To Live
右手に握る得物をしっかりと握りしめながらゴーグルを通して茂みの向こう側の光景を確認する。茂みの向こう側に見えるのは元はとあるビルのロビーだった場所だ。だが完全に風化が始まっており、尚且つ木々の侵食を受けたビルはその栄光の時代の姿を見せて輝く事もなく、大森林の一部として組み込まれている。比喩でも何でもなく、”コンクリートジャングル”と呼べる高層ビルと大森林の融合した地帯の一部として存在している。目視できるビルのロビーにも木々の姿があり、床を突き抜けて伸びる大樹、木の根、そして雑草の類が確認できる。自然と科学が完全に融和した奇妙な光景でもあった。だがその光景にはそれ以上の興味は抱かない。興味があるのはそれではなく、そのロビーの中央にある五つの姿だ。
それは二足歩行の豚の怪物だと表現出来る存在だった。肌の色は緑色であり、一切の衣服を纏う事はなく、全裸の姿を晒している醜い姿の生き物だった。一般的にオークと呼ばれるその怪物は”魔物”と呼ばれる存在であり、人間に対して害悪であるが故にそういう認定が施されている。緑色の肥えた体躯は顔と合わせる事で鈍重な豚の姿を思わせるが、その先入観に騙されてはならない。オークという生き物は非常に繁殖能力が高く、種族を選ばずに孕ませ、大量の子供を無理やり産ませ、産めなくなった者から喰う残虐性を保有している。その身体能力も軽く普通の人間を超えている領域にあり、助走のない跳躍で三メートル程跳び、そしてその拳で殴られれば人間の頭であれば容易く破裂する程の腕力がある。
怪物は怪物だ。そう呼ばれるのに相応しい理由がある。先入観に惑わされて、騙されてはならない。そうやって判断を誤った者から死んでいくのが今の常識なのだ。悔やんでも、救いを求めても、神は手段を手伝ってくれるだけで何も変えてくれはしない。
―――……一…、二……三……全部で五体か。
茂みの中から見えるオークの姿を確認する。見えるオークは全て全裸な上に、体格に差はあれど、大きな違いはない。異常な個体や特異な個体がないため、通常のオークだと判断して良さそうに見える。問題は相手が五体も存在する事だ。それだけが面倒な部分だ。なぜなら、
―――自分は、オークどころか最弱のゴブリンでさえ殺すだけの資格を保有していないからだ。
オークの手には棍棒が握られているが、数体の手には鉄の剣が握られている。剣を握っている個体が二体、棍棒が一体、そして素手なのが二体という構成になっている。ここで一番怖いの剣を持っているオーク―――ではない、全て、均等に恐ろしい。一発でも喰らえば即死するのが目に見えているからだ。魔物との戦いは常に殺すか殺されるかの戦いだ。的確に動き、相手が反応できる前に勝負を決めるのが理想的な戦い方だ。体は伏せたまま、視線を背後へと向ける。そこには三つの姿が見える。
一人は自分よりもかなり若い、黒髪の日本人の少年の姿だ。その年齢は十五歳であり、こうやって共に探索に出るのは初めてではない。その為、ある程度の経験と心得があり、落ち着いているのが見える。少年は此方と同じようにゴーグルを装着しており、服装も森の中で姿を隠せるように、濃い緑色の上下で統一している。
その少年の横に同じように伏せて転がっているのは普通はありえないと断じれそうな、十五歳の緑髪で、欧米人風の人相の少年だった。此方は今回が初めてでの経験であり、何処かそわそわしているのが見える。服装はもう一人の少年同様、濃い緑色のレンジャー用服装で統一されている。中々蒸し暑いこの環境でズボンも袖も長くなっているのは虫刺されに対する警戒等の意味があるのだが、少年はそれが気になるのか。しきりに腕や足に触れている。
最後に、赤髪、ポニーテールの十九ほどの少女が片膝をつく様な形で身を低くしている。彼女も緑髪の少年の様に欧米人風の人相を持っているが、少年よりは遥かに慣れている様子であり、落ち着いてるのが見える。実際、彼女とこうやってこのコンクリートジャングルへと探索に出るのは何度も行っていることであり、かなり慣れている事だ。それに彼女はとある理由からその身や服装に関してそこまで深く気にする必要はなく、茶色のミニスカートにハーフスリーブのブラウス、その上から革製のベスト、最後に手袋を装着しており、右手で一冊の本を握っている。彼女へと視線を向けて、合わせる。
『準備は何時でもいいわよ』
