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ミリオン・フォン・ナロン

 スバイツアーが『商いの宿』を出ると、護衛騎士二人が待っていた。

 彼らの任務は影の護衛。スバイツアーの独り歩きを楽しませることなのだから、本当の意味でのお忍びではないのだ。

 最初のころはあちこちを見て回っていたスバイツアーだったが、ここ数年の行き先は決まっていて、用事が済めばともに帰るのが通例だった。

 要職を退いてからずいぶん経つが、護衛二人はずっと彼を見守ってきていた。

 そんな彼らだったからこそ、スバイツアーの額にしわがよっている事にすぐに気が付いた。

 もっとも何かをするわけではない。

 ただ、『商いの宿』から帰るときはご機嫌なのに今日は違う。そう確認しただけだ。

 朝の太陽はすでに高く、城下にはあふれるほどの人々が行き来していたが、そんな賑わいとは裏腹にスバイツアーの表情はさえなかった。


 ふと見ると、城の方から兵士が走りこんできた。

 すぐさま一人が前に出て壁になり、後ろの一人は左右と後方に鋭い視線を飛ばす。

 味方とはいえ全ての顔を知っているわけではないし、仮に知り合いだとしても気を抜く彼らではない。

 壁に阻まれながら兵士は膝をついた。

「申し上げます。『すぐにお城にお戻りください』とのご伝言にございます」

 スバイツアーはチラリと城に目をやっただけで、何も言わずに歩を進めた。

 伝令となった兵士が顔を上げて何かを言おうとしたが、その肩に手が置かれた。

 言葉を伝えるまではいいが、聞かれてもいないのに話しかけるのは不敬にあたる。

 止めたのは彼を責めるのではなく守るため。普段のスバイツアーなら問題ないが、報告を受けていながら何の言葉も返さない今日はまずい。

 護衛が代わりに内容を聞き、歩くスバイツアーの後ろに回った。

「ミリオン様が謁見中の者を切り捨てたそうにございます」

 取るに足らない内容ならそれまでだったが、これは伝えるべきと判断してささやいた。

 それでもスバイツアーの歩みは変わらなかったが、眉間に寄ったしわをより一層深くしていた。



 ミリオン・フォン・ナロン次期公爵の執務室。

 その広い机にはいくつもの書類の山があった。

 両手はそれぞれ別々の書類をめくり、にらみつけるような鋭い視線があちこちに飛ぶ。

 その前に立ち並ぶ三人の上級文官はヒア汗をかきながら立っていた。

「最も重要な騎士団の決算だぞ。過去五年程度の数値をなぜ覚えてない!」

 視線は書類に落としたまま会話までこなしていた。

「も、申し訳ございません」

「申し訳で済む話か! すぐにもってこい!」

 飛び出していった文官をうらやましそうに見やる二人。

 ミリオンの左手は別の書類をめくっていた。

「方面別の小麦の納税数と、使った後の合計が違うのはなぜだ?」

「す、すぐに計算しなおします」

「まぬけ! それくらい暗算でやれ!」

「え?」

「え、じゃない。そんなこともできないで、よく上級文官が務まるな!」

「す、すぐに」

「ったく」

 乱暴に差し出された書類を抱えて逃げていった。

 無茶を言っている自覚はないようだが、残るは一人だ。

「宝物庫のリストはどうした?」

「そ、それは、その」

「なんだ?」

「公爵様ご本人でないと、いけない決まりと申しますか」

 彼が言えたのはここまでだった。

 両手にした書類を不自然なほどゆっくりと置き、冷たい怒りの表情で立ち上がったミリオンは長剣を抜いた。

 向かった切っ先は上級文官の喉元。剣はピクリともしないが、恐怖からくる震えが喉を傷つけ血がにじみ出す。


「スバイツアー様がおこし……」

 入ってきたメイドが両手を口に当てて悲鳴を止めた。

 ミリオンは顎をしゃくって入ってもらえと合図を送ったが、視線は文官にあてたままだ。

「おやおや、ずいぶんと賑やかな執務室になりましたな」

 スバイツアーはとぼけた表情で、座らせてもらいますよと応接ソファーに陣取った。

 ミリオンはそれを一瞥すると口を開いた。

「リストを持ってくるのと、死ぬのと、どっちがいい?」

 ニヤリとしたミリオンは死神にでも見えたのだろう。文官は転がるように部屋を出ていった。


「いきなりのご訪問とは驚きました」

「これは申し訳もございません。年をとると物忘れがひどくなりましてな。出直してまいりますかな?」

ミリオンの嫌味に、そう答えながらも立ち上がるそぶりすら見せない。

「いまさら、いいですよ」

 剣を納めたミリオンが無表情で向かいに座った。

 身分はミリオンのほうが上でも、スバイツアーは祖父の弟であり、引退したとはいえその影響力は無視できないものがある。

 メイドが紅茶を運んでくる。先ほどのメイドで、何事もなかったかのようにセットしていた。

「荒事とは無縁の王宮女官より優秀だな」

「ほう」

 ミリオンがほめたのが意外だったのだろう。スバイツアーの感心したような声が漏れ、メイドはお辞儀を返して出ていった。


「先に言っておきますが、必要とあらば誰にでも剣を向けます。誰にでも、ね」

「その結果がどうなるのか。それが分かっておいでなら、よろしいのではないですかな」

 俺のやることに文句を言うなら爺とて容赦はせんぞ。やれるものならやってみろ。

 最初の応酬はお互いに釘をさすことから始まった。

「要件は何だ? 説教なら聞く気はないぞ」

「はて? 説教されるようなことでもなさいましたかな?」

 何しに来たのか聞くまでもないが、突き放すような言い方も通用しない。

「とぼけなくていい。必要だから切った。それだけだ」

「ならば良いのではございませぬかな。感情に任せて剣を抜くは暗愚なれど、必要な時に抜かぬのはただの臆病者でございましょう」

 ああ言えばこう言う。遠回しのお説教に、ミリオンの表情は変わらないが、その心情には波風が立っていた。

「ふん。爺さんには話しておいた方がいいか」

「お聞きいたしましょう」

 年の功というべきか、ミリオンが事情という名のいいわけを話す気になっていた。


「王位継承権争いというものがある。むろん、表だってそんなことをする者はいない。第二、第三皇子ともに幼いし、誕生会一つとっても、いらぬ噂が立たないように細心の注意がなされている。だが、水面下ではひそかな動きがある。しかも、些細なことだから始末が悪い」

