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お酒は二十歳になってから

紫乃学園は特にアルバイトに関しての校則が無い。


それというのも、通っている殆どの生徒が金持ちなのでアルバイトの必要が無いということと、家業や会社を継ぐために時間に限らず社会勉強のため就業する生徒もいるからだ。

何よりも家名を重んじる家が多いため、特に規則が無くても問題が起こらない、寧ろ家族の目が光っていることも理由の一つだろう。


と、いうわけで。

私はお嬢様でも何でもないのだが、こういう校風を最大限に利用して、週末は兄二人のバイト先にちょいちょい顔を出して小遣い稼ぎをしていた。




御剣家の捻くれた兄妹三人を快く受け入れてくれたのは、繁華街の路地にあるBAR JJダブルジョーカーのマスター重原惣一さんだ。

一部の客におじ様などと呼ばれている惣一さんは、うちの長兄が頭の上がらない数少ない人間だった。


私がこの店に初めて来たのは中学二年生のときで、こっそり次兄に連れてきてもらったのだが、その時マスターに会って以来、私も彼の熱烈なファンの一人である。

まぁ、それが長兄の諒に見事にばれて、光(次兄)と二人こっぴどく怒られたとき、マスターがかばってくれたというのが一番大きな理由なのだが。

あの無敵の腹黒大魔王を言葉と笑顔で黙らせてしまったマスターが仏様のように見えたのは私だけじゃないだろう。

次兄も私に負けず劣らずマスターに憧れていた。

夢はマスターのような中年になることらしい。

残念ながら、確実に無理だろう。


店の雰囲気もとっても素敵なので、高校を卒業して成人したら一度詩織を連れて来たいなと思っている。




「蓮、それ洗っといて。」

「了解。」


黒いベストを来た諒がカウンターとキッチンを繋ぐ出入り口から顔を出している。

もう長いことここでバーテンダーとして働いている諒は、既にマスターと並んでカクテルを作り接客をするくらいの腕前だ。

私はまだまだ未熟者だしバイトの日数も少ないので、できることといえば皿洗いや軽い接客、おつまみの準備と配膳くらいである。

JJダブルジョーカーはショットバーなので、ガッツリ系の食事は出してない。

出るものといえば、お酒と乾き物とサラダくらいなので私でも用意できるのだ。


まぁ、諒は盛り付け方にもかなりのこだわりを持っているようなので、最初覚えるまではとっても苦労したのだけれども。


何せ私は母に似て大雑把なのである。

きっと私がシェーカーを振る日はかなり遠いんだろうな。

ていうか来るんだろうか。


そんなことをつらつらと考えながら、かちゃかちゃと食器を洗っていると、壁越しにマスターの柔らかな声が聞こえてきた。

どうやら常連の客が来たらしい。

あー、いつ聞いてもいい声だ。

もちろん兄と客の声は頭の中で除外している。

マスターの声からはアルファ波が出ているに違いない。


「うぇ…きもちわるっ…何ニヤニヤ笑ってんだよ蓮。」


無視だ無視。


「こら、兄ちゃんを無視するんじゃねぇ!」


…。


「蓮、れーん!れんれんれんれんれ…んぐぅ!!」

「煩い、みつる。今日は休みじゃなかったんですかー?」


泡のついた掌で容赦なく頬をすりつぶす。

仰け反りながらも私の力に負けじと踏ん張っている次兄は馬鹿なのかもしれない。

避けろよそこは、ヒトとして。


「んがっ…がっ…それがさぁ…聞いてくれよー…」


ちょっと哀れになってきたので手を引けば、怒るどころか落ち込み始めた。

いけない、地雷だったか?

