Ⅲ アウロラ(1)
耳をつんざく爆発音と激しい振動。
むせ返るような焼け焦げる臭気。
真っ赤に燃え上がる視界。
そして、少女が振り返る。
「またね」
岳は勢いよく跳ね起きると、一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
暗闇の中、肩で荒い呼吸を繰り返すうちに、ここが自室だとわかってきた。
「……夢か」
だんだんと冷静になりながらも、悪夢の感触は消えてくれなかった。
気のせいだとわかってはいても、煙の臭いが漂っているように感じる。
額や胸元を嫌な冷たい汗が流れていく。
そして、あの少女の凜とした眼差しが、いまでも脳裏から離れない。
「やっぱり、三島木花音に間違いない……」
名簿で確認したにもかかわらず、岳にはどうしても二人が別人とは思えなかった。
時計を見ると、針は午前四時二十分を指していた。
きっと、もう再び眠ることはできないだろう。そんな予感があった。
岳は眠ることを諦めて、クローゼットの奥から分厚いファイルを取り出すと、何かに急かされるようにしてページをめくりはじめた。
それは、岳がこれまでに集めた事故に関する資料だった。
ファイルには新聞や雑誌の切り抜き、書籍のコピーや写真などが大量に挟み込まれていた。
すると、岳はあるページで、ぴたりとその手を止める。
大きく開かれたそのページには、印刷の粗い不鮮明な集合写真が貼られていた。
それは、たんぽろ幼稚園で行われた誕生日会の様子を伝える、地元紙の新聞記事を切り抜いたものだった。
『ちーちゃん、お誕生日おめでとう』と書かれた垂れ幕の下で、職員の女性が数名と、十名程度の園児が、二列に並んで写っている記念写真だった。
画質が粗いこともあり、岳自身はどれが自分だかもうわからなくなっていたが、一番右端にいる女の子の仕草に目が留まった。
それは、指で下唇を摘んでいるかのようで、三島木花音がみせた、彼女の癖を岳に連想させた。
これは偶然の一致なのだろうか。彼女の出現は、自分にとって何か意味のある天啓なのではないか。
――やはりもう一度、彼女に確認する必要がある。
写真を見つめながら、岳はそう思わずにはいられなかった。
家を出て、いつものように坂を上がると、いつものように蒔山千恵がいた。
そして、いつものように千恵が先に話しはじめる。
昨日のジェラートはめずらしいフルーツを使ったものが多くて、千恵の表現を忠実に再現するのであれば、『すげー神ってた』から、また行こうという話の後に、今日は委員会があって『鬼だるい』という話になった。
なんでも、千恵の所属している美化委員会では、生徒にペットポトルのラベルを剥がして分別させるにはどうしたらいいのか、ということが喫緊の課題らしく、参加者全員にアイデアの提出が求められていた。
今日までに、これといった妙案を思いつかなかった千恵は、居残りで考えることになるだろうと、我が身の不幸を嘆いていたのだった。
それを聴いて、放課後であれば、千恵が自分の計画に干渉してこないことを岳は知ったのだった。
なので、実行するべきは今日だと腹を決めた。
その日の放課後。昇降口で待っていると、女子たち数人に取り囲まれながら、三島木花音がやって来た。
そして、花音が靴を履き替えたところで、岳は彼女の前に立ち塞がった。
「三島木さん。ちょっと付き合って欲しいんだけど。いいかな?」
花音は少し驚いたような表情をみせたが、直ぐに平静を取り戻す。
「んー、怒鳴ったりしない?」
すると、花音の取り巻きたちが騒ぎはじめる。
「堂崎、またやってんの?」
「あんたもしつこいね」
「蒔山に言ってやろー」
外野の野次には構うことなく、岳は花音との距離を詰める。
「昨日は悪かったよ、ごめん。もう、あんなことはしないって約束するから」
花音はじっと岳の瞳を見つめながら、ほっそりとした指先で、摘むように下唇を折りはじめる。
その眼差し、その癖、やはりあの少女のものに違いないと、岳はひとり確信を深める。
「――篠宮って苗字に心当たりないかな?」
岳は少し身体を屈めると、声のトーンを落としてそっと尋ねた。
すると、その一瞬、花音の表情に変化があったように岳には見えた。
そして、岳の瞳を真っ直ぐに見つめたまま、花音はゆっくりとその形のよい唇を開く。
「――いいよ」
花音がそう答えると、取り巻きから抗議の声が上がる。
「えー、花音ちゃん、行っちゃうの!? ウチらはー?」
すると、花音は明るい笑みを浮かべながら、楽しそうに言ってのける。
「ごめんね、みんな。岳くん、わたしのことが好きみたいだから」
そんな花音の驕心ともとれる言葉に、女子たちからはどよめきが起こった。
「おー、言うねぇ」
「ってか、岳くんとか名前呼びだし」
「蒔山やべぇーじゃん!?」
しかし、それに一番の反応を示したのは、他でもない岳だった。
「いや、違うって! そんなんじゃないからっ!」
からかわれていることはわかっているのに、思わず顔が上気してしまう。
「まぁまぁ、気にすんなよ。蒔山にはちゃんと報告しとくからさ」
そんな冷やかしの声を無視しながら、岳は花音の腕を掴むと歩きはじめた。
「行こう」
「あれ? じゃあ、みんなまた明日ねー」
岳と歩調を合わせながら、花音は半身を捻って女子たちへと手を振ってみせた。
その後、彼女たちがまだ何かを言っていたが、岳はもう聴いてはいなかった。
そして、学校の正門を出ると、花音が待ち構えたように尋ねてきた。
「で、どこに連れてってくれるのかな?」
「話が聴きたいだけだよ。どっかその辺のカフェにでも行こう」
横目でちらりと花音を見ながら、岳はこの後どうするか、具体的には考えてなかったことに思い当たった。
とにかく学校ではない所へ連れ出せればいいと、単純にそれしか考えていなかったのだ。
「この辺ってさ、水族館、有名なんでしょ?」
その花音の唐突な問いかけに、岳は一瞬、理解が追いつかなかった。
水族館? 何を言ってるんだ? 何の関係がある?
「あるでしょ? 水族館」
花音がぐっと身体を寄せながら、少し苛立たしげに岳の顔を覗き込んでくる。
「えっ? あぁ、う、うん、あるよ……でも、それがどうかしたわけ?」
不意に花音の整った顔がすぐ近くに来たので、岳は思わず顎を引いて上体を逸らしてしまう。
「案内してよ」
「はい?」
腰の引けている岳の様子など気にかける様子もなく、花音はさらに一歩を踏み込んでその距離を詰める。
「みんなに案内してもらう約束だったの、今日」
そして、花音はまっすぐに岳の瞳を捉えて付け加える。
「横入りしたのはキミだよ。だから、これは義務」