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異世界のオークな大騒動  作者: 中之下
2/2

異世界のオークな大騒動(下)

 離れを出たセレーネは、外で待っていた二人の兵士に告げる。


「リョーチは無事だったぞ」


 おおっ、と二人の兵士が喜びをあらわにする。


「だが負傷していてしばらく動けないそうだ。一人で傷の手当てをするから、それまで誰も中に入れるなと言っている。お前たちは、誰も中に入れないようにここで見張っていてくれ」


「はっ!」


 二人の兵士はそろって元気よく答えたが、そのうちの一人が質問する。


「姫様、結局中で何があったんでしょうか?」


「リョーチにもよくわからないらしい。中に入ったらオークがいて襲いかかってきたそうだ。突然のことで不覚をとったと恥じていたよ。たださすがはリョーチというべきか、普通の人間なら死んでもおかしくないような傷も、あいつにとってはかすり傷程度だ」


 そこでセレーネは玄関前に倒れているハースを見る。


「この男、もしかするとオークを操る魔法使いだったのかもしれんな。リョーチの反撃を受けて死んでしまったから、よくわからないが」


 魔法使いというのは当たっていたが単なる偶然だ。それも含めて全てはセレーネが考えた作り話だった。


「この男が何者で、誰に雇われたのか。そういう話は後回しだ。まずは逃げ出したオークの後始末だ」


 そう言っているところへ、兵士たちを呼び集めに行っていた者が帰って来た。

 連れてきた兵士は二十人ほど。全員が赤い鎧を身につけてはいたが、中にはすでに酒を飲んでいて顔が赤くなっている兵士も混じっていた。


「楽しんでいたところをすまんな」


 まずは軽く謝ってから話を続ける。


「だが緊急事態だ。先程、私の屋敷にオークが現れ、襲われたリョーチが怪我をした」


 兵士たちがざわついた。


「信じられないだろうが本当のことだ。私を含め、多くの目撃者がいる。リョーチは軽傷だったが、オークは街へと逃げ出した。我々は今からそのオークを狩る。全員ついてこい」


 セレーネは兵士たちを率いて、街中へと出陣した。




 王都のメインストリートは大混乱に陥っていた。

 原因は突如として現れた一体のオークだった。

 この世界にはモンスターがあふれているが、王都は高い城壁と軍隊によって守られている。ここは世界中で一番安全な場所だ――王都の住人の中には、そう思っていた者も多かった。

 そこへ突如として凶悪なオークが現れたのだ。

 安全だと思っていたからこそ衝撃は大きく、モンスターに慣れていない住民はパニックになった。

 悲鳴を上げて逃げ惑い、あちこちでぶつかったり、転倒する者が続出。

 リョーチはそのパニックをさらに助長すべく行動する。

 叫び声を上げ、人が多い方へと突進する。

 道に出ていた食べ物屋の屋台を担ぎ上げると、それを群衆に向かって放り投げる。

 街には警備の兵士たちも多くいたのだが、逃げ惑う人々のせいで組織だった行動がとれなかった。武器を構えてリョーチに向かってくる者もいるのだが、せいぜい数人単位だったから、リョーチはそれを簡単にあしらった。

