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異世界のオークな大騒動  作者: 中之下
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異世界のオークな大騒動(上)

 街はお祭り騒ぎというか、お祭りそのものだった。

 ディアン王国の王都ハレン。国王がいるハレン城を中心に発展した都市で、王国の政治、経済、文化の中心であり、最大の人口を誇る巨大都市だ。

 普段から多くの人で賑わう街だが、今日は近隣の街や村からさらに人が詰めかけ、それを目当てにした屋台や出店なども出て、いつも以上に賑やかだった。

 集まった人々の目的は、戦場から帰還してきた王国の軍勢だった。

 一ヶ月ほど前、東の隣国ナバック王国との間に起こったノゼ平原の戦いで、ディアン王国軍は快勝した。

 十年以上なかった大規模な戦いが発生し、しかも勝ったのだから国民は大いに盛り上がった。

 そして今日、見事に勝利を飾った軍勢が、国王に謁見するためハレンに帰ってきたのだ。

 軍勢が進むメインストリートには多くの群衆が詰めかけ、堂々と行進する兵士たちに歓声を送る。

 そんな群衆の声が一段と高まったのは、セレーネ率いる軍勢が姿を現したときだった。


「セレーネ姫だ!」


「あれが黒い戦士か。本当にでかいな」


 軍勢の先頭を進むのは旗を掲げた大男だ。

 身長約三メートル。もはや大男の範疇に入らないような巨体だが、事実彼は人間の大男ではなかった。

 黒い全身鎧を身につけて正体を隠しているが、その鎧の中身はオークと呼ばれる凶暴なモンスターで、しかもそのオークの中身は異世界からやってきた人間なのだ。

 彼の名はリョーチ。

 異世界日本でサラリーマンをやっていた彼は、なぜか異世界のオークに転生し、色々あって今やセレーネの腹心として、王国一の豪傑と呼ばれるまでになっていた。

 彼が掲げる旗は白地に赤い丸――日本人なら誰でも知っているが、この世界ではリョーチがだけが知っている日の丸だ。セレーネはこの旗を太陽旗と名付けた。

 そんな彼の後ろに続くのは、馬にまたがった少女だ。

 まだ十六才という若さだが、その美しさは群を抜いている。太陽旗に合わせたように白い馬に乗り、赤い鎧をまとったその姿は、美しさだけでなく凛々しさも兼ね備えている。

 強く美しい姫という言葉を、そのまま絵にしたような姿に群衆は見惚れ、熱狂した。


「バルド・セレーネ!」


 どこからともなく大きな声が上がると、それに唱和するように同じ言葉があちこちで上がりだし、やがて沿道はその声一色で埋め尽くされた。

 バルド・セレーネとは、この世界の言葉でセレーネ万歳とか、セレーネをたたえよ、といった意味だ。

 セレーネは自分をたたえる声に、手を振って応えている。

 バルド・セレーネと叫ぶ群衆の目には、あれが我らの姫だ、という強い誇りが浮かんでいたが、リョーチはそんな彼らの様子を見てちょっと怖くなった。

 昔見た動画そのまんまだなとリョーチは思った。

 実はバルド・セレーネと最初に叫んだ人々はセレーネが雇った仕込み、いわゆるサクラだった。そしてその原案を出したのは他でもないリョーチだ。


「王都に帰れば凱旋パレードだが、それをもっと盛り上げるような方法はないか?」


 王都への帰還途中、そうセレーネに聞かれたリョーチが思い浮かべたのは、前にネットで見た動画だった。

 集会か何かで、独裁者の名前を連呼する聴衆、その声に応えて右手を上げる独裁者――といった動画だ。良くも悪くも会場は大盛り上がりだった。

 そのことをリョーチが伝えると、


「なるほど。それは使えそうだな」


 セレーネはリョーチの提案を気に入ったようで、すぐに動き始めた。

 何人かの部下を先に王都へ向かわせて準備させたのだ。

 その結果がこの盛り上がりである。

 熱狂してバルド・セレーネと叫ぶ群衆たちを見たリョーチは、ここまで効果があるのかと驚いた。

 リョーチはあまり認識していなかったが、一緒になって名前を叫ぶというのは侮れない効果がある。一体感や陶酔感を感じ、軽い洗脳のような効果を発揮するのだ。

 セレーネにとってもここまで効果があるとは予想外だったようで、後にリョーチにこう言っている。


