不満だらけの学校生活
本作品は多少のいじめの描写があります。
主人公が強気な性格なので暗い話にはなりませんがご了承の上お読みください。
――おっきくなったら、ゆうしゃになるの。
――ゆうしゃになって、王子様を助けに行くの。
幼い頃の将来の夢に、今ならしっかり突っ込める。
いやいや、そこはお姫様だろう自分、と。
因みに、無遠慮な兄たちにそれを言ったら、突っ込みどころはそこだけじゃないだろうと心底呆れられた。
「れーんっ!そろそろ起きなさい!遅刻するわよ!!」
ドガン、と荒々しい音とともにかけられた声は、慌しい母の声。
因みに、ドガンというのは母が私の部屋のドアを蹴り飛ばした音である。
我が母ながら、なかなか足癖が悪い。
隣の部屋からも同じ音が数度聞こえてきたので、等間隔の部屋ごとに蹴り飛ばしているのだろう。
この年になって寝汚い自分たちも自分たちだが、母にも問題があると思うのは私だけだろうか。
因みに、私の隣は今年二十歳になる二番目の兄の部屋だ。
大学生の兄は今日は午後からだと言っていたが、食事は揃ってが口癖の母はお構いなしだった。
そうこうしているうちに、そろそろ準備をしないとやばい時間だと気付く。
自分の体温で程よく温まった気持ちのいい布団から出るのは全身が拒否していたが、一応高校では優等生で通そうと企んでいるので、入学して数日で遅刻するわけにはいかなかった。
御剣蓮、15歳。
つい先日高校生になったばかりの(多分)普通の女の子である。
「おはようございます、御剣さん。」
「松本さん、おはよう。」
やけに白い教室の入り口をくぐり、これまたどこぞの有名なデザイナーがデザインしたというおかしな形をした机に鞄を下ろすと、隣の席から計ったようなタイミングで声がかかった。
静かで柔らかな挨拶に言葉を返しながら横を見れば、絵に描いたような癒し系の女の子。
にっこりと笑顔を浮かべてメガネを直す彼女の手には、昨日見たものとは違う本がある。
「あれ?今日は違う本?」
「えぇ、あれは昨日読んでしまいましたので。」
「え…もう読んだの?」
確か昨日見た本は、それは辞書かと見紛うばかりの大きさと、文字の小ささを兼ね備えた大変読みづらそうな代物だった気がする。
私だったらとても一日では読めまい。
「とっても面白くて、一気に読んでしまいました。」
少し恥ずかしそうに笑う彼女は、どっからどうみても深窓のご令嬢だ。
そう、この春私が入学した高校、学校法人紫乃学園は初等部から大学部までエスカレーター式の、所謂金持ち学校である。
入学するには、莫大な入学金もしくは優秀な成績が必要なのだが、私は高等部からの外部受験なのでその両方がある程度必要だった。
うちは大層な資産家というわけでもないが、貧乏というわけでもない。
そう廃れてもいない古武道道場を開いているため、両親はそこそこ稼いでいる方…だと思う。
金持ち学校とはいえ、まったくの射程圏外というわけではないのだが、中学まで近場の市立学校に通っていた私が、わざわざ必要以上の勉強をして必要以上の金を両親に出してもらってまでこの学校に入りたいと希望したわけではなかった。
私は普通の公立高校で充分だったし、寧ろこんな金持ち学校なんて言ってしまえば性に合わないと思ったので、はっきり言って全く入りたくなかったのだ。
そんな私を“脅して”強制的に入学させたのは、両親と兄二人である。
いや、主犯は一番上の兄だ。絶対奴に違いない。
両親だけであれば思いつく限りの抵抗で回避したが、残念ながら私は一番上の兄にはどうしても敵わない。
男三兄弟に女の子が一人という、どう考えても可愛がられそうな立ち居地なのに、生まれてこの方私は弟と共に兄二人の玩具だった。
妹と弟で遊ぶのが大好きな兄二人は、事ある毎に躾や修練という名の悪戯を仕掛けてくる。
おかげで色々と鍛えられたが、流石に今回のこれはやりすぎだろう。
本気で拒否したかったし、実際最後まで抵抗した。
抵抗したんだ。
抵抗したのに!
