第9話 『出会いと出逢い』
最後の一部分だけ少し三人称視点入ってます。
「ぐ、ぐぬぬ……っ、う、動けん……」
フランカが店を後にしてからしばらく経ち――。
現在、俺は両手に昼食のバスケットを引っ提げながら、『LIBERA』の二階で苦悶の表情を浮かべていた。
一階と同じく、柔らかい色を持った温白色の光が天井から降り注ぐ。また、洋風な造りである茶褐色の壁はレンガで敷き詰められており、そのレンガの隙間から生えているのは大量の木の根で、辺り一面にびっしりと張り巡らされている。
他にも、狭い割に無駄に長い廊下の端から端には紫檀色の絨毯が敷かれてあったり、階段を上がった正面には廊下の丸い角を上手く切り取って拵えたであろう書記台などもあったりと、一見すると中世風の洋館を彷彿とさせる情景だ。
しかし、そんな部屋数が十個程度の広々とした間取りなのにも拘らず、現実は廊下に散乱した大量の雑貨がそれを“埃とカビの住居”へと変貌させている。実に残念というか、勿体無い空間だった。
「……クッ、あの天然巨乳キツネっ子めぇ! 余計な真似を……! 俺にこんな仕打ちをしたからには、た、タダで済むと、お、思うなよ……っ!」
しかしそれが、『LIBERA』の二階。
最初は「この異世界って……『ゴキブリ族』とか、まさかそういうマニアックな種族はいないよな?」と、汚らしいここを悪評したものだが、それも住めば都と言うやつで。細心の注意を払いながら歩いていた廊下も、いつしか『ゴキブリ族』が出ないことが判明してからはどうと言うことはない。
改めて感じさせられるが、人の慣れというのは怖いものだ……。
で、問題は現状なのだが。
フランカが俺に何かしらの催眠魔術をかけたことで、俺の身体は束縛されて自由が利かず、ボッフォイと一緒に昼食を取るべく“機械工場・作業場”へと強制的に向かわされていた。
それ自体はフランカの勘違いが原因でこうなってしまっているわけだが、元々は俺が昼食前に調子に乗ってはしゃいだことが原因なので、全面的に俺が悪い。そこは認めざるを得なかった。
「覚えてろ……! 俺は許さないぞ……絶対に。絶対にだッ! 帰ってきたら朝までたぁ~っぷり『モーミモーミの刑』だからなッ!」
ギチギチと、見えない何かに抗うように体の重心を精一杯後ろへと傾けさせる俺。
例の“切り株階段”を例の“合言葉”で作動させ、現れた木製階段を機械的な動きでゆっくりと上り、それをようやく終えて俺は二階にいるのだが、「もしかしたら、抗えるコツとかあるんじゃね?」と合理性皆無の一縷の望みにかけ、只今大絶賛奮闘中だった。
――が、流石に“魔術”に“物理”で挑むのは無謀過ぎたのか、気力というよりも先に体力の方が底を突きそうで、
「……ハァ~、止めだ止めだ。てんで抗える気がしない……」
ギブアップの弱音を吐くと共に、俺は全身からフッと力を抜く。
すると、手足が忘れていた動作を思い出したかのように独りでに動き始め、再び“機械工場・作業場”行きの全自動ロボットと化した。
だが先程とは違い、無理矢理にでも方向を捻じ曲げようとしていた俺の抵抗力が無くなった分、足取りは軽快だ。雑貨で混雑している、足場がほとんど無いこの廊下でも、まるでピクニックを楽しむかのようなステップを踏んで通り過ぎていく。