「それにしても、お前の世界には恐ろしいことを思い付く者がいるものだ」


 この凱旋パレード以降、「バルド・セレーネ!」はセレーネをたたえる代名詞となり、ことあるごとに同じような光景が繰り返されていくことになる。




「今頃、殿下は浮かれておるのでしょうな」


 男が不快な顔で言った。

 そこは王都の一角にある屋敷の一室だった。

 テーブルを囲み、数人の男たちが話し合っていた。彼らの年齢はバラバラで、若い男も年配の男もいたが、共通しているのは全員がディアン王国の貴族であり、そして貴族派と呼ばれる派閥に属していた。

 貴族派というのは、簡単に言えば国王の権力を小さくしようとする派閥で、もっと言えばセレーネと対立関係にある派閥だった。

 そんな彼らだから、セレーネの人気がおもしろいはずがない。


「ですが彼女の実力は本物です。もはや小娘と侮ることはできません」


「ちょっと戦で活躍したからと言って――」


「お言葉ですが、同じことをやれと言われてできますか? わずかな兵で正面から敵を撃破し、不利な戦況を覆した。私にはできないでしょう」


「セレーネ殿下の力だけではない」


 テーブルの奥に座る老貴族が口を開いた。席順から見て、彼がこの場のリーダー格だろう。


「リョーチとかいう、あの黒い大男が問題なのだ。私も正体を探ろうと手を尽くしているが、いまだに何もわからんままだ。貴兄らの中で、何か有力な情報をつかんだ者はいるかね?」


 老貴族の問いかけに答える者はおらず、無言のままだ。


「いったい、あのような男をどうやって見つけてきたのか……」


「懐柔されようとはしたのですよね?」


 貴族の一人が老貴族に質問した。


「何度かやってみたが全て失敗した」


 有名になり始めた頃から、リョーチの元へは、この老貴族に限らず、あちらこちらの貴族から声がかかるようになっていた。

 セレーネの元を去り、自分に仕えないかという話だが、当然ながらリョーチは全て断り、セレーネにも全て報告している。

 例えどんな好条件を提示されたとしても、正体がオークなのだから他に仕えるはずがないのだが、それを知るのはリョーチとセレーネの二人だけだ。


「金や女、あえて法外な条件も出してみたが、どれも全く相手にされなかった」


「忠誠心も高いというわけですか」


「懐柔できないなら排除するしかないが、それも簡単にはいかぬようだし、な」


「暗殺者を送り込んだ者がいるという噂を聞きましたが、それは本当なのですか?」


「私ではないがな」


 と断りを入れておいて話を続ける。


「セレーネ殿下の番犬として派手に暴れ回ったから、あの大男を恨む者は多い。だがあの大男は健在だ。並の暗殺者がどうこうできる相手ではないようだ」


「私に一つ手があるのですが」


 一人の若い貴族が発言した。


「なるほど、普通の暗殺者では、あの男を倒すのは難しいでしょう。しかし普通でない暗殺者なら可能性があるのでは? 例えば魔法使い、とか」




 凱旋パレードを終えたセレーネとリョーチは、王都の住宅街にあるセレーネの屋敷にやって来ていた。

 姫であるセレーネは王城に自分の部屋を持っているが、こうして町中に自分の屋敷も構えていた。

 最初はリョーチのためにと用意された屋敷だった。部下の一人や二人ぐらいなら城内に部屋を用意することもできたのだが、リョーチのサイズは規格外だから色々と不便が予想されたし、なにより正体を隠す必要があったので、城内には入らず王都にいるときはこの屋敷で暮らすことになったのだ。

 だがセレーネもすぐにこの屋敷で寝泊まりするようになった。元々王城は窮屈だと思っていたらしく、ここなら自由にのびのびできるとのことだ。


「姫様、お帰りなさいませ!」


「ご無事でしたか姫様!?」


 今日セレーネが帰ってくることを知っていたのだろう。門のところで待っていた使用人たちが、口々に声をかけてセレーネを取り囲む。

 使用人たちは全員が十代前半から後半ぐらいの獣人の少女たちだ。しかも全員がメイド服を着ている。

 ちなみにメイド服だが、元々この世界には存在していなかった。それをリョーチが必死になってセレーネに頼み込んで作ってもらったのだ。作製に当たっては直接職人のところへ出かけ、試作品にダメ出ししたりして監修までした。そのおかげで見事なメイド服が完成したと自負している。

