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Ⅴ デザイア(4)

「えぇ、もちろん。確かに不老不死は魅力的な商品ですし、ファーイーストの本社や財団なんかは、まだ本気で欲しがっていますが、そんなものはダークエネルギーに比べれば瑣末なこと、オマケにもなりません」

「ダークエネルギー……?」

 思わず口をついた岳の呟きが、日景の注意を引いた。

「あぁ、そうだね。君たちも知る権利があるかもしれない。自分たちがいったい何に巻き込まれているのかをね」

 日景は岳たちを振り返ると、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

「君たちも宇宙が膨張しているって話しは聴いたことがあるだろう? ダークエネルギーってのは、その宇宙の膨張を加速させているエネルギーのことなんだ。って、わけがわからないかな? まぁ、宇宙全体に浸透している莫大なエネルギーだとでも思ってよ。でね、このダークエネルギーってのは今まで実際に観測されたり、実在が証明されたりしたことはなかったんだ。そう、いわば仮想上のエネルギーだったんだけど、例の遺跡の文明人たちは、なんとこいつを取り出して自由に使うことに成功していたんだよ! すごいと思わないかい!?」

 興奮気味に少し早口で話す日景とは対照的に、岳と千恵にはその凄さがよく理解できなかった。

「具体的にどう凄いんですか、それは?」

 わかったふりをする必要もないので、岳は素直に疑問を口にする。

 すると、日景は込み上げてくる笑いをどうにか抑えながら、頰を引攣らせつつ質問に答えた。

「ダークエネルギーを自在に使うことができれば、物理法則も時間も空間も、概念すらも、あらゆるこの世の理を変えることができるんだよ」

「それって……」

「そうっ! つまりは、神になれるんだっ!」

 ヒステリックに笑いながら、そう叫ぶ日景の眼には、狂気の色が滲んでいるように岳には見えた。

「いかれてるよ、あんた……」

 横にいた千恵にも、もはや日景はまともな人間には見えなかった。

「ぐふぅ……しかし、日景……神になることは叶わんぞ……。アウロラの力は貴様の手には負えん。わたしでなければ……」

 多少は落ち着いてきたのか、三島木博士がさっきよりも幾分しっかりとした口調で、日景の思惑を否定する。

「だから大丈夫だと申し上げたじゃないですか。いやむしろ、三島木博士。あなたの仮説では絶対に成功しませんよ?」

 嘲笑を浮かべながら、日景は三島木博士を見下ろす。

 そして、その嘲笑は愉悦の笑みへと歪んでいく。

「うっ……それは、それはどういう意味だ……!?」

 そんな日景を、痛みに顔を顰めながら三島木博士が睨みつける。

「あなたは十二年前に失敗した原因を取り違えている。あれはアウロラの暴走だと考えていますよね? 制御しきれなかっただけなのだと。なので、今度は制御しきれる形にすればいい。そう、お考えになられたんじゃないですか?」

「はぁ、はぁ……よ、依代の調整は完璧だ。我々の手に余らぬよう、デチューンしてある」

「だから博士、そうではないんですよ。ダークエネルギーは神の力だ。神のみにしか扱えないんです」

「……何を言ってるんだ」

「十二年前、我々は大きな間違いを犯した」

 日景は顔を上げると、身体を開いて拳銃を構えた。

「アウロラを神だと誤解したんです」

 振り上げた腕の先にある銃口は、水槽の中のアウロラを真っ直ぐに捉えていた。

「バーンッ」

 そう言いながら撃つ真似をすると、日景はまた足下の三島木博士へと視線を落とした。

「そもそもアウロラでは制御できないんですよ。彼女にその機能はないんですから」

「ふざけるなっ! では、貴様の言う、神がいるとでもいうのか!?」

「宗教的な意味での神が実在するのか、それは僕にはわかりません。ただ、かつて神に似せて造られた者はいました。それは僕も知っていますし、みなさんだってよくご存知だ。とても有名な存在ですからね」