ていうか、どうせまた女の子にふられたとかそこらへんの悩みだろうけど。

それよりもまず頬の泡を拭け。


「ゆりちゃんがさぁ…全然メール返してくれないんだよぉ…俺すっげー送ってんのに。」


やっぱりか。

私はあからさまに大きな溜め息を吐くと、光に背を向けて食器を洗い始めた。


「俺心配でさぁ、ゆりちゃんの学部にも行ったんだけどいなくてさぁ…サークルの方に行ってもなかなか会えないんだよねぇ…。」


続けるのか。


ていうか、ホント我が兄ながらちょっと通報したくなるくらいのウザさだな。

誰だか知らないけど、同情するよゆりちゃん。

見た目イケメンだからきっと第一印象でだまされたんだろうな。

残念ながら、見目麗しい御剣家の二番目の兄は一皮剥けばただの変態、ドMのウザ男だ。


「やっぱり家まで見に行くべきかなぁ…。」

「馬鹿兄、それじゃあ完璧ストーカーだっつの!」

「いってぇ!!」


皿で手が塞がっていたので、とりあえず利き足で奴の向こう脛を蹴っといた。

変態め、通報されなかっただけありがたく思え。

はん、と見下すように蹲った光を見ていると、カウンターの入り口から恐怖の声が聞こえた。


「二人とも、何をしてるの?」


何の変哲も無い言葉に、しかし私も光もびっくーんと肩を揺らす。

そこには、にっこりと天使のような笑みを浮かべた長兄の姿があった。

だが、騙されてはいけない。

微笑む天使様のこめかみは、ひくひくと今にも爆発しそうなほど痙攣している。

私は慌てて皿を掲げ、無実を証明すべく光を足で示した。


「私はちゃんと洗ってた。光が邪魔してきたんだ。」

「あっ!ずりぃぞ蓮っ!!」

「ずるくない。兄さん、光ってばまたストーカーしようとしてるよ!」


その一言で大体のことを察したのか、怒れる天使様の氷のような視線が光に向けられた。


「蓮、俺はちょっと光とお話があるから、カウンターでマスターの手伝いしててくれる?」

「りょーかい!」


ちょうど皿洗いも落ち着いたし、喜んでとばかりにさっさとキッチンを出る。

一瞬、ちらりと背後を振り返れば、こっそり逃げようとしていた次兄の首根っこ(服ではなくモロに首)を長兄が容赦なく掴んでいるところが見えた。





カウンターに入ると、そこには小さく笑みを浮かべたマスターがこちらを見て手招きしていた。

私は、これがホントの天使、いや神様の微笑みだなどと思いながらマスターに近づく。

ちらりと店内を見渡せば、今日は私も話した事のある常連のサラリーマンと、顔は見えないがセンスのいい服を着こなした青年がグラスを傾けていた。

サラリーマンはマスターの正面、店に入ってすぐのカウンターのいつもの席に、青年はカウンターの端っこに陣取っている。

サラリーマンの方はマスターと一緒に私の方を見て笑っていたが、青年は一人で飲みたいのか、こちらを見ることも無かった。

こういう客はそっとしておくのに限る。私みたいな小娘が声をかけたところで邪魔にしかならないし。


「こんばんは、お久しぶりです望月さん。」

「あぁ、こんばんはレンちゃん。」

「すみません、もしかして聞こえちゃってました?」

「ふふ、若い子はいいねぇ。」

「またまた、望月さんまだ全然若いじゃないですか。」

「ははは、ありがとう。」


この人は紳士的でとっても話しやすい。

きっと会社でもみんなに慕われているんだろうなと思いながら会話を続けていると、マスターが私の前にするりとグラスを差し出してきた。


「マスター?」

「蓮さんは最近お疲れのようですからね、今日だけご褒美です。」


にっこりと微笑みながら差し出されたのは、可愛らしいピンクと赤のグラデーションのフルーツカクテルだった。

多分ツブツブしてるからイチゴかなぁ?


「ありがとうございます、頂きます。」

「いいなぁ、僕もたまにはこういうの飲もうかなぁ。」


そういう望月さんの手元にあるのは、彼がいつもオーダーするモルトウイスキーだ。

どうでもいいけどこのイチゴのカクテル、ばっちりしっかりノンアルコールです。

ウイスキーをストレートで飲んでる望月さんには似合わないにも程がある。

…でも美味しいからいいか。


マスターと望月さんの会話をのんびりと聞きながら、ふと見るとカウンター隅の青年が訝しげな顔でこちらを見ていた。

しきりに首を捻っている…って・い・う・か…。


(ものすごーく見覚えのある顔なんですけど!!)