 とはいえ無闇に殺すつもりはなかったので、基本的にはつかんでは投げ捨てるだけだ。骨ぐらい折れるかもしれないが、殴り殺してしまうよりはマシだろうと思うことにする。

 そうやってしばらく好き放題に暴れていると、群衆を無理矢理かき分けるようにして、数十人の軍勢が現れた。


「どけどけ! 道を空けろ!」


 軍勢は赤い鎧で統一されていた。そして彼らを率いていたのは美しい少女だ。


「セレーネ様だ!」


「姫様が来てくれたぞ!」


 群衆から次々と歓声上がる。


「お前たちは奴を逃がさぬように包囲しろ!」


 部下に命じたセレーネは、剣を抜いて前へと出る。


「奴は私が仕留める!」


 剣を抜いたセレーネが斬りかかると、リョーチはたまらず後ろへと下がった。セレーネ相手に殴りかかるわけにはいかないと思ったからだ。

 周囲から見れば、セレーネが凶悪なオークを押しているように見え、さらに彼女を応援する声が大きくなる。


「そこの店に飛び込め」


 周囲の歓声に紛れて、リョーチだけに聞こえるように小声でセレーネが言う。

 リョーチは彼女の言葉に従って、道の横にあったお店――たぶん食堂か酒場だ――に飛び込んだ。その後をセレーネも追って店へと飛び込む。

 すでに逃げ出したのだろう。店の中は無人だった。


「とりあえず、怪しまれないように適当に暴れ続けろ」


「わかりました」


 リョーチは店の中を動き回り、テーブルやイスを持ち上げては投げ捨てる。セレーネもそれに合わせて一緒に動く。店の外から見れば、両者は激しく戦っているように見えるはずだ。


「起こったことをどうこう言っても仕方がない。まずこの店を出たら、通りを右に進んでジャンデルの店へ行け。場所は知っているな?」


「あの大きな店か?」


 動き回りながら会話を交わす。

 ジャンデルというのは王都でも名の知られた大商人だった。王都のメインストリートに面するように大きな店を構えている。


「どうせならこの事態を利用しよう。あの店を徹底的にたたき壊せ」


 ジャンデルはセレーネと対立する貴族派の、有力なスポンサーの一人だった。

 この時のリョーチはそれを知らなかったが、たぶん姫様の敵なんだろうと思った。転んでもただでは起きないというか、たくましいな、とも。

 ジャンデルの店に入ったことはないが、馬車に乗って何度か前を通ったことはあったので、場所はわかった。

 大きな店の前には、いつも店が雇った警備の兵士が立っていて、身なりのよくない者を手荒く追い払うのを見たこともあった。そのため、建物は立派だけど感じの悪い店だなあ、という印象が残っていたのだ。


「わかった。暴れ回ればいいんだな」


 答えたリョーチは店の壁に向かい、勢いをつけて肩からぶつかる。リョーチの巨体は店の壁をあっさりと突き破り、転がるようにして店の外へと飛び出した。

 外では野次馬たちが店内の様子を見ようと、じわりじわりと近づいてきていたのだが、いきなりリョーチが飛び出してきたため、悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 そんな人々を追い立てるように、リョーチは通りを走る。何人かリョーチの前に立ちふさがろうとした兵士もいたが、足を止めることなく彼をはじき飛ばす。

 あそこか!

 やがて目的のジャンデルの店が見えてきた。リョーチは方向転換し、店に向かって突進した。

 店の前に二人の警備の兵士が立っていた。

 二人とも向かってくるリョーチに驚いていたが、すぐに逃げだそうとはせず、一人の兵士が持っていた槍を構えてリョーチに突き出した。

 リョーチは顔をガードするように腕を上げ、そのまま兵士に向かって突っ込んだ。

 槍はリョーチの左脇腹のあたりに刺さった。勢いがついていたからだろう。槍は堅いオークの皮膚を貫いて、中の肉まで届いた。

 これはリョーチも痛かった。だがそれでも止まらず、リョーチは恐怖に目を見開く兵士に体当たりをぶちかました。

 兵士の体は吹き飛び、背後の店の壁に激突、そのまま地面に崩れ落ちた。気を失っただけなのか、それとも死んでしまったのか、見ただけでは判断できないような激突の仕方だった。