 またこれも余談だが、この世界にはそもそも「メイド」という単語はなかった。女性の使用人は「デルカ」と呼ばれており、それを訳せばメイドになるだろう。だからメイド服もデルカ服と名付ければよかったのだが、リョーチはメイド服という名前にこだわり、そのままメイド服が名前になった。これが原因で後にメイド服のメイドの語源は何か? という論争が繰り広げられたりするのだが、リョーチはそこまでは考えていなかった。単に彼にとってメイド服はメイド服でなければならなかったというだけだ。

 紺のワンピースに白いエプロン、頭にはカチューシャというメイド服のデザインは、リョーチが大好きだったとあるゲームのメイド服を参考にしている。そのためフリルなどがついていて、この世界の常識では仕事着というよりドレスだった。一着作るのにもけっこうな料金がかかっている。

 メイド服を着ることになった獣人の少女たちも、最初はこんな高価なドレスなんて着られませんと恐縮したほどだ。

 だが当初は乗り気でなかったセレーネが、実物を見た途端、手のひらをクルリと返して絶賛したこともあり、それがこの屋敷での制服となった。

 見ている方もリョーチもうれしい、着ている本人たちにもかわいらしいと好評なので感無量である。


「ただいま。お前たちも元気だったか?」


 セレーネも笑顔で挨拶し、自分を取り囲む少女たちの頭を優しくなでたりしている。

 猫っぽい耳や、ウサギっぽい耳など、様々なケモミミメイド服の少女たちと鎧を着た美しい姫の組み合わせは、まさに一枚の絵画のようだとリョーチは思った。

 可能ならば、あの中に自分も混じりたいと思いつつ、今の自分では無理だと悲嘆して、それとは別にあの中に自分のような男が混じるのは無粋だからこれでいいのだという自分もいたりして、リョーチの中では激しい葛藤が繰り広げられていた。


「姫様、お帰りなさいませ」


 他のメイドたちと比べ、一人だけ年長の――といっても二十代後半ぐらいだが――メイドが、セレーネに深々と頭を下げる。

 セレーネが留守の間、この屋敷を任されているメイド長のソフィアだ。

 彼女もまた獣人で、猫のような三角形の耳を持つケモミミ女性だ。そして屋敷で働く全員が、最年長のソフィアを除いて十代のケモミミ少女だ。

 これはリョーチが何か言ったわけではなく、全てセレーネの趣味だった。もちろんリョーチも大賛成だったが。

 ソフィアも含めて全員が元奴隷だったが、今ではちゃんとした使用人として契約を結び、平均以上の給料を支払っている。


「すぐに用意をするから、お前たちはここで待っていろ」


「はっ!」


 屋敷まで一緒についてきた十名ほどの兵士にセレーネが命じる。赤い鎧を身につけている彼らは、全員がセレーネの部下だ。

 王都のメインストリートを進んでパレードした軍勢は、王城の前まで来て一度解散した。その後で国王陛下の謁見を受ける段取りになっているのだが、全軍の兵士だと数が多すぎるため、人数を絞り込んでから城内へ入るのだ。

 セレーネも王城の前で自分の軍勢を解散し、後は自由行動とした。すでに兵士たちには一時金を支給してあるので、今頃はどこかへ遊びに出かけているだろう。

 屋敷までついてきた十名ほどの兵士は全員が小隊長などの役職持ちで、彼らとリョーチがこの後セレーネと一緒に城へ向かうことになっている。

 セレーネが屋敷に戻ってきたのは、一度風呂に入って着替えるためだ。これはセレーネの望みではなく礼儀の問題だった。一兵卒ならそのままで問題ないが、貴族となると身支度が必要だった。


