若岸雅人の日々1
9話はside:R18に掲載しています。
昨日の龍也。おかしかったよなぁ。
「あの……」
ぼんやりと昨日のゲームのやり取りを思い返していると、レジに客が来ている事に気付くのが遅れてしまった。
「うおっ!あ、すいません!」
慌てて会計をして、客が出て行ってからちらりと龍也の方を見る。
俺の方を見た龍也は笑みを浮かべて顔を横に振った。
今の言葉の中には、昨日龍也が言った台詞は入っていなかったらしい。
「はぁ……」
一体何なんだ、台詞って。
真面目な顔に見えたのも何かの気のせいだったのかな。
「しっかり仕事してよ、青野」
「……分かってるよ」
今日もいつもと変わりない龍也なのに。
こいつって本当、時々訳分からんから困る。
***
どう見ても様子がおかしい事は分かってる。
「朝比奈君、お客さん案内して」
「……」
「……すいません、こちらへどうぞ」
網良さんは料理。徳永さんは網良さんの手伝い。俺はレジで忙しいのに、唯一動ける朝比奈君が動いてくれない。
初日の忙しさは異常で、疲れたのは分かるけどそれは皆同じだ。
特に料理を作りっぱなしの網良さんが一番疲れてるはずなのに、一切そういう表情を見せない。
お客さんを案内してから、ぼんやりと外を見て立っている朝比奈君の背中をぽんと叩く。
それでやっと我に返ったように俺を見た朝比奈君は、一気に顔を青くして頭を下げた。
「すいません、ぼんやりしてました」
「わわっ、お客さんに見えるから頭上げて。疲れてるならちょっと休んできていいよ?」
しゅんとしてしまった朝比奈君の顔を窺いながら言うと、朝比奈君は顔を横に振った。
「いえ、もう大丈夫です。ありがとうございます、若岸さん」
「朝比奈ぁ!これ二番に持って行け!」
徳永さんはお客さんがいようといないと、忙しい時はいつも声を張り上げる。
いつもと言っても、昨日からオープンした店だから確証はないけど。
「すいません」
男性の声が俺を呼ぶ。
聞き覚えがある声に、来てくれた嬉しさがこみ上げた。
ドアを見ると、ル・ベルの成司さんと、船場がいた。
「船場、来てくれたんだ」
「若岸がちゃんと働いてるか確認しに来たんだよ」
笑いを含んで言った船場に、ちょっと頬を膨らませた。
「ちゃんと働いてるよ。船場こそ、今日は仕事なんじゃないの?」
「これも仕事の一部さ。他のカフェの事も知っておかないといけないからね」
船場は俺が大学生の頃に知り合った。
同じクラスの友達で、卒業して三年後に恋人同士になった。
あの頃は照れ臭さや恥ずかしさがあったけど、七年が経った今では安定していて、船場曰く「夫婦」らしい。
笑える。
「やぁ若岸君、元気そうでよかったよ」
「あれ、成司さんいたんですか」
「最初に目が合ったじゃないか!」
相変わらず面倒な性格をしている成司さんとは、大学生の頃に船場と一緒に行ったル・ベルで知り合った。
その頃、ル・ベルでバイトしていた稲刈さんは今もそこで働いているらしいけど、最近は滅多に会わない。
「それにしても、君のカフェではかなり女性客が多いじゃないか。どういうことだい?」
「どういうこと……と、言いますと?」
「うちの客を盗ってるんだろ?」
「寝言ですか?」
「言うようになったね若岸君」
レジに乗り上げてくる成司さんを追い出そうかと思っていると、突然成司さんが後ろに引っ張られる様にして下がった。
そこには成司さんの首根っこを掴んだ徳永さんがいた。
「ちょぉっと外に出よかぁ、成司さぁん?」
明らかに不機嫌だ。
徳永さんと成司さんは中学生の頃からの腐れ縁らしくて、何回か二人のやり取りを見たことがあるけど、喧嘩友達という印象がある。
「……え?っていうか、ちょっと待ってください」
お客さんは昨日と比べれば少ないけど、それでも忙しいことに変わりはない。
こんな時に徳永さんが抜けたら困る。
「若岸、よければ俺が手伝うよ」
「船場……」
徳永さんを呼び戻したところで成司さんが大人しく帰るわけもないことが分かってるんだな。
