第8話 『一週間前、とある子羊の一幕』
三人称視点の回です。
それと、ここから第一章後半みたいな感じです。
この話は前回の第7話に続いておらず、ほぼ間話みたいな話です。第7話の続きは第9話から再スタートします。
もしややこしくなられたり、違和感を感じられた方には先にここでお詫び申し上げます。ただ、意味のない間話ではないということをご理解いただけると幸いです。
この世界において存在する、五つの大陸。
五つの大陸の中心である中央大陸を始めとして、北のコービャ大陸、西のザクス大陸、南のブーゲン大陸、そして東のセリウ大陸。
それら世界の一部によって、世界は構成されていた。
五つの大陸は、それぞれが島国に近い様相を呈している。
気候や風土、種族といった要素から大陸独自の“文化”を太古の昔に創り上げ、今でも新世代を担う人々の手によって発展し続けていた。しかし一つの大陸だけでは、長きにわたって栄誉ある軌跡を築き上げることは不可能だろう。
故に先人たちは、こう考えた。大陸同士で積極的な交流を行おうと。
お互いの大陸の特色を徐々に理解し、その理解を深めた上でお互いの大陸の“長所”と“短所”、または“こっちの大陸には有るけれど、あっちの大陸には無い物”などの意見を交換し、指摘し合う。
そうすることで、言わば“条約”にも似た協力関係が結ばれ、
『じゃあ、そっちの大陸に無い物をこっちから提供してあげよう!』
と、五つの大陸同士は“お互いの大陸の支援と利害の一致”を合意の元、領地が一番広大な中央大陸に大陸の総督を任せることで正当に契約し、手を取り合ったのだ。
こうして支え合い、寄り添い合いながら世界の安寧は今日まで守られてきた。
信頼という名の、五つの大陸間に生まれた“架け橋”によって。
では、そもそもそんな大陸同士の隙間を埋めているものは何か――。
答えは正しく、“海”だ。
無論、それはセリウ大陸と中央大陸の大陸間においても例外ではない。『セリウ海』と呼ばれる天空海闊な青の大地は、緩やかな凪と共に確かに存在していた。
セリウ大陸と中央大陸とを繋ぐ、唯一無二の海路――“架け橋”として。
また、セリウ海は“海上貿易”としての側面も併せ持っており、船室に大量の積荷を詰め込んだ商業用の商船、人や貨物を乗せて渡航する貨物船や客船などが毎日のように行き交っている。
と言うより寧ろ、セリウ海に面している大陸は中央大陸だけでなく、次いでセリウ大陸に近いブーゲン大陸からも貿易船は出航されているため、海上で優雅に漂う船の総数は数えるだけでも煩わしい。そんな海だった。
で、そんな海上貿易の場には、必然として取り引きが行われる“港”という場もあるわけで――。
『ウェズポート』。
セリウ大陸にある三つの貿易港(それ以外の大陸も同様に三つだが、中央大陸だけは四つ)の内の一つに、そう呼ばれる港があった。
セリウ大陸全土を統括する統治国家・リカード王国のあるラマヤ領はセリウ大陸の東端に位置しているが、ウェズポートはその真逆の西端だ。
また、ウェズポートはセリウ大陸とセリウ海の境界線――丁度海沿いをなぞる所に位置する港で、先述にあった中央大陸とブーゲン大陸の商船や貨物船の多くがその場に集結する。
要はセリウ大陸最大の貿易港だった。
と、そんなウェズポートに凡そ一週間ほど前の明朝、一人のとある人物が港の埠頭に降り立った。
時間帯としては、少し遅めの薄明が周囲を照らし出した頃のこと。
「……よっと。ほれ、着いたぞ」
「ああ、済まない。……改めてになるが、礼を言うよ。長旅に付き合わせてしまって悪かった」
プカプカとさざ波に揺れるは小さな木製の舟艇。その一隻の舟艇に、二人の乗組員が乗っていた。
一人はその舟艇を『念力魔術』と櫂で操縦していた青年。日に焼けた茶褐色の肌と頭に巻いているバンダナが特徴的で、肌身には直接半袖のチョッキを羽織っている。
こうした“濡れることを想定した”格好からも分かるように、彼は普段から海上や港で各大陸内部の農作物(海上商売においての農作物はかなり重宝される)を売り捌き、その儲けた金銭で生計を立てている“海上商売人”の一人だった。
「よせやい。さっきも言ったかもしれねぇけどよ、旅は道連れってやつで、これも何かの縁なわけさ。生憎とこの船は一人で商売する用の小っせえ商船だから、商売とか船旅に使う道具や積荷のおかげで大分と窮屈ではあるけどよ、人一人乗せることぐらいわけないさ。それに、俺もセリウ海の沖に出てしばらく漂流した後はここら一帯の海域で仕事をするつもりだったし……本当についでだよ、ついで。良いってことよ」
一方でもう一人の――そのとある人物は、暗緑色のローブを全身に纏っているという珍妙な輩だった。
