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別世界も甚だしい

暗すぎず明るすぎず、上品に流れるクラシックに合わせたのだろう会場の照明はこんな状況じゃなければきっと夢のような雰囲気を味わわせてくれたのだろうけれど、残念ながらそんな気分ではない。


それよりも、場違いな雰囲気に呑まれる方が早かった私は、居心地の悪さにそわそわと…身体を動かしたかったが、こんな繊細なドレスを着ていてはそれもかなわず、寧ろ着ているものにすら気を遣わなければいけない状況に会場に入ったときには残りの気力ゲージが風前の灯だった。

頭の中の燃料残量警告灯が点滅してる。

そういえば、光の車は常に貧乏ランプがついてたなぁ。


「あ、いたいた啓輔の爺さん。」


……。

この男、本気で殴りたい。

さっきから現実逃避に走る私を絶妙なタイミングで引き戻す事の元凶は、私の殺気に気付くことなく、いや絶対気付いてて無視しているのだろう、ぐいぐいと私を引きずって会場の、明らかに上座へと引きずっていった。

ピコンピコンと燃料切れを示す警告音まで鳴り始めた私には抵抗する気力も無く、引きずられるまま面倒ごとへと近づいていく。

あ、もう、ホント勘弁して。


「お久しぶりです、柏木会長。」

「おぉ、栄太くんか。久しぶりじゃな。」

「はい、顔も見せずすみません。」

「はは、少し見ないうちにまた大きくなったのぅ。」


柏木会長。

つまりは柏木啓輔の祖父で現KASIWAGI CORPORATIONの会長だ。

KASIWAGI CORPORATIONは柏木財閥の抱える会社の一つで、現在柏木の傘下に入っている様々な会社の頂点とも言える会社…だった気がする。


だってそんなの私に関係ないと思っていたし、ちらっとニュースで見ただけの情報を明確に覚えている方が無理というものだ。

興味関心や必要性があれば話しは別だけれども。


あぁ、諒兄さんなら覚えてそうだな。

うちの魔王に不可能は無さそうだし。

それにしてもやけに親しげだな立花センパイ。

確かにセンパイも社長令息だが、柏木の会長といえば雲の上の人だろ?


「ところで栄太くん、そちらのお嬢さんは?もしや恋人か?」


おい爺さん、物騒なこと言いながらニヤけんじゃねぇ。

そんでもって同時に感じたセンパイからの不穏な空気を遮るべく、私はずいと前に出てにっこりと笑った。


「御剣蓮と申します。立花センパイとはただのお友達です。」


本当は友達ですらないんだがな!!

一応社交的な場なので、猫くらいは被るさ。

おい、そこ笑うな、誰のせいだと思ってるんだ。


「みつるぎ?…そうか、御剣のお嬢さんか。先日は孫がお世話になりました。」


驚いた、ここでその話題を振るのか。

御剣の名前を知っているだろうとは思ったが、立花センパイがいる前で言うとは思わなかった。

知性と計算高さを良い感じに混ぜたような目をしたこの老人が、うっかりなんてことは無いだろう。

ならば、立花センパイ自身が柏木の家、もしくは柏木センパイと深い繋がりがあるのだろうか。

友達ゼロかと思ったけれど、ちゃんといるんじゃないか友達。

適当に相槌を打ちながらもちらりと立花センパイを見れば、彼は何食わぬ顔で私たちの会話を聞いていた。


「そうじゃ、蓮さん。今日は是非うちに泊まりなされ。」

「…え?」


唐突だなおい!何を言い出すんだ、爺さん!


「本来なら啓輔もこの場にいるはずだったのだが、あやつはこういう場が好かんでの。今日は家に引き篭もっておるのだよ。」

「や、別に…今日は柏木会長のパーティーですし…。」


特に柏木センパイに会う予定は無いんだけど…、何がどうなってそういう話に?


「折角の縁じゃ。いや、御剣として来なくとも同じ学校に通う者同士仲良くしてやってくれ。」

「や、あの…」

「あぁ、蓮ちゃん調度良かったね。最近啓輔と話せてなかったんだろう?啓輔もちゃんとお礼を言えてなかったみたいだし。」


またこいつは!!


