伊織希夜の日々1
広い社員食堂は、がやがやと喋る社員達と、テレビの音。厨房のおばちゃん達が料理を作る音で賑わっている。
昼飯の唐揚げ弁当に入ってる梅干しを箸で摘んだと同時に、向かい側に彩都が座った。
「お疲れ。あ、それいいなぁ」
生姜焼き定食を持って来たくせに物欲しそうに唐揚げ弁当を見る彩都。
「食う?」
「いいの!?やったぁ」
あーんと口を開けた彩都。
何だこいつ。食べさせて欲しいのか?
「……」
箸で摘んでいる梅干しを、そーっと彩都の口に入れた。
口を閉じてもぐもぐと二回口を動かした彩都は、みるみる内に酸っぱい表情に変わる。
その顔が可笑しくてケラケラと笑った。
「唐揚げが食いたかったんだよ!」
「それって言っただろ?唐揚げとは聞いてない」
見せつけるように唐揚げを口に含むと、背後からこつんと頭を小突かれた。
痛みは無い、優しいお仕置き。
「意地悪いぞ、伊織」
そう言って俺の隣に座ったのは、先輩の綾崎さんだった。
「いいんですよ。こいつが食い意地張ってるのが悪いんですから」
「一個くらいいいじゃん、希夜のケチ」
「藤崎は自分のを食え」
ぱきんと音をたてて割り箸を割った綾崎さんは、眼鏡を傍に置いてからラーメンを食べ始めた。
「綾崎さん、眼鏡じゃなくてコンタクトにしないんですか?」
「……俺、眼鏡かけてないと目つき鋭いって言われるんだよ」
綾崎さんはいかにも有能な社員って見かけをしてる。
見かけだけじゃなく、中身もかなり有能な人だけど、彼曰く、唯一つだけ欠点がある。
それが目つきの鋭さらしい。
優しくてきちんとしている綾崎さんは、外見だけを見るとどうしても「冷徹な男性」に見えてしまう。
だから眼鏡をかけて誤魔化しているようだ。
「俺は綾崎さんの目つきは鋭くないと思いますよ!」
「藤崎、ご飯粒ついてる」
綾崎さんをフォローしようとしている彩都は、いつも通りどこか抜けている。
慌ててご飯粒を拭った彩都に半笑いしていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、啓介が立っていた。
「希夜、これやるよ」
「ん?」
啓介が差し出したのは、コンパクトに折りたたまれたカフェのメニュー表だった。
「シロツメクサ?こんな店あったっけ」
「今日からオープンしたカフェでさ、俺の兄貴が働いてるんだ」
啓介の兄貴は、確か空穏って名前だったかな。
俺が開いたメニュー表を隣から覗きこんだ綾崎さんが、啓介を仰ぎ見る。
「朝比奈、このカフェって何処に出来たんだ?」
「あれ、綾崎さんカフェ行くんですか?」
「どういう意味だ?」
「え?いや……あはは……」
綾崎さんは見た目、カフェというより高級レストランで赤ワイン片手にディナーを味わってそうだもんな。
分かるよ、啓介。
「で、何処にあるんだよ。俺も行ってみたい」
「希夜の親父さんが働いてる店の隣だよ」
「え?そっか、水蓮の横に出来たんだ」
それなら冬夜はもうカフェのこと知ってるだろうな。
「でもオシャレなカフェでさ、イケメンばっかり働いてるから女性客が多いらしい」
「何それ、啓介の兄貴イケメン自慢?」
「違ぇよ。巷ではそういう風に言われてるってだけだ」
「ふーん」
冬夜と晴希を誘って行ってみたいな。
今度の休みの日にでも……。
「希夜、俺と一緒に行かない?」
と、いきなり会話に入ってきた彩都を見る。
もう生姜焼き定食を食い終わっていた。
「早食いは太るぜ彩都」
「俺はゆっくり噛んで食べる啓介とは違って燃費いいんだよ。で、どうかな?」
何故かもじもじしながら言う彩都に、きっぱりと言う。
「やだ。冬夜達と行くし」
「えー……、じゃあ啓介でいいや」
「渋々誘われても行きたくねぇよ。普通に誘われても行かねぇけど」
「俺ぼっちじゃん!」
項垂れる彩都を放置して、メニュー表を見る。
冬夜、きっとホットドッグ頼むだろうな。
あと、アイスコーヒーは絶対飲む。
***
アイスコーヒーを片手にホットドッグを食べながら、隣に座る沖君の食事風景を見る。
「よく食べるね、沖君」
「ほうへんへふお!」
うん、何て言ってるか分からない。
