70. イシュバルとイラーン、祖国に帰還する
ノード神話 「超族の争い」の章より
超族・125番は一瞬ではあったが逡巡した。
目の前の海淵王の命は風前の灯火と思われたからであった。
そしてその一瞬の逡巡が超族・125番が封印される原因を作ることになった。
イシュバルとイラーン、そしてケール中将が大ニザール帝国の首都テンペランに辿り着いた時、3人の衣服はボロボロで、ガリガリにやせ細り、餓死寸前のホームレスのような有様だった。
あのケール中将ですら元の体重の半分以上を減らしていた。
その急激な減量でたるんだ皮があちらこちらから垂れ下がり、もともと人間には見えなかった姿が、更に化け物っぽくなってしまっている。
ここまでやせ細った理由とはいったい何だったのであろうか。
それは、イシュバルとイラーンの持ち前の不運によるところが大きい。
大ニザール帝国は全世界に放っている工作員のために、金銭を工面したり色々な武具やスパイ用の工具、魔具類を蓄えている連絡所を各地に用意している。
そのため、マヨヒ国を脱出したイシュバルとイラーンはその連絡所を目指したのだった。
ところが、各地に点在しているはずの工作員用の連絡所にたどり着くと、そこはもぬけの殻だった。
連絡所はすでに引き払われた後だったのだ。
神聖ガルニラン帝国との戦争が終結した以上、戦争に関連する施設は緊縮財政のあおりで、次々と閉鎖されている。
イシュバルとイラーンは、間の悪いことに、その閉鎖された連絡所ばかりをたどるようなルートを取っていた。
それ故、上司である第三特務課のルドル課長に連絡することもできない。
この3人が餓死寸前の状態で、ほうほうの体でテンペランにたどり着いたのは、そのような理由があったからだった。
「兄貴ぃ、ようやくついたぜ。これで飯が腹いっぱい食える」
道中、何度も泣き言を言うイシュバルを何とかなだめすかせながら、イラーンはここテンペランに戻ることが出来たのだった。
すっかり体重の軽くなったケール中将は腰縄を付けられ、引きずるように兄弟の後を歩かされている。
そしてその間も、ブツブツと125番教に関する重要情報を喋り続けているのだから、兄弟はいつ情報に聞き耳を立てる輩が現れるかとびくびくの連続だった。
しかし、その苦労もようやく報われようとしていた。
そして、やっとの思いでたどり着いた情報省の入り口で、イシュバルとイラーンは門番に誰何される。
「こらっ、ここは国の建物だ。お前たちのような浮浪者の来るところではない。とっとと出ていけ」
門衛の一本鬼が石剣を振り回し、3人を追い返そうとする。
それもそうだ。
餓死寸前の幽鬼のごとき浮浪者が建物の中に当然のように入ろうとしているのだ。
追い返されるのは当たり前だった。
「ま、待ってくれ、俺たちは情報省の職員だ。極秘任務について第三特務課に報告に来たのだ」
「なにを馬鹿な、情報省の職員がそんな汚いなりをしているもんか、とっとと帰れ」
「待てよ、本当だって。俺たちは本物の職員だって」
イラーンが力説するが、空腹のために腹に力が入らず、弱弱しい弁解じみた口調になってしまう。
「うぬ、怪しき奴、さてはスパイか」
一本鬼は口に警笛を咥えた。
そしてそれを思いっきり吹き鳴らす。
ピリピリピリピリ!!