「おぉ、そうじゃったか!そりゃあいかん、折角世話になったのに礼も言わず…いや、孫が失礼した。」


今日は是非我が家へ!

顔をくしゃくしゃにして笑いかける老人の目には、真っ直ぐな親切心と少しの打算。

隣の悪魔の目を見れば明らかに悪巧み成功しました的な色を発見し、私の気力は今度こそ底をついた。





「お家には連絡しといたから。」


左手の皿を投げつけなかったのは奇跡だ。

ひとえに、皿の上のとろけるような牛テール煮込みのおかげだろう。

こんな美味しいものを無駄には出来ない。


「それは…ご親切に。因みに母は何と?」

「うん、了承だけで特に何も…。あぁ、誕生日と血液型聞かれた。」


…母よ。

もう何も言うまい。


「あはは、面白いお母さんだね。」

よく言われますが、あんたが言うとムカつくな。

「じゃ、そろそろパーティーお開きだし、俺帰るから。」

「は?」

「ん?」


二人で首を傾げる。

……。

……。

……待て!


「センパイは!?」

「え?だから帰るって。」

「行かないの!?」

「どこに?」


惚けやがって!!


「柏木センパイんち!!」

「行かないよ?」


いやいやいやいや、ちょっとちょっとちょっとちょっと!


「私一人で行けってか!?」

「だって誘われたの蓮ちゃんだし。」

「私一人でどうしろと!?場が持たないって!!」

「大丈夫、だいじょーぶ。」


適当だな、おい!!


「あ、ほら爺さん待ってるよ?」


怒りに震えながらも促されるまま振り向けば、遠目ににっこりと頷く会長さん。

あぁ!!もう!!!

それからしばらく自棄食いをしていた私は、会長の使いと思しき黒服姿の逞しいお兄さんに案内されて、明らかにVIP用の裏口と思われる場所で会長と合流し、そのまま黒光りするリムジンに乗せられた。





家に着くなり風呂を勧められ、ドレスと化粧をどうにかしたかった私は、渋々言葉に甘えることにした。

どこの温泉旅館だよと突っ込みたくなるくらい広いヒノキの風呂は気持ちよかったけど、どうにも落ち着けずにカラスの行水程度になってしまった。

まぁすっきりしたからいいけどさ。

脱衣所に置いてあった新品の浴衣を借りて、促されるまま広々とした畳の間に通される。

そこには先程私を連行した、食えない笑顔の柏木会長がいた。


「さぁさ、蓮さん。こっちに座って爺の相手をしておくれ。」

「……はぁ。」


何だ、その素敵笑顔は。思いっきりどっかの好々爺だな。

胡散臭いことこの上ないが、心境的にまな板の上の鯉状態の私は促されるまま柏木会長の隣に腰を下ろす。

何だか妙に手触りのいい座布団はとっても足に心地良いが、やはり何となく居心地が悪い。

見れば柏木会長も先程の堅苦しい衣装から、ゆったりとした和服を着流していた。


どうでもいいが、爺さん。

あんた孫と話をさせるために私を呼んだんだよな?

どう考えても寛ぎ体勢のご老人に、内心大きな溜め息が出る。

出された茶は物凄く美味いが、どうにも身構えてしまい緊張を解くことはできなかった。


「蓮さん。」


はい、何でしょう?


「改めて、孫が世話になりました。」

「…いえ、こう言っちゃなんですが、そういう契約でしたので。」


ポイントは過去形であること。


「しっかりしていらっしゃる。」


満足そうに笑った顔には、私なんかじゃ到底知りえない考えを隠しているのだろうが、言葉の柔らかさから、孫――柏木センパイへの想いが伝わってきた、けど。


「私が御剣としてお孫さんに関わるのはここまでです。」


柏木センパイ関係の色々は請け負ったその日に、兄経由で身の回りから危険が消え次第終了と聞いている。

暗にしっかりと宣言すれば、目の前の老人の瞳がすっと細められた。


「いやはや、ばれておりましたか。あわよくば、と思っておりましたが。」


しれっと言いましたね。やっぱりだらだら延長狙ってたか。

それでも気付かれることなんて予想の範囲内だろうに、ホントこの爺さんたら。

にっこりと完璧な笑みで返せば、食えない老人は苦笑を浮かべた。


「啓輔を、どう見ますか?」


唐突な質問。

どう、とな?