…結局兄には敵わないということか。
そんなこんなで、私は晴れて四月から、この金持ち学校に渋々入学したのである。
入学当初、殆どが初等部からのエスカレーターで上がってきたお嬢様やお坊ちゃまたちの性質は、予想通り私には受け入れがたいものだった。
その中で、数少ない受け入れられる人種で気兼ねなく話せる友人が、私の席の右隣に座っている松本詩織さんだったのである。
長い黒髪をゆったりと一つにまとめ、上品なノンフレームメガネをかけた彼女は、イメージどおりのお嬢様である。確か、どこかの社長令嬢だという話だが、本人曰くそう大きくない会社なので、この学校のお嬢様方からみれば彼らの言う一般市民と変わらないらしい。
私から見れば社長令嬢というだけで何だか違う世界の人のように感じるのだが、彼女本人は物静かで偏見も驕りもなく、付き合いやすい人種だった。
とっても気に入らないことに、生徒の殆どがそういった家柄で付き合う人間を判断する輩なので、彼女のような存在は貴重だ。
心のオアシスという言葉を実感する日が来るとは思わなかったよ。
この学校に入るにあたって、たった一つだけ心に誓ったことがある。
とにかく、目立たないこと。
言い合いになれば、短気な自分は後先忘れてぶち切れること間違いなしだし、自分がぶち切れる相手は高確率で後々面倒な人間だ。
この学校の生徒の場合、確実に卑怯な手(親の権力とか親の金とか寧ろ親)を使ってくるに違いない。そんなことに巻き込まれるなんて面倒以外の何ものでもないのだ。
更に言えば、そんなことが両親や特に一番上の兄にでも知れたら…。
ちょっと中学時代に好き放題し過ぎただけで、こんな明らかな嫌がらせとしか思えない学校に洒落で入れる彼らに、今度は何をされるかわかったものではなかった。
そう、結局自分が恐いのは、富と権力を兼ね備えた(親を持つ)子供ではなく、一番身近で守ってくれるはずの己の身内なのだ。
蓮は小さく溜め息を吐くと、嫌味のように手触りのいい椅子に腰を下ろした。
4時限目が終わり昼休憩の時間に入ると、途端に教室内は喧騒に包まれる。
ここの生徒の殆どが、一般市民から見ればバカ高い食堂を利用するのだが、私も詩織もお弁当を持参していたので、わざわざあんな人の多い食堂でお昼を取る必要は無かった。
というわけで、入学当初どこかちょうどいい場所は無いかと二人で探した結果、ベタではあるがだだっ広い校舎のおかげでかなりの広さを誇る屋上、ちょうどぽかぽかと柔らかな陽射しのさす片隅に居場所を見つけたのだ。
因みにこの場所は入り口からちょっと離れた場所のため、そうそう人が来ない上に貯水槽という目隠しまである。
「あ゛ぁぁあ…つっかれたぁ。」
制服が乱れるのも構わず白っぽいコンクリにどかりと腰を下ろす。
兄弟たちが聞けば親父くさいと詰られそうな声を出しながら、弁当を置いて思いっきり空へ腕を伸ばした。
途端、ばきばきと鳴る肩に詩織が笑みを浮かべて私の隣へ腰を下ろす。
こちらは対照的に綺麗なスカーフを敷いて制服が乱れないように横座りだ。
さすがお嬢様、その自然な仕草に心の中で脱帽する。
「ふふ、いっそのこと猫被りなんて止めてしまえばいいのに。」
「何言ってんの、それこそもっと疲れることになるよ。」
「私はそのままの蓮も好きだわ。」
そう、目の前で柔らかな笑みを浮かべる彼女、松本詩織はこの学校で唯一私の本性を知ってる人間だ。
最初に決めたとおり目立つことを避けるため、私は普段から本来の自分とは真逆の性格を演じていた。
端的に言えば、陰気で気弱。
外見もプライベートでは絶対にかけないような分厚いメガネをかけているし、普段横に分けている前髪もメガネにかかるほど下ろしている。
これで俯き加減で過ごせば完璧だ。
大抵の奴はだまされる。
まさか私がこんな口調で、格好を気にせず地べたに座り、何よりも身体を動かすことが好きだとは思うまい。
まぁ、何故か詩織にはばれたのだけれども。
「ありがとう。…にしても、まさか見破られるとは思わなかったなぁ。」
しかも、入学してから日も経たずに。
「あら、だって蓮ったら、事ある毎にとっても嫌そうに溜め息吐いてるんですもの。」
「げ。そんなにあからさまだった?」
「うーん、そうね、あからさまというわけでは無いのだけれども…一度見つけてしまってからは、ついつい見ちゃうのよね。」
「…しまったなぁ。」
「上手く教科書の陰やらメガネやらで隠れているのでしょうけれど、隣からようく見ればわかるわぁ。」
ころころと鈴を転がすように笑う詩織に、私は苦い顔をするばかりである。
そんなに判り易いことは無いはずなのだけれども。
「気を抜いてたのもあるけど、詩織の観察力も凄いんだって。」
