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ミュレー先生

「最初に言っておくけど。ノーホーク農法の考え方はいいけど、やり方がまずいのよ」

「やり方?」

 テーブルに移動してミュレーとミリオンが対峙する。

 こうなることを予想していたのか、横に座ったご隠居様が紙とペンを取り出した。

 くまさんは壁際のままだ。傍観者を決め込んでいるのだろう。

「さっき中世ヨーロッパって言ったけど、一般的に西ローマ帝国が滅亡した五世紀から東ローマ帝国が滅亡した十五世紀まで千年もあるのよ。日本で千年前だと平安時代になる。つまり、それくらい農業形態に差があるから、現状に合わせたやり方でないとうまくいかないってこと。それに、ノーホーク農法の目的は領民のためじゃなかった。結果としてそうなっただけだし、行われたのは十八世紀よ。中世ですらないんだからね」

「そうなんだ」

 ミュレー先生の講義が始まった。


「現状認識から行くわよ。まず、領主に納める小麦の税率は?」

「直轄地で三割、それ以外だと四割。王国でもトップクラスだぞ」

「自慢話はいい」

「……はい」

 厳しい先生のようだ。

「つまり、収穫量を百とすると、税が三十だから農家に残るのは七十。このうち余った分が生活雑貨などと物々交換となり、農家でない人達にも食料がいきわたる。商人が活躍するのはここで、これが豊かな公爵領の流通形態なわけ」

「なるほど」

「問題は、ここにノーホーク農法を取り入れるとどうなるかよ。休耕地が無くなる代わりに作付面積は四分の一になるから、収穫量は半分の五十。ここから税率三割を引くと三十五になる。分かる? 農家の人たちでさえ食べ物がないと言うレベルになれば、それ以外の人はどうなると思う?」

「あっ」

 ようやくミリオンにもわかってきたようだが、まだ続きがあった。

「裏路地をしばらく行くとスラムに近い場所があり、そこでは餓死する人もいるの。豊かな公爵領の城下でさえこのありさまよ。城下を離れればもっといる。直轄地以外だとさらに増えるでしょうね。それなのに、食料が亡くなれば……」

「数百、いや、もっとか?」

「ええ。正確な数字はわからないけど、想像したくもない数になることは間違いないでしょうね」

「うーん」

 さしものミリオンも、ようやく理解したようだ。

「毒を盛りたいと言った私の気持ちが少しはわかった?」

「ああ。お前に殺されるなら本望だが、たしかに殺されても文句は言えんな」

「あら? それって、惚れてるってこと?」

「ば、ばか! んなわけあるか!」

 顔を真っ赤にしたミリオン。ミュレーに遊ばれているようだ。


「ともかくノーホークはやめる。それは決定だな」

「まったく、だからあんたは馬鹿だっていうのよ」

「もう、馬鹿っていうな」

「馬鹿は馬鹿でしょうが。いい? 私は、ノーホーク農法は良い。悪いのはやり方だって言ったのよ。ちゃんと聞いてた?」

「だって。じゃ、どうすんだよ?」

「それをこれから話すんでしょうが。ちゃんと聞きなさい」

「……わかった」

 さすがにご隠居様の手が止まる。

 仮にも次期公爵だ。さすがにここは注意すべきかと思ったのだ。

 しかし、あらためて二人をみるとお互いに真剣なのが分かる。

 ミュレーの口の悪さを気にもしないで聞くミリオン。その眼には喜色さえうかんでいるし、話すミュレーも真剣そのものだ。

 何より、二人はテーブルの上に身を乗り出してその距離はかなり近い。

 出来の悪い弟に勉強を教える姉。いや、むしろ……。

「なるほどのう」

 意味ありげにつぶやくご隠居様は視線を紙に戻した。


「まず、現在の耕作地は従来のやり方に戻す。種まきの時期はとっくに過ぎているけど、公爵領は温暖だからある程度の収穫量は期待できるしね。次に、区画整理と農地開墾をやってノーホーク農法をするの。さらに、賦役ではなく仕事にして、対価として小麦の交換券を発行する。あんたは、公爵騎士団を総動員して南の街道沿いの荒野を穀倉地帯に変える。最後は農具をそろえる。以上よ」

