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宿屋の娘

前世はお姫様だったという夢見がちな少女がいるように、前世が日本人だったという娘がいた。


「とうさん、おはよう」

「おう」

宿屋の朝は早いが、ここ『商人の宿』は朝日が昇るずっと前、空が白み始めるころに動きだす。

金髪を後ろで束ねながら厨房の父親に声をかけ、裏庭に出て井戸で幼さの残る顔を洗った。

「はーっ、さっぱりした―」

古着で作った手拭いでしずくを拭い、見上げると二つの月が輝いている。

これこそが地球ではないことのあかし。とはいえ、それだけの事だった。

月明かりに照らされた井戸の周りには畑が広がっている。

ナロン公爵領の城下町にしては広い敷地は、昔は城下のはずれだったころの名残だ。

玄関に看板すら無いのはだれもが知っているほどの老舗だからで、幼いころに母を亡くし、父と二人で生きてきた。

やるべきことはいくらでもあり、休みなどなかった。

やりたいこともいくらでもあり、あきらめることなど日常茶飯事だ。

それが現実であり、今だった。

だからこそ思うのだ。過去は過去として割り切り、自分らしく生きてゆこうと。


彼女はその月たちにこぶしを向けた。

「今日もがんばるぞ! おう!」

体は小さくとも心意気は誰にも負けない。

ほのかな明かりに応援されながら手桶と雑巾をつかみ、食堂に入ると壁にはめ込まれた光の魔石に触れた。

安物でぼんやりとした光しか出さないが、ようは見えればいい。

「朝だ♪ 朝~だ~よ♪ 朝~日が昇~る♪ 空~に♪ 真っ赤な日が昇~る♪」

軽快な音楽を口ずさみながら五つのテーブルとカウンターを拭いてゆく。

「よし、きれいになった。……たぶんだけどね。ははは」

うす暗くてよく分からないが、細かいことは気にしたら負けらしい。


掃除用具を裏庭に戻し、今度は二階に駆け上がる。

上がったところは小さな病人部屋。隔離部屋ともいうが、今は誰もいない。素通りして大部屋に行く。

「みんな、朝だよ~! 金髪碧眼の看板娘、かわいいミュレーちゃんが起こしに来たよー!」

ここにもある安物の魔石に明かりをつけ、掛けてある拍子木を手に大声でみんなを起こす。

「ほらほら、股間にあるものばっかり起きてないで、体も起きなさいよ~!」

たしかに髪は金色だし、瞳も綺麗な青だ。顔だちも整っているうえ、十二歳というのだからかわいいことは間違いない。ただ、黙っていればという条件が付くだけだ。

声をかけただけで起きないと、今度は枕元にきて拍子木をカンカン鳴らす。

「階段は暗いから気を付けてね!井戸で顔を洗うのよ! タオルは物干しね! 私の下着で作ったタオルはあたりだよ! 早い者勝ちだからね! 荷物は持った? 商売道具を忘れたら朝食抜きだからね!」

客はみな商人だから言っていることは正しいのだが、寝起きの頭では返す言葉も見つからない。もはや苦笑いしか出ないと階段を下りてゆく。


ふと目をやると、部屋の隅にまだ寝ている商人がいた。

「これで起きないなんて、新参者のくせにいい根性しているじゃない」

ニヤリとしたミュレーは、拍子木をコンコン鳴らしながら近づいていった。

「昨日遅かったのを知っているだろう。まだ暗いじゃねえか。もう少し眠かせろ」

男は部屋の隅でまるまっていた。

床に薄い布を敷き、壁に向かって荷物を抱えるような格好だ。

「早起きは三文の得! 一日くらい寝なくったって死にやしないっての! とっとと起きろ~!」

今度は、拍子木で床をドンドンと叩き出した。

音と振動が直接体に響いてくるからたまらない。舌打ちしながら起き上がったのは二十代前半の痩せた男だ。精悍な顔立ちをゆがめてミュレーをにらみつけた。

「三文? 分けが分からん!だいたい、暗いうちから客を起こす宿がどこにある!このことは商人仲間に伝えさせてもらうからな!」

「はいはい、ご自由にどうぞ。こちとら、早起きの大切さもわからない三流商人につきあうほど暇じゃないの。とっとと顔を洗ってきな」

シッシッと手を振るミュレーに、怒りに任せて荷物をひっつかみ、鼻息荒く階段に向かていったが、ふと立ち止まり顔を向けた。

「王都に店を構えるスナポン商会の名を覚えておけ。後悔させてやるからな」

ドスの利いた声で言い放った。

「その安っぽい脅しと笑える名前は覚えておいてあげるけど。もしかして、金属でも扱ってるの?」

「田舎娘でも知っていたか。王国一の金属商だ」

胸を張り、鼻高々だ。

「うちみたいな安宿に泊まる甲斐性なしの商会なんか知らないけど、名前だけは褒めてあげるわ。それより、井戸の水を頭からかけられたくなかったら、とっとと下りな」

けんもほろろの対応に、顔を真っ赤にしながら階段を下りていった。


ミュレーのほうはというと、何事もなかったかのように部屋の隅を一周する。

さすがにお金を忘れる商人はいないが、ゴミにしか見えない小さなものでも金属ならば高価だったりするから気が抜けないのだ。

「よし、と」

確認を終え、光の魔石を消すと階段上から裏庭を見下した。

何やらもめている。というより、不満をぶつける彼を年配商人がなだめているようだ。

「自分で店の悪評をまき散らすなんて、商人失格というか、はっきり言って馬鹿だよね。王国の南端とはいえ、ナロン公爵領を田舎だと思う時点でアウトだよ。こんなの導く甲斐性はないし。格の違いを見せつけて、あとは自分で考えてもらうしかないな。おっと、いけない。お仕事、お仕事」

十二歳とは思えない独り言をつぶやくと、階段を駆け下りて行った。


スナップ・オン(通称スナッポン)

NASA御用達、世界最高の工具メーカーです。

壊れない工具として有名で、万一壊れたら無償交換してくれます。

技術者たちのあこがれ、誇りと言っても言い過ぎではない。

回し者ではありませんが、敬意を表して使わせていただきました。

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