一体、これから行く場所のどこが楽しいのだろうか……。
「はぁ…………」
無事に廊下を渡り切り、毎朝燦然と輝くお天道様を拝んでいる二階の渡り廊下に出ると、俺は近くにあった手すりに体を預けて今日一番のため息を漏らす。
どうしてこんなことに、と俺は昼食前に調子に乗っていた自分を恨み、失態を悔やむ。
チラリ、と真横に視線を移すと、ほんの数メートル先の頑丈そうな扉から蒸気の白煙が薄く立ち上っていた。さらに耳を澄ませてみると、カンカンカン! という甲走ったような音が鼓膜を刺激してくる。
――あの野郎……また騒がしくしやがって。
俺は知っていた。
それは、鈍器で鉄を打つ時に生じる音であるということを。
そして、それを奏でている迷惑者が誰であるのかということを。
俺が異世界に来る二年前から『LIBERA』に雇われている鍛冶師――ボッフォイである。
「あー、嫌だ嫌だ」
ボッフォイの仏頂面が脳裏に浮かんできた俺は、激しく頭を振ってそれを払拭する。
この“機械工場・作業場”の騒音は、異世界に来て一ヶ月は経つもののやはり慣れない。
特別騒音が苦手だとか、人より敏感に音を感じ取る性格というわけではないのだが、なぜかあの音を聞くと無愛想なボッフォイの顔を鮮明に思い出してしまう。つまり辟易しているのだ。
「本当は優しい人なんですよ、良い人なんですよってフランカは言うけど……俺にはさっぱり理解できん」
先程のくだりから分かるように、俺とボッフォイの関係は最悪なことこの上ない。
要因としては色々あるのだが、俺が“店員見習い”となった初日――最初の邂逅で鬱陶しそうな眦を向けてきたボッフォイの態度に真っ向から反発したのが始まりだろう。
ボッフォイもボッフォイで、そんな俺の態度が癪に触り、結局仕事上でしか顔を合わさなくなった二人の間柄は完全に冷め切っていた。
「確かあいつ……“こっちに店を移した時”に『LIBERA』を訪れて、フランカに雇い入れるよう頼んだんだよな。むぅ、俺より先にあんないけ好かないクソジジイがフランカとキャッキャウフフの毎日を堪能していたなんて……許せん。許すまじっ」
あの日、ボッフォイと面会する前に交わしたフランカとの会話が脳裏に呼び起こされる。
『鍛治師としての腕前は申し分ないですし、何より私とお師匠様――あ、この時はまだいたんですけど、その二人だったので男手が増えて本当に嬉しかったんですよ。あとボッフォイさんって、筋肉ムキムキで逞しいじゃないですか。私が運べない荷物でも、ヒョイって何食わぬ顔で軽々と持ち上げたりして……。えへへ、いやぁ~、本当に頼もしい限りです!』
どこか遠くに羨望の眼差しを向けながら嬉々として語る、そのフランカの姿が――。
「くぁああああ!! だ、ダメだっ、想像するだけで殺意がァ!」
俺は喚き、何度も手すりに頭をぶつけては悶絶する。
両の手がバスケットで塞がっていたため、直接手すりに頭をぶつけにいくという自傷行為でもしない限り、この煮え滾る感情は鎮められそうになかった。
……おいフランカ。今になって考えてみれば、俺が異世界に来た時に『男手が増えて助かる』って言ったのは単なるリップサービスだったのか!? ははは、でもそうですよね! 俺はあんなクソジジイみたいなマッスルボディーは持ってませんもんねどうもすいませんでしたァ!!