「――神が造った……、まさか、アダムだとでも言うんですか!?」

 岳は思いついた答えを思わず口にした。

「そう。そのまさかだよ。最初の人類であるアダム。彼はどこまで神を忠実に再現していたのか。気になりませんか?」

「な、なにを……本気で神だのアダムだのと言っているのか!? うっ、げほぉ、げほぉ……」

 三島木博士は苦しげに咳き込むと、激しく吐血した。

 しかし、その見開かれた眼からは、まだ力は失われていなかった。

「三島木博士、あなたの失敗はそこなんですよ。あなたは考古学的なアプローチをずっと軽視してきました。これはその報いなのです」

「考古学的アプローチだと?」

「えぇ、僕は事故の調査をする中で、堂崎博士の不可解な行動に気付きました」

 自分の父親の名前が出てきたことで、岳の表情に険しさが増す。

「堂崎博士は後年になって、イスラエルの遺跡を頻繁に訪れていたんです。初期の大規模調査以降、直接行くことは滅多になくなっていたのに、急にです。僕はそこに何か引っかかるものを感じたので、十年以上ぶりに行ってみたんですよ、あの遺跡に。そして、堂崎博士を手伝ったというイスラエルの研究チームに頼んで、博士が何をしていたのかを教えてもらいました」

「そんな話しは初めて聴いたぞ……」

「でしょうね。堂崎博士のチームにいたのに、僕だって知りませんでしたから。元々、出張で不在がちな方でしたからね。違和感がなかった……あぁ、いや、話を戻しましょう」

 日景は銃口を三島木博士にあらためて向け直すと続けた。

「堂崎博士は、遺跡のある特定の一室だけを調べていたそうです。そして、その部屋には誰も入るなと、きつく言い渡していたとか……。もう、そこに何かあるのだろうということは、誰にでも見当がつくことでしょう。僕もその部屋に狙いを絞って入念に調べてみました。これでも僕の専門は堂崎博士と同じですからね、謎を解明する自信はそれなりにありました」

 くつくつと愉快そうに日景が笑い声をあげるが、他に笑う者など誰もいなかった。

「そして僕は堂崎博士が何をしていたのかを理解しました。というのも、そこで僕はある神秘的な体験をしたんです。あぁ、こんな言い方をすると宗教的な体験のように聴こえるかもしれませんが、そうではありません。失われた科学力の一端に触れたのです」

 日景は神経質そうに靴音を響かせると、その場で歩き回りながら続ける。

「その部屋では、ある条件を満たすと、直接、脳にメッセージがイメージの塊として挿入されるようになっていました。そこは、所謂、ライブラリーだったのです。その内容は、例の遺跡を造った文明の歴史を追体験するもので、それにより僕はすべてを理解しました」

 そこで一旦区切ると、日景はその場にいる全員の顔を、ゆっくりと見渡した。

 すると、日景の勿体ぶった話にしびれを切らした岳が、堪えきれずに口を開いた。

「――いったい何を理解したと言うんです!?」

 そんな岳の様子に、日景はいやらしい笑みを浮かべながら、のらりくらりと勿体つける。

「もちろん、これは堂崎博士も同じことを理解していたはずだよ。何と言っても、我々、考古学側の輝かしい成果だからね」

 すると、苛立ちを色濃く滲ませた声音で、岳が先を促してくる。

「だから、何なんですか!?」

「はははっ、ちょっとやり過ぎたかな? じゃあ、お答えしましょう。僕が理解したこと、それは旧約聖書にみる創世記は史実だということなんだ」

 その日景の言葉に、三島木博士が咳き込みながら呆れてみせる。

「げほっ……日景……貴様はさっきから何を言ってるんだ……?」

 しかし、日景は三島木博士の言葉などまったく気に留める様子もなく、嬉々とした調子で続ける。

「これだけ長きに渡り世界中に知られた物語が、まったくのフィクションだなんて考えにくいと思いませんか?」

「……なに?」

「旧約聖書の創世記に出てくるエピソードや設定の多くは、あの遺跡を造った文明に端を発しているんですよ」

 すると、日景の持つ拳銃へチラリと視線を送りながら、岳が慎重に尋ねた。

「っということは、あなたの言う神やアダムは比喩ではないと……?」

 下手に刺激をしない方がよいのだろうが、それを確認せずにはいられなかった。

「もちろんだよ、本当に実在したんだからね。あの遺跡を造った文明は地球のものではない。造った本人たちは自分たちを『ヤーヴェ』と称していた。そう旧約聖書の神の名だよ。そのヤーヴェたちは、自分たちを模して『アダム』を造った。自分たちに代わり、この地球を統治させるためにね。しかし、アダムは完成度が高すぎた。まぁ、つまりは、彼らが御していくにはオーバースペックだったのさ。そんなアダムが自分たちの脅威になることを恐れたヤーヴェたちは、アダムから力の一部を分離させることにしたんだ。それがイヴ。そこにいるアウロラだよ」

