6.エリス団長
ノード神話 「神々の繁栄の章」より
やがて神々は最初の神、ノード神の作りだしたありとあらゆる生命から新たな種を作ることに興味を覚えた。
さして神々の種改編の力により原種であったヒトより今日、魔族と呼ばれる種が創造されたのだった。
最初の魔族は数も少なく力も弱かった。
だが、神々はその弱さを憂い、神々のもてる力の一部を分け与えた。
私は何故ここで戦っているのだろうと時々自問することがある。
何故魔物と人間が争わなければならないのか。
何故この世界に片方の種族だけが君臨しなければならないのか。
思えば先帝は立派な方であった。
先王は人間との共存の道を常に模索しておられた。
先王の考えでは、魔物と人間はともに盲目なる神々が兄弟として作られた存在である、そのためともに手を取り繁栄の道を歩かねばならぬと。
私はその考えに共鳴し。賛同し、そして忠誠を誓った。
私の名はエリス。エリス・サンドラ・ノワイエ。
栄えある大ニザール魔王国の元第5強襲師団指令官
そして今は消滅寸前の第11騎士団の団長。
二つ名は黄金竜
ノワイエ家の一人娘。
だが、その肩書が何だというのだ。
何が黄金竜だ。
今の第5騎士団は私が手ずから育てた優秀な部下の大半を別の部隊に抽出され、ろくでもないごろつきのようなトカゲを押し付けられ、今では真っ当な騎士など5人も残っていない。
すべては現国王のモラグ王の命令。
私は唯々諾々とその命令に従ってきた。
いまわの際の先王との約束に従って。
先王のクラグ王は突然の病気により崩御された。
王家や忠臣達が見守る中で、先王は苦しい息の中から私を呼び寄せ、弱弱しく私の手を握りこう言われた。
「エリスよ、エリス、モラグ王子が次の国王に・・・・どうか、わしと同様に忠誠を・・」
それだけ言うのがやっとだったのだろう。先王の手は力なく垂れ下がり、その眼にあった光は徐々に失われてしまったのだ。
そして、先王の遺言に従い、私はモラグ王に忠誠を誓った。
だが、どうだろう、今のモラグ王は。
聡明で利発で、臣民をこよなく愛したあの王子の姿はどこに行ってしまったのだろう。
王位についた最初の3年間は慈愛あふれる立派な王だった。
先王の教えを引き継ぎ、善政を行った。
臣民の暮らしぶりは見る見るうちによくなり、王都は繁栄した。
そして次の3年でモラグ王の心は暗黒に染まった。
何が王の心の中で起きたのかはわからない。
あるものは悪魔に心を乗っ取られたのだと言った。
またあるものは王家に伝わる呪いだと言った。
猜疑心が強くなり、自分の兄弟姉妹はもとより、王位継承権のある王族の大半を殺戮したのだ。
それからうざいことに自分の意見に反対するものは片っ端から逮捕させ、牢獄に繋いだ。
大ニザール魔王国に恐怖の嵐が巻き起こった。
私は、私はなんとかモラグ王を諌めようとした。
その結果がゴロツキ団と言われた第11騎士団への左遷。
私はまだ大ニザール魔王国の中では臣民に人気があったため、逮捕と投獄はまぬかれたが、騎士団全体の司令官から追放されたわけだ。
それから、まがりなりにも講和条約を結びある程度関係が良かった神聖ガル二ラン大帝国への宣戦布告。
臣民は強制的に徴兵され、徴用された職人達の手によって大量の武具や魔道具が生産されていった。
第5騎士団は常に最前線に投入された。
苛酷な最前線に投入され、しかも騎士の補充は一切なかった。
まるで早く全滅してくれと言わんばかりに。
だが、私は持ちこたえた。
ゴロツキの騎士団幹部を鍛え直し、神速・奇襲を戦いの基本に据えた。
敵の一番弱いところを急襲し、引っ掻き回し、混乱を助長し敵の部隊の配置状況を把握して撤収する。
そうすれば友軍は敵の混乱に乗じて有利に戦闘できるのだ。
その結果、第11騎士団は強襲偵察部隊としての地位を確実なものにし、戦闘経験の豊富な超ベテランのみが残ることとなった。
人間の帝国の皇子を捕虜にしたのは偶然だった。
第108ジャイアント部隊と皇族の離宮を攻撃した時にキャサールと名乗る皇子はいた。
なにやら大規模な魔術を行っていた形跡があり、その魔術が発動した印もあったため、部隊の大きな損害を覚悟したのだが、幸いにも物理的な魔術ではなかったようだ。
そのキャサール皇子は迫りくるギガントの部隊にあっけなく失禁し、気絶したと聞く。
