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3.5話

「3・5」


 突然失礼します。私、リザテリオの仲間のリビドーと申します。私の存在はあってないようなもの。まあ、概念だけが存在し、実態がないと考えていただければいいかと思います。

 さて、突然ここに現れたのは私の概念の存在を示すことと、「好き」ということを話してほしいといわれたのでずうずうしく参上させていただきました。

 このコーナーでは私、リビドーの偏見のため参考といわずとも、こんな考え方があるんだ、程度に思っていただきたいと思います。以上、注意事項でした。

 まず、私の存在についてです。リビドー、つまり生きたいという欲求、そして性的な欲求です。確かにどちらもあってないようなものですよね。砕けた言い方をすると考えはあってものがない、ということ。先ほども言いましたがそれが私の存在です。

 では何で私が「好き」ということについて話すのか。それはおいおい分かってくると思います。

 まず、人には「好き」という感情が二つ、もしくは三つあると思います。

 一つは恋愛感情としての「好き」。これは誰もが持つ感情と言っていいと思います。必ず人は一回以上する気持ちです。思ったことがない、と思う方もいらっしゃると思いますが、後にあると思うと思います。

 二つ目は物に対しての「好き」物とは限りませんが、恋愛感情以外でこれいいな、とか話が合うとかで「好き」と思うことです。

 三つ目は二つ目と同じ考え方もありますが、友達として「好き」ということですね。

 一概に「好き」と言ってもこのような意味が存在します。今回説明するのは恋愛感情での「好き」です。

 そんなことなんで言う必要がある、という方はいると思います。確かに「好き」は人それぞれ違うと言います。でも、一体「好き」って何でしょう、ときかれたらどうしますか? まあ、そんなことを聞く人はいないと思いますが、聞いていただけると嬉しいです。

「好き」とはなにか。それは感情です。当たり前です。考え、概念でもありますが、その前に感情です。しかし、どういったことが「好き」ということになるのでしょうか。胸がどきどきする。あの人のことを思うと夜も眠れない。あの人と話そうとしてもうまく話せない。いろいろな感情が今としては(・・・・・)定着しています。

 なぜ「今としては」という言い方をしたかというと、考えたことがあるでしょうか。いつからこういう感情が好きという感情になった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のか。いつからでしょう。私に詳しいことは分かりませんが、誰かがこういう感情が「好き」という感情、と概念付けたからでしょう。でなければ誰しもこの感情を「好き」ということにはしないはず。だって人間がお猿さんのときから「好き」という感情があったから未だに子孫繁栄できているわけです。しかし、人間がお猿さん、いや、まだ文明が発達していない縄文時代、弥生時代の頃から考えて見ましょう。この時代の人たちはどうやって「好き」と分かったのか。今の「この感情ってすきなの」

という感情が分かったのか。

 答えから言いましょう。「好き」というのはありません。恋愛感情で「好き」という感情はありません。(注意)友達、物や事の「好き」はあると思います。

 なぜそう言いきれるか。これには根拠があります。人には何で人種というのがあるのか。今では確かに遺伝によるものだってあります。でもそうなるには根っこがあるはずでは?

 それこそが異種との混合。違った種と違った種が子を産めばそれは違ったものが生まれる。これは遺伝の視点から見てもいえること。環境が影響で異種と化した可能性もなくはないですが、でも少なからず異種との混合があります。

 人間のような知識を持ったお猿さんと人間に近いお猿さんがどうやって意思の疎通をして結ばれ子を産んだのか。

 人間は言います。「恋人の間に言葉なんて要らない」。確かにそうです。これは付き合ってからではなく、付き合う前からそうであるのです。なぜか。それは考え方が違う、いや、それ以前に意思の疎通ができない相手です。にもかかわらず、その相手と関係を結び、子を産んでいる。

 故に人が人と結ばれるのに言葉なんて要らない。それはなぜか。それこそが「好き」がないと言ったことと結びつきます。

 詳しく説明すると、人の抱く一緒にいたい、好きな人のことを思うとどきどきする。といったことは何かと似ていませんか? 遠まわしに言うと人は関係を結ぶ、つまり結婚です。結婚したら何をしますか? まあ、たくさんあるでしょうが、今回の答えとなるものは子供を作ることです。これが「好き」と何が関係あるか。それは恋愛感情としての「好き」=性的欲求だからです。

 人は神から呪縛をかけられた。子をなし、その子もまた子をなす。つまり人、生物は生まれながらにして子孫繁栄に貢献しなければならない。しかし、中には一生独身という人もいます。その人は周りから「あの年でまだ結婚もしないで」という目で見られます。これの何が悪いのでしょうか。決して悪くない。その人たちこそ私たちが言う悪魔なのです。子を産む宿命にありながらその行為をしない。立派に神が構成した理から外れた行為。悪魔の象徴である。しかしながら、これは男性に多く見られる。なぜなら、男性は子を生むことができないからである。子を生むことのできる女性は必ずや近い将来子を授からなければいけない時代がやってくる。

 他にも根拠はある。

人は昔と違い、服を着る習慣が付いている。昔であればほぼ裸なので、特定の人に性欲が湧けばその人と子を産むこともできたが、今ではそうもいかない。だからこそ、女性が発達してきたのである。乳房が大きくなり、臀部も大きくなる。それによって男性の性欲を高め、子をなすように仕向けている。




 何もかもが神の仕組んだこと。

 これに抗えるものこそ、本当の悪魔であろう。

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