 言って日景は拳銃で水槽を指し示した。

 蒼白い溶液の中で、アウロラが静かに揺蕩っている。

「イノセントブルーも、元を正せばディープクリムゾンの一部だ。アダムから分離された力がイノセントブルーなんだ」

「じゃあ、アウロラとアダムは元々、一人の人間だったってことですか?」

「神を上回ってしまった存在を人間と呼ぶのかは疑問だけれど、そういうことだね。元々は一人のニンゲンだ」

 すると、水槽を見上げる日景に、千恵が乱暴に尋ねた。

「じゃあ、そのアダムとやらはどうしたのさ? その話だと、そいつが紅い結晶の持ち主じねーのかよ?」

「残念ながらアダムは失われたんだ。それと同時に、遺跡の文明も失われたんだけどね」

「どういうことだ?」

「アダムからイヴを分離したヤーヴェは、次に現生人類の始祖を造ったんだ。アダムの失敗を教訓に、もっと扱いやすい者としてね。そして、彼らは自分たちの文明の一部を人間に分け与えて、この地球を去った。しかし、ヤーヴェたちがいなくなった後、その人間たちは過ちを犯した。アダムを介してダークエネルギーを取り出そうとしたんだよ。だが、イノセントブルーを分離したアダム単体では、アウロラ同様、ダークエネルギーを制御できなかった。まぁ、人間はそのことを知らなかったんだろうね」

 そして、日景は左手を顎にやって思案するような仕草をすると、少し声音を低いものへと変えて続けた。

「これはあくまで推測なんだが、アダムの方がアタッチできるエネルギー量が多かったはずなんだ。イヴ、つまりアウロラの時とは絶対的な規模が違っていただろうね。手に負えなくなった膨大なダークエネルギーが、どんな惨劇をもたらしたのかは想像もつかないよ」

 すると、苦しそうな嗄れ声を出しながら、三島木博士が顔を上げる。

「……っ、アダムもいない。アウロラでは叶わぬ。その劣化コピーである依代では当然無理だ……では、貴様はどうしようというのだ、日景っ」

「三島木博士、僕は最初に言ったはずですよ。神の力は神にしか扱えないと。それは本来ならば神たるヤーヴェにしか使えない御業。しかし、神を上回った存在であれば使えたりしませんかね? 本物以上の力を持ってしまった彼らのレプリカならば、ね?」

 日景は口元を歪めて、醜悪な笑みを浮かべる。

「オリジナルのアダムか……しかし、そんなものがどこに!?」

「アウロラはオリジナルアダムの半身。イノセントブルーとディープクリムゾンは既に揃っている。そして、アウロラの足りない部品を補うための女性の依代が一体と、」

 そこで日景は一旦区切ると、岳の方を見ながら付け加えた。

「――親和性の高い遺伝形質を持つ男性が一体」

 醜悪な日景の笑みが、さらに大きく歪んでいく。

「どういう意味だよ!?」

 すると、岳よりも先に千恵が血相を変えて喰いついた。

「そのままの意味だよ。オリジナルのアダムを再現するには男女の肉体が必要なんだ」

「なんでそんなことわかんだよ!? 遺跡じゃあ、神様がアダムのレシピも教えてくれたってのか!?」

 千恵が気色ばむと、日景は大声で笑いだした。

「はっはっはっ、これは傑作だ。レシピか、神様のレシピとは秀逸だね」

「答えろよっ!」

「いや、これは失礼。君のセンスはなかなか素敵なものがあるので、ついね」

 日景は口元を覆っていた手を離すと、千恵へと向き直った。

「オリジナルのアダムには性別はないんだ。両性具有というのかな。神は男でもあり、女でもあるのさ」

「両性具有……?」

「なに、驚くことではないよ。原始の神が両性具有だなんて神話ならゴロゴロあるんだ。まぁ、その全てのモデルはオリジナルアダムなんだけどね」

「そいつを再現するために岳を使うっていうのか!?」

 ――冗談じゃねぇ。そんなこと許容できるはずがねーだろ。

 千恵はその身に怒りが湧いてくるのを止められなかった。

 しかし、日景は涼しい顔で、悪びれもせずに言ってのける。

「岳君にはそれができるんだよ。神の力をこの世に再びもたらす一助となれるんだ。素晴らしいとは思わないかい?」

「ふざけんなっ!!」

 千恵が堪えきれずに怒声をあげると、日景が腕を伸ばして拳銃を構えた。

「少し静かにしてもらおうかな。君に危害を加えたくはないんだ。僕はこれでもフェミニストでね、女性を尊敬している。なので、個人的な信条としても君を傷付けたくないし、なにしろ、そんなことをしては岳君に協力してもらえなくなってしまうからね」

