女の恨みは怖いんだ
「柏木啓輔が誘拐された。」
その一報が私の下へ入ってきたのは、金曜日の夜いつものバイト中だった。
おあつらえ向きに明日から連休、私の予定はがら空きである。
知らせを入れてきた長兄の目が、お前行けよと言っていた。
「ガードは何やってたの?」
一昨日見かけたあの人は、無能ではなかったはずなんだけれど。
寧ろ結構腕の立つ人で、私としては正面からぶつかりたくない人間だ。
なのに。
「今日だけ人が変わったんだ。啓輔君がうちのBARに出かけると言って繁華街に入ったところで見失ったそうだ。」
「うげぇ、先週もそこで追われてたんじゃん、馬鹿じゃないの。」
そうか、あの人じゃなかったのか。
きっと代打がアホだったんだな。
「お前も噛んでる一件だ。見苦しい真似はするなよ?」
思いっきり人の尻拭いじゃん!!
誘拐っつーことはまだ殺される心配はないんだろうな。
不満タラタラの私はそれでも立ち上がり、上のベストを脱ぎ捨て黒いスカートを持参のショートパンツに履き替える。
シャツはそのままだが店名の入ったベストさえなければ問題ないだろう。
携帯電話を掴んだ私は、ことの始まりのときヤツからもぎ取った携帯番号を入力し、GPSで現在の居場所を検索した。
まぁ、これで引っかかれば安いもんなんだけど。
一応センパイのは改造モンだから普通のより使えると思うんだけどな。
「お、ラッキー。」
ばっちりしっかり位置情報を伝えてきたそれにニッと笑みを浮かべる。
ていうか、犯人もアホだな、携帯くらい奪っとけよ。
「そうそう、彼の実家は身代金要求で身動きとれないみたいだから別行動でよろしくね。」
また面倒くさい感じだな。
きっと警察に言うなとかそんな状態になってんだろ。
「了解しました、イッテキマス。」
溜め息をぐっと飲み込んで、満面の笑みを浮かべて振り返れば、それ以上の微笑を返された。
あー、ホント面倒くさい。
ドラマじゃこういう場合、海辺の廃倉庫か山ん中の廃工場ってのが相場だけれども、現実でもそういうところを選ぶんだな。
お陰で力いっぱい暴れられそうだ。
GPSを頼りに向かったものの、建物や部屋の特定までできるかなーと心配してたのだが、その必要は無かったようで。
だってこの辺の山に建物なんてここしかない。
現在地は、町から少し離れた辺りにある高すぎず、また低すぎない、いい感じに木々の茂った山の中腹にある廃工場。
何の工場だったかは知らないが、おそらく何かのラインがあったのだろうトタンの剥げた壁や天井は既に意味を成して折らず、大きな機械も残骸となって放置されている大型の建物には人気が無い。
唯一人の気配があるのは、工場の脇にある小さな管理施設のような掘っ立て小屋だ。
もう辺りは真っ暗なので、窓からもれる明かりがやけに目だって見えた。
小屋の前には黒塗りのバン。
入り口付近には、見るからにあっちの人っぽい服を着た男二人がしゃがみこんでタバコをふかしていた。
光沢のある品の無いパンツの腰に、無造作に拳銃が突っ込まれている。
バンが一台しか止まっていないところを見れば、おそらく片手よりちょっと多いか少ないかの人数だろう。
ここまでバイクを飛ばしてきたが、あのバン以外に乗り物の痕跡は無かった。
闇に乗じて裏からこっそりと窓を覗き込めば、案の定小屋の中には男が三人“彼”を見張っている。
窓の無い壁際に柏木センパイ、両脇を固めるように二人とセンパイの正面に座っているのが一人。
見たところセンパイに大きな怪我も無さそうだが、少し口元が切れていたので何発かもらったのだろう。
もしかしたら、ボディにもくらってるかもしれない。
うん、とりあえず全部潰そう。
特に何を考えていたわけでもないが、考えるのが面倒くさくなった私は息を殺して小屋の正面へと向かった。
「…っ…」
中肉中背の男が声も上げることなく崩れ落ちる。
二人ともしゃがんでいるところを狙ったので、意識を失って倒れてもそれほど大きな音が聞こえなかった。
どうだすごいだろう。
御剣家秘伝の睡眠薬(on針)。
一瞬で意識を飛ばす上、飛ばした前後の記憶が曖昧になるという優れものだ。
おっと、誰かドアを開けようとしているな、気付いたか?
