ロングショットで見れば喜劇
「…これは、俺の母親が作ってくれたものだ。」
「そう、ですか。」
その台詞は何となく聞き覚えがあった。
「よくこれだけ綺麗に取っておけたな。」
「まぁ、そこは…頑張りました。」
くすりと小さく笑って返せば、センパイも口元だけで小さく笑う。
何だか昨日から夢でも見ているようだ、なんて思いながら見つめていると、不意にセンパイの顔から笑顔が消えた。
元の無表情、というよりも真摯な顔、というか。
何となくだが、溢れる感情を抑えたようなその目は、手元のミサンガを離れていつの間にか私を見ている。
何だか落ち着かない気持ちで、それでも視線を外さずにいると、センパイがゆっくりと口を開いた。
「これ、お前が持ってろ。」
「…え?まだ預かってた方がいいですか?」
「いや、お前にやる。ずっと持ってろ。」
「…はぁ?」
一瞬何を言われたのか解らなかった。
素っ頓狂な声を返した私に、ミサンガを乗せた大きな手がぐいと近づく。
私は言葉の意味を理解して、慌てて首を振った。
「いや、何言ってんですか!駄目ですって!」
それは明らかに、センパイにとって珠玉のように大事な宝物のはずだ。
あの時の小さな子供が凍えるような家で求めていたはずの、肉親の愛情の欠片。
柏木センパイのお家の事情は何となく聞いているけれど、ミサンガを作ってくれたお母さん=生母のことだろう。
「お前がつけてろ。」
「駄目です、何で私なんですか!」
そんな大事なもの受け取れるはずが無いだろう。
いきなり何をとち狂ってるんだこの人は!!
ぐいぐいと押し付けられる手を両手でブロックしながらぶんぶんと壊れた人形のように首を振る。
掌に乗っているだけのミサンガを思えば、押し付けられる手を強く振り払うこともできない。
どうしたものかと考えていると、センパイが大きく舌打ちを零した。
「お前、悪いと思っているのか?」
「え?」
「俺のこと忘れてただろ?悪いと思ってるのか?」
それはもう勿論!!
「かなり本気で申し訳ないと思ってます!」
それだけは伝えねばと手をブロックしながら叫ぶ。
ていうか、私はもっとちゃんと謝罪したいんだ!!
これじゃあ一晩考えた段取りも何も…。
「悪いと思っているなら、受け取れ。」
そうきたか!!
いや、おかしくね!?
「何でそうなるんですかぁ!?」
「逆らうのか?」
「え゛。」
「逆らうんだな?」
「…いやぁ。」
「幼心に勇気を出し、こいつならと思い信じて宝物を預け、あまつさえ十年以上もその約束を信じて待ち続けた俺に、綺麗さっぱり忘れ去るどころか女と勘違いしていたお前が、逆らうんだな?」
な、何も言えない。
ぐぐぐと腕を押し付ける力が強まり、逆にブロックする私の両手は急速に力を無くして行く。
くっそー、それを言われたら何も言い返せないじゃないか!!
あぁ、そうだよ、悪いのは私さ!!!
でも!
「それと、これとはっ…」
「違わない。傷ついた俺の願いを、お前はまた跳ね除けるんだな?」
言い方―!!!
その言い方ちょっと卑怯じゃないか!?
「お前が、つけてろ。」
文句なんかあるわけないよな?
そんな副音声が聞こえた瞬間、私はがっくりと両手を落として小さく頷いた。
「それからな、蓮。」
え、いつの間に名前呼び?と思う暇も無く、渋々ミサンガを元の位置にはめなおしていた私は続く言葉にのろのろと顔を上げた。
「お前、約束は守るんだよな?」
「え?…ああ!!」
呆然と聞き返す私の腕を、センパイがガシっと掴む。
「なに結んじゃってんですか!!ってしかも固結び!?」
「ミサンガといえばこの結び方だろう?」
ぐいぐいと、今まで私がどれだけ丁寧に扱ってきたかを全て無に帰す勢いで結んでますねセンパイ馬鹿ですか、そうですか、何でそんなとこだけ庶民じみてんだ!?
