おもらし太郎君
「スバイツアー様がお越しになられるから準備をしておくように」
「しかと賜りました」
早朝、宿に来るなり言い放った城兵騎士に素早く返答した。
いつもはふらっと来るのに、先ぶれをよこすくらいだからミリオン様が来るのだろう。
商人たちは手早く食事を済ませていた。
あきらかに徹夜組の若い商人たちもいたが、あえて触れないのは悪い事ばかりではないからだ。
寝不足が原因で失敗すれば次から気を付ければいいだけだし、そこまで面白さを実感していれば売り上げも変わってくるからだ。
「そうそう。ボード盤は遊び道具だし安くしてね」
「それなら、商品にしないことにした」
思い出したように言うと、今日のメンツの中ではリーダー格の商人が応えてきた。
「え?売れないかな?」
「そうじゃなくて。みんなとも相談しなきゃならないんだが、俺たちが金を出し合って大量に作り、若い奴らにばらまかせようかと思っているんだ」
「次期公爵様が考えたゲームだと言えば顔つなぎには最適だけど……。ああ、なるほど。ミリオン様にいいところを見せようというのね」
「それもあるんだが、了解も取らないで商品にする勇気もないんでな」
「いいじゃない。公爵家の商人ここにありって、ぼんくら野郎を驚かせてやろうよ」
「ははは。ま、相談してからな」
「よーし、こっちも負けてらんないぞ。一丁、かましてやりますか」
ミュレーの気合いに、巻き添えを食ってはたまらないと早々に逃げだしていった。
「くまさんは階段のところに隠れて聞いていてね」
「いいのか?」
スバイツアー様だけでも雲の上の人だと言うのに、ミリオン様は次期公爵だというのだから驚きだ。
「ミリオン様も元日本人だと思うんだけど。いい人とは限らないし、一緒に見極めてほしいから」
「そういうことなら分かったが、他にもいるのか?日本人」
「いろいろ聞いてはいたんだけど、ここにきて急に見つかったかんじ。くまさんもね」
「なるほどな。まあ、役に立つかどうかはわからんが、了解した」
階段の方に消えたくまさんは部屋に戻って狩猟刀を差し、弓を手に階段下に陣取った。
昨夜聞いた謁見中の者を切り捨てたという話からこうなったのだろうが、まあ、何も起こらないことを祈っておこう。
予備の光の魔石を置き少しは明るさが増した。
テーブルは端に片づけて中央に一つ。白地の服を切ってその上に置いた。
再びハサミが役に立って格好がつき、草花を摘んで木製のコップに差せば華やかになる……と思う。
「気持ちよ、気持ち。うん」
とにもかくにも、お出迎えの準備ができたところでドアが開いた。
「お邪魔しますよ」
「お待ちしておりました。どうぞ」
ご隠居様の言葉使いがいつもと違う。お忍びであることは変わらないが、いつもみたいなおふざけは無い。
とりあえず丁寧な対応を心がけるが、本当にこれで合っているのか不安になるから貴族は嫌いなのだ。
後ろの青年がミリオン様なのだろう。輝く金髪に透き通った碧い瞳。身のこなしも洗練されていて、視線一つ動かすにも優雅さが見える。さしずめ、気品あふれる貴公子と言ったところか。
「キザ野郎は苦手なんだけどな」
つぶやきは笑顔に隠してテーブルに案内する。
「よい雰囲気でございましょう?」
「まあ、な」
ご隠居様の言葉にも答えはそっけない。
薄暗い店内は落ち着きがあると言えなくはないし、テーブルの飾りが草花だと指摘するほど無粋でもない。だが、壁際に寄せたテーブルが丸見えだ。
ミュレーの方は話しかけられるまで沈黙を守るのが礼儀。顔を直視するのさえタブーと決まりが多い。
必要な時が来るかもしれないと買い求めた高価な紅茶もあったが、味噌スープを飲みに来るのだし、もったいないからやめにした。
「ここは父親と娘でやっている店でしてな。味噌スープに惚れて、ひそかに通っております」
「それを」
冷たく言い放つミリオンに、その表情は見えないが嫌な奴だと見下したミュレーは、深くお辞儀を返すと厨房に下がった。
「なにさ、偉そうに」
「え? 偉い貴族なんだろう?」
思わずつぶやいた言葉に父親が反応した。
「そうなんだけど。そういう問題じゃなくてさ」
「うん?」
もういいと説明を打ち切り、二人分の味噌スープをお盆にのせ、二本のスプーンに一善の箸を加えた。
テーブルに運び、黙って置いてゆく。ミリオンが箸を見て驚くが知らん顔だ。
「ちょっと、待ってくれないか?」
厨房に下がる背に声がかかる。
自分で仕掛けておきながら、小さな舌打ちとともに振り返るミュレー。
「この箸はお父様の指示なのか? それとも」
「私の独断ですが、何か?」
ミュレーの冷ややかな口調にミリオンの美しい眉がピクリとした。
「二つほど聞きたいのだが?」
「なんでございましょう?」
「私がこの箸を使えるとは誰にも話していないはずだが、なぜ知っているのかということ。もう一つは、君に嫌われている理由、かな」
言い方がキザだ。やっぱり嫌いと言い返せないのがつらい。
「一つ目は、お戻りになられてからなされた施策から推察いたしました。二つ目は、多くの領民を餓死させるような人に好感は抱けません。毒を盛らなかったことに感謝をしていただきたいくらいです。では」