丸い旧式のドアノブがゆっくりと回るのを確認して、私は素早く死角に入った。
開かれるドアのすぐ横でしゃがんだまま息を殺して気配を殺す。
すると中にいた一人が様子を見に出てきたのだろう、そっと開かれたドアの間から首だけ出してぐるりと周囲を見回した。
すぐに倒れている二人を発見した男が何かを叫ぼうとした瞬間、素早く例の針でちくりと刺せば途端に男の顔が緩みそのまま落ちる。
ぐらりと前のめりに倒れこむ男を横合いから思いっきり蹴りつければ、大きな音を立ててドアを押し開けるように男が倒れこんだ。
「何だ!?」
「どうしたっ!?」
まぁそう喚くなって。
「はいはい、ちょっとごめんなさいよ。」
あーあ、そんないきり立っちゃって暑苦しいったら無いね。
にっこり笑顔を浮かべたままひらひらと手を振りながら土足でズカズカと上がり込めば、中で臨戦態勢で待ち構えていた男二人が呆気に取られたようにこちらを見ていた。
「…女?」
「はーい、か弱い女の子です。そちらでぐったりしている高校生を迎えに上がりましたぁ。」
なのでさっさと渡して帰してね。
わざとふざけた口調で言い放てば、見るからにあっちの人な男二人が嫌な笑いを浮かべて身体から力を抜いた。
あ、完全舐めてるね。
いいけど別に、好都合だし。
後ろでのそりと首だけ上げた先輩が、私の姿を確認して僅かに目を見開いた。
彼の前に立ちふさがる男たちは、それに気づくことなくひらりと手を上げた。
「ねぇちゃん、誰に頼まれたか知らねぇが、素人がこんなのに首突っ込んでちゃあいくつ命があっても足んねぇぜ?」
お?何だ優しいな、忠告してくれるのか?
「そうそう、まぁ俺たちは優しいからな、命までは取らねぇさ。」
にやにやと、誰がどう見ても好意的とは言いがたい表情で、濁った二対の目が私を舐めるように見ている。
なるほど、そういうことね。
まぁ、そんなこったろうと思ったけどさ。
うん、ちょっとイラっとしたから手加減しないよ。
「にしても、えらく綺麗なねぇちゃんだな。」
「そこらの商売女相手にするよりいいんじゃねぇか?この前ヤった女なんか最悪だったもんなぁ!」
ゲラゲラと、下品な笑い声が耳に障る。
決めた。針なんて生やさしいもん使わない。
ちょっと、いやかなりムカついたからガッツリ痛い目見てもらおう。
商売女舐めんなよ、あの人たちはお前らなんかより数倍頭使って日々努力してんだ。
すっぱりさっぱり顔から笑みを消し去った私は、明らかに不愉快ですという表情のままずんずんと二人の前に足を進めた。
向かって右側に突っ立っていた細身のおっさんが、お?という顔でこちらを見ている。左側の横にも縦にもでかいマッチョは、やはり女だからと油断しているのかニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。
因みに私の機嫌を著しく損ねたのはマッチョの方だ。
顔も声も言葉も最悪。
最初の標的はこいつで決まりだ。
「何だぁ?俺に相手してほしいってか?」
満更でもない表情で鼻の下を伸ばした男の前で、ぐっと足を踏み込み渾身の力をこめた右ストレートを繰り出す。
身体を沈めたことで、右側でのんびりと構えていた男が、今度こそはっきりと息を呑む音を聞いた。
もう遅ぇ。
「ぐっ…がぁ!!」
ずどん、と音を立てて男の巨体にめりこんだ私の拳はばっちりしっかり鳩尾ど真ん中だ。
腹を押さえて折りたたむように身体を前傾させた男に、素早く拳を抜き取りちょうどよく降りてきた頭部に向けて留めの膝をお見舞いする。
これまた綺麗に決まった私の膝は、男の鼻をへし折って、見事に意識もすっ飛ばしたようだ。
ずん、と重い音と埃を立てて男の巨体が床に沈む。
だらしなく開いた口からはあまり説明したくないものが派手に飛び散り、白目を剥いた眼はぽっかりと空に向けられていた。
服に付着した埃を払えば、ぱちぱちと場にそぐわない拍手が聞こえる。
「…綺麗なだけじゃなかったみたいだなー、ねえちゃん。」
余裕だな。
「そう睨むなって、俺たちだって仕事なんだよ。」
「悪いけど、私もこれが仕事なんでね。」
ニッと笑えば、細身の男はへらりと笑って返した。
多分、いや確実にこっちの方が強い。
私の動きすら目で終えなかったデカ物と違い、この男は私の動きを目で追えていた。
大男を倒したことで、人質――柏木センパイとの位置は私の方が近い。
それでも余裕を崩さず面白そうにこちらを見ている男を見て、笑みを崩さぬままピンと気を張り詰めさせる。
油断と過信は禁物だ。
じり、と僅かに足をずらせば、男も静かに構えを取った。
あ、何かやってんなこいつ。
この構えは空手か?
