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意外と親切


――ていうわけで、俺ら失敗したから。つーか、もう金いらねぇから俺降りるわ。


「なっ!?どういうこと!?」


――どういうことも何も、そのまんまの意味だろ?


「二つ返事でOKしたくせに今更止めるの!?」


――まぁな、悪ぃけど何かやっぱ気ぃ乗らねぇわ。


「お金だってあげたじゃない!」


――は?お前返さなくていいっつったじゃん。まぁ、どうしてもっつーならまだあるけどよ。


「いらないわよあんなはした金っ!!あんたともこれっきりよっ!!」


ガシャン。

恵美子は通話を切るなり全ての苛立ちをぶつけるように携帯を床に叩きつけた。

先日購入したばかりの最新機種が、嫌な音を立てて弾む。

最近の精密機械は耐久性が増しているのか、綺麗なフローリングには無残な傷が入ったものの、八つ当たりの対象である彼女の携帯が壊れることはなかった。

それにすら苛立ちながら、恵美子は悔しげに爪を噛む。


今まで自分の思い通りにならないことなど無いに等しかった。

そう、学園の、それどころか将来はこの国の中枢とも言うべき柏木啓輔の恋人という地位ですら手に入れたのだ。

両親の与えてくれた環境も、この美貌も、培ってきた学園での地位も、全てが恵美子の力であり、自らの幸せのためにそれらを利用し、邪魔するものは排除してきた。

これまでも、これからも。

それは変わらない真理だったはずなのに。


なのに、御剣蓮に関することだけがうまくいかない。

地位も財産も一般的な、何の変哲もない女子高生。

容姿を見れば、優れているどころか世間ではおそらく地味とかダサいとか、野暮ったいとか、誰もがそんな評価を下す程度だ。


それなのに。


クラスメイト全員からの嫌がらせも難なくかわし、あの女の唯一の友人である松本詩織との関係すら崩せず、自分の手駒まで一体どうやったのか手懐けて。


「何なのよっ!!!」


一体何がどうなっているのか。

あまりに動じない御剣蓮に耐えかねて、最終手段である父に相談してみたが、今まで一人娘の恵美子の言葉を拒否したことがなかった父までも、お茶を濁すような返事を返してきた。