まったくとんでもないうざい腰抜けだった。
世間では冷血のキャサール皇子との通り名で知られていたが、とんだチキンだったようだ。
そのチキンの証拠は初めて皇子と会った時に見事に証明された。
なんと、自分はキャサール皇子ではないと言い出したのだ。
皇族の印である臀部の青あざもあった。化身の魔術の痕跡もない。そして捕虜とした宮廷の貴族の証言でもこの男がキャサール皇子であることが明確だった。
それなのにあくまでも皇子本人ではないと言い張る。
うざいことこの上ないがまあいい、私は命令通りキャサール皇子の身柄を確保したのだから。
モラグ王が占拠する帝城へ身柄を搬送する際も、いろいろと泣き言を言っていた。
人間の皇族は誇り高いとも聞いていたのだが、素っ裸で檻車で引きたてられるこの男には尊厳のかけらすらもなかった。
そして、私はモラグ王から新たに下された命令に半分腹を立てている。
戦場となった帝城はいまだにその戦火の名残を留めている。
かつては人間の皇帝が各国の施設をもてなした謁見の場も豪華な緋色のカーテンがズタズタに引き裂かれ、床には血だまりをふき取ったような跡も残っていた。
その中で狼人族の護衛に囲まれたモラグ王は黄金で作られた玉座にデンと座っていた。
モラグ王、象魔人の一族。
その顔面からは巨大な象の鼻が出ている。
この角こそモラグ王の強さの原点。
強大な魔力をその鼻の内部に貯め、無尽蔵の魔術を引き出すといわれている。
そのモラグ王は呼び出されて来た私をじろりと見ると、こう告げた。
「エリスよ、お前が捉えた皇子が脱走した。お前の責任において捕えて来い。ただし、殺すなよ。生きたまま余の前に連れてくるのだ」
帝城の地下牢から脱走した皇子を私が再捕縛せよという命令だ。
地下牢から脱走されたのは私の責任ではない。
どこぞのうざい間抜けが抜け穴の存在に気が付かなかったせいだ。
それなのに、モラグ王はあたかも私に脱走の責任があるかのような言い立てだった。
さすがに頭にきた。
しかし、モラグ王はそんな私の怒りも気づかぬように命じた。
「何をしている。さっさと行くのだ。ああ、そうだ。お前の騎兵部隊のうち5騎だけは連れていくのを許可する。残りの部隊はドムル将軍に任せることとする。その代り蜥蜴兵100体を捜査部隊としてつけることとする」
こんな王に仕えている意味はあるのだろうか。
私の功績を一切無視し、しかも子飼いの部下すらも取り上げるとは。
機動力に劣る蜥蜴兵など私の手がけた神速の騎兵部隊よりもはるかに劣るザコであり、足手まといにしかならない。
うざい。しかし、今は耐えるしかない。
モラグ王の決定に異議を少しでもはさむ者は全て粛清されている。
モラグ王は恐怖でもって統治する王なのだ。
私はモラグ王に犬でも追いやられるように手で追い払われた。
駐屯地に戻ると部下たちに今回の任務を告げる。
「なんと、エリス様、モラグ王の今回の仕打ち、悲憤に堪えませぬ」
「そうです。これまでの戦功に答えてくれぬばかりか、部隊の大半まで取り上げてしまうとは。王は一体何を考えておられるのか」
「エリス様、王はエリス様のどこが気に入らないというのか、竜人の一族に対し何か思うところがあるのか」
子飼いの部下たちは私の受命に対し、口々に憤りの言葉を口にした。
だが、このような言葉が万が一にでもモラグ王に知られてしまうと、彼らも処刑されてしまう。
「皆の者、憤りは分かる。しかし今は忍耐してくれ」
私はそういって皆をなだめるしかなかった。
キャサール皇子追尾に連れていく5騎に対し、我も我もと全員が私と行動を共にすることを望んだ。
もう何年も生死を共にしてきた仲間だ。
一緒に連れて行ってくれとの懇願は痛いほど私の心に響いた。
しかし、連れていけるのはわずか5騎。
たった5騎。
蜥蜴兵の斥候により、皇子の逃走ルートが明らかになる。
帝城の地下牢の抜け穴は帝都の郊外の農家の納屋につながっていた。
蜥蜴兵は嗅覚は狼人より優れているとは言えないが、それでも狭いトンネルの中、皇子のにおいの痕跡ははっきりと残っていた。
そしてもう一人の人間のにおいも。
もう一人の人間の存在。
それがおそらく皇子の逃亡を手助けしたのであろう。
逃亡者はわずかに2名。
だが、抜け穴が通じている農家で私たちは大量の装備を見つける。
そして皇子が脱ぎ捨てたと思われる衣服も。