 リョーチが残ったもう一人の兵士の方を向くと、彼は悲鳴を上げ、槍を捨てて逃げ出した。

 これで邪魔する者はいなくなり、リョーチは店の入り口から中へと入った。

 広々とした店の中には、多くの店の人間と、身なりのいい客が何人かいた。

 店の人間も客も、外の騒ぎには気づいていたのだが、まさかオークが暴れているとは思っていなかった。お祭り騒ぎで騒がしいな、ぐらいに思っていたのだ。

 店内にいた人間からは、近づいてくるリョーチの姿も見えなかったため、リョーチの出現は不意打ちとなった。

 一瞬の沈黙の後、誰かが上げた悲鳴を皮切りに店の中は大パニックになった。店の人間も客も、我先にと逃げ出す。

 店の入り口にはリョーチが陣取っていたため、全員が店の奥へと走った。

 リョーチは逃げる人間にはかまわず、店の棚に置かれた品物を確認する。

 ジャンデルの店が扱っていたのは、貴金属や宝石などの装飾品だった。それも安物ではなく高級品ばかりだ。

 リョーチはそんな高級品が置かれた棚を担ぎ上げると、店の外へ投げ出した。

 メインストリートを走ったリョーチの後ろには、恐怖心より好奇心を優先した多数の野次馬が付いてきていて、少し離れたところでジャンデルの店の様子をうかがっていた。野次馬たちは最初、店から投げ出された物がなんなのか気がつかなかった。

 だが誰かがその正体に気づき「宝石だ!」と叫ぶと、歓声を上げてそれに殺到した。

 店内のリョーチは暴れ続ける。棚を抱えたまま、石造りの壁に体当たりする。さすがに一流店だけあり、店の壁は頑丈な石造りとなっていたが、リョーチが二度三度と体当たりを繰り返すとひびが入り、ついには崩れて穴が開いた。リョーチは開いた穴から外へと飛び出し、持っていた棚を放り投げる。

 地面に落ちた棚は壊れ、破片とともに中に入っていた貴金属が散乱する。

 これまではリョーチが姿を見せると、群衆は悲鳴を上げて逃げていた。だが欲に駆られた人間は強い。店の中からリョーチが飛び出ても、全く気にせず飛び散った店の商品を拾い続ける者もいた。

 店の柱や壁を壊し、中の物を何でもかんでも外へ投げ捨てていると、そこへ遅れてやってきたセレーネが飛び込んできた。


「化け物め! 今度は逃がさんぞ」


 セレーネは剣で斬りつけてくるが、それはわかりやすい大振りだ。リョーチはセレーネの攻撃をよけながら暴れ続ける。


「いいぞ。もっとやれ!」


 セレーネがニヤリと笑ってそんなことを言う。彼女は本当に楽しそうだった。もしかしてジャンデルに個人的な恨みでもあったのだろうか?

 そのまま二人して暴れ回ることしばし、ミシミシときしむような音が聞こえてきた。


「そろそろ限界か。リョーチ、店が崩れる前にここを出て、今度はどこか近くの適当な家に飛び込め」


 そう言ったセレーネが店の外へと飛び出す。

 リョーチは構わず暴れ続け、さらに一本の柱を突き崩したところで限界が来た。度重なる破壊でついに建物が崩壊したのだ。

 轟音を立てて屋根が崩れ落ちてきてリョーチは悲鳴を上げた。


「うわっ!? ちょっ!?」


 調子に乗りすぎて、建物が崩れるとどうなるか考えていなかったのだ。リョーチは崩れた建物の下敷きとなり、店の周囲にはもうもうとほこりが舞い上がった。


「やったぞ。下敷きになりやがった!」


「馬鹿なオークめ!」


 周囲の人々から歓声が上がったが、それはまだ早かった。

 がれきの山の下から、ボコリと腕が出てきた。それに続いてがれきを押しのけるようにオークの巨体が立ち上がった。

 人々の喜びの声が、悲鳴混じりの声に変わった。

 立ち上がったリョーチは軽く頭を振りつつ、今のは少し危なかったと思った。崩れてきた家の下敷きになったときは、このまま死ぬか生き埋めになるではないかとあせってしまった。こうしてどうにか出てこられたが、体のあちこちが痛い。頑丈なオークでもやはり限度はあるのだ。


