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ミュレーの過去話

「杜氏っていうと、酒を造る人か?」

「そう。子供のころからの夢だったの。だけど、女はダメだって言われてさ。大げんかしたんだけど、泣いてもわめいても、家出騒ぎ起こしてもダメだった」

 カウンターの椅子に座ったミュレーは足をぶらぶらさせている。

「家出とは穏やかじゃないが、そういう話は聞いたことがあるな」

「でしょう?でも、それでもあきらめきれなくて、不良になってやるーって叫んでたのね。そしたらさ杜氏さんが来てね、なんて言ったと思う?」

「なんて言ったんだ?」

「お酒造りは仕込みのずっと前から始まっているんだよ。って」

「ほう。そりゃどういう意味だ?」

 興味を持ったのか、くまさんが身を乗り出してくる。

「まさしく私もそう聞いたのよ。そしたらね。材料の話だったんだけど。酒米は地元の農家から、麹と酵母は協会から買っているらしんだけど、いまひとつ納得できないらしくてさ。それで、私に作ってくれないかって言うのよ」

「その三つをか?」

「そそ。大学行くほど偉い人になって、最高の物を作ってほしいって。そしたら、最高の酒に仕上げて見せるって。一緒に、日本一旨い酒を造らないかってね」

「大学行くほどか。なるほど、うまい事言うじゃないか」

「だよね。だけど私って単純だから、その気になっちゃってさ。よーし、いっぱい勉強して、日本一旨い酒を造るぞー!ってなったの」

「そりゃまた、何というか。結果オーライってやつだな」

 ミュレーの性格を良く知っている人なのだろう。

「それだけじゃないの。杜氏さんは冬場だけの出稼ぎだから春になったら田舎に帰っちゃうのね。で、その前に紹介されたのが職人の会合なのよ」

「ははーん。そこで弓の職人と出会ったわけか」

「そーなのよ。いろんな職人さんがいたの。ハープを作る人やメガネ枠、打ち刃物や碁盤、恐竜博物館の館長さんまでいたのよ」

「それって、なんか違うような……」

「そうよね。今考えても不思議な会なんだけど、私だって、テストで百点取ったら勉強の職人さんだって」

「うーん。いろんな価値観の人が集まって刺激しあうとか、そんなとこかな?」

「たぶんね。勉強ばかりじゃなくて、いろんなことをやってみなさいって言われてさ。碁や将棋、ハープにピアノでしょう。スポーツも、少年野球に始まって、中学の時はテニスで、高校の時は合気道もやったのよ」

「自分に合うものを探せってことかな? それにしても多いな」

「杜氏になることをあきらめさせようとしていたのかもしれないけどね」

「なるほど、そういうことか。で、あきらめたのか?」

「それがさ、聞いてよ」

 言われなくとも聞いているが、ミュレーの話は止まると言うことを知らないかのように続いた。


「勉強だって頑張っていて、学年でも三番以下には落ちたことが無かったんだけど、東大に入れなくてさ。あの時はかなり落ち込んだのよね」

「うーん。受験するだけでもすごいと思うがな」

「今思えばね。でも、あの時はショックで、部屋に閉じこもって泣いてたの。そしたら杜氏さんが来て、なんていったと思う?」

「なんて言った?」

「お酒科は東大にしかないのか? 他の大学には無いのか? って、そう言ったのよ」

「えっと、醸造科?」

「そう。私さ、大笑いしちゃったのよ。だって、私が受験したのは文学部だったのよね」

「そりゃまた、なんでそうなった?」

「大学に醸造科があるなんて知らなかったのよ」

「えっと。たしか、バイオ燃料の研究とかあるよな」

「そうなのよ。ちょっと考えればわかるはずなのに、馬鹿よね。勉強は手段であって目的ではなかったのに、いつの間にか逆転してたの。調べたら、東大にも、京大にもあるのよ。まいっちゃった」

 当時の彼女にとっては大変なことだったのだろうが、済んだことだと笑い話で済ませていた。

 やがて昼時となりライズ飯を楽しんだが、その後も話は続いた。

 一浪して醸造科に入ったこと。かっこいい先輩がいたこと。研究室に寝袋を持ち込んで叱られたこと。最先端技術よりも麹菌の方が偉いと思ったこと。麹や酵母協会でバイトしたこと。農業試験場で喧嘩したこと。原点に立ち返り、蔵の梁や柱に住み着いている麹菌をもとに培養して、ようやく日本一のお酒が出来たこと。日本中の人たちに飲んでほしくて全国営業をしたこと。酒が足りなくなったから蔵を増やしたのはいいが、今度は人手が足りなくなり、多くの人を雇ったこと。人を育てるためにコーディネーターの勉強をしたこと。世界進出をもくろんで飛行機に乗ったこと。そこから記憶がないから、たぶん墜落したことなど、など。

 ミュレーの話が終わるころには日が暮れていた。


 面白おかしく話すミュレーの話術もさることながら、最後まで聞いたくまさんの忍耐力をほめるべきかもしれない。

 ともあれ、商人たちが帰ってきて長いお話にもようやく終止符が打たれた。

「あーっ。久しぶりにいっぱいしゃべった。付き合わせてごめんね」

「楽しかったから気にすんな」

「うん。じゃ、夕飯の手伝いに行ってきます」

 さっと敬礼して椅子から下りるミュレーだった。

「ああ、ひとつだけ」

「なに?」

 ミュレーが振り返り、小首をかしげた。

「日本酒、もう作らないのか?」

「うーん。やろうと思えば簡単だけど、酒米は仕方ないにしても、気候がね。寒仕込みが出来ないから、焼酎ならまだしも日本酒のいい物は作れないのよ。現に、ここでは美味しいビールが作れないからエール酒だしね。やるとすれば果実酒かな。それを蒸留してブランディー。純度を上げてスピリッツからリキュールまで行くのも面白そう。頂点は極めたし、バリエーションを楽しむのもありかなって感じ。ああ、麹はあるし、甘酒くらいなら一日あればできるわよ」