そこにいたのは、学園の王様こと柏木啓輔その人だった。





内心大パニックを起こしつつも、何とかおじさま二人の会話に相槌をうつ。

が、どうにもこうにも表情を変えずにいるだけで精一杯だ。

お酒を扱うお店に出るということで、一応未成年とばれないように普段しない化粧もして外見に気をつけているので、普段の野暮ったい私しかしらない上に顔を合わせたのも二回ぽっきりの彼には、ぱっと見ただけでばれるということは無いだろうが…。

きっと、多分、おそらく…。

うん、大丈夫だろう。大丈夫ということにしておこう。

こんなときはオドオドしてると逆に怪しまれるだろうから、何食わぬ顔して堂々としているのが一番だ。


……………。

ぅおおぉおい、何か呼んでますけどー!!?

目が合ったからオーダーしようとしているのか、もしくは何か他の目的があるのか、まぁ兎に角客を無視するわけにはいかないので、私は表面だけにっこりと笑うとおじさま二人に軽く頭を下げて柏木啓輔のもとへと向かった。


「ご注文でしょうか?」

「…バラライカ。」


うっわー、無愛想。

お前はどこぞの中年親父か!!


「かしこまりました、少々お待ちください。」


といいつつ、私はカクテルは専門外なので、マスターにター…ッチって。

いつの間にか隣に立っていた諒兄さんが、テキパキとシェーカーを振り始めていた。

ちょ、若干心臓止まりかけたんですけど。

光さんはどうしたんでしょうか、お兄様。


「お前は作らないのか?」


もちろんですとも!!


「えぇ、恥ずかしながら見習いでして。バースプーンすら握らせてもらえません。」


つまりはずぶの素人なので、私に無茶振りしないでください的な。

普通のお客さんにはそんなこと言わないけどねー。


「どうぞ。」


諒はにっこり笑顔でそれだけ言ってカクテルグラスを差し出し、そのまま一礼して場を離れる。

あぁ、私に相手をしろと。

確かに呼ばれたのは私だけどさ。

兄よ聞いて驚け、どちらも未成年だぞ!!

一応接客はするけどさっ!これでもお給料もらってるからねっ!


「こちらは初めてですか?」

「…いや、二回目だ。」

「そうだったんですね、失礼しました、ご来店ありがとうございます。」

「雰囲気が…良かったからな。」

「ふふ、マスターの趣味がいいですから。」


会話に!会話になってる!!

意外と言葉を返してくれる柏木センパイに内心驚きつつ、私はイチゴのカクテルを口に含んだ。

それにしても変な感覚だ。


「…お前…どこかで会ったこと無いか?」


ぶーっと。


噴きそうになったよ、危ないな。

いきなり核心つくんじゃねぇ馬鹿野郎!!

まぁ意地でも態度には出さないけれど。


「お客様と、でございますか?…うーん、初対面だと思うのですが…。」

「そうか…。」


そうだよ!!


「誰かお知り合いにそっくりな方でもいらっしゃるんでしょうか?」


にっこりと笑って見せたが…わざとらしかったか?


「…いや、声が、な。何だか聞いたことがあるような気がしたんだが。」


声かー…確かにそっぽ向いて聞いてたら、疑問に思うかもしれないな。

面と向かってれば学校での私のイメージと正反対だから判らなかっただろうに…多分。

ま、こりゃあばれることは無さそうだし、堂々と初対面のアルバイトを演じよう。


「これも何かのご縁ですね、今後ともよろしくお願いいたします。」


個人的には絶対よろしくしたくないけどね。

にっこり笑って首を傾ければ、柏木センパイは小さくあぁと呟いて、兄が出したカクテルに口をつけた。





それからというもの、週末の夜のカウンターの隅は奴の指定席になった。

どうでもいいけど、あんたまだ未成年だからね。

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