線を下に下げる。あくまで視線だけを下げる。
と、辛うじて見えたのはいつもの仏頂面――だったのだが、瞳は紅血よりも赤く深く、鋭くするも冷徹に相手を見据えた眼光は凍氷の如く冷たい。
ゴクリ、と。
俺の喉笛が無意識に掠れた音色を上げ、生唾を飲み込んだ。
「……………………」
「……………………」
パチパチと、竈の中の火の粉が舞い踊る。それ以外は、二階の“機械工場”で駆動している機械の騒音を除けば、何も聞こえない。
なのに、それらはやけにうるさかった。
どのくらい経ったのだろうか。
ほんの少しの間かもしれないし、あるいはずっとこうしているようにも思える。
俺とボッフォイは、お互いに呼吸を一定に繰り返すだけで一ミリも動じず、頭の天辺から足の爪先まで石膏のように固まっていた。
「はぁ…………」
室内に時間が戻り――。
ボッフォイは重いため息を長々と吐くと、俺の喉笛からボウイナイフを引いた。
切っ先の感触が無くなった途端、今度はそこからヒリヒリと痺れるような痛みが発生し、徐々にじんわりと広がるような熱を帯びていく。
首筋に手を当て、当てた掌を頭上に翳してみると、指先辺りが些か濡れていた。
赤い色をした熱、確かな痛みで――。
「済まなかった」
誰かの声が聞こえたと思い、俺はようやく頭を下げ、正面を見据える。
体は凝り固まっていたようだが、それほど気にはならない。気になるのは寧ろ――
「済まなかった……」
同じ言葉が、だけど少しだけトーンの落ちた声が再び聞こえる。
ボッフォイは俺の眼前で立ち尽くし、その表情に影を落とす。元々室内が薄暗いため、竈の火の光を背に浴びるボッフォイの表情は、闇の中へと埋没しかけていた。
俺は目を凝らし、なんとか表情を認識する。
――若干エラの張った面長の顔、警戒する獣のように尖った目付き、常に吊り上げている無愛想な口元。
これがいつものボッフォイだった。
相手を敬遠させる顔の特徴トップスリーが見事に三拍子揃っているその顔こそが、ボッフォイ=レーベンだった。
しかし、今はそうではない。
高邁たる分厚い胸板を引っ込めて俯き、眉尻を下げ、取り留めもなく手元のボウイナイフに移した視線をさらに細め、小綺麗に髭を剃ってある口元や顎を時折撫でては唇を強く噛んでいる。
ブツブツと、小声で何かを言っていたりもしたのだが、流石に小さ過ぎて聞き取れなかった。
……なんだよ、クソジジイ。らしくねぇことしてんじゃねぇよ……。
俺は知っていた。
その表情は、思想に耽っている時であると。そして同時に、過去に想いを馳せている時であると。
また、そういう時に限って自責や悔恨に囚われているということも知っていた。
なぜなら、つい先程までの自分がそこにいたからだ。
ああもう、俺は余計なことを……。
前言を叱咤し、頭を掻き毟りたい衝動に駆られたが無論できず、俺は苛立ち紛れに歯噛みした。
「……おい、クソジジイ。まず俺を縛ってる縄を解い――」
無理矢理思考を振り切り、俺は半ば強引に声を投げる。
――が、言い切る前に言葉が途切れた。
ボッフォイの口端に流血が見えたからだ。
流血は仄かな明かりに照らされ、その色彩をより生々しく主張していた。
無機質な石畳の床に、ポタポタと雫が垂れていく。
しかしそれでも、ボッフォイは唇を噛むのを止めようとはしなかった。まるで、暴れ出したい衝動を残り僅かな理性の残滓で食い止めるように。抑制して、冷静になるように。
ところが次第に目は血走り、呼吸も荒くなり、噛む力は段々と増していく。
「お、おいっ!? クソジジイっ!」
呼びかけるがやはり反応はない。俺の声が届いていないのだろうか。
拘束さえされていなければ、ボッフォイの頭を叩くなどして目を覚まさせてやることができる。だがしかし、『人間種』――しかも並一通りの筋力しか持ち合わさないこの俺が、漫画のワンシーンみたく麻縄を引き千切ることなど到底不可能だ。
ただ黙って傍観を決め込むことしか、俺に選択肢は残されていなかった。
「ふ、ザケン、なっ……! く……ソ、ジジイ……!」
呼ぶが、応答はない。