「しぶといオークめ。今度こそとどめを刺してやる」


 剣を手にしたセレーネが、再びリョーチの前へと出てくる。

 リョーチは彼女が最後に言っていたことを思い出す。

 どこか適当な家に飛び込めって言ってたよな。

 あたりを見回し、その適当な家を選ぶと、そちらへ向かって走り出す。


「待て!」


 その後をセレーネが追った。

 リョーチが選んだ家は、城で働くとある下級役人の家だった。この時、家の主である役人はおらず、その妻と子供と召使いがいたのだが、彼女たちは家の外へ出て一連の騒ぎを眺めていた。

 そこへリョーチが向かってきたので、彼女たちは悲鳴を上げて家の中へ逃げ帰った。だがリョーチはそのまま家の窓を突き破って中へと侵入した。

 彼女たちは再び悲鳴を上げ、今度は家の裏口から外へと逃げ出した。

 リョーチ以外は誰もいなくなった家の中に、続いてセレーネが入ってきた。


「リョーチ。とりあえずここで死んでくれ」


 リョーチのところへやってきたセレーネは、いきなりそんなことを言った。




 家に逃げ込んだリョーチを追って、セレーネが家の中に入ってから、しばらくは激しい物音が続いた。

 周囲に集まった野次馬は、固唾をのんで家の方をうかがっていたが、やがてひときわ大きいオークの叫び声が響いたかと思うと、急に静かになった。

 そして家の中からセレーネが出てくる。


「オークはこのセレーネが討ち取った!」


 剣を掲げたセレーネが高らかに宣言すると、周囲の人々から大歓声が上がった。その声はやがて「バルド・セレーネ!」の唱和へと変化する。

 セレーネは配下の兵士に命令する。


「この家を封鎖しろ。私は一度屋敷に戻るが、すぐにここへ戻ってくる。それまで屋敷の周囲を囲み、誰であろうと絶対に中へ入れるな」


「はっ!」


 ここにいた彼女の兵士は二十人ほど。彼らは言われた通りに家を囲んで配置についた。

 セレーネは自分をたたえる人々に手を振って応えながら、足早に自分の屋敷へと戻った。

 屋敷へ帰ったセレーネは本邸へは向かわず、リョーチの離れへと向かった。離れの玄関には、彼女が屋敷を出たときのまま二人の兵士が警備についていた。

 倒れていたハースの死体は見あたらなかった。特に命じてはいなかったが、そのままにはしておけないということで、誰かが片付けたのだろう。


「異常はなかったか?」


 セレーネが兵士に訊ねた。


「ありませんでした」


「中に入ろうとした者もいないな?」


「はい」


「リョーチは何か言ってきたか?」


「いえ。リョーチ様からは何も言われていません。ずっと静かなままです」


「そうか。ご苦労だった。ここはもういいから、お前たちは本邸の方へ行って、そっちの警備に当たってくれ」


「はっ!」


 二人の兵士が言われた通り本邸に入っていくのを見て、次にセレーネは屋敷の庭に止めてあった馬車へと向かった。

 馬車はリョーチのサイズに合わせて作られた特注品だった。室内空間を広くしたため、並の馬車より一回り大きい二頭立ての馬車になっている。装飾も少ない質実剛健な作りだったが、それが重厚な威圧感となっていた。セレーネとリョーチが移動するときはよくこの馬車を使っていたため、王都ではセレーネ姫の馬車として結構有名になっていたりする。

