一輪車
「さてと。はずれ、じゃなかった。ミリオン様が何をお考えなのかということね」
ミュレーの話はご隠居様へのささやかな仕返しから始まった。
「結論から先に言えば、農業革命ともいえるほど画期的な農法よ。これを乗り切ればという前提はあるけど、港の開発と合わせれば、ここナロン公爵領が王都並み、いいえ、王国の中心地になるほど発展するでしょうね」
「「「「おお」」」」
店内がどよめきに包まれた。
年端もいかぬ少女の言葉をいい大人が無条件で信じる。これを不思議に思うのはランドだけのようだ。
「ノーホーク農法と言われるんだけど。耕作地を四つに分けて、小麦、かぶ、大麦、クローバーの順で育てるの。でね、たったこれだけでいいことがたくさん出てくるの」
商人たちは薄暗い中、急いで紙に書いている。
紙が高価なためにどうしても丁寧に書こうとするのだが、ミュレーが早口のために苦戦中だ。
「まず、今まで以上の豊作になるし、連作障害を防ぐための休耕地が無くなる。小麦の収穫量だけをみれば半分だけど、食べ物というくくりだと増える。天候不順に強いから、小麦が不作でも飢えることが無くなる。クローバーは家畜の餌としてだけではなく土地を豊かにする。かぶは家畜の冬の餌にもなるし、別の作物に変えることもできる。種類の違う食べ物をとることで病気にかかりにくくなる。ざっと考えただけでこれだけあるわね」
「え? もう一回言ってくれ」
聞いている方は大混乱なのだが、ミュレーは止まらない。
紙など必要ない。頭の中に書いておけというのがミュレーの持論なのだ。しかも、それくらい出来なくてどうすんの、などと言われては反論もできない。
自分に出来る事は他の人にも出来ると思っているミュレーと、出来ない事を知る商人たちの温度差があった。
「集団農法は作業効率を上げ、新規開拓への余裕が生まれる。そして、耕作地が増えてくれば効果も倍増するわ。まず、食糧事情の改善は子供たちを健康にして生存率を上げる。秋には殺していた家畜が飼育できれば殖やすことも可能になる。家畜が殖えれば年中お肉が食べられる。それに、馬を飼育できるようになる」
ミュレーが言葉を切った。その意味が分かるかと問うように。
「騎士団は年老いた馬を使わない。それをもらい受け、大きな鋤を付けて耕せば、今までの百倍以上早く深く耕せるようになるの。そうなれば、農作自体が楽になり余裕が生まれる。そして、そこに生み出されるものが豊かな文化なの。さらに、ここが最も肝心な事なんだけど、余った食料も肉も売れる。売ればお金が入る。お金があれば物が買える。領民すべてにお金がいきわたることがどれほどすごい事か」
おわかりと目線で問うが、みなはポカーンとしている。
「ノーホーク農法はね。今までのように農民から搾り取るのではなく、徹底的に農民を豊かにし、それで領地を栄えさせようという画期的な農法なのよ」
「「「「????」」」」
少し駆け足が過ぎたようで、みんながついてきていなかった。
理解が追いつかない商人たち。振り返ると、スバイツアーのご隠居様も固まっていた。
ミュレーはやれやれとかぶりを振りながら、固まった意識を引き戻す手伝いをし始めた。
「だけど、現実はひどいものよね。主食である小麦の耕作地が半分になれば収穫量だって半分になるのが当たり前。これはね、新しい開拓地だけでやるべきだったのよ」
ああ、なるほど。それなら分かると、みんなの意識が戻り始めた。
「でも、心配しなくてもいいわ。公爵様が不在でも、それを守ってきた人たちの優秀さはみんなも知っているでしょう?」
それはみんなも実感している。
「次期公爵様が間違ったとは言えないから、残された方法は新しく開墾するしかない。今年は間に合わないけど、来年の種まきまで一年近くある。最低限の兵は残すにしても、ほぼ全ての兵士を投入して開墾することになるでしょうね」
「港は? 港はどうなるんだ?」
「残念だけど延期するしかないわね」
南部の商人はがっくりと肩を落とした。
「街道沿いの大平原に公爵騎士団を投入すると思うのよね。切り株は残っているけど馬があるし、木を伐り出す手間がないからずいぶん違う。街道も利用できるしね」
「どのくらい延期になると?」
「四年とみている」
「四年、長いな」
「一年で開墾した耕地すべてを小麦畑にしないと足りないから、二年目に大豆、三年目に大麦というふうに、大規模なノーホーク農法にするしかないのよ。ただ、開墾してすぐに種をまいてどうかって心配はあるんだけどね。まあ、港は必要だから中止にはならない。それだけが救いね」
「ああ」
よほど大金をつぎ込んだのだろう、見ていてかわいそうなくらいの落胆ぶりだ。
「さて、これで状況はつかめたと思うから、これからどうするかに入るわね」
気持ちを切り替えるように促した。
「まずはこれを見て」
用意してあったのだろう、絵が描かれた木片をそれぞれのテーブルに配った。
高価な紙などないからだが、ご隠居様は近くのテーブルをのぞき込んでいる。
「これは一輪車というものなんだけど。まず、二本の棒を渡して、先端に車輪が付く。後方の広がった部分が持ち手ね。間の足の付いた箱に荷物を積んで運ぶわけ」