「…っ…げほっ」
「…っ!!」
背後でセンパイが咳をした一瞬、私の注意がそれたのを見計らって、男が一気に踏み込んできた。
そのまま正面に拳が飛んでくる。
焦ることなく紙一重でそれを避けると、今度は男が足を払ってきた。
誰が大人しくこけるかっての!
さっとかわして今度は私が裏拳をお見舞いする。
「っぶねぇ!恐ぇねぇちゃんだな。」
ちっ、避けやがった。
そのまま後ろに飛びのいた男が、僅かに掠った頬を撫でながらふぅと息をつく。
「そっちこそ。女の顔にグーパンってどういうこと?」
「俺、男女差別反対派だから。」
そりゃまぁスバラシイ心がけだな、畜生!
今度はこっちから仕掛けてやる。
「ぅおわっ!!」
一気に間合いをつめてやれば、間抜けな仕草で驚く男。
とはいえ、おそらくフリだけだろう、隙は無い。
こういうのが一番性質が悪いんだ。
数度拳を繰り出しはじかれ受け流しを繰り返すが、ヤツは若干焦りは見せるものの余裕で対応している。
そろそろ本気でかかるかなと、少し身を低くした瞬間、目を細めた男の懐がきらりと光った。
こいつ!!
「おー、マジで反応いいね君。」
「さいってー。」
繰り出そうとした拳を留め後ろに飛びのいた私は、ちりりと痛む頬に手を添える。
目の前でひらひらと腕を振る男の手には懐から取り出したのだろう、シンプルな細工のバタフライナイフが鈍い光を放っていた。
悪役街道まっしぐらだな。
頬に添えた手をちらりと見れば、僅かに滲んだ赤い色。
ちょっと切っちゃったか。
「しかも全然怯まないし。刃物だよ?」
「見ればわかるわ、ひきょーもん!」
「うーん、何か面倒だなぁ。」
そう言って眉を顰めた男が、折角取り出したナイフを再び懐にしまった。
お、何だ正々堂々やる気か?
意外と男気が…てぇ!!
「ホントに最低なヤツだな!」
ナイフと入れ替わりにカチャキと音を立てて出てきたのは、どこからどう見ても拳銃で。
私は迷うことなく男とセンパイの直線上に移動した。
それを見た男がヒュウと掠れた口笛を吹く。
「アンタはホントにカッコいいなぁ。」
心底感心したように笑われても怒りしかわいてこないぞ!
