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これはいったい何の喜劇だ?

訳も無く動悸が上がるのは、この言いようも無い不安の所為だろうか。

それでも感じるこの懐かしさは、いったい何なのだろう。



外は真っ暗、屋敷の中にも確かな人の気配はあるはずなのに、行けども行けども人に出会うことはなかった。

他所様のお家なのであまり歩き回るのもどうかと思うが、どうにもこうにも動かずにはいられない。

広く整ったこの屋敷は確かに綺麗だけれども、夜の闇も手伝ってかどこまで行っても息の詰まるような空間が途切れることはなかった。


そうこうしているうちに、先程何となく既視感を覚えた廊下へと辿り着く。

どこからどうみても何の変哲も無い廊下は、案内された客間の前と同じような庭の作りになっているにも関わらず、やはり妙な懐かしさを与えた。

こちらの方が背の高い植木や岩が幾分多いため、外からも中からも死角になっている部分が多いが、違いといえばそれくらいか。


何を見るとも無しにぼーっと目を向けていると、視界の端にちらりと動く何かが見えた。

何だろう。

真っ暗な闇の中に小さく何かが光った気がする。


「………。」


興味の惹かれるままに廊下から庭へ続く小さな石段を降りて綺麗な石の敷き詰められた庭を歩いた。

僅かに捉えた一瞬を逃さぬよう、光が消えた植え込みの奥に視線を釘付けにしたまま、そろりそろりと歩みを進める。

流石に玉砂利の上を音を立てずに歩くのは至難の業で、小さく軋んだ音が響いた瞬間視線の先からびくりと警戒を示す気配を感じた。


その見事な気配の消しっぷりに、人か獣か判断に迷う。

まぁ、こんなところに獣の類がいることは無いのだろうけれども。

いやいや、もしかして番犬とかかな。

金持ちの家だから無いとは言えない…かもしれない。


「やっぱり王道ドーベルマンかな。」

「俺は犬じゃない。」


間髪入れず、というか少々被せ気味に反論してきたのは最近の面倒ごとの原因である柏木センパイその人だった。

一応予想範囲内とはいえ、やっぱりちょっと気分が落ちる。

ていうか、跡取り息子がこんな暗がりで何やってんだ。


「お邪魔しました。」

「…待て。」


取り合えず面倒ごとは御免なのでさっさと踵を返せば、普段よりもずっと低い声がかかった。

いやいや、待たないよ、もう今日の分の気力ゼロだし。


「待てと言っている!」

「…痛いですセンパイ。」


どうでもいいけどもうちょっと声落とそうぜセンパイ。

何してたか知らないけど、一応人目からは隠れてたんだろうに。

ていうか思いっきり腕を掴むなマジで痛い。

ぐい。

ぐいー。


「ちょ、センパイ、腕が抜けます。」

「人の腕はそう簡単に抜けない。」

「えっ?抜けますよ?」


え?何その顔。

何でそんな嫌そうに顔歪めてんの?

これ見よがしにはぁっと溜め息を吐いたセンパイは、それでも私の腕を離さず、先に根負けした私も同じように、というかあてつけるように溜め息を吐いて体を戻した。

取り合えず手ぇ離せ。

少し乱暴に手を引き戻せば、今度はあっさり開放される。

あぁ、もう思いっきり握り締めやがって。指先じんじんするよ。

じろりとことの原因を睨みつければ、センパイの明るい色の瞳が僅かに逸らされた。


あれ、珍しい。ちょっと気にした?


暗い中でも人より鍛えた私の目は、センパイの表情くらいは容易に映し出す。

センパイは、当たり前ではあるが普段の制服姿ではなく、この家の風潮なのか落ち着いた柄の浴衣を着ていた。

その立ち姿にまたも既視感を覚えた私は、内心首を捻りながらも気付かれない程度にセンパイを観察した。

ていうか、何か話があったんじゃないの?何か言ってよ。

しばらく様子を見ていたものの、むっつりと口を閉ざす一方なので、仕方なしに口を開いた。


「で、何の御用でしょう?あ、ここにいるのはあなたのお爺様のせ…お誘いですよ。」


一応言葉に気を遣ってみた。


「知っている。」


のに、こいつときたら!!