各テーブルでは身を乗り出すように絵を見ている。
「荷車と比べると運ぶ量は少ないんだけど、曲がりくねったあぜ道でも轍でもスイスイ運べるの。これを大量に作って売るわよ」
と、ここでみんなの表情が変わった。
「これは、その、本当に売れるのか?」
盲目的に信じてはいても、新しい商品に対する目は厳しい。さすがは商人たちと言えるだろうが、ミュレーは即答する。
「たとえば、騎士団の力自慢が運ぶ荷物を、力のない新兵が運べるとしたらどう? 騎士の本分は戦うことでしょう?開墾なんてやりたくない仕事のはず。それが楽になるなら飛びつかないはずがない。村々でもそう。井戸から運ぶ水桶くらいなら女子供でも運べるし、道なき道を往復するまき運びもずいぶん違う。今までは当たり前だと思っているから何も言わなかっただけで、楽に運べる便利さを知ったら手放せなくなる。それほど便利な物なのよ」
なるほど。そう言われるとそんな気もしてくるから不思議だ。
「注意するのは、ミズナラや樫などの堅い木を使うことと、車輪の軸と軸受に鉄を使うことよ。扱いが乱暴になるのは目に見えているから、この二つを守らないとすぐに壊れるからね。鍛冶屋さんも忙しいと思うけど、そこは今までのつてでやりくりして」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
それまで静かだったランドが声を上げた。
「鉄の事ならスナポン商会に任せてもらいたい。そこらの鍛冶屋では太刀打ちできないほどの製品を大量にそろえてみせる」
自信満々の言葉だったが、
「いらない」
ミュレーは一言で切った。
「な?」
「あなたは余所者だし、信用できないからいらない。参加したいのなら、そうね」
絶句したスナポンに、さらに言葉を探す。
「王都から荷馬車百台の小麦をもってきて。そうしたら信用してあげてもいい」
「馬鹿な! そんなこと出来るわけがないだろう!」
「そうかな? もし出来たら、ここで使う木よりも軽くて丈夫な鉄の加工法を教えてあげてもいいわよ。一輪車だけでなく、用途は無限にあると言ってもいいでしょうね」
「そんな加工法が? まさか?」
「さあ? どうかしら?」
知らない間にランドもミュレーの言葉を信じるようになっていたようだ。
「本題に戻るわよ。初期の納品数量だけど、騎士団、各方面ともに千とする。でね。みんなは売る専門だけど、作る方は素人と言ってもいいから大量生産をするときの注意点を言っておくわね」
みんなの視線が集まった。
「職人にこの図面を見せて見本を作らせる。そのときに、なるべく多くの男衆に見学させる。そして、車輪を作る者は車輪だけを作らせるの。箱は箱だけね。分業というんだけど、これが大量生産するときのコツなの。最初に見学させるのは、自分が何を作っているのかを知るだけで品質がそろうようになるの。すぐに追加注文が入るから準備は怠りなくね。あとは、先立つものだけど」
そういってご隠居様の方を見ると、やっと出番が来たとうなずいた。
「金貨一枚出そう」
おもむろに放たれたこの言葉に店内は静まり、やがてどよめきに変わった。
「金貨って、金貨だよな」
「銀貨が百枚だぞ。それがポンと出るとはな」
「よその国との取引で使うと聞いたことがある」
「採石場の設備に金貨一枚かかったと言ってなかったか?」
「そういえば。しかし、百枚か。それだけの商いをしてみたいものだ」
「さすがはご隠居様だ」
みんなのほめ言葉にうなずくご隠居様。まんざらでもない様子だ。
「さあ、みんな。ご隠居様が身代をなげうってでも資金を用立ててくださる。これにこたえなきゃ男が廃るってもんよ」
「「「「おう!」」」」
売れる商品があり、有り余る資金もある。これで燃えなければ商人失格だろうが、まだ続きがあった。
「借りたお金を返すのは年末よ。忘れているかもしれないけど、来年の収穫までの小麦が足りない。秋の収穫以降、値上がりしてからでいいけど、他の領地から小麦を買ってくるの。だから、儲かっても無駄遣いしちゃだめよ。分かったわね」
「「「「おう!」」」」
さらなる儲け話だ。おまけに領民たちのためにもなる。いやなはずがなかった。
「最後にもう一つ」
そういって言葉を切った。
「ノーホーク農法にはもう一ついいことがあるの。それはね、大麦がたくさん採れるということよ」
「エール酒か!」
「正解。あなたたちは地区の代表なんだから、一輪車のことだけを考えてちゃダメ。参加できない商人たちにも仕事を回さないとね」
これにはみんなが笑顔になった。
酒は儲かるのだ。一輪車より喜ぶのは本人も好きだからだろう。
「言いたいのはそれだけよ。それじゃ、時は金なり。とっとと仕事に出発! 働け! 働け!」
ミュレーが急き立てる。
慌てて紙をしまうが、話が難しすぎたのか数行しか書いていない者がほとんどだった。
「暗くなる前に帰ってくるんじゃないわよ! そんな怠け者は泊めないからね!」
彼らは各方面からきているので今日泊まる者は少ないのだが、そこは気持ちの問題だろう。
みんな喜んで飛び出していった。
「これだけで済めば、苦労はないんだけどね」
彼らを見送るミュレーが、ポツンと漏らした。