頭の中に直接声が響いてくる。彼女からの言葉に頷いて応え、そして身を伏したまま、前方、二十メートル程先に見えるオークたちの姿を確認する。オークたちは未だに此方に気付く事なく、オーク語で会話を楽しんでいる様に見える。此方には気付かず、そして気付く素振りさえもない。この様子だと問題なく奇襲する事が出来るだろう。そう判断し、得物を握っていない左手を持ち上げる。パーの状態で手を持ち上げてからゆっくりと指を一本ずつ降ろして行き、
最後の一本を降ろすのと同時に、目を瞑りながら立ち上がり、前へと飛び出す。
「スリープ!」
背後から声がする。そして同時に発生したのはオーク達の驚愕だった。赤毛の彼女が言葉を放った瞬間、オークが三体同時に倒れたのだから。傍から見れば何が起きたのかを理解するのは非常に難しいだろう。だが何が起きたのかを自分は知っている。実に簡単な話だ。それはこの世界で今となってしまえば実に当たり前の事であり、そしてなくてはならない技術であり、学問の一つ。
―――魔法だ。
「ごめん、二体に抵抗されたわ」
「時間は稼ぐ」
魔法、それは魔力をとある式を通す事によって発動させられる特異現象。その干渉によってオーク達は問答無用で眠らせられたのだ。非常に強力な魔法であるスリープは相手を眠らせる魔法だが、相手が興奮状態等にあった場合、その効果が薄れるのが難点だ。故に何時でもどこでも成功するという訳ではない。そして残ったオーク二体、魔術師を目撃した―――いや、女を目撃した途端にその股間へと起きた変化を見れば、何故魔法が失敗したのかが良く解る。
だがそんな結果を気にする事なく前へと出る。残ったオークは素手のが一体、そして剣持ちのが一体。距離は素手の方のオークが圧倒的に近く、そして剣持ちのオークの方が一メートル程離れている。とはいえ、オーク達の脚力からすれば些細な差だ、それぐらい一秒も必要とせずに一瞬で到達するだろう。ただ、此方も普通ではない。前へと飛び出し、駆けだす己の速度はかつてはオリンピックに出場できるレベルの速さを持っている。元々持っていた素の速さに、神の加護から得られる恩寵による強化された肉体はオークが混乱から覚める前に姿を到達させる。そして一気にオークに接近し、一歩半ほどの距離を開け、ハルバードの全力の重みが乗った状態で振り回せるその距離で、
斧槍の斧を素手のオークの顔面へと叩きつける。
これが既存の世界だったら、既存の世界のルールを守った行為であれば、ハルバードの厚い刃がそのままオークの顔面を真っ二つに引き裂くだろう。だが違う。もはや世界の法則は変わってしまい、永遠に元に戻らない。魔法を使用する為の魔力が存在し、幻想の中の存在であった神々が実際に降臨し人々を庇護に置くこの世の中で、物理法則程裏切られる物はない。それは新たな理論や新たな魔法によって常に裏切られ続ける存在となってしまった。そしてこの世界には、
いや、
地球と融合してしまった異世界には原初より続く一つのルールが存在する。
それにより、刃は一切オークに食い込む事はなかった。全力で叩きつけた刃はオークの顔面を叩き、皮膚に触れる様に衝撃だけを発生させながらその頭を中心に体を後方へと押し出し、体を吹き飛ばす。あり得ない事に、ハルバードでの一撃はオークに一切の傷を与える事が出来ていない。吹き飛ばされた衝撃で転がり、ぶつかった事によって発生するダメージの方が遥かに大きいぐらいだ。
そう、
―――魔力のない攻撃では魔物を倒せない。
それがこの世界の絶対のルール。
たとえ核兵器を持ち出そうとも、魔力の籠っていないその爆熱では殺す事は出来ない。まさにあり得ないとしか評価する事の出来ない現実。銃も、戦車も、戦闘機も、魔力の通っていない攻撃では魔物を殺す事が出来ない。故にこの一撃でオークを殺す事は出来ない。当然の結果であり、そして当たり前の事実だ。故に吹き飛ばされたオークが吹き飛ばされた先で目を回しながら目を開けるのは当然の結果であり、そして剣持ちのオークが迫ってくるのもまた当然の話である。
それに反応する様に体を横へとずらしながら、ハルバードの柄を跳ねあげ、振り下ろしてくるオークの手首に柄を叩きつける。筋力はオークの方が強いため、反動で此方の手が痺れる。しかし、ピンポイントで打ち付けられたオークの手首には衝撃が抜け、その手から剣が零れ落ちる。その痺れを手から抜く様に緩めにハルバードを握りつつ、膝の裏へと柄を叩き込み、棒の様に転ばせるのに利用し、背中からオークを倒す。
「らぁぁぁぁぁ―――!!」
それに跳びかかる様に黒髪の少年が刃を突き立てた。十五歳の少年にはありえない身体能力を持って、両手で握ったロングソードで跳びかかる様に倒れたばかりのオークの首に突き刺した。それは此方の初撃と比べれば明らかに勢いも力も少ない動きだったが、それでもあっさりとオークの皮膚を貫き、そして喉を貫通した。まるで最初から抵抗なんて存在しないかの様に。返り血が体に付く前に少年は刃を引き抜きながらバックステップを取り、剣を両手で掴んで構え、警戒する。