頭を下げたかと思えば、もう厨房の方に向かってゆくミュレー。
ミリオンはあまりの言いぐさに呆然としてしまった。
日本人と言わなかったことに感心したとたんに毒ときた。
箸の存在といい、地位を無視した言葉使いといい、彼女は間違いなく日本人だろう。だが、そうなると敵意が分からない。
いや。政策というのだから、ノーホーク農法の事をいっているのだろう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「まだ何か?」
あと少しで厨房というところで、面倒くさそうに振り返ったミュレー。
「誤解だよ。君は習わなかったか? あれは中世ヨーロッパで行われたノーホーク農法と言って、領主の収入が減ろうとも領民の生活を向上させるという施策なんだよ」
それを聞いたミュレーは片手を頭に当て、やれやれとため息をついた。
今度はあきれられた。かわいい少女にそんな態度をとられたミリオンは戸惑うばかりだ。
ご隠居様は味噌スープを飲みながら聞いているが、その顔がずいぶんとにやけている
しばらくお互いを見合う形となった後、やおらミュレーが口を開いた。
「えっと、自己紹介から始めません?」
「あっ、ああそうだな。俺の名は山本太一。農協の職員だった」
「えーっ! うそ?」
驚いたことにミュレーが走り寄ってきた。
その勢いに押され気味なミリオン。表情に敵意は感じないが、何と返したものか。
「嘘、じゃ、ないんだけど……。君は?」
顔がぶつかりそうな勢いでのぞき込んできて、思わずのけぞった。
「その前にもう一つ答えて。『おもらし太郎君』というあだ名に聞き覚えは?」
「どうしてそれを? 幼稚園の時のあだ名だぞ。お前、もしかして知り合いか?」
素で話すミリオン。そこにはもはや次期公爵の面影はなかった。
ご隠居様は、とんでもなく面白いことになってきたと、食べるのを中断したほどだ。
「小学校の時、野良犬をやっつけてやると言って返り討ちにあった『負け犬太郎君』も知ってるわよ」
「あんた、まさか……」
「望月優菜よ」
「げっ! 酒蔵の魔女!」
「何が、げっ、よ。『失恋太郎君』」
「だから、太一だっての」
「そんなこと言ってもいいのかしら? メール全盛の時代にラブレターはまだ許せるけど」
「わーっ! わーっ! わーっ!」
「こともあろうに下駄箱ってなによ。おまけに、入れる場所を間違うなんてありえないでしょう」
「わかった、わかったよ、もう。昔の話だろ、勘弁してくれよ」
ついに泣きが入ったミリオン。いつの間にか立ち上がっていたのが、ドサリと椅子に沈んだ。
ご隠居様がポカーンとしている。
次期公爵様がただの青年、いや、ただのガキになったのだから無理もない。
うなだれたミリオンを見下ろすミュレーは、あきれたような、ほっとしたような表情をしていた。
「冷めないうちに食べれば?」
「あ、ああ」
手を付けていなかった味噌スープ。そういえばこれが目的だったと箸をつけた。
「これ、うめーっ」
思わず言葉が出た。
「ミュレー印の自家製麹味噌。もちろん無添加よ」
「どおりで」
ふと、ライズを取りに行こうかと思ったミュレーだったが、まだ早いと踏みとどまり、おいしそうに食べる姿を見ていた。
「それにしても、まさかだよな」
「そうよね」
ミュレーが椅子をもってきて隣に座り、味噌スープが無くなるころにはミリオンも落ち着いたようだ。
「かわいくなっちゃって、また」
「そっちこそ。中身があんたでなかったら惚れているわよ」
「また、そんなことを言う。それさえなきゃモテるのに」
「余計なお世話よ」
お互いを知る二人だからこそ出来る気軽な会話。
フンとそっぽを向くミュレーは拗ねている感じだし、ミリオンは苦笑いだ。
幼馴染が醸し出すまったりムードになっていた。
ご隠居様は静かにしているしかなく。いつの間にか入ってきたくまさんも、武器を置いて壁際に席を作っていた。
「なあ?」
「なに?」
太一がつぶやくように話し出した。
「城に、来てくれないか?」
「なんであんたの尻拭いをしなきゃなんないのよ」
ミュレーはそっけない。
「だって、ほら、俺って次期公爵だしさ」
「だから?」
「いや。だから、だめかなーって」
「親が偉いだけでしょうが。それを自分の力だと勘違いするなんて滑稽なだけよ」
「やっぱり、か。お前、そういうとこシビアだもんな」
「分かっているなら聞かないでよね」
「じゃさ。アドバイスとか、駄目か?」
「……」
「だめ?」
上目づかいに聞いてくる。
「あんたの頼みを断ったことある?」
「しょっちゅう。いやいや、無い。無いったら無い。一度も無い。絶対に無い」
「しつこい!」
「ごめん」
どうやらミュレーには頭が上がらないらしい。
「ノーホーク農法ってさ、駄目なのか?」
頼りなさげな言い方にミュレーがため息をつく。
「その前に、私の言うことは聞くこと。いいわね」
「わ、分かった。だけど」
「だけどは無し。馬鹿に説明するのは疲れるんだから、絶対に聞くこと。いいわね」
「馬鹿って」
「い、い、わ、ね。『赤点太郎君』」
「……はい」