私はすぐさまこの農家の周りの捜索を命じた。
ほどなくして農家から逃げ出したと思われる人間の老夫婦が蜥蜴兵によって捕縛されたとの情報が入ってくる。
私はすぐにその二人を連れてくるように命じた。
ほどなくして抜け穴の出口である納屋の中に後ろ手に縛られた老夫婦が連れてこられる。
二人とも農民にしては品のある顔立ちだった。
「時間がないので素直に答えてほしい。正直に答えたなら命は助ける」
そう切り出す私に老人は捕縛されている身ながらも堂々と答えた。
「あなた様は黄金竜ことエリス団長様とお見受けします。しかしながら申し上げます。こう見えても帝国貴族の端くれ、更に私も妻も老い先短い身ゆえ死ぬことは怖くはありません。このまま黙秘をさせていただきます」
老人はそれだけを言って後は黙り込んでしまった。
「ギギッ、ギーギギ、ギィーギギギギ(逃亡している皇子と同行の男、他に若い女の臭いします。女の臭いが似ているのでこの二人の肉親かと、そしておそらくは皇子に同行したかと思われます)」
蜥蜴兵が報告してくる。
「皇子に同行している女は何者か」
老人を尋問するが口を固く閉ざし協力するそぶりさえ見せなかった。
皇子が逃亡してから丸二日はたっている。昨日は雨も降ったため、臭跡による追跡は難しい。
それならばせめて彼らがどちらを目指して逃走しているかだけでも情報がほしかった。
「ならばやむを・・・」
私がそう言いかけた時だった。
老人のほうが妻に目くばせをしたと思うと、口の中からガリッという小さな音が聞こえた。
「う、ううっ」
目の前の老夫婦が二人とも苦悶の表情を上げ始めたのだ。
「毒を、エリス様、こやつら毒を飲んでおりますぞ」
いち早く状況を察した副官が報告する。
見る見るうちに老夫婦の顔色は土気色に変色してくる。
「皇子の逃走先を明かさぬために服毒したのか、捕まる寸前に口に毒入りのカプセルを仕込んでいたな」
あっぱれな覚悟であった。
それからわずかな間に二人とも物言わぬ躯に変わっていたのだから。
「エリス様・・・」
副官がこちらを見ている。
たとえ人間族であってもその忠誠心には心を動かされる。
副官も同じ思いだったのだろう。
「しかたあるまい。敵ながら見事な最後であった。本来ならば忠臣として丁重に埋葬すべきであるが、皇子と同行したという若い娘が気になる。この二人には最後に囮として働いてもらおう」
私は心を鬼にして蜥蜴人たちに指示した。
翌日の朝には飛龍が派遣され、老人たちの遺体をぶら下げて飛んでくれるだろう。
その行為に対して何らかの動きがあればよいのだが・・・
結局飛龍を使った囮は成功しなかった。
いや、半分ほど成功したといってもいいかもしれない。
飛龍はその驚くべき視力で抜け穴の出口から続くとぎれとぎれの新しい馬糞を発見したからだ。
その馬糞の跡ははっきりと南に向かっていた。
これだと私は思った。
たぶん、皇子たちは用意された馬を使っているに違いない。
それもたった一頭。
となると、荷物を馬に積み、徒歩で移動しているはずだ。
私は捜索の重点を南方面にした。
と、ここで飛龍が別の命令で連れ戻されてしまう。
やむを得ない。
私は捜索部隊全員を連れ、馬のたどった痕跡を追うことにした。
しかし、馬糞は半日ほど進んだ森のところでなくなってしまう。
馬が死んだ痕跡もないことから、たぶん皇子たちの一行は馬糞の危険性に気づき、処分しながら進んでいるのだろう。
この地域は知能の低い、魔物の仲間からも魔獣とされている存在がたむろしている。
飼いならされていない野生種なので、どうかするとこちらを襲ってくる。
「エリス様、戦いの臭いがします。1ゲールほど右前方に」
副官がいち早く血の臭いを嗅ぎつけたようだった。
耳を澄ますと、かすかに人とも獣ともつかぬ唸り声が聞こえるようだ。
皇子の一行が何かと戦っているのかもしれない。
「よし、いくぞ」
私は一声命令すると森の中の獣道をできるだけの速度で馬を進める。
だが森の中でもあり、木々の枝が邪魔してスピードは出ない。
皇子を生かして連行する主命の遂行が出来ないのではと、不安が頭をよぎる。
進むにつれ、トロール兵の死骸が目に入ってくる。
たった今殺されたばかりのようだった。
喉を食い破られている。
この傷は魔獣によるものであることが一目瞭然だった。
皇子の一行ではないのか?
