表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/22

Ⅲ アウロラ(3)

 水族館を出る頃には、辺りはすっかりと暗くなっていた。

 訊けば、花音の自宅はさほど遠くないところのようだったので、岳は彼女を送っていくことにした。

 道すがら、一緒に並んで歩きながら、他愛のない会話を交わす。

 互いに笑い合う二人の姿は、十年来の友人同士と言っても違和感のない雰囲気だった。

 弱みをすべて見せてしまったせいなのか、岳は花音に対して、ある種の親近感を抱くようになっていた。

 そして、彼らの間にある空気も、それを証明するように、和やかで親密なものに変わりはじめていた。

「もうここだから大丈夫。ありがとね」

 そう言って花音が立ち止まったのは、少し小振りなオフィスビルを思わせる建物の前だった。

「すごいな、個人宅って感じがしないね」

 岳は驚いて思わずビルを見上げてしまう。

「父親の仕事場でもあるから」

 花音も一緒になって上を見上げた。

 すると、唐突に花音を呼ぶ声が響いた。

「花音っ! いままでどこへ行ってたんだ! 予定を外れる時は連絡するようにと、あれほど言っておいたではないか!」

 言いながら、精悍な顔つきをした壮年の男がビルから駆け出してきた。

 その様子から、岳はこの男が花音の父親なのだろうと推測した。

 そして、いまの自分はマズイ立場にいるのではないかと、そう思いはじめた。

「早く部屋へ戻りなさい。とっくに予定の時間を過ぎている」

 男は花音の腕を取ると、少し荒っぽく自分の方へと引き寄せた。

「お父さん、痛いって」

 花音が苦痛に表情を歪める。

「あの、娘さん、痛いって言ってますよ」

 そんな花音の様子に、岳は堪らず声をかけた。

「君は誰だ。なぜここにいる。見世物ではないぞ」

「わたしの友達にそういう言い方しないで!」

 排他的で高圧的な態度を見せた父親に、花音が怒気を含んだ声を上げた。

「友達だと? そんなもののために時間を使えとは言ってないぞ」

「そんなものとか言わないでよっ!」

 花音が絶叫に近い叫び声を上げる。

 岳にはここまで感情的になっている花音の姿が意外に思えた。

「止めるんだ。感情に揺れ幅を大きく持たせるのは良くない。落ち着いて深呼吸をしなさい」

 花音の様子に、父親が幾分動揺する気配をみせた。

 そして、岳の方へと首を巡らせると、口早に言った。

「君はもう帰ってくれないか。そして、もうこの娘には関わらないでほしい。ここまで他者に固執する反応を見せたのは初めてだ。これが何を意味するものなのか、まだ判断がつかない。外界の刺激を取り込むために学校に行かせてみたが、間違いだったか……」