「それ、頼んでいいか?」

「任せといて」

 ミュレーは厨房に消えていった。

「あの子に教えてもらって酒造りもいいかもしれんな。いろんな酒が飲めるし、趣味と実益を兼ねた酒屋、案外いけるかもな」

 思い付きをつぶやくジョージだった。


 商人たちが夕食をとれば、そこは情報交換の場所になる。

 今宵の話題はミリオンが謁見中の商人を切り捨てたと言う噂だ。

 地元の商人なら大騒ぎだが王都から来た商人らしかった。

 スナポンがいれば多少はわかったのだろうが、役に立たん奴だと評価は低い。

「情報元は?」

「王都から同行して来た商人たちだ。殺人鬼だと叫びながら逃げて行ったらしい」

「ふむ」

「裏付けは俺がやろう」

 城に出入り出来る商人が申し出た。

「どうやって?」

「切り捨てたと言うなら、謁見の間の絨毯は血糊が付いて使えないはずだ」

「ミリオン様に謁見するのか?」

「まさか。あれほど大きな絨毯の予備は一本しかない。倉庫に行けばわかるさ」

 商人にとって情報は命に値する。より正確な情報を得るための努力は怠らないのだ。


 そして、夕食後。

 くまさんがミュレーの親戚だと紹介されたが、それだけでは済まなかった。

 まとめて置いてあったスナポンの新製品の中からボード盤を取り出すと、二人の対局が始まったのだ。

「こりゃまたすごい碁石があったもんだな」

 さしものくまさんもリバーシの駒で碁を打つとは思わなかったようだが、囲碁対局となったのには理由があった。

「私は連珠初段だから勝てないわよ」

 ミュレーが言うと、

「リバーシは大学時代コンピューター解析をやったことがある。パターンは頭にあるから勝てないぞ」

 くまさんが切り返した。

 ルール説明を兼ねて一局はやったが、お互い納得して囲碁の対局となったのだ。

 ところが、ここで思わぬ誤算が生まれた。

 囲碁はとてつもなく奥が深い。ルールを説明したからと言って分かるはずもないのだが、好奇心旺盛な商人たちがなんでそこに打つのかとか、どういう意味があるのかとうるさいのだ。

 はじめのうちは丁寧に対応していたが、碁は難しいからはやらないわよと遠回しに言うようになった。だが効果が無い。

 仕方なく、追加のルール説明が始まった。

「解説はここまでにするわね。正式なルールでは、対局中は見ている者も含めて話をしてはいけない決まりなの。無言の対局。碁は真剣勝負と言われているの」

「正式な碁盤の場合だが、足はクチナシの実の形をしている。しゃべるなという意味だな。盤の裏にはくぼみがあって血だまりとよぶ。たとえ傍観者であっても、口を開いた者は切り捨ててその血を貯める場所だ」

 ミュレーが優しく説明し、熊さんが後を続けた。

「この線も、本来は墨を付けた剣を押し当てて引くの。対局も、作る時も真剣勝負ってことね」

 そこまでするのかと驚く商人たちだが、その後は静かに観戦するようになった。


「四目の差とみるが?」

「平で。明日お願い」

「了解した」

 終わってみれば、くまさんの大勝だった。

 ハンデとして先に黒石を九個まで置けるのだが、四目と言ったのはくまさんの気遣いだろう。もっとも、負けず嫌いなミュレーは平打ちを希望した。

 この結果を見て驚いたのは周りの商人たちだ。

 遊びとはいえ頭脳ゲームだ。絶対的な知恵者だと思っているミュレーが負けるとはだれも思わなかったのだ。

 しかも、相手は得体のしれない大男だ。親せきと紹介されたが信じる者はいなかった。そういうことにしておくのだろうと思っていた。

 事実そうなのだが、勝っておごるわけでもなく、むしろ当然と言った態度だ。負けたミュレーに気遣うそぶりすら見える。

 本当に親戚の叔父さんなら、勝っても不思議はない。

 本当に親戚の叔父さんなら、負けたミュレーの心情に気を遣うだろう。

「さすが、お嬢の叔父さんだけのことはあるな」

 そういう声が上がるのは当然と言えた。

 二人は苦笑いを浮かべたが、いまさら違うとも言えない。むしろみんなに認められ、一目置かれることになったのだから良しとしよう。

 暗黙の了解の中、二人は席を立った。

 一局でやめたのは商人たちに場を譲るためだ。

 いつの間にか負けたら交代というルールができ、全員の対局が済めば次のゲームへと移る。

 やってみたいだけの若い商人たちもいれば、どこまで商品になるかと悩むベテランたちもいる。

 ワイワイ、ガヤガヤ。あーでもない、こーでもないと賑やかな夜は更けていった。

 商いの宿の朝は早いが、就寝時間は自己管理だ。

「碁盤に引かれている線の数は十五でいいから、作るならもう少し小さくしてね。じゃ、おやすみー」

 ミュレーが奥に引っ込んだ。

「駒だが、柔らかくて薄い板の上に鉄リングを並べてプレスすれば簡単に作れるぞ」

 くまさんも二階に上がっていった。

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