と、ボッフォイの鮮血で薄汚れた口がゆっくりと開き、口腔から微かに声が漏れ出てきた。
「……くるな……ちかよるな……やめろ……くるんじゃない……」
およそ悪夢でも見ているかのような様相で、太い唇は青白くなり、わなわなと震えている。
それと連動し、ボッフォイのナイフを持つ手も小刻みに震え始めた。
もう、普段の荘厳で堅固な姿勢は影も形も見当たらない。覇気など微塵も感じられない。
「いい加減に…………」
どこにもない。
「オレは……オレは……オレは…………!」
――ただの臆病者だった。
「……いい、加減にしろッ!! ボッフォイ=レーベンッ!!」
叫んだ。
――と、それと同調するように何者かが頭上で叫んだ。
カルドだった。
『イエ~イ!! 「亡霊種」になって三百年になるおいらからの通知だぜー! なにっ!? とうとうあの世からお迎えが来たって!? ……んまっ、そんなことは有り得ねえけどな! カーッカッカッカ!!』
一階の“作業場”に姿は現していないが、テレパシーみたく、魔術か何かで声のみを届けているのだろう。相変わらずうるさいままだったが。
しかしそのおかげでボッフォイは我に返り、正気を取り戻した。
『さてさて、おいらのすんばらすぃジョークはこの辺にしておいて、本当の通知をお知らせするぜぃ! 「ファクトリー」にお客様だ! 本日二人目の子羊ちゃん、ご案ナ~イ!』
次の瞬間――。
ゴゴゴゴゴゴ!! と。
言うや否や、一階の“作業場”全域に地鳴りが起き始めた。
軽度の地震にも似たそれに俺は平衡感覚が保てず、無様にも拘束されたままコロコロと床を転がり、竈の周囲にある武具の山の一つへと突っ込んでいった。
「……珍しいな、こんな時間に客か」
何事も無かったかのように、ボッフォイは竈の傍らにある古椅子に置いてあった白い布――フェイスタオルみたいなやつ――を鉢巻のように額に巻くと、人間一人分の大きさはある槌を軽々と持ち上げ、肩に担いだ。
胸を張り、いつでも何でもできるように万全の準備を整え、少々驕慢に近い堂々とした態度で客人が来るであろう“場所”を睨み据える。
その立ち姿は正に――“職人”だった。
“場所”とは即ち、“壁の向こう側”。
継続する地鳴りにレンガ調の壁面も揺さぶられ、やがてその揺れはとある壁の一点に集中していく。
――俺の突っ込んだ武具の山の方からだった。
「…………」
ただひたすらに、ボッフォイは来客の到来を待つ。
どこからか、歯車同士が歯と歯を噛み合わせて激しく回転し、幾本もの鎖が擦れ合うことで金属の摩擦音が生まれていた。先程のひっそりとした空間とは思えない騒々しさだ。
しかしこれが、『LIBERA』の『ファクトリー』だった。
「ふぅ、毎度毎度、ここのカラクリには驚かされるな……」
地鳴りが止み――。
俺の突っ込んだ武具の山が半壊していた。
その向こう側に拝めるのは、室内で統一されたレンガ調の壁面。――が、一つだけ他と違うのは、ボッフォイ一人が腰を屈めば潜れそうな、大きな“穴”が空いていることである。
そしてそんな穴を、たった今、苦笑しながら億劫そうに潜ってきた男がいた。
苦笑には、微々たる尊敬の念も込めて。
「よっこらせっと」
穴を潜り抜け、『ファクトリー』の一階に降り立った中年の男は中々に高貴で、下ろし立てなのか、真新しい黄色のスーツに付着した砂埃を丁寧に払い落とす。ついでに被っていた青褐色のシルクハットも脱いで。
帽子を被り直すと、男は緩んでいたネクタイをキュッと締め上げ、軽く身嗜みを整える。
そして山が半壊したことによってできた急拵えの一本道を、悠長な足取りでこちらに向かってやって来た。
溌剌とした挨拶を混じえながら。
「おう、注文の品を受け取りに来たぜ。ご無沙汰だなぁ、ボッフォイさん」
どうも一色です。
更新日時などの正式な取り決めがなかったので、この場をお借りしてハッキリ宣言しておきます。
これから、七日〜十日の期間を目処に更新していきたいと思います。かかっても十日後には更新します。
ですので、皆様も知っておいていただけると嬉しいです笑
これからもよろしくお願い致します!