「……はぁ。網良さんが料理を作ってるから、皿洗いとか料理の手伝いをお願いしていいかな」
「あぁ」
厨房に入って行った船場に、網良さんがフライパンを揺らしながら片手を上げて挨拶をした。
***
成司を引っ張って店の裏に来た。
ホンマにこいつは中学の頃から変わってない。
「職場に来んなや成司」
「奪われた客を盗り返しに来ただけさ」
前髪を掻き上げながら何故か勝気な笑みを浮かべる成司。
ムカつくわぁ。
「奪う以前にお前の店には客なんてほとんど来ないやないか」
「何を言ってるんだ。俺のマネして店始めて、俺のマネしてイケメンなんて呼ばれて」
「いや、お前のマネやなくてお前が俺のマネし、」
「本当に徳永は俺を尊敬してるんだね。照れるよ」
口元を押さえて笑う成司。
こいつには才能がある。人をムカつかせる才能が。
「ええか、俺らは忙しいんや。お前みたいに仕事サボって他のカフェに来るような奴に構ってる暇あらへん」
「とか言いながら、現に今は俺に構ってるじゃないか。ん?実は構ってほしくてわざわざ裏に呼んだんだろ?」
「どういう思考回路してんねんお前」
中学の頃から、俺のマネをしては何故か俺より先輩面する成司。
俺の方が誕生日早いから先輩やねんぞ。
「徳永、君に構ってる暇はないんだ。悪いけど美しいお客様方は引き取らせてもらうよ」
カフェの中へと戻ろうとする成司の背中に、爆弾を落としてやろう。
「ちーちゃん」
俺の一言に、成司がピタリと立ち止まる。
成司の下の名前は、千明。
それ故に「ちーちゃん」と呼ばれて、よくからかわれていたこいつにとって、このあだ名は過去の忌まわしい記憶を呼び起こさせる鍵。
案の定、俺の方へと振り向いた成司の顔は引きつっていた。
「徳永、その名前で、呼ぶな」
睨んでいるようやけど、不細工が余計不細工になっただけや。
「ちーちゃん、ホンマに俺らは忙しいんや。暇な時に相手してやるから、今日は帰りぃ」
しっしっと手で追い払い、店内に戻ろうとした。
何回も言うようやけど、こいつは俺のマネばかりする。
「英悟のくせに英語が出来ない男のくせに」
ぼそりと呟いた成司に、今度は俺が立ち止まる。
「お前、言うたな……」
俺の下の名前は英悟。
けど、昔から英語が苦手で全く喋れない訳せない分からない俺は、この名前でよくからかわれた。
成司よりはマシだったけど。
でも、それでも、気にしてるんや!
「英語が苦手なくせにカフェをやるなんて笑えるよ」
「関係あらへんやろが!お前こそちーちゃんはちーちゃんらしくちーちゃんしとけ!」
「訳が分からないよイングリッシュしゃん!?」
「イングリッシュしゃんて何やねん!ちーちゃんはいい年してちゃんと喋ることも出来へんのか?あぁ?」
「英語が一切喋れない英語くんには言われたくないね!」
ぎゃいぎゃいと成司と言い合いをしていて、背後に近づいている恐ろしい気配に気づかなかった。
「お前ら」
冷たい声音。空気を切り裂くようなそれに、二人してピタリと口を閉じる。
目の前の成司は俺の背後を見て顔を青くした。
「店の傍で騒いでんじゃねぇよ」
震えながら後ろを振り向くと、そこには包丁を持った網良がいた。
視線で殺せそうなほど、目が冷たい。
「あ、あみらちゃん……そないな危ないモン持って……どないしたぁん?」
「徳永さん、さっさと仕事に戻れ」
「……はい」
太陽の光に反射して光る包丁が、下手な事を言うと俺に襲いかかってきそうだったから素直に頷いた。
一方、成司はそそくさと逃げようと後ずさっていたようだけど、怒ってる網良の前では無駄。
「そこの不細工はもうしばらくここに座ってろ」
「へ?」
俺は店の裏にあるドアから店内に入ったから、その時の成司に向けられていた網良の顔は分からなかったけど。
「後でたっぷり相手してやるよ」
その台詞に含まれた恐怖を感じたから、どんな顔をしているのか想像することはやめておくことにした。
「……若岸、俺っていつまで手伝ってればいいかな」
「……多分、閉店までだと思うよ、船場」
To be continue…