加えて、フードで頭をすっぽりと覆っている。
そもそも“ローブを全身に纏う”という格好は、魔術師、ないしは魔術と強い結びつきがある一族や専門家、宗教団体などが好んでする着飾りである。
『魔術師』という職業が振興する昨今、それは今や魔術師を体現する格好と言っても過言ではなく、地方によっては『露店の色に合わせて魔術師が寄ってくる』という格言まであるほどだ。
とにかくその人物は、外見だけで推察するならばおそらく魔術師なのだろう。
が、流石にフードで頭まですっぽりと覆っている輩は、裏世界(違法行為などが平然と闊歩する世界)の事情で亡命、あるいは種族関係で迫害を受けている者でなければそうそう見ない。ましてや天候も至って良好。だから珍妙なのだ。
「それでもだ。乗り継ぎからの十日間程度とは言え、あなたがこうして船に乗せてくれていなかったらここまで辿り着くことはできなかった……。それに、ウチが部外者であるにも拘らず商売の方にも干渉してしまったことは事実だ。そうだろ?」
「義理堅いねぇ。まぁ確かに、お前さんが大層立派な貨物船の船倉からこっちの船に飛び移って来た時にゃあ、危うく腰を抜かしそうになったけどな……。それがまさか、セリウ海を自力で渡航するには資金が足りなかったから、海上に浮かぶ無数の商船をあちこち渡り歩いているときたもんだ。いやぁ、聞いて呆れるよりも先に、その大胆な発想と心意気には感嘆したよ」
「し、仕方がなかったんだ。突然押しかけたことも、悪いと思ってる……」
「あー、どうも勘違いをさせちまったみてぇだが……別に俺は、お前さんを責め立ててるわけじゃないんだ。皮肉を込めてるわけでもない。そんなことは全然構わないから、気にしないでくれ」
「ん? そうなのか? 迷惑じゃなかったのか……?」
「ああ、そうとも。……で、ちなみにお前さんの言ってる“商売への干渉”ってのは、“商品の荷出し”とか“金銭計算”のことかい? ハッ、わざわざ手伝ってくれたってのに何が迷惑なもんか。もしそのことを言ってるのなら、それはこっちが謝礼すべきさ。第一、お前さんは俺と客人の間に割って入ったり、水を差すような真似はしなかっただろ。寧ろお前さんが手伝ってくれたおかげで、この十日間近くは随分と気楽に商売をさせてもらったよ。うん、あんなに俺の話術にキレが増したのは久しぶりだったなぁ……。ま、そんなわけで客足も売り上げも上々よ。ありがとな」
「そ、そうか。そう言ってもらえると嬉しい……」
とは言っても、その人物のこうした礼儀正しい態度や温厚そうな声音から、そのような脛に傷を持つ人物像が浮かび上がることはまずない。
商人の端くれではあるものの、青年も立派な一商売人である。声を聞くだけでも“その人がどういった人なのか”を見定めることぐらいは容易なことで、そういった商売に関する基礎的な能力は一般人よりも遥かに長けたものを持っている故、寧ろ見定められないはずがなかった。
顔貌を隠しているのは何か特別な理由があるからなのだろう、と自己完結し、単なる思い過ごしだと思う他なかったのだ。
――ふと気付くと、朝焼けの空を舞う『ウミイヌ(カモメに似た鳥類)』が数羽、二人の頭上を旋回しながら鳴いていた。
二人は同時に暁天を仰いだが、結局次なる話題は何も思い浮かばず、会話がひと段落ついてしまう。
「えーっと、お前さんの荷物は荷物は……」
「真下だ。ほら、そこの足元に薄汚い背嚢が転がっているだろ?」
青年は首を巡らせ、キョロキョロと小さな舟艇の全域に視線を行き渡らせる。
そんな青年に、フードを被った輩――魔術師(仮)が指を差して優しく指摘した。
「おおっと、いけね。積荷の陰に隠れてて分からなかったよ。お恥ずかしいところを見せちまったなあ」
言葉に促されて足元を見やると、後ろ頭を掻いて照れ笑いをする青年。
「ほらよ」と、舟艇の甲板から両腕を伸ばしてその背嚢を魔術師(仮)に手渡す。
――必要最低限の旅道具しか詰め込んでいない、にしては少し容量を持て余した背嚢。長年使い古しているのか、確かに背嚢は萎びている上に色落ちしていていた。
魔術師(仮)はそれを慣れた動作で右肩に担ぐと、潮風に靡くフードを片手で押さえながら港町の方へと視線を走らせる。
気の短い商売人や真面目な漁船員以外は、まだ誰も顔を出していない朝方のウェズポート。
中央大陸に次いで居住者の多い、“平和過ぎる大陸”と言われるだけのことはあって、ここの港町にも温和な雰囲気が流れている。
優しい潮の香りと、それを乗せて運んでくる柔らかな潮風が特徴の港町で、セリウ大陸内部――特にラマヤ領付近――で高品質な農作物が盛んに実り、育つのであれば、こちらでは新鮮な水産物が豊潤に獲れる海域が近いことで有名だった。