「リョーチも一度風呂に入ってさっぱりしてこい」


「はい。そうさせてもらいます」


 リョーチは屋敷の玄関へ向かうセレーネやメイドたちと別れ、違う方へと向かった。

 この屋敷の一角が離れのようになっており、そこがリョーチの居住スペースになっている。セレーネが屋敷を買い取った際に改築し、玄関も別に作ったのだ。

 わざわざ改築までして離れを造ったのは、別にリョーチだけを仲間はずれにしようとか、そういう理由ではない。

 一番の理由はリョーチの正体を隠すためだ。正体を隠すには人に会わないのが一番だし、リョーチも家では一人の方が落ち着ける。屋敷で働くメイドたちにも、リョーチがいるときは彼が呼ばない限り離れには近付くなと厳命されている。

 もう一つの大きな理由はリョーチの体の大きさだ。屋敷はこの国でよく見る石造りの立派な屋敷で、日本の家と比べると天井も高く広々としているが、それでも身長三メートル超のリョーチには窮屈だ。

 ちなみに屋敷はリョーチの感覚では立派な豪邸だが、セレーネに言わせるとこぢんまりした屋敷らしい。

 改築では二階をなくして天井を高くしたり、ドアを大きいものに付け替えるなど、できるだけリョーチが過ごしやすいようにしてあった。

 屋敷に入ったリョーチは風呂場へと向かう。まずはゆっくり風呂に入るのが、帰って来たときの習慣だ。

 意外なことにリョーチはそれほどくさくない。オークはくさいというイメージがあるのだが、それは野生のオークが風呂に入ったりしないからだ。

 オークは岩のように硬い肌をしており、汗もあまりかかない。

 だから定期的に水浴びでもして汚れを落としていれば、人間よりも臭わないほどだ。

 外にいるときのリョーチは極力鎧を脱がないようにしていたため、鎧のまま川に飛び込んだりしていたのだが、それだけで結構清潔だった。

 硬い皮膚を持つオークの体のつくりは爬虫類に近いのだろうか? だが爬虫類と違って暑さや寒さにも強い。リョーチは今の自分の体がどうやって体温調整しているのか気になっていたが、この世界ではまだ解剖学なども発展しておらず、くわしい身体機能は謎に包まれたままだ。

 廊下の突き当たりのドアが風呂場だった。入ったところが脱衣所になっていて、その奥に風呂がある。今のリョーチのサイズでも余裕で入れる石造りの立派なお風呂だ。

 リョーチは湯船にお湯が張られていることを確認し、満足げに頷いた。

 彼が帰ってくるのがわかっていたからだろう、ちゃんとお風呂はわいていて、手をつけるとちょうどいい湯加減だ。

 このお風呂はリョーチのお気に入りだった。セレーネに大きいお風呂がほしいと頼んだ結果、今のリョーチのサイズでも体を伸ばして入れるような、広くて深いお風呂が作られた。

 離れの大半がこの風呂場で占められることになり、後は自分の居室があるぐらいなのだが、リョーチはそれで満足していた。

 どうせここにいても、やることといえば風呂に入るか寝ることぐらいなのだ。ちなみに食事は本邸へ行ってみんなと一緒に食べている。

 風呂に入るため、リョーチはまず兜を脱いだ。

 兜の下から現れたのは、人間の顔ではなく凶悪なオークの顔だ。


「ふう」


 リョーチは大きく息を吐いた。

 もう鎧を着けているのにもすっかり慣れたが、やはり脱ぐと開放感がある。

 そしてリョーチは他の部分も脱ぎ始めた。


 リョーチが風呂場で鎧を脱ぎ始めた頃、離れの中で動き始めた男がいた。

 男はハースと呼ばれていた。ハースというのはこの世界で顔を意味する言葉で、本名ではなく偽名である。

 ハースは昨日の夜からずっとこの離れの中に潜んでいた。

 彼の仕事――暗殺を実行するために。

 ハースは超一流の暗殺者として知られていた。どんなに厳重に警備されているターゲットでも、するりと近寄り殺してきたのだ。

 一見すると、彼はどこにでもいそうな三十代ぐらいの男だった。やせた体つきで、ちょっと気弱そうな顔付きからは、彼が暗殺者であることはうかがえない。むしろ荒事とは無縁の人間にしか見えないだろう。