少々涙目になりながら、俺は中肉高背に生まれてきた“普通”の自分を嫌悪する。まさか、ここに来てまでも自分を否定することになるとはな。
異世界でもそういった“筋肉”に対する価値観があるのか定かではないが、ボッフォイに対するフランカの反応を見れば、少なくともありそうな気はする。
そう考えると、話す言語や種族は違えど人それぞれに同じ価値観があったりするのは異世界も同じで、元の世界と何ら変わりない。不思議ではあるが、実に興味深い話だ。
「でも結局、俺からしてみれば不利なのは変わらない、か……」
自嘲的な笑みを浮かべ、やっぱり女の子ってのは筋肉質な男性が好きなものなのか、と俺は本気で“黒光りマッスルボディー”を手に入れようか思案する。
――と。そこでふと、俺の中で一つの違和感が生じた。
「……ん? ちょっと待て。そういや何度か、フランカの話に“こっちに店を移した時”って出てきてたけど……『LIBERA』ってそんな頻繁に引っ越ししてるのか?」
それは、先程の回想から浮き出てきた純粋な疑問だった。
俺がそのことについて知らないのは言を俟たない。“これまでに、『LIBERA』は転々と引っ越しをしていた”――などという話を、この一ヶ月間フランカの口から聞かされたことは露ほどもなかったからだ。
が、よくよく思い返してみれば、つい先程のハプニング――“昼食騒ぎ”の時にも、フランカはチラッと触れていた気がする。
『――でも、こっちに移ってきて、お師匠様が急にいなくなってしまって……。しばらく塞ぎがちになってしまったんです。心にぽっかり穴が開いてしまったみたいに、空っぽになってしまいました。仕事も手に付かないし、お客さんも全く来ないしで、何もする気が起きなくて……』
ほら、やっぱり。
チラッとではあるものの、フランカはそのことについて確かに触れていた。
しかし、そんな言葉がフランカの口から零れたのは、俺の記憶が知る限り“ボッフォイの面会前”と“昼食騒ぎ”の二回だけだ。仮にそれが事実だとして理解しようにも、あまりに大雑把過ぎて、その言葉だけでは全容を把握しきれない。
それに、ここで当然の疑問が一続きになって浮かび上がってくる。
一体なぜ、
「――――どうして、引っ越しなんてする必要があるんだ……?」
それって、フランカの言ってた“お師匠様”って人と何か関係が……。
僅かな沈黙。と、呼ぶには長い静寂。
バスケットを持ったまま両腕を組み、俺はじっくりと熟考しようとする――
「ッ!?」
そんなことは叶わなかった。
――催眠魔術が再び効力を取り戻したのだ。
俺の背筋が糸のようにピンと張り、直ぐ様直立二足歩行の“機械工場・作業場”行きの全自動ロボットへと早変わりする。
進行方向を微調整し、そして何度か足踏みを繰り返すと、
「ぬおぃッ! ふざけんじゃねぇええええ! 何勝手に動き出し――」
そのまま数メートル先にある“機械工場・作業場”の入口まで猛進していった。
深く思考を巡らせていたためか、反応が全面的に遅れてしまう。
催眠魔術に抵抗することをとうに諦めていた俺だが、不意に動き出されたり、予測不可能な不規則行動をされると対処できないのは当たり前で……。
「ちょっ、マジでふざけんなッ!! ぶつかる……! ぶつかるってええッ!」
突如発生した凄まじい慣性力に体が面白いほど仰け反り、俺はされるがままに“機械工場・作業場”の頑丈な扉を蹴破った。
この催眠魔術のネックなところは、“意識とは無関係に肉体が行動する”という点にある。
つまり、俺がボッフォイに会うまでは、たとえ血肉が引き裂かれてズタズタになろうと、衣服が脱げて全裸になろうと関係ない。勿論、たった今、頑丈な扉を蹴破った際に足が変な音を発してもだ。
どこかのトロッコよろしく、俺が意図せずとも(ボロ雑巾のようになる可能性もあるが)目的地まで迅速にご案内する――。
今回もそういった類のものだった。
「のわぷ……ッ!!」
蹴破った直後、視界が一面真っ白になった。
――蒸気だ。
扉一枚越しに待機していた白煙が一斉に吐き出され、外気に渾然と溶け込んでいく。
俺はあっという間にその波に飲まれ、しかし足は前に進み続けた。