「……」

 さすがにこの話は予想外だったのか、スバイツアーも視線を険しくしながら聞いている。

「俺の前に十二歳となった側近が領地に帰り。しばらくすると、第二皇子が懇意にしている商人と仲がいいとのうわさが立った。たったそれだけだ」

「それは……」

「そうだ。王子と側近との間に波風が立つかもしれないと、それだけだ。だから面倒なのだ」

「思い過ごしという線は、ございませんか?」

「本人がいない間に噂が立つ。それが偶然だと言うなら耄碌もうろくしたと言わざるをえんな」

「切り捨てた者がそうだと?」

「ああ。今度は第三皇子がひいきにしている商人の一人だ。むろん、王都では会ったこともない。リストで知るだけの商人が目もくらむような貢物を持ってきた」

「相手方に対する警告、ですか?」

「保身ともいうが、な」

 姑息な手段はお見通しだ。次はないぞという警告。

 王子のためならどんなことでもするという意思表示。

 ただの偶然なら災難だったで済ますあたりが貴族の傲慢さだが、少なくとも凶行に走る理由はあったということだろう。

「今すぐではないだろうが、王子暗殺という最悪のシナリオは永遠に付きまとう。領地経営などとっとと片付けて王都に帰りたいものだ」

「それで、これほどまでにお急ぎだったのですか?」

「まあな」

 そう言って、紅茶に口を付けた。

「ミリオン様なら、もう少しやりようがあると思うのは欲目ですかな?」

「豊かな農地ばかりではない。西の塩湖、東の鉄鉱脈、南の港。俺に言わせれば宝の山だ。休耕地を出すような無駄な農法や非効率な掘削と開発など根底から覆す」

「しかし」

「三年だ」

 間髪入れずに言葉を挟んできた。

「はい?」

「三年辛抱すれば、その後は急速に発展する。三年辛抱すれば、俺に代わって弟ステファンが来る。ステファンが来てから発展が始まる。豊かになるぞ。そして、みんながステファンのおかげだと思うようになれば領地経営もやりやすいというものだ」

「しかし、しかしそれではミリオン様が悪者ではございませんか」

「それのどこが悪いんだ?」

 即答だ。

「いや、しかし……」

「領地はな、発展するだけじゃ駄目なんだ。そこに暮らす者たちが幸せにならなければ意味がない。ステファンは賢く優しい。みんなを幸せにするいい領主になるだろう。ナロン公爵領の発展のため、ステファンのために俺が出来る事、俺にしか出来ない事をやる。ただ、それだけだ」

「ここの領主はミリオン様でございますぞ」

「いいやステファンだ。俺には王子を支えこの国を発展させる使命がある。生まれた時が遅いだけでステファンをないがしろにするやつは俺が許さん。たとえお前でもだ」

「……」

 爆発的な行動力、それは若者だけが持つ特権なのかもしれない。

 そこにどんな危うさがあろうとも、その根底に確固たる信念があるとき、年老いた者は言葉を失う。

 説得するのは無理だと思ってしまう。あきらめてしまうのだ。

 スバイツアーは最後の手段に出た。


「王都には無い珍しい食べ物がございましてな」

「ほう」

 急な話題転換だが、決着がついたと言うなら文句はない。

「商人が使う宿屋の食事なのですが、味噌スープといって、これがなかなか美味でしてな」

「な、なんだと? もしかして、みそ汁の事か?」

 ミリオンが驚きの表情を見せたが、驚いたのはスバイツアーも同じだった。

 ミリオンは自身の感情を悟らせるようなことはしなかった。

 文官に剣を向けていた時でさえ殺気はなく、怒った表情を見せているだけだと分かっていた。

 だからこそ平気で部屋に入ってこれたのだが、今のミリオンは本当に驚いているように見えるのだ。

 そして、こうなってしまえば主導権を渡すスバイツアーではなかった。

 用意してあった着替えに、それらしく作られた抜け穴の存在。お忍びでも、護衛に伝えて協力してもらわなければ彼らが罰せられることなど、ミリオンはもはや言われるままに頷くしかなくなっていた。

しかし。


「ま、待った」

 ミリオンが絞り出すような声で待ったをかけた。

「今日は無理。予定が、予定が詰まってる。明日は、明日も。ああくそ! 明後日もだ!」

 実際、ミリオンは働いていた。それこそ寝る間も惜しむ勤勉ぶりだ。

 謁見や会合は目白押しだし、その合間には準備資料に目を通さなければならない。

 今だって、官僚が書類をそろえてくるまでの隙間時間でしかない。

「十日後なら何とか、いや、何とかするんだ。いや、しかし、十日か、長すぎだぞ」

 身分が違うのだから相手の都合など無視してもいいのだが、こちらから日時を指定しているのに、みそ汁を食べたいから延期とは言えないのだ。

 頭を抱えるミリオンを見たスバイツアーは、その心根や良しと、ひそかな及第点を出した。

「御心配には及びませんぞ。明朝、夜も明けぬうちから出かければよいのです」

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