反論を許されぬ立場とはいえ、流石にコレはないと思った私は、感情のまま口を開いた、が。
「で、守るんだろう?約束。」
「あ?え?」
「え、じゃねぇよ。守るんだよな?」
「約束、と、言いますと…。」
途端、センパイの目が氷のように冷たく光る。
「お前…。」
「いやいやいや、約束ってあれですよね?むしろ私断られる覚悟だったんですけど!」
更にすうっと目を細めたセンパイの視線に私の口は既に凍りつきそうだ。
何ここ、寒い!!
「それで、お前はまんまとお役御免、自由の道へってわけか?」
「そんなわけないでしょう!だってやっと唯一の人を見つけたのに!」
許してくれるまで土下座でも何でもします!!
勢いのままそう言い放つ。
途端、吹き荒れていたブリザードはぴたりと止んだ。
何か解んないけどチャンスだ!
「あんだけセンパイに生意気言って、完全に勘違いして傷つけといて、ホントに虫がいいと自分で思います。でもそれでも、やっぱりあのとき決めた心は変えられない!!」
自分で忘れといて何を言う、と嗤われても構わない。
どんなに親しい友人ができても、ずっと変わらなかった想いなんだ。
一時的なものではなく、その人が必要としてくれる限り。
ずっとずっとこの人を守り続けると決めた心は、幼い頃のあの契りは、決して褪せることはなかった。
事実を知った今でもそう。
彼がどんな人間でも、やっぱり気持ちは変わらなかった。
一晩、考えに考えて決めたこと。
悩んだ末に残った気持ちは、やっぱりこの人を守りたいという想いだった。
「結局勇者にはなれなかったけど、私の王子様はセンパイだけです!」
固まったままのセンパイに、どうにか頷いてもらおうと必死に考えた。
考えた末に勢いのまま、怒鳴るように宣言した。
後になって色んな意味でこの台詞を後悔したことは、言うまでもない。
「おはよう、蓮。」
「おはよう、詩織。」
いつもの席、いつもの挨拶。
今日も変わらず白い机は変で、花が綻ぶような笑顔を向けてくれる詩織の手には分厚い本。
鞄をかけながら席に着けば、数人の視線を感じる。
未だ大半が遠巻きのクラスメイトは、最近ちらほら話しかける奴が出てきた。
どうやらみんな過去の色々を気にしているようだが、私も詩織も特に気にせず対応している。
まぁ、中には学習能力の無い奴が上から目線にくることもあるが、そういうときの対処といえば私も詩織ももう遠慮が無い。
入学した当初のストレスを考えれば、随分と過ごしやすくなった。
「やっぱり猫を被るのは疲れる。」
「あら、今更気付いたの?」
お昼休み、いつもの場所でそう独り言ちれば、くすくすと笑う詩織の声。
「お前の性格で猫なんか被ろうってのが間違ってる。」
「ほうか?俺は前の蓮ちゃんも好っきゃで!」
「ユージさんは本当にいいご趣味をしてらっしゃいますね。」
「せやろ!」
途端、がーんと背後に真っ青な縦線を背負うエージ。
ていうか、詩織はいつの間に菅原の名前を呼ぶようになったんだ。
そんなことより、その前に。
「何度言ったら解るんだ、ここは高校だぞ!」
「嫌やわ蓮ちゃん、今更何言うてるん?」
「小せぇこと気にすんなって。」
「蓮ったら、意外と細かいのね。」
口々に返される言葉に言いたいことがありすぎて言葉が出ない。
ねー、っと示し合わせたような三人に、とうとう私の堪忍袋がぶち切れ…ようとしたときそれは鳴り響いた。
――ピンポンパンポーン
校舎に合わず古風な音が流れる。
――一年A組御剣蓮、至急生徒会室まで来るように。
機械を通しても誰か判る、校内の有名人の頂点に立つその人の声。
途端、私の顔はぐしゃりと歪み、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「あら残念、また呼び出しね。」
そう、また。
最近本当の意味での再開を果たした私の横暴な王子様は、何かにつけて私を放送で呼び出す。
理由は様々で、どこぞでお偉いさんと会うからついてこいやら喉が渇いたからお茶入れろやら。
前者の類は文句なしについていくが、後者の類は正直納得いかない。
因みに携帯にアドレスも番号も登録済みなので、呼ぼうと思えば携帯で簡単に呼び出せるはずである。
だいたいの事情を知っている詩織は、またもや面白そうにくすくすと笑い始めた。