「ゴホッ! ゴホッ……! ま……前が、見えない……」
プシュ―ッ、という喧噪が耳の奥で反響する以外、周囲一帯は何も見えない。
とは言っても、“機械工場・作業場”ではお馴染みの光景で、こんな濃霧の森のような状態が四六時中続いていたりする。
なのに、足取りの方は迷いがなかった。相変わらずのピクニック気分でステップを踏み、霧の中をスイスイと進んでいく。視界が奪われて身動きが取り辛い分、ここでの催眠魔術は寧ろありがたかった。
皮肉なことだが、まるで全てを見通しているかのような自分の行動に、思わず鼻歌まで出てしまいそうになる。
「ゲホッゲホッ、それに……前が見えないのは単純に怖いしな。万が一道を踏み外して、二階の“機械工場”から一階の“作業場”まで転落でもしたら洒落になんねぇし……」
「俺は回復魔術とか回避魔術はまだ会得してないんだよフランカさん!」と、俺は届くはずのない文句を天に向かって吼えた。
こんな散々な目に合っているのだ。少しは怒りたくもなる。
だって人間なんだもん。仕方ないじゃん。
それならもっと、“そっち”の勉強もしておくんだったな……。
と俺は適当に考えながら、暫し霧の森を彷徨った。
中ほどまで躍り出ると視界が開け、見知ったボイラー(らしき物)が姿を現した。
大小様々の赤錆びた歯車がカラカラと激しく回転し、無数にあるボンベの上では起き上がり小法師状態のメーターの針、井戸の手押しポンプを彷彿させるやつもキュッポキュッポと上下に屈伸して……と、ここもいつもと変わっていない様子だ。
「ふぅ、さてと……手っ取り早く降りますか」
ここを直進すると更衣室がある。
俺が毎日衣服を着脱している場所であり、時に寝泊まりもしている場所だ。
そこについては後々説明するとして、今回はそこを直進してはならない。左折するのだ。
「つっても、強制的に左折させられるんだがな……」
そんなことを適当にぼやきながら、俺は催眠魔術の指示に従って左折し、網目状になっている赤い金網式の床をカツカツと歩いていく。靴音が異様に反響した。
改めて、この場所が“機械工場・作業場”だと実感できる。
工場などでよく目にするグレーチングに、休む暇もなく稼働し続けている数多の機械たち――。
元より“機械工場・作業場”という名称は俺が名付け親なのだが、俺のような“異世界人ではない人間”が見れば誰だってそう思うだろう。
特に肌が汗ばむじっとりとした熱気や機械の稼働音は、俺が小学生の時に社会見学で行った自転車工場そのまんまだ。
「…………ふひぃ、ようやく着いた」
情けない声が口端から漏れ、俺は呼吸を整える。
そして、俺は伏せていた顔を上げてそれを見た。
館内の壁際から唯一一本だけ吹き抜けの中心部にまで伸びている通路――。
その先にある、“木製エレベーター”を。
「うひゃあ、これマジで高所恐怖症の人が見たら死ぬな絶対……。何回見ても慣れんわ」
建物の壁沿いに金網を歩き、突き当りで曲がり、少し段差になっているところを飛び越え、階段を下り、また歩きを何度か繰り返して辿り着いた通路だ。
最後にそこを進み、吹き抜けの中心部まで行けば木製エレベーターで一階の“作業場”へと降りることができる。
しかし、
「入口の扉より、落下防止の柵をどうにかしろよ。でも、家の“外”で起きる危険より“中”で起きる危険を心配しなきゃいけない家って……それもう家じゃねぇじゃん」
自分の腰辺りまでしかないというフザけた長さの柵を撫でながら、俺は何食わぬ顔で通路を渡っていく。
決して高所恐怖症ではないのだが、金網式の床ということもあって、階下を丸ごと一望できる視点にあるとどうも足が竦んでしまう。まぁ、催眠魔術とかいう薄情者のせいで、そんな恐怖心や躊躇いもお構いなしに進まされるのだが。
おまけに道幅は人一人がようやっと通れる狭さときた。ここと言い、“地下倉庫”と言い、どうしてこうも『LIBERA』には生命を脅かしかねないスリリングなアトラクションが盛り沢山なのだろうか。『LIBERA』はそもそも、片田舎の街道で毎日のんびりほのぼのと営業している雑貨店のはずなのに。
実に解せない……。
まさか、そもそもそんな俺の認識自体が間違っていたのか……?