だがその必要はもうない。
「スリープ、っと。これで完了だね」
弾き飛ばされたオークが衝撃でフラフラしている間に、スリープの魔法が成功し、四体のオークが完全に眠りについていた。此方から起こそうとしない限りはこのオーク達は普通に眠り続けるだろう。ただオークを生かしておくことに意味はない。オーク達の剣を回収し、それを予め用意しておいた布で包んで紐で縛り、背中に背負う様に確保する。視線をオークへと向けると、既に残った四体の内、三体を黒髪の少年の方が殺して処理していた。魔法使いの彼女は風を操り、その臭いが拡散しない様に調整している。
魔物の多くは血の臭いに惹かれ、そして興奮する為。その為、魔法使い、或いは魔術師がいるなら戦後処理中は臭いが拡散しない様に処理をさせる事が大事なのだ。戦闘が終わった直後に戦闘、そしてまた戦闘、なんて事は死に直結する。その為、他の魔物を寄せ付けない為の処理や、結界等の技術は非常に重要なものとなっている。
殺した所で死体が消えるゲームではないのだから。
視線を最後のオークへと向けると、緑髪の少年がナイフを片手に、それを突き刺そうと振り上げ、そしてえ振り下ろした。まだなれていな手つきであり、一撃で殺すには至っていない。その為突き刺された痛みでオークが即座に目を覚ます。だが寝ている間に追加された魔術によってオークは目を覚ますが、体は動かせずに、血走った視線だけを少年へと向ける。
「うっ……」
「パラライズ効いている内にさっさと殺しなさい。これから何度もやる事なんだから」
そう言われて少年はナイフを持ち上げ、そして倒れているオークに突き刺す。が、躊躇しているのか、どこか弱々しく、心臓まで突き刺さらない。だから少年の背後へと回り込み、ナイフを握る手をその上から掴んで、思いっきり心臓へと目掛けて少年にナイフを握らせたまま振り下ろす。己にオークを殺す事の出来る資格は―――魔力はない。だがこの少年は違う。魔力をその体に溜めこむ事の出来る器官を保有する。その為、少年の体を通しナイフは魔力を帯び、オークを殺す事が出来る。
そしてそのまま、心臓へと突き刺さったナイフはオークを殺し、黙らせる。手に付いた血を軽く振り払いながら魔術師へと手を向ければ、水球を彼女が生み出し、それを突きだした手の上で解放し、下へと落とす。必然的に手に当たった水球そこで破裂しながら血を洗い流し、一気に綺麗にする。緑髪の少年が未だに軽いショックを受けている中、消臭スプレーを取り出し、それで軽く自分や少年たち、そして魔術師に使用し、臭いを落とす。完全に落とせる訳ではないが、これをやるだけでも魔物との遭遇率は大きく下がる。
魔術師の女へと近づき、少年たちには聞こえない程度に声を下げ、話しかける。
「アンナ、今日はこれぐらいで引き上げよう。このまま続けるのは良くない」
「そうねぇ、ユウキくんはまだ平気そうだけど、レインくんが駄目そうって所ね。まぁ、初陣だし殺しの経験をさせたばかりだと辛いわね。これぐらいでめげると困るんだけどね」
そうだ、この少年たちにはこれから、魔物を相手に戦わなくてはならない。それは”絶対”なのだ。少なくとも今、この世界で生きるにはその必要がある。多くの戦う事が出来ない人の為にとは言わない。だが生きる為には戦える様になる必要があるのだ。故に死なせてはならない。自分の様に傷一つ与える事も出来ない様な人間からこそ消耗されて行くべき、今はそういう時代なのだから。
「うし、戻るぞ。俺が先頭、アンナが殿、間に祐樹、レインと挟む。連中は探索地を抜けても追いかけてくるから最後までバレないように抜けるぞ」
「はい!」
「りょ、了解です」
「ふふ、そこまで心配する必要はないわよ。まだここは浅い層だから出てくるのもオークやゴブリン程度だし、それぐらいだったら私達二人で対処可能だから」
「奇襲を受けた場合真っ先にぼろぼろになるのは俺なんだけどな」
「格好の良い男である所を見せる所ね」
アンナの言葉に小さく笑い声を零しながら左腰の鞘に入った剣を確認し、そのすぐ横に収納されているハンドガンを確認する。勿論、剣もハンドガンも魔物に対しては全く無意味な武器だ。少なくとも己にとっては。そして銃自体、魔力の通りが悪くて魔物を相手にするときは非常に使い難い武器だが、対人間に対する武器としては非常に有用である事は地球の歴史が証明している。その為、このハンドガンは魔物に対する武器ではなく、悲しいことながら時折発生する追剥、つまりは盗賊等に対する武器である。