疑問が頭をもたげてくる。
程なくして王国のトロール中隊が魔犬の群れに襲われている現場に遭遇した。
盾のエンブレムから、第2トロール兵師団に所属する中隊だと分かる。
その中隊は人間の敗残兵狩りの任務についていたはずだが、もともと100名程の兵士数が魔犬の群れにより半分ほどに減っている。
魔犬はやっかいだ。
体長こそ1ミゲール少しなのだが、群れを成して連携しながら非常にすばやい速度で襲ってくる。
魔犬は生まれつき魔力を自分の素早さと力に変換できるのだ。
それが魔犬といわれる由縁。
トロール兵は円陣を組み防戦しているが、反応速度では魔力を素早さに変換する魔犬の比ではない。
あちらこちらで噛みつかれ、円陣から引きずり出されてとどめをさされたトロール兵の死体が転がっている。
だが、魔犬は新たに出現した私たちの部隊にすぐに気が付いたようだった。
私の背後からは完全装備の蜥蜴兵が次々に続いて殺到してきている。
魔犬たちは不利を悟ったのだろうか、こと切れたトロールたちを軽々と銜え込むとあっという間に姿を消した。
内心はほっとした。
ここで魔犬たちと戦うと、少なからずの被害が出ることは予想が付いた。
幸運だったのは、魔犬達はある程度の数のトロールを仕留めており、その獲物だけで満足したからだった。
「助かった。オレ、トロールの中隊長、礼言う」
魔犬の群れがいなくなるとトロールの中隊長を名乗るひときわ大きい2ミゲールほどもあるトロールが礼を言いにくる。
さすがにトロールだけあってでかい鼻と耳はけっこう醜悪である。
「うむ、しかしそれなりの被害は出たか」
「半分やられた。大隊長の怒りこわい」
私は嘆く中隊長に質問した。
「ところで、私たちは2人の人間の男と女を追っている。たぶん馬も1頭いるはずだが、心当たりはないか」
敗残兵狩りのトロール部隊ならその獲物を見つければとっくに狩っているはずだ。
最悪殺害している可能性もある。
「ああ、知っている。ここから1万ゲール以上南で見かけた。ただ、その時にはオレ達魔犬の群れに追いかけられていた。人間を狩っている余裕なかった」
ダメもとで聞いたのだが、素晴らしい情報が手に入った。
「そうか、詳しく教えてくれないか。見かけたのは何時か」
こうして私は皇子の逃走ルートの確実な情報を手に入れた。
トロールの中隊長に礼を言う間ももどかしく、私は全軍に命じた。
「皇子はすぐ近くにいる。全軍我に続け」と。
いつでも戦闘ができるように第2種警戒態勢で軍を進める。
魔犬とトロールの戦闘のおかげで、近隣の魔物や大型の肉食獣の密度が濃いが、こちらの部隊の規模が大きいおかげで本格的な襲撃はしてこない。
でも追い払うために手間がかかった。
早く皇子たちを捕縛したいのにもどかしい。
「いました、あそこです」
鬱蒼とした森を抜けたところで副官がはるか先の平原を指さした。
確かに2ゲールほども離れた先に3人の人間族と馬が一頭見える。
遠目でも大人と若者の男性、そして小柄な女性であることが分かった。
皇子たちだ。
だが、その一行は俺たちに気が付いたのか、猛ダッシュで逃走をしているようだった。
「いくぞ、皇子を捕えるのだ」
私は馬の腹を蹴り、腰から剣を抜き放った。
私に続いてわずか5騎ほどに減ってしまった部下の騎士が、そして蜥蜴兵たちが続く。
蜥蜴兵の走りは遅い。
まずは先行した5騎でやつらを足止めし、殺さぬように戦闘で疲弊させ、遅れてくる蜥蜴兵たちに捕縛させるのだ。
「エリス様、やつら、禁域に入り込もうとしています。自殺行為だ」