妙な不安に煽られそうになったその時、甲高い、耳を劈くような音が俺を我に返した。
いつの間にか、吹き抜けの中央部に行き着いていた。
カンカンカン! と。
ここに来るまでもしきりに鳴り続けていた例の音が、次第に大きくなっているような気がする。
――一辺五メートル四方の正方形型をした、吹き抜けの中央部。
そこには、金網を豪快に突き破って床を大破している無数の工具があった。
どれも俺の身長一つ分と大きく、尖頭部分が一点に集約するように交差している。外見の粗雑さから、誰かが意図的にぶっ刺したことが窺えた。いや、ほぼ無理矢理捻じ込んだと言うべきか。
「で、問題は“これ”なんだよな……」
そして、その中でも真っ先に視線を釘付けにするのは――
工具が集約しているその交差点で、にんまりと、こちらを向いて静かに笑う“髑髏”。
俺が腰に手を当て、呆れたような表情で見つめていたのはそれだった。
俺は一歩、ガイコツに近付こうとする。
すると突如、ガイコツは頭を激しく回転させ、カタカタカタカタ!! と元気良く歯の根を噛み鳴らすと、
「ヘーイ、ヘーイ、ヘ~イ♪ たった今、豊穣の女神は微笑んだ――ッ!」
喋った。キモい。
「ようこそ、夢と希望をあなたにお届けする魔法の雑貨店・『LIBERA』へ! 武器、防具、農具に工具と、“道具製作”のことなら何でもお任せ! ここはその『ファクトリー』さ!」
見た目に反して陽気な声を出すスカルヘッド。
聞き飽きたシナリオ口調のセリフに嘆息するも、俺は次の言葉を待つ。
「で、おいらはスカルヘッドのカルド! 『亡霊種』となって三百年、未だに成仏されないぜ(キリッ)! 趣味は昼寝、朝も昼寝、昼も昼寝、夜も昼寝……って、ちゃんと働かんかい!」
「…………」
「そして好きな食べ物はー……って、おいらに食事はできねぇよ!」
「…………」
「でー、さてさて、今日の子羊ちゃんは一体どうして迷子に――」
「御託はいいから、さっさとクソジジイに会わせろこの能無し」
やはり待てなかった。
ただでさえ苛立ちが募りに募っているのだ。その上、長ったらしい自己紹介まで聞いてやれるほどの余裕は今は持ち合わせていない。
俺はそのスカルヘッド――カルドの言葉を少々乱暴に遮ると、ここに至るまでの簡単な事情説明を済ませ、木製エレベーターの使用を催促する。
ちなみにカルドは、この“機械工場・作業場”――もとい『ファクトリー』の管理人である。
するとカルドは小馬鹿にするようにケタケタと笑い、
「カーカッカッカ!! のうなし……能なし……いいねー、“能無し”! おいらにピッタリのアダ名じゃあないか! いやぁ、今日の子羊ちゃんはジョークが冴え渡ってるねえ! 骨だけに“脳”は“無い”……ってか!? カーカッカッカ!!」
……やべぇ、今すぐにでも成仏してやりてえ。
カルドはすっかり上機嫌だった。
人の話を碌に聞かないのは毎度のことなのだが、俺が無意識に発した“能無し”というワードに酷く執着しているようだ。
気分が優れていると、カルドは頭を回転(物理)させる癖がある。ほら、今十三周目だ。
こうなるとカルドは非常に面倒臭い。気に入ったギャグやジョークを見つけるとその場で延々と復唱し、それこそ腹が捩れ切れて気の済むまで笑い続ける。捩れ切れる“腹”すらも無いわけだが……。
とにかく、こういう場合は要求を叫び続けるのが一番手っ取り早い。何度もここを訪れて、それが最善の解決方法だということを俺は経験から学んでいた。
大事なのは、“相手のペースに呑まれない”ということだ。