訝しむように見れば、今度はにっこりと同じ笑みを返された。

くっそう。やりにくいな。


「才能も能力も申し分ない。ですが、残念ながら心が弱い。」


普通こんなことを言われれば、怒りだすに違いないのだけれど。

この爺さんはそんなことはしないだろう。

寧ろ私の答えを聞くまでも無く、解っているはずだ。

案の定、笑みを深くした柏木会長は、満足そうにゆったりと息を吐いた。


「そんな評価を付けてくれるのは、今じゃ貴女くらいでしょうな。」


いやいや、どんだけ周り見る目無いんだよ。

ていうか。


「立花センパイも似たようなことを言いそうですけど。」

「あぁ、栄太くんか。栄太くんは優しいというか…甘いからなぁ。」


思っても言わんじゃろう、と苦笑を浮かべてゆるく首を振るう老人に、私は溜め息を吐いた。

まぁ確かに、並みの奴にはあの柏木啓輔に向かって心が弱いなんつー評価を出せるはずもないだろう。

まず彼を前にしてそこまで見ようとする奴がいないだろうし。

寧ろ他のことに目が行ってそうだしな。

金とか家とか資産とか。

あ、全部いっしょか。


「わしは孫が可愛い。その可愛い孫が才能も能力も兼ね備えた逸材であることに誇りをもっとる。」


柏木会長の手の中で、茶碗の中の茶柱がゆらりと揺れる。


「いずれは柏木を任せたい。しかし、幸せにもなってほしい。」


皺の刻まれた顔に浮かんだのは僅かな憂い。

それがとっても難しいことなのだと、この老人も解って言っているのだろう。


「親愛といえば、あやつの父にすら鼻で笑われるようなことを、わしはしてきた。しかし今漸く子と孫の幸せを願えるようになった。願えるようになって、己の所業を深く恥じた。」


この家に過去何があり、どんな心境の変化があったのかは私は知らない。

知らないけれど、目の前の老人の独白はおそらく本心からのものだ。

年老いた目には、深い後悔と慈愛の色が見えた。


「孫の心を傷つけた原因は、わし自身。詫びても請うてもどうにもならんことはよう解っとる。しかし、希望は捨てたくない。小さな光に縋りたい。」


眩しそうに細めた目で、柏木会長が私をじっと見据える。


「蓮さん。老い先短い爺の我侭じゃ。どうか孫の、啓輔の良き理解者になってやってくれ。」






私は何も言えなかった。


是とも、否とも。


御剣の考え方や私の生き方を思えば、答えは出ているはずなのに。

何とも言えない気持ちで廊下を歩けば、どことなく見覚えのある廊下に差し掛かる。

まぁ、ドラマにでも出てきそうな日本家屋だから似たような風景をどこかで見たのだろう。

するすると静かな衣擦れの音を立てながら、お女中さんが前を行く。


「こちらでございます。」

「あ、どうも。」


流れるような仕草で膝を突いた彼女は、すらりと障子を開けて私を促し礼を取った。

こういう慣れない扱いは何だかとってもむず痒い。

少し無愛想な返事になってしまったが、女中さんは気にした風もなくにっこりと笑ってこちらを見上げている。


「何かありましたら、遠慮なくお声をおかけください。」

「ありがとうございます。」


声を返せば、深く頭を下げた女中さんが静かに踵を返して去っていった。

しばらくその背を見送り、影が消えたところで案内された部屋の入り口で室内を軽く見回す。

ぼんやりと柔らかな明かりの灯るその部屋は、しかしどこか空虚なイメージを与え、私の背に訳のわからない悪寒が走った。

障子を開けたまま入り口で立ち尽くすも、そのまま腰を下ろす気にもなれず溜め息を吐いて室内から外へと視線を向ける。

客間用の小さな庭は、それでも綺麗に整えられており、夜の闇の中でも風情漂う空間が出来上がっていた。

しかしそこも部屋同様にどこか重苦しく、きっちりと作られたそれはまるで精巧に作られた檻のようで、私にとっては物凄く息苦しい。


そこまで考えたところで、とうとう我慢できず無意識に足を踏み出していた。


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