人生はクローズアップで見れば悲劇
「ゴメンナサイ。」
深々と。
そりゃあもう誠心誠意、平身低頭、というか最初は土下座をしようと膝をついた私を慌てながらも嫌そうに止めたのはセンパイである。
曰く、こんな玉砂利の上では流石に怪我をする、とのことなのだけれど。
いやいや、こんな丸い石なら大丈夫。
多少痛むかもしれないけれど、全然平気。
前に、反省と称して普通の砂利の上に正座させられたときに比べれば。
あぁ、あの時は本当に痛かったなぁ。
ていうか、センパイそんな気遣いするキャラじゃないでしょ。
あまりの動転ぶりに言葉を選ぶということをすぱーんと忘れた私が、思ったままに指摘すれば、途端苦い顔で黙り込むセンパイ。
「いやいや、違う違う。今私が謝ってんですってば。」
恰も人形のような、感情をシャットアウトしたあのセンパイはどこにいったんだろう。
目の前にいるのは、そう例えば、知られたくなかった粗相を親に見つかった子供のようで。
まぁ、こんなことを言うと即行で否定されるのだろうけど。
つーか、今そんなことはどうでもいいんだ、マジで。
センパイが、あの子。
私が捜していた、あの子。
確かに私は幼くて、その全てを記憶に焼き付けておくのは難しく、一般的に言えば仕方が無いと言われるようなことなのだろうけれども。
それでも私は覚えている。
あの日踏み入れたお屋敷が、幼心に僅かな恐怖を抱かせるほど寒々しく、作り物めいた空間であったことを。
その広いお屋敷の片隅で、隠れるように身を小さくして泣いていた綺麗な人。
真っ黒けの自分の髪や目とは違い、どこもかしこも色素の薄いその人は、まるで絵本から抜け出してきたお姫さまのようだった。
宝石のような瞳から零れ落ちる、これまた宝石のような涙を見た瞬間、幼い自分はこの人だと思ったのだ。
その想いは、記憶の霞んだ今でも心の奥に燻り続け、変わらぬ熱を残している。
なのに。
自分の不甲斐なさに、悔しさを超えて寧ろ憎憎しいほどだ。
私は、唯一と決めた人と出会いながら、それと気付かず思い出そうともしなかった。
何て愚かなことだろう。
しかし、それとは別に納得することもある。
そう、この柏木啓輔という男を学校で見かける度に覚えていた苛立ちの正体。
元々自分は嫌いな人間に対しては一握りの感情すら残さない。
それらが自分の大事なものに危害を加えない限り、その存在すら認識していないこともあるのだ。
なのに、センパイに対しては初めから違った。
あの時は、彼があの子だとも気付かなかったし、明らかに自分の嫌悪する人種だった。
常の自分なら、さっさと記憶の彼方に追い出して、他のことに目を向けていただろう。
でも、私はセンパイの顔を見る度、とくにあの全てを諦めたような、達観したような目を見る度にイラついていた。
どうしてもあの目が気に入らず、怒りすら覚えていたのだ。
それはきっと、忘れていたとはいえ自分が唯一と決めた人が、あんな孤独な目をしていることが嫌だったのだろうと思う。
せっかくの綺麗な目を曇らせている彼に。
そんな目をさせる原因になった誰かに。
何よりも、それをどうすることも出来ず、ただ苛立つことしか出来ない自分に。
きっと記憶の中の幼い自分が、心の中に燻り続ける焔が、忘れている自分を許さなかったのだ。
「…れんが、まもってあげる。」
ぽつりと呟いた声に、センパイがはっと顔を上げた。
「私は確かにそう言ったのに、気付くことすら出来なかったんですね。」
愚かで未熟な私。
兄に放り込まれた学校で見つけたのは、一つを守ることすら満足にできない自分。
知らぬ間に天狗になっていた、見苦しい自分の姿だった。
御剣の家なんて関係ない、何より自分が許せない。
「センパイ、私の家のこと聞きましたか?」
「…あぁ。」
何を思ったのか、センパイの顔に苦みが増す。
「…御剣の人間は、物心つく前から心身ともに強い人間になれるよう教育を施されます。それは、自分の選んだ道を進むためであり、いつか出会う誰かを守るためのものです。」
「知ってる。警護や諜報活動に強い人間を出している家だと聞いた。あのときのお前も、柏木の家との繋がりのために来ていたんだろう?」
「概ねそんな感じですが、別に家も私自身も御剣としての繋がりを持つ気は無いですよ。」
怪訝な顔をしたセンパイに、苦笑を返す。
「うちの人間は代々自由な性格をしてまして、“自分の道は自分で決める”がモットーなんです。まぁ、例外はいますが大きなお金が絡むと碌なことが無いのを知っているので、余程のことが無い限りみんな大体敬遠します。」
ってセンパイ、そんな顔全体で「信じられないそんな馬鹿な」って表現しなくても。
学校での柏木センパイの取り巻きを思い出せば、そういう反応をしてしまうのも不思議ではないのだろうけれど。
何だかなぁと思いつつ、へにょりと歪みかけた顔を引き締めセンパイを見上げた。
「なので、今現在の私的には、ぶっちゃけ柏木センパイのお家も立場も客観的に見て絶対に関わりたくない系の依頼人だったんです。」
絶対性格合わないし。
実際、嫌な奴だと思ってたし。
更に言えば、面倒事多そうだし。
でも、でもね。
「それでも、センパイがあの子だと判って、確かに最初凄く驚いたけど、でもちょっと落ち着いたら何か…何だろう、何か納得しっちゃったというか、否定する気が全く起きないというか。」