「行くぞ見習い共、家に帰って今日の探検を家族や友人に自慢してやれ」
後輩達の返事を聞きつつアンナと視線を合わせ、頷き、そして戦闘のあった現場から脱出する。オークの討伐証明はアンナがその耳を切り落とす事で既に確保している。故に仕事の報酬とは別に発生する収入を理解しつつ、少年達を護衛する様に、コンクリートジャングルの中から出る様に進んで行く。ビルから出た外は木々がアスファルトを突き破って育ち、蔦がビルに絡みつき、そして完全に森林と一体化した街の姿が、
―――かつては新宿と呼ばれた都市のなれの果てが見える。
軽く臭いを嗅ぎ、死臭や刺激臭を警戒し、そして帰り道へと向かって歩みだす。発展した街と森林の融合したこの場所は足元は草に覆われているのに、その下に感じるのは土の柔らかさではなく、塗装された道の硬さなのだから、実にアンバランスである。でもこの大地を踏み、ここを歩くのも、もう何度目かになるかは思い出せないぐらいになる。故にどこへどうやって進めば、何が群生しているのか、この区域にはこういう魔物が徘徊している、なんて事は良く理解している。ただそれで慢心する事はない。注意深く足元や先を観察しながら先へと進む。
足元に踏み荒らされた形跡があるのであれば、その方向と新しさを確かめ、そして必要であればルートを変える。
戦っても経験値は入らない。
レベルは存在しない。
戦うだけじゃ強くなれない。
確かに戦闘経験は得られるが、”それだけ”なのだ。たとえ一方的に敵を蹂躙できるのだとしても、ドロップアイテム何てものは発生しないし、それが常にプラス収支になるとは限らないのだ。戦えば戦うだけ損耗するのが現実。強くなりたいのであれば経験を重ねつつ、ひたすら訓練を重ねるしかないのだ。だから必要のない戦闘は徹底的に避ける。もしそれでも邪魔になるようであれば、アンナにスリープやパラライズで先制を取り、静かに処理をする。
そうやって新宿を抜けて行くと、その姿はがらりと変わって行く。
完全に大森林と一体化した新宿がある地点で、まるで線に寄って防がれているかのように、綺麗に終わっているのだ。視線をそのラインに合わせて向ければ、ビルが切断される様に綺麗に泡褪せてあるのが良く見える。そこから伸びた木々が少々ラインを超えているが、この境界線こそが地球と異世界の境界線、混ざり合った土地が切り替わっているというライン。地球と異世界、元は完全に別々だった二つの世界。その融合したときの名残として、一歩超えれば急激に環境が変わる場所がある。たとえば今、ここ、すぐ後ろ側には”コンクリートジャングル”が、或いは”新宿樹海”が広がっている。
なのにその正面には高層ビルが一つもなく、街道さえ敷かれていない、草原が広がっている。
この光景を見てしまうと嫌でも理解させられてしまう。地球はもはや自分が知っていた場所ではない、と。その事実に溜息を吐く事もなく、慣れきってしまった。
―――十年だ。
十年、地球が異世界と融合してしまったから経過した年月だ。その時、自分はまだ十三歳の子供だった。世界と世界が融合したというその日、多くの未知と混乱で世界は―――両方の世界は溢れていた。多くの人が死に、そして文明は緩やかに後退し―――そして今、異世界と協力し、一つの新たな世界として人々は生きようとしている。
変わってしまった法則、
新たな概念、
書き替えられた地図、
もう元に戻らない世界。
地球は科学技術の発展した世界であり、異世界は魔導文明が発達したために科学を必要とせずに発達した世界だった。その二つの世界が融合する事によって、科学が形成したネットワーク、魔導が形成したネットワーク、その両方は断絶され、情報でさえまともに回ってこない状況が何年も続いた。
だが十年、もう十年も経過した。
自分はこうやって生き延びた。
他にも多く、生き残っている者はいる。
世界が融合しても、環境が変わっても、文明に頼れなくても、
―――それでも人間は、生き続ける。
ビルも木々もなくなり、もはや風の流れを遮るものはない。新宿樹海の中で感じていた蒸し暑さを吹き飛ばすように気持ちの良い風が吹き抜け、それを感じながら振り返る。
「んじゃ、馬を回収してさっさと帰るか、俺達の家へ」
そう、今日も生きる。それだけだ。
(`・ω・´)世界融合モノなら割とオリジナリティあるぞ! 滅多に見ないし!
という発想から始まった地球と異世界が融合した世界観のお話。