沈んでも浮かばくても光がなくても
僕は一九七二年【検閲】月【検閲】日、大阪府泉佐野市の産婦人科で生まれた。
家は鶴原駅の近くの小さな長屋だ。
父と母と兄と僕の四人家族だった。
爪の垢を三週間に一回飲まされること以外は、特に普通の家庭だったと思う。
兄が少し怖かったが、毎週金曜日になるとすごく優しくなった。
「健一、夢だとか希望は奈良を越えたら先っぽが見えてくるんや。それを
掴めたらもうけもん。ガッポガッポよ」
小学生の時、そういって父に背中を笑いながらバンバンと叩かれた記憶がある。
父が脳溢血で倒れる一週間ほど前だった。
結局、僕は河内長野よりも西に出たことがなかったので、その先っぽを拝む
ことすらできなかった。
母は中学に上がる頃から家に居る時間が減った。
「ケンちゃんのお母さんは一生懸命働いてるんや、あんた、あんまりなんでおそいんやーって理由聞いたらあかんで。 怒りよるからな、何でか」
痩せぎすの近所のおばさんに教えて貰った。
結局母にそれを言い伝えることはなかった。
兄は家にもう帰ってこなくなった。
オセロをする相手がいなくなってつまらないなと思った。
「鶴原駅で人身事故が起きたらしい」
ある日、同じクラスメートの会話をたまたま聞いた。
鶴原駅へは少し遠かったが行けなくもない距離だ。
どうやらクラスメートたちはその現場を見に行くらしい。
昼で学校は終わったので、外はまだまだ明るかった。
僕はその後をこっそり追いかけた。
鶴原駅まであと少しという途中、不思議なものを見つけた。
狭い路地に長いビニール紐が落ちていた。
別に落ちていても普段の僕は全く気にしない。
だが、そのビニール紐はどこまでも続いているようだった。
路地の向こうを折れ曲がるビニール紐を見て素直にそう思った。
「……」
僕はいつのまにかビニール紐を追いかけていた。
それは無意識だったと思う。
家と家の人間がギリギリで入れそうなところや、三角公園の滑り台、マンション。
色んなところにビニール紐は続いていた。
それはどこまでも伸びていて、「敗北」の「北」は何故北なのだろうと
小学校の頃図書館で調べたときに似た、果てしなさを感じた。
「……」
どこまで歩けば良いのだろうか。
いつのまにか日は暮れていた。
お腹がぐうぐうとなっている。
靴の中に入った小石のせいで足がとても痛かった
足が棒になるなんて今だけは信じても良いかもしれない。
「ん?」
ふと、良いにおいがした。
それは今まで嗅いだ事がない匂いだった。
カルチャーショックという言葉はこのために存在するのだろう、と。
一瞬で脳の煉瓦が瓦解するような衝撃だった。
ビニール紐はその匂いの元である店の前で切れていた。
切断面は力尽きたように弱弱しかった。
しゃがんでいた僕はゆっくりと顔を上げて、その店の看板を見た。
そのときの僕の顔はどんな顔をしていただろうか。
未だに思い出せない。
ただ、何か充足感を得た感じを味わったことは覚えていた。
しかし、それは青年期の泡沫の様に淡い幻想で作られた一時のまやかしなのかもしれない。
だがそこで感じた「何か」を蔑ろにはしたくなかった。
信じてみたくなった。
懸けてみたくなった。
昔の自分に。
「居酒屋 奈良」
殴り書きで看板にはそう書かれていた。