 だがハースにはある特殊な能力があった。


 認識阻害。


 彼は自分の能力をそう呼んでいた。

 認識阻害というのは一種の幻惑系の魔法だった。

 幻惑系の魔法は、相手に幻を見せたり、相手の心を操ったりする魔法だが、彼の認識阻害は相手ではなく自分に幻惑魔法をかけている。

 この認識阻害を発動しているハースを見た者は、彼をどこかで見たことのある人物だと認識する。


 えーと、誰だっけ? 確かに見覚えあるんだけど……


 誰でもそういう経験があるだろう。確かに見覚えのある顔なのだが、誰だったか思い出せずに困ってしまうという。

 ハースの認識阻害は強制的にその状態を引き起こすのだ。

 認識阻害はハースが編み出した彼だけの魔法だ。元々ハースは気配を殺すことに関して、天才的ともいえる才能を持っていた。小さい頃から目立たず行動するのが得意だった。そんな彼だからこそ扱える魔法なのだ。

 極端な話、リョーチではどう頑張っても認識阻害は使えない。存在感や個性の強い人間では、幻惑の限界を超えてしまうのだ。

 彼だけが知る魔法であるが故に、対抗手段としてのカウンター魔法も存在しない。これは暗殺において、きわめて強力な魔法だった。

 こっそり忍び込んで誰かに見つかったとしても、相手が勝手に知人だと認識してくれるのだから。そのまま誤魔化せればそれでいいし、ダメでも口をふさぐことは簡単だ。

 暗殺のターゲットもハースの姿を見れば一瞬警戒を解く。どんなに強い人間でも、その一瞬の隙を突けば殺すことは可能だ。

 とはいえ認識阻害も無敵ではない。

 幻惑はあくまで幻惑であり、相手がハースのことを疑い始めれば幻惑は解けてしまう。その程度の軽い幻惑なのだ。

 一度に複数の人間を相手にしたり、長時間話したりすれば破られる可能性が高くなる。だからハースは自分の能力を過信せず、常に慎重に行動してきた。それこそが今まで数々の仕事を成功させてきた一番の秘訣だった。

 この時もハースは慎重に行動した。

 ターゲットのリョーチについての情報は得ている。

 身長三メートルの大男で、常に黒い鎧を着込み、戦場で大暴れしたという猛将だ。鎧を着ている状態では、いかに認識阻害があっても仕留めるのは難しい。

 やはり狙うのは無防備になるとき。寝ているときか風呂に入っているときだろう。

 通常の暗殺者なら寝ているときを狙うのが一番かもしれないが、ハースの場合は風呂にいるときを狙うのが一番だ。風呂で裸でいるときなら、一瞬の隙を突いて急所を刺せば殺せるはずだ。

 ハースは気配を消して風呂場へと向かった。


 鎧を脱ぎ、風呂に入ろうとしてリョーチはピタリと動きを止めた。

 においがしたのだ。人間のにおいが。

 オークは鼻がきく。おそらくは得物を狩るために発達したのだろう。人間のにおいにも敏感だ。そのオークの鼻が屋敷の中にいる人間のにおいを捉えたのだ。

 リョーチは最初、この敏感すぎる嗅覚をもてあましていた。色々なおいが強すぎて、何が何だかわからなかったのだ。だがそんな状態にも少しずつ慣れ、今ではある程度自分の鼻を使いこなせるようになっている。

 感じたのは人間の男のにおいだ。

 姫様でもないし、ケモミミのメイドでもない。つまり侵入者だ。

 外にいた兵士という可能性はあるが、無断で侵入し、呼びかけもない。やはり敵と思って対処すべきだった。

 とはいえ今はまずい。

 風呂に入ろうと思って鎧は全て脱いでしまった。再び身につけるには少し時間がかかる。服と同じようにはいかないからだ。

 だったら、とリョーチは思った。

 もし脱衣所に入ってくるようなら、問答無用に襲いかかって殴り倒す。

 閉じられている脱衣所のドアに向かい、いつでも襲いかかれるように身構えてから、リョーチは外の人間に呼びかけた。


「そこにいるのは誰だ?」


 呼びかけられたハースは驚いた。

 ちょうど風呂場の前まで来て、ドアノブに手を伸ばそうとしていたところだった。

 自分では完全に気配を消したつもりだったが、あっさりと見破られてしまった。

 さすがは一流の武人ということか、とハースは思った。だが気配を悟られたとしても、まだ認識阻害という切り札がある。

 ハースはかまわず扉を開けた。


「失礼いたします」


 ドアを開けて入ってきた男を見てリョーチは戸惑った。

 入ってくれば襲いかかろうと思っていたのに、男が見覚えのある人物だったからだ。

 リョーチは元々人の顔と名前を覚えるのが苦手な方だった。日本で働いていたときは、同じ会社の人でも名前が出てこず困ったことがよくあったし、それはこちらの世界に来てからでも変わっていない。