「カルド……。頼むからクソジジイに会わせてくれ」
四度目ぐらいだろうか――。
いよいよ気力が萎え、いっそのこと頭でも下げてみるかと低姿勢になろうとしたその時、高速で回転していたカルドがピタリと止まった。
「ヘーイ、子羊ちゃん! 迷子の迷子の子羊ちゃん! それならそうと早く言っておくれよー。おいらはてっきり、退屈していたおいらの暇潰しに来てくれたのかと思ったぜー」
――ブチッと。
そこで、俺の中の“何か”が切れる音がした。
「んなわけあるかッ! ちゃんと働きやがれこのクソニート! お前には耳が付いてないのか、ええ!? 耳が!!」
「付いてないですよ。だって骨ですもん」
「あ、そっか……。そういやそうだったな――って、そうじゃなくてッ!!」
そんな埒の明かない論争が暫し続き。
「さぁて、迷える子羊ちゃん!」
「その子羊ちゃんって言い方止めろ……」
「さぁて、迷える子羊ちゃん! オヤビンの所に行きたいんですね!? ならば“合言葉”をどうぞッ!!」
「……もういいやお前」
もはやここまでくるとワザとやっているようにしか思えない。が、当の本人は本気で気付いていないらしい。
うがぁー! と頭を掻き毟りたいところだが、催眠魔術という厄介者に束縛されている限りそんな自由は淘汰される。俺はジレンマに身悶えそうだった。
と、カルドがまたもケタケタと笑い始め、
「オヤビンに会いたければ、おいらに“合言葉”を言う必要があるので~す! もしも“合言葉”を一つも間違えずに言えたのであればお見事お見事! おいらの熱いキッスをくれてやるぜ! ――た・だ・し。一つでも、一句でも間違えれば、地獄のドン底まで即刻引き返していただきま~す!」
「んなこと知ってるよ。だからとにかく早くしてくれ。俺はもう疲れたよパトラッシュ……」
「ん? おいおい、名前を間違えるとは失礼な子羊ちゃんだなぁ~。おいらの名前はカ・ル・ド!! 忘れないでおくれよ!」
はいはい、と適当に聞き流すと、俺はカルドに向き直る。
カルドもくるくると回転するのを止め、俺の顔をしっかりと見据えた。
――ここでの“合言葉”は、数回の問答を繰り返すようになっている。
先手のカルドが言う単語に、こちらも単語で返し、順に問答を重ね合わせていく仕組みだ。ドラマや映画などに出てくる密告者やスパイを想像してもらうと早い。
ちなみに、『ファクトリー』の“合言葉”は月に一度変更される。
フランカ曰く、その度にボッフォイから新しい“合言葉”を教えられ、いちいち覚え直さなくてはならないらしい。かなり手間なのだが、それがボッフォイの面会には絶対に欠かせないルールらしく、いつしか『LIBERA』ではその掟が暗黙の了解になりつつあるそうで。
えっと、確か今月の“合言葉”は『万歳』、『近寄るな』、『世界一』、『便所掃除に風呂掃除』、『まだマシだ』、『クソ喰らえ』……だったか? てか、何だよこの奇怪な単語たちは……。
俺が頭の中で“合言葉”を整理しながら不審がっていると、問答は何の前触れもなく突然やって来た。
「フランカ!」
「っとと、ば、万歳っ!」
「フランカに!」
「ち、近寄るな?」
「フランカのおっぱい!」
「せ……世界一ッ!」
「お前にお似合いなのは!」
「便所掃除に風呂掃除!」
「家畜の方が!」
「まだマシだ!」
「人間なんて!」
「クソ喰らえ! ――って、これ完全にワザとですよね!?」
“切り株階段”や魔術詠唱の時もそうだが、この世界は俺に少々冷たかったりする。
男だって、ガラスの純心持ってんだかんなっ!