「ふふ、褒められちゃったわ。」
「あーあ、まだまだ未熟者だね。」
「だから面白いんじゃない。」
完璧なものなんてつまらないだけ。
笑いながら弁当を広げる詩織に、それもそうだと頷いて応えつつ、重いメガネを外して弁当に手を伸ばした。
「御剣さん、これお願いできるかしら?」
ずい、と押し付けられたのは中身が八分目まで詰まったゴミ箱。
お願いと言っているものの、態度と行動が既に強制だ。
「はぁ。」
「なぁに、その返事。水島さんがお願いしてるのよ、はっきり返事なさいな!」
「すみません。」
唐突に声をかけられたものだから、気のない返事になってしまっていたらしい。
私の態度に金切り声を上げたのは、お願いしてきた女生徒ではなくその横に取り巻きのように付き従う女の子の中の一人だった。
どうでもいいけど、その声はどこから出ているんだ。
「ほら、さっさと捨ててきなさい!水島さんの邪魔になるでしょう?」
いやいや、こんな通り道にそれを持ってきたのは水島さんだろうに。
と、まぁそんなことを言ってしまえば、彼女たちの機嫌を損ねること必至なので、ここは一つ自分で設定したキャラクターを忠実に再現することにした。
まずは声に怯えたように、肩を小さくびくつかせる。
「ご、ごめんなさい…。」
ここで注意すべきはワザとらしくない程度に身を縮ませて声を若干震わせることだ。
あ、背後で詩織が笑っている気がする。
くっそー、そんなに私の演技は大根か。
私はそのまま顔を俯け、目の前の彼女たちから目を逸らしたまま慌ててゴミ箱を掴むと、深々と会釈をしてゴミ回収場へと早足で向かった。
無事に回収場へゴミを投げ込み、真っ直ぐ帰るのも面倒だったので少し遠回りをすることにした。
どうせすぐに教室に戻ったところで、お嬢様方に雑巾を押し付けられるのは目に見えている。
幸い、馬鹿広い敷地を持つこの学校は、さんぽをするには最適だ。
どこもかしこも綺麗にデザインされていて、見て回る分にはとても楽しめる。
気の向くままに足を進めていた私は、ふとある看板に目を向けた。
それは校舎の南側、背の高い垣根にぽっかりと開いたアーチ型の入り口を塞ぐようにかけられていて、中央にはでかでかと整備中の文字。
しばしそれを見つめた後周囲をぐるりと見回し、人がいないことを確認してにんまりと口を歪ませた私は、ゴミ箱を垣根の影に隠して躊躇することなく入り口をくぐった。
「こりゃ、すげぇ。」
思わず素の呟きが出た。
何が凄いって、視界いっぱい咲き乱れる花、花、花。
垣根をくぐった先は、花壇というより花園だった。
何が整備中なのか、花のつく位置まで計算されているのではなかろうかと思ってしまうくらいに整えられた花園は、背丈の高いものから低いものまで様々な花が揃っている。
お花畑に憧れるような性格ではないが、思わず息を呑んでしまった。
興味が促すままに足を進めると、薔薇の壁が迷宮のように続いていた。
入り口の垣根ほどの高さは無いが、それでも私の身長は超えているので、やはりここでも視界は薔薇だらけである。
先が見えないからか、何だかわくわくしてきた。
薔薇の迷宮に入ってからどのくらい歩いただろう。
周りの薔薇に目を奪われながら歩いていたので、そう距離はないと思うが、周囲の薔薇が白一色へと変わってすぐに、正面の視界が開けた。
「……おー。」
そこに広がっていたのは、一面の紫。
高い木々に囲まれた広場に広がっていたのは、小さな小さなスミレの絨毯だった。
ふ、と穏やかな風が通れば、足元いっぱいに広がった紫がさわさわと小さな波を作り出す。
その光景に見とれながら、紫色の真ん中に一本だけ通った真っ白な石の通路に踏み出した。
「何か、日本じゃないみたい。」
寧ろ、今目の前に広がっている光景は、どこか現実離れしていて。
まるで夢のような空間にゆっくりと足を進めながら、白い道筋を目線でたどると、行き着く先に屋根つきの小さなガーデンテーブルが目に入った。
これも周囲に合わせてなのか、真っ白な素材でできているようだ。
ファンタジックともいえる光景に、思わず見とれていたが、ガーデンテーブルの陰に動く影を見つけて、私は瞬時に歩みを止めた。
「……で…ぁ…!」
「……。」
話し声。
どうやら先客がいるようである。
それも複数…確認できる限りは二人か。
何を話しているのかまでは解らなかったが、何だかよろしくない雰囲気だということはわかった。
どうやら、探索はここまでのようである。
私はさっさと踵を返すと、そのまま足音を消して花園を後にした。
このとき、興味のままにあの場所に足を踏み入れたことを、後に私は心底後悔することになる。