皇子たちが必死て向かっている先には赤茶けた岩山があった。
そしてその周りに広がる生命の気配すらしない砂漠。
そこに逃げ込もうとしているからには恐らく、一か八か滅器の呪いがかからぬことにすべてをかけているのだろう。
「あの禁域を支配する神使は?」
私は馬を走らせながら怒鳴るように副官に聞く。
「いえ、分かりません。しかし、あの規模からかなり強い神使かと」
世界中に何千か所もある禁域だ。しかも下界に興味を示さない神使も多い。名前さえ知られていない神使族は星の数ほども居る。
こちらに干渉してこない可能性もあるが、最悪介入されたら手も足も出ないことは容易に想像できる。
「急げ、禁域に、あそこに入られてはまずい」
私は拍車をかって更に馬のスピードを上げた。
ぐんぐんと逃げる皇子たちの姿が大きくなる。
荷物を積んだ農耕馬を手放したのだろう、私たちはその農耕馬をあっという間に追い抜いた。
先頭を行くのは大柄な男だ。走るそのストロークから相当に鍛え上げられた戦士であることがわかる。
そしてその男に引きずられるようにして走っているのが目指すキャサール皇子だった。
すでに息が上がりかけているのか、よろよろと走っている。
まずい、禁域の境界線がすぐそこだ。
このままでは皇子たちが先に禁域にたどり着いてしまう。
馬の速度はこれが限界だった。
そして私が皇子たちに追いつく前に、彼らは禁域の砂地に入り込んでしまった。
「ちいっ、間に合わなかったか」
私の乗馬は禁域の不吉さを本能で感じたのだろう、砂地の手前で急制動をかける。
振り落とされなかったのが奇跡に近い。
皇子たちはと見ると、砂地に入った途端に足を取られたのか全員が倒れこんでいた。
しかし、直ぐに起き上って私たちから少しでも遠ざかろうとする。
どうする。どうするエリス。
呪いを受けるのを承知でこのまま禁域に入ってあいつらを捕まえるか。
「弓兵!早く来い、弓兵!」
私は弓を持っている蜥蜴兵を大声で呼んだ。
弓兵の矢で怪我を負わせてでも逃走を止めなければ。
しかし、蜥蜴兵の走りは遅い、いらだつほどに遅い。
その間に皇子たちは100ミゲール(およそ100メートル)ほども先に逃げてしまっていた。
私は怒りでどうかなりそうだった。
もう少しで、もう少しで捕まえられたのに。
せめて、私の神速の部隊がいれば、こんなへまをしなかったのに。
その時、皇子がとんでもない愚弄の言葉を私に向かって叫んだ。
私のことを蜥蜴女だとか、ハエでも食ってろだとか。
「きっさまぁーーーー」
私は怒りのあまり完全に我を忘れた。
目の前が怒りの波で真っ赤に染まるかのような怒りだった。
私は強く拍車を馬の腹に蹴り入れると砂地に入り込んだのだ。
「ヒーィィン」
馬が激しくいななき、砂地の上にドドッと倒れる。
怒りで我を忘れているとはいえ、私は馬の下敷きにならないうちにヒラリと飛び降りた。
そして皇子たちめがけ抜身の剣を持ったまま突進する。
「エリス団長に続けぇ~」
背後で副官たちの怒声が聞こえる。
禁域に入り込んだ私を見て、彼らも腹を固めたのであろう。チラッとうしろを見ると副官達だけではなく、蜥蜴兵まで次々と禁域に入り込んできているのが見えた。
まあ、蜥蜴兵たちはあまり知能が高くなく、上官の命令にそのまま従う傾向があるため、ここが禁域であることすらも理解していないのかもしれない。
そのような思いがチラッと脳裏をかすめたが、私は皇子たちにどんどんと肉薄していった。
しかし、次の瞬間、私は背後に繰り広げられるとんでもない殺戮を目撃することになったのだ。