思った以上に大きな音だった。
そしてその音が鳴らされた途端に、建物の中から20匹くらいの鬼たちが飛び出してくる。
これが以前のイシュバルとイラーンだったら、形勢不利と見て脱兎のごとくに逃げ出していただろう。
しかし、今の二人は足元もおぼつかないほど体力が失われている。
二人に襲い掛かる門衛たちに、3人はあっさりととらえられ、ぐるぐる巻きにふん縛られてしまった。
「よし、憲兵に連絡しろ、怪しき男3人を捕まえたとな」
と、その時、イラーンの目に、建物の入り口から何事かと顔を出すルドル課長が飛び込んできた。
「課長、ルドル課長、助けて、助けてくれ」
イラーンはここぞとばかり声を張り上げた。
隣に縛られているイシュバルも課長の姿に気が付いて一緒に声を上げる。
「なんだ、こ汚い浮浪者かと思ったら、イシュバルとイラーンのデコボコ兄弟じゃあないか。なんだ、その格好は。遂に浮浪者にまで落ちぶれたか」
「課長―ぅ、それは無いでしょう。任務達成の報告に来たのに」
泣き言を言ったのはイシュバルだった。
イシュバルとイラーンは情報省の中庭で冷水で体全体を洗われた。
まるで犯罪者のような扱いだったが、ルドル課長がこのままでは臭くてかなわんと指示した結果だった。
もともとイシュバルとイラーンの兄弟の評価は地に落ちている。
ぞんざいな扱いにも馴れている二人であったが、この仕打ちは酷かった。
「兄貴ぃ、課長の奴、俺たちをごみを見るような目で見ていたぜ」
「ああ、分かっている。だが、今に見ていろよ。俺たちの情報の重要さが分かれば、扱いは180度変わるさ」
「うん、そうだな、兄貴の言う通りだな」
水浴びを終えた二人に新しい服が支給された。
サイズが合わなくてだぶだぶの服だが、やせ細った今の二人に合う服などないことは分かっていた。
そして、古い汚れまくった服を情報省の清掃員が処分しようとしたとき、イラーンは慌ててその中から何かを取り出して新しい服のポケットにしまう。
それをイシュバルは見逃さなかった。
やっぱりな。
ひそかにイシュバルは思う。
金属を隠し持っているんだ。
弟の俺にも内緒にしている金属、きっとひどく値打ちものに違いない。
このまま、俺にも隠し続けるなら、見ていろよ、絶対に後悔させてやる。
さて、体を洗われ、臭さもなくなったイシュバルとイラーンの兄弟は情報省の部屋の一室をあてがわれた。
すぐにでも報告をしたいのだが、ルドル課長の都合により、報告は翌日へと回されることになってしまったのだ。
二人の主張により、とりあえずケール中将は情報省の地下牢に監禁されているはずだ。
二人は情報省の食堂で久しぶりのまともな食事につくことができた。
何とも悠長なことであるが、二人は翌日まで待つしかなかったのだ。
そして、二人が寝静まった真夜中のことだった。
ベッドの一つからむっくりと起き上った影があった。
その人影は、慎重にもう一人がよく寝ているか、ベッドに身をかがめて確かめている。
旅の疲れと、久しぶりに帰った安心感からか、完全に爆睡状態だったのはイラーンだった。
そして起き上って兄貴の様子を確かめているのはイシュバルだ。
イシュバルは兄が良く寝入っているのを確かめると、ベッドの横に置いてあるイラーンの服のポケットを確かめるように探った。
旅の間にもイシュバルは兄貴の隠している金属の正体を確かめようとしたのだが、今日のように深く寝入っていることはなかったのだ。
やがてイシュバルの手が固いわのようなものを探り当てた。
そして、そっとそれをポケットから引き出す。
「なんだ、これは」
イシュバルは手に持った腕輪をしげしげと見つめた。
深夜ではあるが、イシュバルの魔犬の目はその腕輪をはっきりととらえていた。
「腕輪?それも金属の?」
その腕輪は不思議な魅力を放ち、かすかに暖かかった。
その表面に彫られたレリーフが美しく怪しく輝き、イシュバルの心を強く引き付ける。
これほど強く心を引き付けられたことは、これまでのイシュバルの人生では全くと言っていいほどなかったことだ。
これを欲しい、俺の物にしたい。
強い衝動がイシュバルの心をとらえて離さなかった。
これは兄貴じゃなくて、俺にこそふさわしいものだ。
そう考えると居てもたってもいられなくなる。
そして、イシュバルはついに堪え切れなくなり、その腕輪を自分の腕に嵌めたのだった。