 今日も何もなければこの馬車で城へ向かう予定だったので、馬車には二頭の馬がつながれ準備万端だった。

 普段は兵士の誰かが御者を務めるが、今日はセレーネが御者台に座り、馬車を離れの玄関に横付けする。

 馬車の扉を開けたままにして、セレーネは離れの中へと入る。

 すぐに出てきたセレーネは荷物を抱えていた。

 リョーチの鎧のパーツだった。

 セレーネは誰も見ていないことを確認し、鎧のパーツを馬車へと積み込む。それからしばらく、馬車と離れの中を往復し、リョーチの鎧を全て馬車へと積み込んだ。


「さすがに重いな」


 鎧を全て積み込み終わる頃には、セレーネの額に汗がにじんでいた。

 バラバラにして運んでも、それぞれかなりの重量があった。改めてリョーチの人間離れした体力に感心する。

 だが積み込んだだけではまだ仕事は終わらない。

 今度は馬車のイスの上に鎧を組み立てていく。外から見て、イスに座っているように見せかけるためだ。

 作業を終えると馬車の扉を閉め、外から窓をのぞき込んで中の様子を確認する。

 鎧の姿勢はちょっと不自然に見えたが、それは自分が中身が体と知っているからだろうと思った。それに時刻はすでに夕暮れになりつつあった。暗くなってくれば中の様子は見えにくくなる。これなら大丈夫だろう。

 セレーネは馬車を本邸の前へと動かし、中にいるメイド長のソフィアと兵士たちを呼び出した。

 セレーネは彼らにオークを倒したことを手短に説明し――もちろんオークの正体がリョーチだとは隠したまま――もう一度現場に行ってくると伝える。今度はリョーチと一緒に。


「リョーチ様はもう大丈夫なのですか?」


「本人は大丈夫と言っている」


 御者台に座るセレーネが、後ろの馬車の方を向いて言う。ソフィアや兵士たちも、セレーネの視線につられるように馬車を見た。

 馬車の窓からは、中にリョーチの黒い鎧が座っているのが見えたはずだ。誰も不審そうな顔は見せなかったので、彼女の思惑通り、リョーチが乗っていると思い込んでくれたようだ。


「もう大丈夫だと思うが、一応今晩は警戒を怠らないようにしろ」


 最後にそう命じて、セレーネは馬車を走らせた。

 セレーネがオークを倒した屋敷の近くまで戻ってくると、その屋敷の門の前で兵士たちがもめているのが見えた。

 王都の警備兵たちが中に入れろと主張し、セレーネの兵士たちがそれを押しとどめている。双方ともかなりに気が立っているようで、激しい口論になっていた。

 やって来るセレーネの馬車に気づいたのだろう。双方とも口論するのをやめ、彼女が来るのを待ち構えた。


「ご苦労だった。このまま封鎖を続けて、誰も中に入れるな」


 セレーネは自分の配下の兵士にそれだけ命じると、屋敷の庭に馬車を入れようとした。


「待っていただきたい!」


 無視された警備兵たちの隊長らしき人物が、慌てたようにセレーネに声をかけた。


「私は王都警備隊の――」


「私はセレーネだ」


 名乗ろうとした隊長の言葉を遮り、セレーネが名乗った。


「後ろの馬車には私の部下のリョーチが乗っている」


 馬車の中をのぞき込んだのだろう。警備兵たちの間で「黒い戦士リョーチだ」「黒い戦士が乗ってるぞ」などという言葉が交わされる。


「どこの誰かは知らないが、名乗るということは、私に名前を覚えてもらいたいんだな? 私たち二人の邪魔をした男として」


 冷たい声でセレーネが言うと、隊長の顔が凍り付いた。

 彼もまた王都の警備隊でそれなりの地位にある人物だったが、色々な意味で話題のこの二人に正面切って刃向かうような命知らずではなかった。とはいえ彼にも立場があるから、ここで簡単に引き下がることもできない。