果ては涙すら使ったのに、恵美子の期待するような反応は終に帰ってこなかったのである。


それは数日前のことだ。

恵美子は父が帰るなり、見計らったように声をかけた。




「お帰りなさい、お父様!」

「あぁ、今帰ったよ。」


重そうなコートを使用人に預けながら、父が笑顔を向けていた。

自身にも周囲にも厳しい父が、唯一甘い顔を向けるのは自分だけだと理解している恵美子は、父の好む無邪気な笑顔を精一杯作り彼を迎える。

幼い頃からこの笑顔を向ければ、叶わないことなどなかった。


「どうだ、恵美子。学校は楽しいか?」


いつも繰り返される何の変哲も無い言葉。

しかし恵美子は嫌な顔一つせずに、にっこりと笑って頷いた。


「えぇ、お勉強もばっちりだし、お友達もいっぱいできたからとっても楽しいわ!……あ、でも…。」


明るい調子で告げた言葉の語尾を、少しだけ濁した恵美子が不安げに目を伏せる。

その様子を見た父親が、少し目を見開いて恵美子の顔を覗き込んだ。


「どうした?何かあったのか?」

「…いえ、何でもないのよお父様…。」

「何でもないという顔色ではないぞ?どうした、お父様に言ってみろ。」

「本当に大丈夫よ、大したことじゃないし。」


それでも恵美子の表情は不安げに揺らぐ。

彼女は己の言葉で父が引かないことを知っていた。

案の定、心配そうに眉を寄せた父が労わるように恵美子の頭を撫でる。


「恵美子。お前はよくできた子だが、我慢をしてはいけないよ。お父様を安心させるために話しておくれ。」

「お父様…。」


少し悩むように間をおいた恵美子が、ゆっくりと呼吸をして口を開いた。


「私、不安なの…。」

「何が不安なんだ?」

「実はね、最近啓輔さんのことをずーっと見てる女の子がいるの。」


柏木啓輔との仲は父も承知のことで、寧ろ家の利益を考えれば歓迎どころか応援されるほどだった。


「何だそれは、ストーカーか?柏木の跡継ぎはもてるからなぁ。」

「笑い事じゃないのよ、お父様!」

「心配するな、どこの誰かは判らんが、お前に敵う者などいないよ。」

「…でも、私とっても不安だわ…。そのこったら…私を見る目が何だかとっても恐いんですもの。」


その言葉に、父の顔から笑みが消えた。


「何?…確かに、お前は可愛いからな。敵わないと知った上でよからぬことを考えるかもしれんな…。」


恵美子の目がきらりと光ったが、父親は気付かないようだ。


「恵美子、その娘の名前は判るか?」

「お父様!恵美子を助けてくださるの?」

「勿論だよ。可愛い娘に何かあってはいけないからね。」


それで、と促すような父の言葉に、恵美子は嬉々として口を開いた。


「同じクラスの、御剣蓮さんよ。」


そう告げた途端、父の顔が一変したのだ。


「御剣、だと?」

「えぇ、すっごく地味なこなんだけど、最近ずっと啓輔さんの周りをうろうろしているの。」


追い討ちをかける言葉は、しかし父の耳には届いていないようだった。

見れば、考え込むように視線を落としたまま、御剣の姓を呟いている。

当然、二つ返事で返ってくると確信していた恵美子は、予想外の父の反応に戸惑った。


「お父様?」

「あ?あぁ…そうか、“御剣”か。」

「どうかされたの?」

「いや、恵美子、おそらくそのは恵美子が考えているような娘ではないよ。」

「え?」

「大丈夫、恵美子はとっても魅力的だし、万が一のことが無いようにボディガードもつけておくから。」


ゆったりと笑う父に、恵美子は何がなんだかわからない。

突然の父の変貌に驚くばかりだ。


それ以降、どんなに頼んでも、泣き落としを試みても、父は“大丈夫”の一点張りだった。





コンコン。


「お嬢様。」


どうにも収まらない気持ちのまま、捻り切る勢いで枕を握り締めていると、廊下から使用人の声がかかる。


「…何よ。」

「旦那様がお戻りになられました。」

「すぐに行くわ。」


言葉と同時に飛び起きた恵美子は、硬い表情のまま枕を叩きつけると、乱暴に扉を開いた。













この学園に来て一番の楽しみは、弁当片手に詩織とのんびりできる昼休み。

そう言うと、詩織がにっこり笑って、


「ヤだわ、蓮ったら。熟年夫婦みたいよ。」


などと、なかなかぐっさりくる言葉を告げて来た。

否定できないところがまた痛いのだけれども。


そんなこんなで、今日も今日とて詩織と二人冷たい視線の中の午前授業を終え、午後を頑張るために休憩タイムとばかりに例の屋上に来ていたのだが。


「何であんたらがいるんだ…。」

「あら、こんにちは。」


何故か先客、しかもものすごーく見覚えのある嫌な二人組みが、我が物顔で陣取っていた。

ていうか、詩織も普通に挨拶するな。


「こんにちわぁ、詩織ちゃん!蓮ちゃんも、昨日ぶりぃ!」

「おう、邪魔してんぞー。」


軽いノリで手を上げた奴らは、先日使用していた制服を着込み、またもやまんまと入り込んだようである。

黒髪の方、菅原裕次郎がこれまた軽薄さを絵に描いたような仕草で手招きしてきた。

どうしようかと詩織を見ると、既に彼女は奴らの傍に近づきお弁当を広げようとしている。


「ほらほら、蓮ちゃんもはよおいでぇ。」

「…うぜぇ。」


盛大な溜め息をつきながら、関わるなオーラを出しまくっているのにも関わらず、菅原のチャラい笑顔は変わらない。

ていうか、こいつ何勝手に名前で呼んでんだ。

詩織といえば、先日の一件で彼らに対する警戒心がゼロになってしまったようで、既に弁当を広げて昼食の準備万端だった。


「うお、何コレ超美味そう!さっすがお嬢様の弁当だなぁ!」


金髪が詩織のお弁当を覗き込み、涎を垂らさんばかりの勢いで目を輝かせている。


「あら、ありがとうございます。よろしければお一つ如何ですか?」


詩織が弁当の中に入っている肉巻きを、可愛らしい串を摘んで金髪に手渡した。

ちょ、待って詩織、君順応早すぎ!