そう、もっと自分でも、嘘だろ馬鹿言ってんじゃねぇ!って気持ちが溢れてくるかと思った。
今、ちょっとセンパイに突っ込まれただけで、するっと納得しちゃう自分の方がびっくりしているくらいなのに。
頭ではわかっているけど、心が既に受け入れてるから反発する気も起きないし、喋ってる今でも実は結構混乱しているのだ。
センパイが提示した事実にではなく、簡単すぎる自分の変化に。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
私どんだけ現金なんだろ。
沸き起こる思いに自分自身で戸惑いつつ、しどろもどろに垂れ流していた言葉を切ってしっかりとセンパイに向き直った。
「センパイ、明日ちょっとお時間頂けますか?」
いつになく真摯な言葉を投げれば、センパイからはどこか疲れたような溜め息が返ってくる。
それでも了承の意を示したセンパイに、私は深く頭を下げてその場を後にした。
無駄にふわっふわな布団は、普段ならばここぞとばかりに私を深い眠りへと引き込んでくれたのだろうけれど。
あの後宛がわれた部屋へ戻った私は、珍しく考え事で眠れないという事態に陥った。
珍しいどころか生まれてはじめての出来事だったかもしれない。
闇夜の中で巡ることといえば、全てはセンパイのことで、断片的に残る昔の記憶を引きずり出したり、自分の気持ちを踏まえた今後のことだったり、あぁやっぱり明日なんかにまわすんじゃなかったかもというちょっとした後悔だったり、学校での色々だったり。
順不同よろしく様々なことがぐるぐると頭の中を巡っていた。
で。
「…お前、大丈夫か?」
「……まぁ。」
いつもの無表情で登場したセンパイの目を、一瞬でまん丸にしてしまうくらいの顔色をしていたらしい。
いや、ただの寝不足なんだけどね。
一日寝ないくらいじゃどうってことないはずだったのに、どうってことないのは身体だけだったらしい、いつになく使いすぎた頭はオーバーヒート寸前だった。
あぁ、もう、せっかくきちんと話をしようと思ってたのに。
何のために一晩時間をもらったんだか全く意味不明である。
因みに、現在地は普段行かない隣町のカラオケボックス。
今朝、逃げるように――といってもきっちり礼をして――柏木邸を出た私は、一度帰宅し着替えてから柏木センパイと駅前で合流して今に至る。
だってあの学校の圏内だと、生徒に見られたときにとっても面倒なことになりそうだし。
センパイだってそうだろうと思い、昨日の帰りがけに伝えれば、特に何も文句を言うことなく了承してくれたのだ。
あの柏木センパイと二人でカラオケなんて、天地がひっくり返ってもありえない状況だと思っていたのに、人生どうなるか本当にわからない。
まぁ、勿論今回の目的は歌うことではなく誰にも邪魔されずに話すことなのだけれども。
その点、カラオケボックスは結構便利なスペースだ。
店を選べば安全安心、しかも防音。
ちょっと込み入った話をするには調度いい。
取り合えず表面だけでもと、愛想笑いを振りまきながら店員に飲み物を注文すると、若干やる気にかける顔つきのオニイサンが軽く声をかけながら入ってきた。
勿論私の飲み物は、迷わずアイスコーヒー(ブラック)である。
店員さんが去った途端、コーヒーを半分程度一気に飲み干した私に、センパイがあからさまに溜め息を吐いた。
「…すいません。これでも一晩考えてたんです。」
「お前でも考え事で眠れない、なんてことがあるのか…。」
ここで明らかに馬鹿にした言葉であれば反論もできるけど。
センパイの声は心の底から驚いたとばかりの口調だったため、私は何とも言えない顔のまま居た堪れなさにもぞりと身じろいだ。
どんなイメージ持たれてんだ私。
あー、恥ずかしい。ホント、どこの中学生だよ自分。
まぁ、そんなこと言ってつい最近までその中学生だったのだけれども。
そういえば、私に思春期なんて可愛らしい時期あったのかな。
いやいや、思考が脱線してるぞ、それは今考えることじゃないって。
私はもやもやした気持ちを振り払うように小さく頭を振って、センパイに気付かれないよう一度だけ深呼吸をした。
静かに目を開けば、じっとこちらを見つめる茶色の瞳。
太陽の下では明るく透けるようなその色が、今は濃い色を湛えてまるで揺らぎの無い湖面のようだ。
惹かれるままに視線を合わせたまま、意を決して口を開いた。
「センパイ、あの、これ。」
はずなのに、口から零れたのは何とも歯切れの悪い言葉。
それでも、まずは最初の目的とばかりに、普段私の腕に収まっているそれに手をかけた。
物自体を傷つけぬよう、仮止めの糸でしっかりと結わえていたそれは、結び目を解けばすぐに外れる。
「ずっと預かっていたものです。」
長らく私の腕にあった小さなビーズのミサンガ。
かなりの時間を経たはずのそれは、殊更大事に扱っていた甲斐もあって、新品とまではいかないが汚れも無く、勿論破損してもいない。
そっと差し出したそれに、無言で手を伸ばしたセンパイは、表情こそ変わらなかったものの壊れ物を扱うような手つきでゆっくりと受け取った。
大きなセンパイの掌の所為か、余計に小さく見えるミサンガを、センパイがじっと見つめている。
私は何も言わず、ただそれを見守っていた。