何、すっごい眉顰めてるけど、私何かしたっけ!?

そりゃあ、ついこの前まで学校ですれ違えば邪魔だと言わんばかりに睨まれてたけどさ!

それか存在無視だったけどさ!!

どうかんがえても、私ってば感謝されるようなことはしても、睨まれるようなことしてないよね!?

理不尽だ!理不尽だ!

これはもう喧嘩を売られているに違いない!!

よっしゃあ受けて立つぞとほぼ無意識に浴衣の袖を捲くれば、センパイがはっと小さく息を呑んだ。

ふんだ、今更許してやらねぇ…ってあぁ!!


「そのミサンガ。」


そう、センパイの目線は私が捲り上げた腕の中ほどにぴったりと巻いてあるミサンガに釘付けになっていた。

慌てて袖を下ろそうとするも、反射的に袖ごと腕を掴まれ、大事なそれを隠すことは敵わない。

内心では収まらず思いっきり舌打ちした私は、自分の迂闊さに怒りを感じつつ、異常なほどこのミサンガに関心を示すセンパイに更に警戒心を深めた。


「離してください。」

「駄目だ。」

「何故?」

「…聞きたいことがある。」


内容によっちゃあ腹蹴ってでも逃げるぞ。

そんな気迫を振りまきながらセンパイを睨みつければ、何を思ったのか、センパイは困ったように眉を下げて視線を彷徨わせ、少しわざとらしいくらいに大きな溜め息を吐いて腕以外の力を抜いた。

…私の腕はそのままですか。


「警戒しないでくれ。別に取り上げようと思っているわけじゃない。」


容易に信じられるか。

こういうとき日頃の行いがものをいうんだ。

じーっと睨みつけたままうんともすんとも言わない私に、構うことなくセンパイは続ける。


「これは、俺が預けたものだな?」


…。

は?


「何言ってんのセンパイ?」

「単刀直入に言う。これは俺のだ。」


ぐい、と腕を持ち上げられ、目の前に紫のミサンガが掲げられる。

センパイの言葉の意図が解らなかったが、それを聞いた瞬間自分の頭がすぅっと冷えるのがわかった。

何を言ってるのか、この男は。


「意味が全く解りません。」

「意味も何も、言葉の通りだ。」

「馬鹿を言わないでください。」


確かにこれは預かり物だが、これを私に預けたのは人形のように可愛い女の子である。

断じて、こんな性格の捻じ曲がった男から預かったわけではない。

大体いくら容姿が整っていようと、センパイが子供の頃なんて絶対に親も匙を投げるようなクソ生意気なガキだったに違いない。

あの天使のような子とは比べものになるわけがないのだ。

そう、あの時既に鬼の片鱗どころか鬼畜を絵に描いたような身内の――主に兄――修行に、家族に対して恐怖すら抱いていた自分には、本当に天使のように見えたのだから。

キラキラ光る大きな目から、宝石みたいな涙をぽろぽろ零して、最後には小さく微笑んでくれた。

もうぼんやりとしか覚えていないけれど、その柔らかくほんわりと包み込むような印象だけは残っている。


「違う。絶対違う。」


ぶんぶんと髪が乱れるほど首を振る私に、センパイの眉がぐっと寄った。


「違うわけが無い。本人が言っているんだ。」

「…図々しいにも程がある。」

「は?」


何のことだ?と首を傾げるのはいいけど、もうホント何を勘違いしたんだかこの人は。


「あの天使のような可愛らしい子と、どっかのガキ大将が整形して巨大な猫を被ったようなセンパイが、同じなわけないでしょう!!」


びしぃっと自由な方の手で指差せば、今度こそ苛立ちに顔を歪めるセンパイ。


「お前…っ」

「大体、センパイ男じゃないですか!!どっからどうみてもあの女の子には見えません!!」


きっぱりはっきり申し上げます。

全然別人、あんたじゃないの。

全くお呼びでないのです!!