 セレーネは人の名前と顔を覚えるのが得意だったから、リョーチはすごいなと感心していたのだが、それはともかくこの時もリョーチは相手の名前が出てこず困ってしまった。

 確かに見覚えはあるのだ。いったい誰だったのか……

 一方のハースは驚愕していた。

 ドアを開けたら、中にいたのはオークだったのだ。

 緑色の硬質な肌の巨体。口から牙の飛び出した凶悪な顔――どこからどう見てもオークに間違いない。

 脱衣所の中には、他には誰もいない。あるのは脱いで置かれた黒い鎧だけ。それを見たハースの中で全てがつながった。

 黒い鎧の中身はオークだった。つまりリョーチとは人間ではなく、人語を解するオークだったのだ!

 あまりの驚きにハースの精神集中が乱れ、認識阻害の効果が減衰した。

 その瞬間、リョーチはハッと我に返った。相手に見覚えがあろうがなかろうが、そんなのは関係ないではないか。正体を見られたからには、誰であろうと逃がすわけにはいかない。

 ハースもまた驚きから立ち直った。しまったと思ったがもう遅い。認識阻害が破られてしまっては、この化け物を倒すのは無理だと判断する。

 リョーチはハースを押さえ込もうと突進したが、ハースもとっさに後ろに飛び退いてギリギリ回避する。

 前につんのめるようにリョーチが倒れた隙に、ハースは玄関に向かって脱兎のごとく逃げ出した。

 暗殺は失敗だ。だがこのことを雇い主に告げれば挽回できる。

 人のようにしゃべるオークなど存在するはずがない。だがこの目で見てしまったのだから、存在するのだろう。

 衆目の前で兜を脱がせれば、それだけでリョーチは終わりだろう。例え人の言葉をしゃべるとしても、凶悪なオークが社会に受け入れられるはずがないからだ。

 ハースに逃げられたリョーチは慌てて体を起こすが、相手との距離は開いてしまった。今の状態で外へ出ることはできないから、このまま追いかけても逃げられる可能性が高い。だったらと思ったリョーチは、脱衣所の中に戻って脱いだ兜を手に取ってから、廊下に出てハースを追いかけた。

 だがすでにハースは玄関まであと少しのところにいた。外へ出られたら終わりだ。

 リョーチにとっては幸い、ハースにとっては不幸なことに、玄関の扉はリョーチのサイズに合わせた特注品だった。これが普通の扉だったなら、ハースはすぐに外へ逃げ出せたはずだ。だが大きくて重い扉は開けるのに少し時間がかかった。それはわずか数秒程度のロスだったが、その数秒がハースの運命を決めた。

 体全体を使って扉を押し開けたハースは、開いた隙間から外へと飛び出す。

 彼が逃げ切ったと思ったその時、背中にすさまじい衝撃を受けて転倒する。

 倒れたハースの横に落ちたのは、リョーチの黒い兜だった。

 外へ逃げだそうとしてたハースに向かって、リョーチが渾身の力で投げつけたのだ。それは狙い違わずハースに命中した。

 重さ数十キロの金属製の兜をぶつけられたのだから、無事で済むはずがない。

 骨が折れ、内蔵も傷付いたハースは口から大量の血を吐いた。それでも立ち上がろうとしたが、体がいうことを聞いてくれない。大声でリョーチの正体を叫ぼうともしたが、口から出るのは小さなかすれ声だけだった。