「いやぁ~、素晴らしい! 素晴らしいよ子羊ちゃん! “六つ”全てを間違えずに言えたじゃないか! ではでは宣告通り、ご褒美としておいらからの熱いキッスを――」
「い、いいいいるかアホッ! こっち来んな! それ以上来たらマジで成仏させるぞッ!」
「おおぅ、それは困るぜ。分かった分かった、じゃあこれはツケで払ってもらうとして……」
「払うかッ! 死んでも払わんわ!」
――『ファクトリー』一階の“作業場”。
カンカンカン! と、音が鳴る。
俺は“木製エレベーター”から降り立ち、降り立った瞬間、見えない鎖が千切れたかのような錯覚を覚え、体が元の軽やかさと自由を取り戻す。
そしてその身体で、音の鳴る方へゆっくりと歩みを進める。
武器、防具、農具に工具、はたまた“加護”が込められたアミュレットやペンダントなどの装飾品――。
それらが無造作に飾られた狭い通路を縦断していくと、ふと赤い閃光が視界を奪い――
「……ッ」
“作業場”の大広間へと出た。
そこで一人、こちらに背を向けながら、黙々と金床の上の鉄を鈍器――大型の槌で叩いている男がいる。
俺の身長の優に二倍はあるであろう大男だ。
背中一つを見ても分かる筋骨隆々の偉丈夫、焼けた小麦色の肌、肌の色とは対照的な白髪のトサカ頭、片耳に開けられた幾多ものピアス、右の肩甲骨から右肩にかけては、複雑な模様をした刺青が描かれている。
「おい、クソジジイ」
その背中に、俺は敵対心を剝き出しにしながら、ぶっきらぼうに呼びかける。
だが男は無視して鉄を打ち続けていたが、しばらくすると作業の手を止め、俺の方にゆっくりと体を向けた。
「…………」
便利の旗印、何でもお道具店・『LIBERA』には建物が二棟ある。
その内の一つ、“機械工場・作業場”である『ファクトリー』には、鍛冶師として働いている“半巨人”がいた。
その男の名は――ボッフォイ=レーベン。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃――。
「な、何なんですか、あなたは……」
ここは、ポルク村の露店街。
村の“中央広場”まで赴くと、色とりどりの幌が一本道の両端にズラリと整列し、新鮮な食材を探し求めて往来する買い物客が見られる。そしてきっと、あなたは和気あいあいとした買い物風景に魅せられ、横合いから飛んでくる威勢の良い行商人の大声にたまらず心臓が飛び跳ねてしまうだろう。
露店街はそこで開かれていた。
王国近辺で軒を連ねる露店街に比べては多少見劣りするものの、ここから馬車で軽く飛ばすとリカード王国があることから、利用客は多い。特に近隣住民にとってポルク村の露店街は生活基盤と言ってもいい場所で、毎週末になると村が人でごった返すほどだ。
それに、ポルク村の農作物や肉の鮮度はかなり高く、年に一度だけセリウ大陸で開催される一大行事――『豊穣祭』の時などは、大陸内は勿論のこと、他の大陸からも評判を聞き付けた輩が足を運んだりもする。
そんな好評を博している露店街に、フランカも買い出しに来ていた。
――が、
「お、お、お腹空いたぁ~…………」
とある露店商で赤い果実を手に取り、買うか否かを吟味していたフランカ。
そこに一人の女性が通りがかったのだが、突如フランカの目の前で行き倒れ、フランカのローブの裾を指先で摘まんで引っ張ると、弱々しい、蚊の鳴くような声でこう言ったのだ。
「た、たた頼むぅぅ……。ぱ、パンズー一個……いや、水一杯でも構わない……なにか……何か食べ物……とにかく、食べ物を……っ!」
「……………………」
さて、困った。