息を呑むセンパイの気配を背後に感じながらも、私は威嚇するように男をじっと睨みつけた。
男の方も口元に笑みを浮かべてはいるが、こちらを見据える目は笑っていない。
全くもって嫌な男だ。
呼吸音すら消えかけたその時。
~~~♪♪
間抜けな電子音が響き渡った。
「…はい、何すかー?…あぁ…はぁ…さようで。」
りょーかいでーす。
そんな間延びした声にイラっとしたが、それよりも。
「打ち切りか?」
「あれ、耳もいいんだ?」
ぱこっと音をたてて携帯を閉じた男が、銃を構えたままにっこりと笑う。
既にその顔からはやる気が一切消えていた。
「まぁ、そんな気はしてたんだよね。」
どうやら、男は自分の仕事が中途半端に終わることを予想していたらしい。
「だったらさっさと銃を下ろせ。」
「や、何かほら下ろした途端殴られたらヤだなーって。」
確かにイラっとしているのは事実だけど。
「そんな面倒なことしない。今の話じゃ、もうこの人連れてっちゃっていいんでしょ?」
電話越しに聞こえたのは、枯れたおっさんの声で全て中止の支持だった。
どうやら依頼主の父親からの要請のようで、焦りすぎて怒鳴り声になりかけながらもキャンセルのうまを伝えていた。
自分の娘の尻拭いごときで、柏木の家にもあっち系の人にも貸しが出来たのはかなり哀れに思うが、何分しつけをちゃんとしなかった親にも非がある。
特に“柏木”は誰が動いて一人息子をこんな目に遭わせたかなんて調べあげてあるのだろうから、水島家に明るい明日は無い気がした。
原因の一端は私の背後でぐったりしている性格破綻者にあるように思えるので、僅かな同情はあるのだけれども。
金持ちっつーのは碌なのがいねーな。
詩織に出会ってなかったらホント、偏見の塊になってたよ。
そうこうしているうちに、こちらももう暴れる気がないことを認めたらしい。
男がゆっくりと銃を引いて懐へ仕舞った。
それを確認した私は、さっさと踵を返してセンパイのもとへと向かう。
両手足を縛られたセンパイは、何が気に入らないのかこちらを睨むように見ていた。
「オマタセシマシタ。」
その視線がとっても面倒くさくて、気付かないフリをすると更に眉間に皺が寄る。
何、何が不満なのさ?
てきぱきとセンパイの拘束を解くと、少々手首に怪我をしたらしい、柏木センパイは確かめるように自らの手首をさすっていた。
「大丈夫ですか?」
一応確認しないとな。
立ち上がりかけながらも、とりあえずとばかりにセンパイの手首を覗き込めば、反射的に避けられる。
その態度にムッとして睨むようにセンパイを見れば、今度は心底驚いたというように目を見開いていた。
今度は何だよ?
固まったままのセンパイの視線をたどれば、私の手首のミサンガがあった。
これはもう何年も私が身につけているもので、手首より少し上につけているので普段は服で見えない。
というか意図的に隠すようにしている。
暴れたことでシャツの袖とミサンガ自身がずれてしまったのだろう。
誰にも見せずに守ってきたものを見られて、危うく盛大に舌打ちしそうになった。
とりあえず、このまま晒している気は全くないので、さっさと仕舞おうと腕を引っ込め袖を直そうとした、が。
「お前、これをどうした!?」
ガシッと、そりゃもう痛いくらいに掴まれた。
「どうしたもこうしたも、センパイには関係ないでしょう?」
「いいから答えろ!これは誰からもらった!?」
びくっと肩が揺れた。
“もらった”?
「だからセンパイには関係ないでしょう?これは私の大事なものです。」
さっさと手を離してくれ。
そう思いながらも、センパイの異常な反応に何だか心がざわめく。
これは大事な預かり物。
記憶は曖昧だけど、あの子が“守って”と言っていたことは覚えている。
別にこれといって高価なものではなく、市販のビーズで作られたそれは値段的な価値は決してない。
しかし、私にとってそれは二つと無い大事なもの、しかも“守って”ということは誰かが奪いに来る可能性があるのだ。
不意に生まれた焦りを隠しながらも、私は少々強引に腕を取り戻した。
さっさとシャツの中に仕舞う私の腕をセンパイがじっと見ている。
いつも感情を捨て去り傍観するだけで何の光も浮かべていなかった彼の瞳に、見たことのない熱が生まれていた。
よく見ないと判らない程度の、ほんの僅かな変化だったけれども。
その意外な反応に私まで呆然と黙り込んでしまったが、いつまでもこうしてはいられない。
ちらりと背後に意識を向ければ、先程の男は既に立ち去っていた。
「…とにかく、帰りましょう。」
深く吐いた溜め息は、自分を落ち着けるためか誤魔化すためか。
私の言葉に無反応だったセンパイが、のろのろと立ち上がったのはそれからしばらくしてからだった。