 セレーネはそんな彼の内心を見抜いたように、一転して柔らかい声で言う。


「もちろん事後報告はきちんと行おう。今回の一件、最初に狙われたのはこのリョーチでな。ここは私の借りということで、引き下がってもらえないか?」


「そ、そういうことでしたら仕方ありません。ここはお任せします」


 隊長は安堵し、お世辞笑いを浮かべて答えた。

 警備兵たちを遠ざけたセレーネは、馬車を屋敷の玄関前へと入れた。この屋敷の庭は狭く、セレーネの大きな馬車が入るといっぱいいっぱいだったが、その方が都合がよかった。

 御者台から降りたセレーネは馬車の扉を開け、中に声をかける。


「お前はちょっと待っていろ。先に私が中を見てくる」


 続いて屋敷の玄関の扉を開ける。

 馬車の影になっているため、門のところにいる兵士たちからは玄関の様子は見えない。馬車と玄関の距離も近いから、横から見られこともない。

 それを確認してから、セレーネは屋敷の中に入った。

 屋敷の中はかなり荒れていた。家具や調度品は壊され、壁のあちこちが崩れている。

 セレーネは屋敷の客間へと入った。そこにはオークがうつぶせになって倒れていた。まるで死んでいるかのようにピクリとも動かない。


「ちゃんと死んでたか?」


 セレーネが動かないオーク――リョーチに訊ねた。


「どうにか。何度か眠っていきそうになって、それを我慢するのが大変だったよ」


 むくりとリョーチが体を起こした。

 セレーネが一度自分の屋敷に戻っている間、リョーチはここで一人死んだふりを続けていたのだ。じっと動かないのは苦痛だったが、誰かに見られたりすると困るので、息も潜めて静かにしていた。


「玄関の前に馬車を止めてある。鎧も持ってきたから、こっそり乗り込んで、すぐに着替えてくれ」


「わかった。でも見られたりしないか?」


「前に横付けしてあるから大丈夫だろう。だが注意はしてくれ」


 リョーチは言われた通りにコソコソと玄関前まで歩くと、周囲から見られていないことを確認し、身をかがめて馬車へと乗り込んだ。

 中に入ると、まずは窓のカーテンを閉め、続いて扉も閉める。

 これでホッと一息とはいかない。次は急いで鎧を身につけ始めた。

 セレーネはリョーチが馬車に乗るのを見てから、怒りの表情を浮かべて屋敷の外へと飛び出した。


「誰か中へ入れたのか!?」


 屋敷を見張っていた自分の部下に対し、セレーネは怒鳴り声を上げて詰め寄った。

 怒鳴られた方の兵士は驚くばかりで、とっさに声が出てこなかった。


「どうなんだ、誰か中へ入ったのか?」


 再度セレーネが聞くと、兵士はやっと口を開いた。


「いえ、誰も中へは入っていません」


「だったら何でオークの死体が消えている!?」


「ええっ!?」


 部下の兵士は驚愕した。それはそうだろう。屋敷には誰も入っていない。もし忍び込んだ者がいたとしても、さすがにオークの死体を持ち去ることなどできないだろう。


「いや、もしかしてまだ生きていたのか……?」


 セレーネが、ふと思い付いたかのように言う。


「セレーネ様がとどめを刺したのではないのですか?」


「確かに殺した。だが侵入者がいないなら、死体が動いたと考えるしかない。となると死んでいたのではなく生きていたんだ。私のミスだが、だとしても奴はまだ中にいるはずだ。お前たちも来い。屋敷の中を探すんだ」


 セレーネは部下たちも屋敷の中へ入れて捜索したが、いるはずのオークは見つからなかった。ついには王都の警備兵の手まで借り、天井から床まで徹底的に探したが、やはり見つからなかった。

 それはそうである。

 いるはずのオークは馬車に乗っていたからだ。

 ちなみに急いで鎧を身につけたリョーチは、途中からしれっと捜索に加わっていた。そしてそれを不思議に思う者は誰もいなかった。

 こうして後に「オーク大騒動」と呼ばれる事件はひとまず終わった。多くの謎を残したまま。




 ちなみに事件が一段落した後、リョーチが壊した店や家の人間に、セレーネは多額の見舞金を渡している。

 王都の人々はさすがセレーネ様だとたたえたが――この頃にはセレーネも被害者だという話が定着していた。きっと彼女が上手くやったのだろう――そういう声を聞くたび、リョーチは複雑な気分になった。