どうだとばかりに胸を張れば、今度は石のように固まるセンパイ。

その顔は、いつものクールな造形が見事に崩れ、ぽかーんと開いた口はなかなか間抜けだ。

日頃きゃーきゃー煩い取り巻きどもに是非とも見せてやりたい。

なかなか見れるものではなかったので、ちょっと面白くなっていた私は、不躾ながらしっかりじっくりその顔を観察させてもらった。


少しの間、呆然と私の顔を見つめたまま間抜けな顔を晒していたセンパイは、突如がっくりと俯いたと思うとそのままの勢いでしゃがみこんだ。

因みに、掴まれた腕はそのままだったので、というか寧ろ思いっきり体重をかけてくれたので、私も地面に道連れだ。


「ちょっと!!もう、危ないなぁ…。」


どうにかバランスを取りながら、センパイの正面に向かい合うようにしゃがみこめば、俯いたセンパイからぶつぶつと何やら陰鬱な呟きが聞こえた。


「…え?何?何を言ってるんです?」

「……か……んじらんねぇ……ばかじゃねぇの…ありえねぇ。」


どうやら詰ってらっしゃる様子。

私は勿論聞こえないフリ。

だって面倒臭いから。


「はぁ、じゃあ、私この辺で…。」


ぐい、と腕を引き立ち上がろうとするも、やっぱり男の力なんだね、腕が取れない。


「…センパイ、腕。」


ぶつぶつぶつぶつ。

ぐいぐいぐいぐい。


「センパイ、腕!」


ぶつぶつぶつぶつ。

ぐいー。


「腕、離してください!」

「うるっせぇ!!!」


うわぁ!びっくりした、急に叫んで立ち上がるなよ!!

今度は私がぽかーんと見上げる番か!?


「ありえねぇ!!マジでお前ありえねぇ!!何なの、マジで!こっちがやさぐれながらもちょっと希望持ちつつ待ってたのに、てめぇコロっと忘れた上によりにもよって女だぁ!?」


ぎろっと私を睨みつけたセンパイが、突然ぶんっと音がしそうなほど力いっぱい私の腕を投げ捨て、感情が爆発するかの如く捲くし立てた。

え?何?どしたのセンパイ。


「お前あん時言ったよな!?」


端整な顔がぐっと近づき、熱を持った瞳がじっと私を睨んでいた。


「大きくなったら勇者になって俺のこと助けにくるって!だから俺はっ!!」


……?


…え?


えぇぇえぇぇええええ!?


ぐっと言葉を飲み込んで、悔しげに唇を噛み締めるセンパイを見上げて、私は生まれてこの方一番の混乱を経験していた。


何で!?何でそれ知ってんの!?

確かに幼少時代の私の将来の夢は、“勇者になって王子様を助けに行くこと”だが………ん?

ちょっと待て、王子様・・・


「…………」

「…………」

「……………………………………おとこぉぉおぉお!?」


がばっと色んなものをぶち破る勢いで立ち上がれば、風圧を食らったセンパイが若干大仰に仰け反る。

しかし、今の私にそんなことは関係ない。


「うそ、嘘だ…えっ?ぅええ!?おとこ?おとこのこっ!?てかセンパイ!?センパイがあの子っ!?」


近所迷惑、何ソレ美味しいの?

いやいやいやいや、ちょっとちょっと落ち着いて私!!

待って待って待って待って…えぇええぇぇええ!?

身振り手振り、きょろきょろきょどきょど。


挙動不審よろしく大混乱を全身で表す私を現実の世界に引き戻したのは、いつの間にかキャラの崩壊したセンパイの「うるせぇ!!(再)」という一喝だった。


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