 最後の方は完全に独り言のようになっていて、岳にはうまく聴き取ることができなかった。

「岳くん、ごめんね。父にはちゃんと言っておくから、今日はこれで」

 一変して、暗い翳りを滲ませた花音の声音に、岳はそこで明確に一線を引かれたような気がした。

 他人が容易に踏み込むことを許さない、拒絶するかのような、鋭い響きがそこには感じられた。

「……うん、なんだかこっちこそ悪かったね。また学校で」

 他所の家庭の事情に首を突っ込むことは、なんだか犯しがたい禁忌のような気がして、岳はそれを垣間見てしまったことに罪悪感を覚えた。

 言われたとおり、今日はおとなしく退散することにした。

 岳が身体の向きを変えて脚を踏み出そうとすると、花音がバッグから何かを取り出して岳へと手を伸ばしてきた。

「これ、あげる。今日のお礼」

 反射的に手を出して受け取ると、それは水族館の包み紙だった。

 瞬時にイソギンチャクのストラップが思い起こされた。

「……ありがとう」

 岳の戸惑ったような表情を確かめると、花音はにこりと頰を緩めた。

「大切にして」

 そう言い残して、花音は父親とビルの中へと消えていった。

 そんな二人の後ろ姿を見送ると、岳は花音の自宅を後にした。

 そして、最初の曲がり角へと差し掛かった時、不意に横から鋭く声をかけられた。

「三島木さんと何処へ行ってたんだよ」

 その声は多分に苛立ちを含んで響いた。

 蒔山千恵だった。

 不機嫌そうに唇を少し尖らせて、岳をじとっと睨みつけている。

「うわっ、蒔山!? なんだってこんな所にいるのさ!?」

 唐突に声をかけられた驚きと、相手が千恵だったことによる動揺とで、岳は慌てふためいた。

「何処へ行ってたのか訊いてんだよ」

 そんな岳の様子に、さらに苛立ちを募らせながら千恵は重ねて詰問をする。

「いや、三島木さんが案内してほしいって言うからちょっと……こっちが割り込んじゃった手前もあったし……」

「何処なんだよ!?」

「……浜の水族館」

 そう言うと、岳は視線を千恵とは反対方向へと泳がせる。

 浜とは、ここら辺で、海辺周辺の公園一帯を指す俗称だった。

「……浜の水族館って、あたしがあれほど行こうって言っても行かなかったくせに、三島木さんとは行くのかよ!?」

 千恵は驚きと同時に、悔しさで猛烈に腹が立ってきた。

 これまでに、再三行こうと誘っていたにも関わらず、一度たりとて良い返事をしなかった岳が、来たばかりの転校生と、しかも容姿の優れた女子とは簡単に行ったという事実に、千恵は憤慨していた。

「いや、だって、お前とはいつでも行こうと思えば行けるだろ!?」

「じゃあ、いつ行こうと思うんだよ!? 思わないじゃん!」

 岳の言い訳は、さらに火に油を注ぐことになった。千恵は完全に激昂していた。

 すると、そんな二人の口論に割って入るように一人の男が声をかけてきた。

「あの、すみません。お取り込み中のところ悪いんですけど、ちょっと訊いてもいいですかね?」

 物腰の柔らかそうなその男は、一見、大学生ぐらいにも思えたが、その一方で、どこか妙に落ち着いた老成したような雰囲気もあって、見た目の印象以上に大人であるらしかった。

 岳と千恵が訝しげに無言のまま視線を向けると、男は単刀直入に本題へと入った。

「えっと、君たちは三島木花音さんとは知り合いなの? もしそうなら、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど……」

 尋ねられた二人は、無言で互いに視線を交わす。

 この状況が怪しくないわけがない。

 この男と関わるのは避けるべきではないか。

 タイミングをみて立ち去ろう。

 そんな意思の伝達がなされたのかはわからないが、二人はこくりと頷きあった。

「ごめんなさい、先を急ぐのでオレらはこれで」

 視線を合わせないようにしながら岳は脚を踏み出すと、千恵の手を取って踵を返した。

「行こう」

 言って岳が少し強めに千恵の手を引くと、千恵は手を握られたことに気を取られていて、一瞬、反応が遅れてしまう。

「うわっ、ちょっ、待ってよ堂崎」

 すると、男が身を乗り出すようにしてその名前に喰いついてきた。

「堂崎!? もしかして堂崎洋史博士と何か関係が!?」

「っ、ど、堂崎洋史は父、ですけど……」

 岳は突然出てきた父親の名前に、思わず反応をしてしまう。

「じゃあ、君は……確か、岳君!?」

 男は父親の名前だけではなく、岳の名前までもを口にした。

 そのことに岳は驚いて、眼を見開きながら男の顔をまじまじと見返した。

 この人は何者なんだ。

 少なくとも自分は知らない。

 自分と父親を結びつけて考える人など、これまでに現れたことがない。

「自己紹介が遅れました。僕は日景智也といいます。いまは、とある財団で研究員をやっていますが、」

 日景と名乗った男はそこで一旦区切ると、岳の眼を覗き込むようにして続けた。

「以前はファーイースト製薬単幌研究所に在籍していました」

 その日景の言葉に、岳は強烈な衝撃を受けた。

 この日景という男はあの事故の生き残りなのか。

 そんな人間がなぜ自分の前に。偶然だとでもいうのだろうか。

「あぁ、僕はあの日、東京に出張していたので難を逃れたんですよ。悲しいことに、仲間のほとんどは亡くなりました。僕の上席にあたる堂崎博士もまた……」

「えっ!? じゃ、じゃあ、あなたは……」

「えぇ、僕は堂崎博士のチームで働いていたんです。なので、岳君。君のことも博士から話に聴いていましたよ。しかし、まさか、こんな所で会うだなんて夢にも思っていませんでしたが」

「あ、あなたはあの事故の詳細を、原因を知っているんですか?」

 岳は震える両腕で日景の肩を掴むと、急かすように揺さぶりはじめた。

「堂崎っ、ちょっと落ち着けって」

 そんな岳を千恵が慌てて引き離すと、日景は岳の眼を見ながら頷いてみせた。

「そうですね、岳君。僕は知っていることのすべてを、君に伝える義務があるのかもしれません」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