 リョーチはハースにとどめを刺そうと走り寄ったが、そこへ声が聞こえてきた。


「リョーチ様、どうされました!?」


 ちょうどメイドの少女が一人、庭に出ていて騒ぎに気付いたのだ。

 メイドは扉のところで倒れているハースにも気付き、倒れた彼のところへ駆け寄った。


「大丈夫ですか!? リョーチ様! この方は――」


 メイドは離れにいるはずのリョーチに向かって呼びかけようとしたのだが、そこで硬直した。

 開いた玄関の扉から中を見ると、そこにリョーチが立っていた。オークの姿のままのリョーチが。

 リョーチも走ろうとした姿勢のまま硬直している。

 メイドにまで正体を見られてしまった。これはまずいとも思った。だがどうしていいかわからなかった。

 相手は侵入者の男ではなく、かわいいケモミミの女の子なのだ。それに暴力を振るうなどリョーチにはできない相談だった。


「きゃーーーーーッ!」


 一瞬の沈黙の後、メイドの少女が大声で悲鳴を上げた。

 オークは若い女と見れば犯すモンスターだ。それは人間であっても、獣人であっても変わりない。女性にしてみればもっとも嫌悪すべきモンスターであり、このメイドの少女もそれをよく知っていた。

 そんなオークが、よりにもよって王都のセレーネ王女の屋敷にいたのだ。

 いるはずのないモンスターを目撃したのだから、メイドが驚愕したのも当然だった。


「どうしたんですか?」


 悲鳴を聞いて屋敷から他のメイドも出てきた。


「どうかしたのか?」


 さらに屋敷の外にいた兵士たちも駆けつけてきた。


「オークが! オークがこの屋敷の中に!」


 リョーチを目撃したメイドは、半狂乱になって叫ぶ。

 そこで我に返ったリョーチがやっと動いた。玄関に走り、ドアを閉じて隠れようとしたのだが、その前に駆けつけてきた他のメイドや兵士たちに姿を見られてしまう。


「本当にオークがいるぞ!」


「女たちは下がっていろ!」


 兵士が口々に叫んで剣を抜く。メイドたちは悲鳴を上げて屋敷の方へと戻る。

 リョーチは進退窮まったことを知った。

 ここまでガッツリ見られてしまえば、もはや隠れてやり過ごすことなどできない。

 追い詰められ、しかも打開策を考える時間もなかったリョーチは、ヤケクソ気味の行動に出た。

 叫び声を上げて外へ飛び出したのだ。


「ウガーッ!」


 突然の行動にひるんだ兵士たちに突進し、彼らを殴り倒す。

 本気でやれば殺しかねないので手加減はしている。それでも、もろに殴られた兵士はもちろん、とっさに剣でガードした兵士も一撃を受けきれず、吹っ飛ばされる。

 屋敷の外にいた十人ほどの兵士は、たちまち半分ぐらいに数を減らした。

 リョーチはその隙に一気に走って逃げだそうとした。正体を見られた以上、ここから全力で逃げるしかないと思ったのだ。

 自分でもそれが正しい行動なのかどうかわからない。落ち着いて考えればもっといい手があるのかもしれないが、追い詰められたリョーチにそんな余裕はなかったのだ。


「何事だ!」


 屋敷からセレーネが出てきた。着替えの途中だったのだろう。上半身の鎧は脱いでいたが、下半身のブーツなどは軍装のままだ。

 セレーネも他の人間と同じように、リョーチの姿を見て驚愕する。

 こんな場所でオークを見れば誰で驚くだろうが、リョーチだけは彼女が驚いた理由が他の人間とは少し違うことに気付いていた。


 何をやってるんだ!?


 ごめん。正体を見られちゃって。


 アイコンタクトで二人の間に言葉のない会話が交わされる。

 相手がリョーチであることを確信したセレーネは大声で叫ぶ。若干、わざとらしい声で。


「お前たち、このオークを決して逃がすな! 街中へでも出られたら大混乱だ。そうなったら収拾がつかんぞ。いいな、絶対に街中へ逃がすなよ」


 つまり街中へ逃げ出して騒ぎを起こせということか、とリョーチは判断し、その通りに行動を起こす。

 叫び声を上げ、兵士たちの間を駆け抜ける。すれ違いざま、兵士の一人に剣で斬りつけられ、右の脇腹あたりを斬られたが気にしない。

 普通の人間なら重傷だったが、オークにとってはかすり傷だ。

 そのまま屋敷の門を抜けて通りに飛び出すリョーチ。

 いきなり現れたオークに道を歩いていた通行人は驚愕し、悲鳴を上げて逃げ出す者や、腰を抜かして倒れる者などが続出する。セレーネの言った通り、あたりはたちまち大混乱に陥った。