 その一方、派手に壊したジャンデルの店には全く金を出さなかった。それどころか、ここぞとばかりにジャンデルを攻撃した。大商人のジャンデルには、やはり後ろ暗いことも色々あったのだ。セレーネはそういう話を次々と流したのだ。

 落ち目となったジャンデルは貴族派からも見放され、ついには店を再建するどころか、王都から逃げ出すように姿を消した。


「やっぱり、なんか恨みがあったのか?」


 後にリョーチが訊ねたのだが、セレーネはニヤリと笑うだけだった。






 大神歴一〇五六年十一月八日の昼過ぎ。王都ハレンの街中に、突然一体のオークが現れた。

 当日はノゼ平原の戦いの勝利を祝う凱旋パレードが行われており、王都は人であふれていた。そこへいきなりオークが現れたため人々はパニックになり、多数の死傷者が出る大惨事となった。


 オーク大騒動と呼ばれるこの事件には謎が多い。

 最初にオークが現れたのは、ハレンにあったセレーネ王女の屋敷だった。凱旋パレードを終えたセレーネ王女たちが屋敷に帰ってきたところに、中に潜んでいたオークがいきなり襲いかかり、彼女の部下であるリョーチが不意を突かれて負傷している。

 その後、このオークは街中へと逃げ出し、あちこちで暴れ回って最後はセレーネ王女の手によって討たれている。

 事件の首謀者はセレーネ王女に敵対していた貴族の誰か、実行犯はオークを操る魔法使いの男とされているが、ここからしてはっきりしない。

 事件の後、色々と調査が行われたが、ついには首謀者とされる貴族は特定されなかった。色々と名前が噂されたが、はっきりと断定されてはいない。

 実行犯とされる男についてもはっきりしていない。魔法使いなのは確かだったようだが、騒ぎの際に死亡しており、きちんとした取り調べができなかったのだ。

 その男が本当に実行犯であり、オークを操る魔法を使えたのだとしても、まだ謎は残る。はたしてオークを誰にも見とがめられず、ハレンの中にある屋敷へ連れ込むことなどできるのだろうか? セレーネ王女が不在でも、屋敷には多くの者が働いていた。そんな彼らに気付かれもせず、屋敷の中に潜んでいられるだろうか?


 さらにこの事件の最大の謎は、オークの死体が消えたことだ。

 セレーネ王女が倒したはずのオークの死体が、忽然と消えてしまったのだ。

 実は生きていたと考えることもできる。しかしその後、徹底的なな捜索が行われたというのに、ついにオークは発見できなかった。生きているオークも、死んでいるオークも、どちらも見つからなかったのだ。

 オークを操る魔法使いではなく、オークの幻影を見せる魔法使いだったのではないか?

 集団幻覚を見たのではないか?

 などというような説もあるが、真相は今に至るまで謎のままである。

 まさに最初から最後まで、謎だらけの事件といえるだろう。


 そしてこの事件の後、ハレンではオークを見たという通報が相次いだ。ただし実際にオークが見つかると言うことはなかった。

 通報がいたずらだったのか、勘違いだったのか、あるいは本当にオークを目撃したのか、そのあたりも謎のままだが、この事件がハレンに暮らす人々に大きな衝撃を与えたのは間違いないだろう。


 その後もハレンにはオークがいるという話は長く語り継がれ、それは現代まで続いている。

 都市の地下にはオークが隠れ住んでいる、という都市伝説を聞いたことはないだろうか? そういう設定の本や映画もある。それら全ての大本が、このオーク大騒動なのだ。

 おそらくこれから先もずっと、この都市にオークが隠れ住んでいるという伝説は語り継がれていくだろう。そして我々の想像力を刺激し続けていくのではないだろうか。


 シュバ・バーン「ハレン歴史探訪」より抜粋

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