ハンバーガー三つとパンケーキ二つ。ドリンクはLサイズを三本。
どちらかと言えば小柄な体型をしている沖君のどこにこの量が入ってるんだろう。
「それに比べて青野君は小食だよね」
ベーグルだけを食べてすぐにカウンターに戻った青野君は電話中で、声が聞こえる。
「何で少ない量であんなに背が高くなるんですかねぇ」
「カルシウム不足なんだよお前は」
電話が終わったと同時にそう言った青野君。
「せっかちゃん地獄耳」
「無駄によく通る声してるから聞こえるんだよ」
「透き通った声と言ってほしいね」
最後の一口を飲み込んだ沖君は、鼻歌を歌いながら事務所から出て行った。
時計を見ると、一時を過ぎていた。
定時の三時まであと二時間だ。
「ふぅ、戻るか」
立ち上がって伸びをしてから事務所を出た。
***
時刻は四時。
次々に迎えに来る母親に連れられて帰って行く園児達を見送っていると、ピアノの傍にある電話が鳴りだした。
今は園児の帰り支度を手伝っているから出られない。
睦美に出てもらおうと思いちらりと室内を見てみるけれど、睦美の姿はなかった。
「緑先生、私がしますのでお電話どうぞ」
「あっ、すいません」
園児の母親に言われ、急いで電話に出たけど切れてしまった。
「誰だったんだろ」
呟いて受話器を戻す。
まったく、睦美ってば何してんの?
このクソ忙しい時間に……。
「緑先生、今日もお世話になりました」
先程の園児の母親の声に慌てて駆け寄る。
「すいません、バタバタしてて」
「いえいえ。いつもお忙しいですね。それではまた明日よろしくお願いします」
「せんせーバイバイ!」
「さようなら、お気をつけて。ばいばい」
手を繋いで帰って行く園児に手を振りながら、引き戸を閉めた。
「ふぅ、あと六人ね……」
室内にいる六人はそれぞれお絵かきをしたりして遊んでいる。
今のうちに睦美を呼び戻さないと。
「睦美ー?」
廊下を歩きながら睦美を探す。
事務室へと向かうと、事務室のドアの外に不審な様子の睦美がいた。
「何してんの。事務室覗いたりして……」
「あっ、緑ちゃん。静かにこっち来て」
ひそひそと小声で私を手招きする睦美に首を傾げながら近づくと、事務室の中を指差した。
「早く早く」
「何なのよ……」
ドアの上部は透明のガラスがはめられていて中を見る事が出来るけど、普段は緑色のカーテンで中が見えない様にしてある。
そのカーテンは少し開いていて、隙間から中を覗くことが出来た。
僅かな隙間から中を見てみると、怜士先生と園長がいた。
椅子に座っている怜士先生の前に立っている園長が何か話しているけど、内容は聞こえない。
眼鏡の奥の切れ長の目は、普段の怜士先生とは違って……どこか、冷たいような、でも楽しそうに口元を綻ばせている。
「緑ちゃん、これってウホッな展開だよね」
「何言ってんの睦美。ウホッて何なのよ。これは健全な上司と部下の触れあいよ」
怜士先生の伸ばした手は、園長の首筋に触れる。
細い指先が園長の首筋を撫でて、唇に触れた。
途端に体を跳ねさせる園長の顔は真っ赤に染まっていて、今にも泣きだしそうに見えた。
「睦美、ここを離れましょう」
「何で?これからが二人の関係を収めることができる決定的なシーンになりそうなのに」
「あのね、覗き魔じゃないんだからいつまでもやってないで教室に戻るわよ」
睦美の結んでいる両サイドの髪を掴んで引っ張る。
「痛い痛い!千切れるよ緑ちゃん!」
「あんたがさっさと離れれば千切れないわよ」
まだ覗こうとする睦美を引っ張っていると、運動場の方から声がした。
「何してるの?」
顔を向けると、冬夜さんがこっちに歩み寄っていた。
「いえいえ何でもないんですよ。ほら睦美行くわよ」
「ちぇー」
頬を膨らませる睦美から手を離して、冬夜さんが事務室の中を見てしまわない内にその場を離れ始めた。
一瞬。
「……?」
ふと誰かの視線を感じて振り返ったけど、誰もいない。
「……気のせいかな」
「緑ちゃん?」
「あっ、すいません。晴希君、今日も元気にしてましたよ」
冬夜さんと睦美と一緒に教室に戻る。
覗いたりなんかしてたから、神経が過敏になってるのかもしれないわね。
To be continue…