「気をつけて行ってらっしゃい。」
からかわれているのかと彼女の顔に目を向ければ、どこか眩しいものでも見るかのような温かな微笑みが浮かんでいて、文句を言おうと開いた口からは音すら零れずむにゃむにゃと誤魔化すしかない。
何だか晴れがましいような、そんな気分に先ほどの怒りも忘れて溜め息を吐く。
「…ちょっと行ってくる。」
「えぇ、また後でね。」
「お疲れさーん。」
「暴れんなよー?」
後半の二つの声は綺麗に無視してさっさと荷物を纏めると、私は足早にその場を後にした。
「…アノヤロウ。」
納得いかないまでも呼び出しに律儀に応じて向かった先の生徒会室。
無意識に零れた呟きは自分でも滅多に出さないような低い声。
持ち主のいない机を見下ろせば、小さな白いメモがぞんざいに放置されていた。
殴り書きのように記されたそれには、たったの二文字で「花園」という言葉、ていうかこれ単語だよね。
苛立ちをぶつけるようにぐしゃりとそれを握り締めた私は、踵を返して入り口のドアを蹴り開けた。
そんでもって。
指定どおりにたどり着いた花園にいたのは、のんびり読書に勤しむ会長様の姿。
周囲は季節に合った花が植えられ、白いガーデンテーブルの周りは様々な色合いの紫色が咲き誇っている。
何だか一枚の絵画を見ている気分になり、それまでの怒りも忘れて一瞬その風景に呑まれてしまった。
少し立ち止まった後、我に返り無言で近づけばあちらも気付いたのかセンパイが顔を上げてちらりとこちらを見る。
何だかちょっと悔しかったのでじろりと軽く睨んでやれば、特に気にした風もなく奴は突然小さな何かを投げて寄越した。
って、どこ投げてんだよ、取る側のこと考えて投げろ!!
大きく逸れたそれを磨き上げた反射神経でキャッチする。
危なげなく掴んだままくるりと手首を返せば、それは手紙のようだった。
何となく既視感と嫌な予感を感じつつ、渋々とそれを開いた。
「…センパイ、貴重なお昼休みに呼び出したのはこのためですか?」
ひくひくと米神が痙攣するのが自分でもわかった。
ぶるぶる震える手の中には一通の招待状。
何かのパーティらしい、なるほど私も出ろってか。
「悪いか?」
「…センパイ、私のメアド知ってますよね?」
こんなのメールで充分じゃないか!
ていうか、放課後話せばいい事であって、わざわざ昼休みに呼び出すことないだろう。
「お前は未熟者なんだろう?日頃の訓練は大事だぞ?」
「訓練?」
「屋上から生徒会室まで7分2秒、歩いて来たな?」
「………。」
ありえない!!
ありえないこの人、何でストップウォッチなんか持ってんの!?
馬鹿なの!?馬鹿じゃないの!?
「馬鹿とは失礼な。お前こそ、こんなことで俺のガードが務まると思っているのか?」
「…っ!!…~~~っ!!」
何だこの屈辱!!
あっ、コノヤロウ、何勝ち誇ったように笑ってやがる!!
「次は3分きってやる!!」
「ほお、言ったな。言質は取ったぞ?」
びしぃっと指差せば返ってくるのは王者の笑み。
私の王子様は既に王様に出世されていたようだ。
くっそー!!見てろよ、いつかまいったと言わせてやる!!
復讐?に燃える私の影で、横暴なご主人さまは小さく笑みを浮かべていた。
そんなこんなで、入学当初の“とにかく目立たない”という目標は、一年経たずして断念した。
その代わり、私が手に入れたのは、
ちょっとトリップしがちな親友と
調子のいいお笑いコンビ
それから、かなり捻くれてて手のかかる、デフォで意地悪な王子様。
あぁ、プラスαの爽やかドSマンもいたな。
どう考えても平和に卒業なんてできそうにない面子に、私は小さく笑ってパーティの日時を確認すべく手の中の招待状に目を落とした。
「てか、今ふと思ったんですけど、センパイだってミサンガ見るまで私って気付きませんでしたよね?」
「………………………(遅い)。」
HAPPY END?
人生はクローズアップで見れば悲劇 ロングショットで見れば喜劇
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
byチャーリー・チャップリン
これにて本編終了です。
お付き合い頂きありがとうございました!
後日番外編をUPします。