 そう言うと、日景は岳へと目配せをしてみせる。

「少し落ち着くんだ。日景さんが蒔山に危害を加えたくないってのは、たぶん本当だと思う。状況から考えても、それが一番合理的なやり方だからだ」

 一瞬、チラリと日景へ視線をやってから、岳は千恵を見た。

「そうだね。僕は合理主義者でもあると付け加えておこうか」

「こんな奴にさん付けなんていらねーよっ!」

 そんな日景の言葉に被せるようにして千恵が叫んだ。

「おやおや、すっかり嫌われてしまったようだ。まぁ、とにかくおとなしくしていることだよ。それが岳君の望みでもあるんだからさ。君だって彼には協力したいだろう?」

 ――パシュッ、パシュッ

 すると、唐突にガスが抜けるような音が室内に響き渡った。

 それと同時に、アウロラの水槽に気泡が浮かびはじめる。

「なんだ!? いったい……」

 岳と千恵の二人が水槽を振り仰ぐと、水槽横のコントロールパネルらしき部分に三島木博士の姿があった。

「はぁ、はぁ、……日景、思い通りにはさせんぞ。これでアウロラは失われた……貴様の野望も失われたのだ」

 三島木博士は血塗れの腕で腹部を押さえながら、かろうじて水槽に寄り掛かかる。

「何をしたんです、博士?」

 そんな三島木博士に向かって、暗い眼をした日景が優しい声音で尋ねた。

「……アウロラの生命を維持していた溶液と、ナノマシンを排出しているのだ。げほっ、彼女は不死身じゃない……こうしてボタンひとつで殺すことができる」

 言いながら、三島木博士は水槽に設置されたエマージェンシーボタンを指し示す。

 ボタンを覆っていたカバーは破壊され、破片が周囲に飛び散っていた。

「……ふははは……あはははっ、はっはっはっ!」

 すると、日景が気でも触れたかのように大声で笑いはじめた。

「……ふっ、失望でイカれたのか」

 三島木博士の口元に卑屈な笑みが浮かぶ。

「あーっはっはっはっ!」

 日景は心底可笑しそうに、誰に憚ることなく身を捩って笑っていた。

「いやぁ、博士ぇ。ひとつお伝えしておくと、僕はアウロラは既に失われたものとして動いてきたんですよ。今さらアウロラがなくなったところで、何の問題もありません。そりゃあ、あった方が都合がいいに決まっていますがね。アウロラの生体は一部があればいいんですよ。形は依代で造りますから」

 そう言うと、日景はポケットから小さな円筒状の金属を取り出した。

 そして、胴体部分を回すようにスライドさせると、中身を見せてきた。

 そこには蒼白い溶液に浸った何かの欠片が入っていた。

「……それが何だというのだ?」

 痛みに目を細めながら、三島木博士が訝しげに尋ねる。

「これは、アウロラの再生能力を実証するために切断された、彼女の人差し指ですよ。お忘れですか? あなたがやったことではないですか」

「……あ、あの時のサンプルだというのか!? どうしてそれが!?」

 日景は眼の高さまで容器を持ってくると、中身をまじまじと見つめた。

「堂崎博士ですよ。遺跡での生体認証の可能性を懸念していたようですね。後年の調査時に遺跡へと持って行き、その際、イスラエル側に調査協力の対価として提供を求められたようです。少し前に財団がイスラエルから買い戻しました。いやぁ、高くつきましたよ」

「くっ、」

 すると、三島木博士はコンソールパネルに覆いかぶさるように身体を預けたかと思うと、パネルを操作しはじめた。

 ――パンッ、パンッ

 先ほどと同じように乾いた音が鳴り響く。

 日景が手を挙げて、射撃体制で待機していた二人組へ合図を送っていた。

「これ以上、余計なことは止めていただきましょうか、博士」

 三島木博士からの反応はなかった。

 コンソールパネルは血飛沫で赤く染まり、床に拡がる血溜まりの海は、その範囲を拡大しつつあった。


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