 騒ぎを大きくした方がいいんだよな? と思ったリョーチは、人が多くいる方へ向かって走り出した。目指すはパレードを行ったメインストリートだった。

 これが後にいうオーク大騒動の始まりだった。


 セレーネの屋敷にいた兵士たちは、すぐにリョーチの後を追おうとしたのだが、それをセレーネが止める。


「待て。追うのは後だ。その前にやることがある」


 まずはメイド長のソフィアを呼び、メイドたちは全員屋敷から出ないように命じる。まだ他にオークがいるかもしれないという理由をつけて。

 屋敷に連れてきた兵士は十一人いたが、そのうちの二人を屋敷の警護に当てる。

 リョーチに殴り倒された兵士に命の危険がある者はいなかったが、すぐには動けそうにない者が三人いたので、彼らは屋敷の中で手当を受けさせることにする。

 残り六人のうち、四人には解散した他の兵士を集めてくるように命じた。


「全員集める必要はない。とにかくすぐに集めるだけ集めて、ここへ戻ってこい」


 命令を受けた兵士たちはすぐに屋敷を飛び出していった。


「さてと」


 残り二人の兵士を従えて、セレーネはまず離れの玄関前に倒れているハースへ近寄った。

 セレーネには全く見覚えのない男だった。

 かなりの重傷のようで、苦しそうに細い息を繰り返している。

 セレーネは倒れているハースを見下ろし、その横に落ちているリョーチの兜を見て、それから玄関が開いたままの離れを見た。

 それで彼女は何が起こったのかを察した。

 この男が暗殺者か盗人かはわからないが、屋敷に侵入してリョーチの正体を見たのだろう。そして逃げようとしたところでリョーチに兜をぶつけられてこうなった、というわけだ。

 セレーネはしゃがみ込んでハースに呼びかける。


「お前は何者だ? 正直に言えば治療してやるぞ」


 男は途切れ途切れのか細い声で答えるが、声が小さすぎてよく聞き取れない。セレーネは相手の口元に耳を寄せた。


「あの男は……オークだ。お前はどうやって……化け物……使って……」


「そうか」


 短く答えたセレーネは立ち上がり、剣を一閃させて男にとどめを刺した。

 男の正体を知るより、口封じをする方が優先だ。


「今のを聞いたか?」


 二人の兵士にセレーネが聞く。二人とも年配の獣人の兵士だった。


「いえ、よく聞こえませんでした。なんと言ったのですか?」


 二人とも特に驚いた様子もなかったので、セレーネは本当に聞こえていなかったと判断した。


「オークを使ってリョーチを殺したと」


 これには二人とも驚愕した。


「まさか!? リョーチ様がですか!?」


「それを確かめる」


 そういってセレーネは一人で離れの中へ入った。二人の兵士も彼女に続こうとしたのだが、


「お前たちは待っていろ。リョーチが姿を見られるのを嫌がっているのは知っているだろう」


 と言って外で待機させたのだ。

 他の人間を中に入れてしまうと、リョーチがいなくなったことを知り、それと突然現れたオークを結びつけてしまうだろう。

 もしかしたら鎧の中身はオークなのではないか、と。

 それだけは避けねばならなかった。

 離れに入ったセレーネは、まずはリョーチの部屋を確認したが、そこは特に異常なしだったので、続いて浴場へと向かう。

 脱衣所には、リョーチが脱いだ黒い鎧だけが置かれていた。

 おそらく風呂に入っていたところを襲われでもしたのだろう、とセレーネは推理した。そして逃がすものかと追いかけ、他の者にも姿を見られてしまったというわけだ。

 恐れていた事態が起こったとセレーネは思った。

 リョーチの鋭い嗅覚は知っていたので、簡単には侵入者を近寄らせないだろうと思っていたのだが、風呂に入って油断していたか。あるいは侵入者の方が並ではなかったか。もしかしたら魔法使いという可能性だってある。

 だが今は起こってしまったことより、どう対処するかが問題だ。

 幸い目撃者の口は塞いだ。まだ挽回できるはずだとセレーネはしばらく考え、ぽつりと言った。


「リョーチには死んでもらうとするか……」


すみません。長くなったので上下に分割します。

下は今日か明日には上げる予定です。

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