「ちょっと、待ってくれ」

 ペンを走らせているご隠居様を確認する。

「えっと、分かった。分かったんだけど、交換券って何だ? ああそれと、区画整理は普通の奴か?」

「順番に説明するわね」

 ミュレーも、ご隠居様が書き終えるのを待った。


「まず、ノーホーク農法は土地を長方形に囲ってから行うの。区画整理はあんたの方が詳しいでしょう?」

「ああ。いずれやろうと思っていたからな。しかし、そう簡単にはいかないぞ」

「そうなの?」

「ああ。水田じゃないから土壌改良までは必要ないし、地権も無視できるんだけど、地形が果てしなくフラットだから水路が作れないんだ」

「水が流れないってこと?」

「そういうこと。概算だけど、百メートルで一センチくらいだ。しかも、水準器が無いから水管を使うしかないのに、ホースが無いから竹になる。そんなの俺でも無理だって」

「適当に作ると水が流れないし、止まれば水が腐るか。難しいわね」

「それで済めばいいけど、雨が降ればどこかで水没地区ができる。水路を作ったばっかりに水害なんて、洒落にもならんて」

「それほど水は必要ないんだけど少しはいるし、将来的には致命傷ね。うーん」

水が少なくても育つ作物は多い。しかし、干ばつに生き残れる作物はない。特に開墾地の場合、最も重要なのは水の確保だったりするのだ。

「そうだ。逆の発想で行けるよ」

「逆?」

「つまりね。深さを一定にした仮水路を作って水を流す。水が止まったら注水をやめる。あとは、水深か、水面からヘリまでを測れば」

「なるほど。立派な水準器だ」

「でしょ?」

 にっこり笑うミュレーに一瞬ドキリとしたミリオンだったが、ここは図の方が分かりやすいとご隠居様からペンを奪った。

「雨が降ったら水は必要ないから、水門があれば排水路になるわよ」

「分かった」

 へたくそな図だったがその横に水門と書き込んだ。


「開墾地だけど、こっちを優先しないと収穫量が落ちるから要注意ね。南の街道沿いは森林が無い分早く開墾できる。出荷も楽だし、将来は港から輸出することも可能になるしね」

「了解」

 ペンは無事ご隠居様の手に戻った。

「さて、ここまで指示を出すと、次期領主にいいところを見せようと土地改良も開墾も精力的にやるはずよ。そして、そのしわ寄せが領民に来る。賦役は無償だからね。そこで、労働の対価として小麦粉を出すの。食べるものが無いスラムの人たちも参加できるし、開墾地をあてがうこともできる。交換券だと渡す手間がかからないし、もらった後の保管も楽でしょう。緊急用に備蓄している小麦粉を使えばいいし、足らなければ今のうちに他領から輸入しておけばいい。最後は農具だけど、いるのはツルハシ。開墾をしようとする土は堅いからツルハシじゃないと刃が立たない。ああ、そうだ。鉄がたくさんいるけど、大丈夫かな?」

「ああ、それは任せてくれ。鉄鉱脈は視察で見た。やり方を変えれば掘削量は数十倍になるはずだ」

 ミリオンが得意げに話す。

「ああああああ。じゃ、じゃさ。農耕馬が引く鋤は出来ないかな? 二メートルくらいのでかいやつ」

「出来なくはないけど、さすがに重すぎて引けないだろ」

 急にテンションが上がったミュレーに、戸惑いながらも冷静に答えた。

「馬車みたいに車輪を付けて、四頭立てとか八頭立てとかにしたらどう?」

「それなら、まあ、いけるかな」

「やったね。これで、岩も切株もまとめて掘り起こせる」

 一人ではしゃぐミュレー。二人の理解が追いついていないようだがお構いなしだ。

「開拓で出た石や岩は港に運んで防波堤を作るといいわ。港湾は安全第一だしね。細く高い防波堤は技術的に難しいから、陸を沖に伸ばす感じで広くするといいわね。四五度くらいに突き出せばいいかな」

「ちょっとまて。防波堤はいいが、そんなに浮かれる理由がどこにある?」

「え?」

「え、じゃねえよ。なんでそんなにはしゃぐ? さっぱりわからんぞ」

「まったくもう。いい? 開墾で最も時間がかかるのが切株なの。深く根が張っていて、十人がかりでも丸一日かかる。次が石や岩で、土の中から掘り起こすのが大変なの。それを一気に解決してくれたら、開墾のスピードはものすごーく速くなるというわけ。分かった?」

「なるほど。そりゃすげーな」

「でしょ?そうだ。公爵領のほとんどすべての商人たちに一輪車を作らせているの。万が一食糧不足になったら他領から買い付けてくれる手はずになっているから高く買ってよね」

「おお、一輪車か。農業実習でやったけど、ありゃ最高だ。高く買わせていただきます」

 盛り上がる二人。ミリオンがおどけて頭を下げた。


「そういうことなら、俺も協力させてもらえないかな」

 静かにしていたくまさんが言葉を挟んできた。

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