ていうか。


「わ!いいの?ラッキー!!…でぇっ!!」

「詩織の傍でタバコなんか吸ってんじゃねぇ!」


そうなのだ。

こいつら図々しくも、人様の高校の屋上でタバコなんぞふかしてやがったりする。

本人たちは二十歳を超えているし、喫煙所で吸うのは自由だが、場所も場所だし何より綺麗な詩織の肺が汚れたらどうするんだ。

嬉々として肉巻きを受け取ろうとしていた金髪――田中英志の後頭部を強かにはたき、私は彼のタバコを素早くひったくってぐりぐりとコンクリートに押し付けた。


「あー!!俺の燃料ー!!」


悲痛な叫びを無視して、詩織の周りに残っているかもしれない副流煙をぱたぱたと扇ぎながらじろりと菅原を睨めば、彼は素早く自前の携帯灰皿にタバコを処分していた。

粗方の煙を二人組みの方へ送ってから、詩織の隣へ腰を下ろす。

金髪田中が些か不満げな顔をしていたが、これまた綺麗に無視して私も弁当を広げた。


「お。蓮ちゃんのも美味しそーやなぁ!」


今度はお前か黒髪ピアス。

にこにこ笑いながら当たり前のように私の隣に腰を下ろした菅原に、思いっきりガンを飛ばしてやった。


じろり。

へらり。

じとー。

へらへら。


あ、何だか馬鹿らしくなってきたぞ。

昼休憩は長いようで短い。ゆったりと昼食をとればそれだけで潰れてしまうのだ。

こんなくだらないことで私の時間を使ってたまるかとばかりに、全ての苛立ちをどでかい溜め息に変えて、私は箸を取った。


「あら、すごいわ。やっぱりやるわね菅原さん。」


蓮を負かしちゃった!

そう楽しげに言い放った詩織の言葉に、私の箸がぴくりと止まる。

え、ちょ…詩織さん…もしかして今私が負けたっつった?


「えー?嬉しい俺勝ったん?ほならご褒美、蓮ちゃんその卵焼きちょーだい!」

「…あ゛っ!コラ!!」


ちょっとしたびっくりと多大なる屈辱で人がフリーズしている隙に、菅原ピアスが私の弁当から卵焼きを掻っ攫う。

反射的に箸で追ったが、解き既に遅し。

私の卵焼きは奴の口の中に消えていた。


「もごもご…お、何やこれ、タラコ入ってるやん!超美味い!」

「返せ私の卵焼き!ってかあんたパン食ってんじゃん!!」


そう、一番納得がいかないのが、奴の手には持参の菓子パンが握られていることだ。

しっかり自分の飯を持っている奴に、何で私が貴重な食料を恵んでやらなきゃいけないんだ!?


「詩織ー…俺にもさっきの肉巻きー。」

「はい、どうぞ。」

「さんきゅー…お、美味ぇ!!こっちも美味ぇぞユージ!」


てめぇはてめぇで何普通に詩織の弁当たかってんだ!

あ、馬鹿ピアス!何また手ぇ伸ばしてやがる!!

ていうか…


「お前ら一体何の用だよっ!?」


どうでもいいけど、誰か私の平穏を返せ!!






「と、いうわけで。」


行儀悪くも、詩織からもらった肉巻きの串をガジガジと齧りながら、田中英志がそう切り出した。


「何がというわけで、だ!しれっと食うな!」


私と菅原で繰り広げられた弁当の攻防の間、田中はちゃっかり優しい詩織からおこぼれをもらっていたようで。

見た目の割りにしっかりと昼食を取る詩織の普通サイズの弁当の中身の半分は彼の腹に収まってしまったようだった。

燃料タバコを奪われたこともすっかり忘れて、満足そうな表情を浮かべている田中の顔に浴びせ蹴りをくらわせてやりたい。


「まぁまぁ、ちょい話聞いたってーな。」

「そうよ、蓮、聞いてあげましょう?」

「……。」


何だろう、とっても納得いなかいぞ。

私を聞き分けの無い子供のように扱うな。

詩織が言うなら聞くけどさ!!

あ、金髪田中コノヤロウ。優越感丸出しの顔しやがって。


「とりあえず結論から言うけどさ。俺、恵美子と縁切ってきたから。」


ていうか切られた?

けろっと言い放つ田中の横で、菅原がうんうんと頷いている。


「エージがつるむん止めたんなら、俺は自動的に無関係やな。ていうか、俺の場合最初っから縁なんて無いんやけど。」

「あぁ、そういえば付き添いのようなものだと仰ってましたね。」


詩織の言葉に、菅原がへらへらと頷く。

それを見ていた田中が、些か真剣な眼差しで私に視線を向けた。


「でさ。電話したとき、予想通りというか何と言うか、恵美子の奴キレちまってさ。」


まぁ、そうだろうな。


「うん、大体見当つくと思うんだけど。一応教えておこうと思ってよ。」


あいつキレたら何するかわかんねぇし。

そう告げた田中に私は少しだけ目を見開いた。


「もしかしなくても、心配してくれたのか?」


まじまじと田中を見つめれば、逃れるように仏頂面を背けやがった。

デカイ男が照れたところで可愛くもなんともないぞ。


「はは、こいつ嬢ちゃんらぁにあんなこと仕掛けようとしたけど、根っこは結構いい奴やねん!」


そう言いながら菅原がガシガシと田中の金髪を掻き混ぜると、彼は心底嫌そうに顔を歪めた。


「止めろユージ!痛ぇよこの馬鹿!」

「こーいうの何て言うか知っとるかぁ?」


ツンデレ言うんやでぇ!


そう楽しげに答えた菅原に、嫌なデジャヴを覚えた私は、初めて田中に心の底からの同情を向けた。


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