それはどちらもセリウ大陸特有の、一年中日向ぼっこができるぐらいの温暖な気候が関係しているのだが。
「スゥ…………フゥ……」
少し湿った早暁の空気を肺に取り込むと、魔術師(仮)は再び視線を青年の方に戻した。
「……じゃあ、ここでお別れだな」
「だな。お前さんとの船旅……存外に楽しかった。偶然だったとは言え、ここに行き着くまでの最後の相手として俺の船を選んでくれたこと、光栄に思うよ。ま、まぁ、月夜の水浴びの時も含めて――」
「? 何か言ったか?」
「うわあ今朝食べた魚の骨がまだ喉にゲホッゲホッ! ……とにかく、いくら“平和過ぎる大陸”でも、これからの旅路で何事にも用心するのに越したことはないって言ったんだよ。油断は禁物ってこった」
「フッ、そうだな。感謝する。――その言葉、しかと胸に刻んでおくよ」
と、そこで一旦言葉を切ると、魔術師(仮)は片手を背後に回して背嚢の中身をまさぐり始める。
「……? おいおい、何してんだ?」
「ん、何って……十日分の運賃だ。あと食費もだな。“セリウ通貨”になってしまうが、それで換算してくれ。いくらになる?」
すると青年は、慌てたように手を素早く横に振り、即答した。
「いらないよ。この十日間で、お前さんは十分以上の働きをしてくれた。こっちはそれで満足さ」
「ふーむ、そうか…………。では、お前の素晴らしい舵取りの技量にってのはどうだ?」
「舵取りって……まさか、念力魔術と櫂で船を操縦していたことか? ハハッ、それなら尚のことお断りだよ。まぁ、傍目から見ると結構小難しく操縦しているように映るかもしれないが……あれって実は案外簡単なもんでよ、初級の攻撃魔術か回避魔術さえ習得してりゃ、あとはそこら辺にいるガキでもお手の物さ。ただ、その時に万が一のことがあっちゃいけないから、俺ら海上商売人は櫂で進行方向を微調整してるってわけよ。……ま、早い話がそんな安っぽくて幼稚な技術を称賛されたって、俺は嬉しくもなんともないってことだ」
「……ふむ。……分かったよ」
鬱陶しそうに善意を払い除ける青年に、どこか釈然としない面持ちだが素直に頷くと、魔術師(仮)は背嚢を背負い直して青年に背を向けた。
別れの時である。
「――達者でな」
「おう、お前さんもな。またどこかで会えるといいな」
「ああ、そうだな……。ウチも、心からそう願っているよ」
お互いに別れを惜しみながら、ポツポツと短い言葉を交わす。それ以上に気の利いた言葉が、喉から迫り出てくることはなかった。
それから一呼吸挟むと、魔術師(仮)は静かに、しかしそれでいて力強く大地を踏み締める。
一歩ずつ一歩ずつ、ゆっくりとゆっくりと、コツコツコツコツ、前へ前へ――。
そして。立ち止まり。
数歩進んだ先でもう一度だけ背後を振り返ると、魔術師(仮)は舟艇を係留させていた青年に力強く手を振り、大声で叫んだ。
「本当にありがとう! この恩義は、豊穣の女神の名に誓って決して忘れない!」
木組みの甲板の上で退屈そうにしていた青年は、煙草で一服しようとしていたが中断し、手を真っ直ぐに掲げ、魔術師(仮)の方にビシッと力強く親指を立てると、
「ハッハッハッ! お前さんはいちいちお人好しだなあ! だから良いってことよ! ここに来るついでだって言ったろ? んなこといちいち気にせず、お前さんはさっさと“同僚”ってヤツの元へ急ぎな!」
「ああ、そうさせてもらう! お前に、豊穣の女神のご加護があらんことを!」
「ハッ……よせやい。古臭ぇ習わしだが、俺ら商売人の間じゃあそういった神頼みはご法度なんだぜ。売れる売れないは、全てテメェの腕次第ってな! お前さんも、これから商売人と絡む機会があったら心得ときな! ま、今時こんな格式ばった観念にこだわってるヤツはごく少数だし、俺は気にしてねぇけどよ!」
これ以上の甘美な言葉が見つからない。思い付かない。
だからこそ、その言葉に精一杯の感謝を込めて、声の限り叫び続けるしかなかった。
「ああ、ありがとう! 本当に、ありがとう!」
そうして、魔術師(仮)はしばらくその場で手を振り続けた後、今度こそ大きな歩幅――迷いの消えた足取りで力強い一歩を踏み出し、埠頭から港町の方へと向かっていった。とても清々しい表情で。
途中、徐々に照度を鮮明にしていく暁の空を仰ぎ見て、魔術師(仮)は心中で密かにこう思う。ザクロ色の瞳を僅かに細め、にんまりと、愉快げに口元を緩めながら。
ここも、まだまだ捨てたもんじゃないな、と――。
サブタイトルにもあります通り、これは一週間前の過去の出来事です。
次回は現在に時間が戻り、第7話の続きからです。