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元皇帝ですが、転生したらスラム街の貧民でした。略して”転●ラ”  作者: 忍絵 奉公


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第1章:流浪の旅へ

第1話:暗殺

皇帝という仕事は、思っているより遥かに忙しい。

 朝から晩まで決裁。報告。貴族同士の揉め事の仲裁。地方の反乱。税。軍備。外交。暗殺未遂。会談。視察。演説。署名。

 そして笑顔。

 常に余裕があるように振る舞わねばならない。

 余裕がなくとも。

 余裕など、一年ほど前から、とうに消えていた。

 巨大帝国アウレリア。

 七代皇帝、レオニード・アウレリアは、豪奢な玉座に座りながら、半分ほど意識を失っていた。

 目の前では貴族たちが、楽しそうに談笑している。

 巨大なシャンデリア。

 金の装飾。

 磨き抜かれた大理石の床。

 楽団の優雅な演奏。

 今日の夕食会は、西方遠征の勝利を祝う宴だった。

 戦争で勝った。

 だが、皇帝が休める理由にはならない。

「陛下。南方諸侯も今回の勝利に大変感服しておりまして――」

「……うむ」

 適当に返事をする。

 眠い。

 視界がぼやける。

 ここ三日、二時間ほどしか寝ていない。

 昨夜など、夜明けまで国境問題について議論していた。

 なのに朝には、飢饉対策の会議。

 昼には軍務。

 夕方には外国使節との会談。

 そのまま、この宴だ。

 限界だった。

 だが周囲は違う解釈をしていた。

「なんと深く物事を考えておられる……」

「一言一句を吟味しておられるのだ」

「これぞ名君……」

 違う。

 寝そうなだけだ。

 だが否定する気力もない。

 レオニードは肘をつき、目を閉じた。

 ふわり、と意識が落ちそうになる。

 すると横から声が聞こえた。

「兄上もお疲れですな」

 弟だった。

 第二皇子。

 継承権第二位。

 アルゼリオ。

 整った顔立ち。

 柔和な笑み。

 誰にでも好かれる愛想の良さ。

 だがレオニードは知っている。

 こいつは腹の底で何を考えているかわからない男だ。

「……お前か」

「ええ。兄上を心配しております」

 そう言って、アルゼリオはワインを注ぐ。

 赤い液体が揺れる。

 レオニードはぼんやり眺めた。

 そして、ふと目の前の料理に手を伸ばす。

 本来、宴ではほとんど口にしない。

 毒見役がいても、皇帝毒殺など珍しくもないからだ。

 だが今日は駄目だった。

 空腹と疲労で判断力が鈍っていた。

 半分眠ったまま、指で料理をつまむ。

 周囲の貴族が息を呑む。

 皇帝が、まさかの手づかみ。

 だが彼らはそれすら深読みした。

「……!? まさか、形式に囚われぬという意思表示か……!」

「庶民との一体感を……!」

「なんという器……!」

 違う。

 ただ眠いだけだ。

 レオニードは、ぼんやりしたまま料理を口へ運んだ。

 香辛料の香り。

 濃厚なソース。

 うまい。

 いや――。

 次の瞬間。

 喉が焼けた。

「……っ!?」

 肺が潰れる。

 視界が揺れる。

 心臓が暴れ狂う。

 毒。

 瞬時に理解した。

 だが声が出ない。

 全身が痺れ、指先から感覚が消えていく。

 周囲はざわめき始めた。

「陛下……?」

「どうなされた……!」

「医者を呼べ!!」

 椅子から崩れ落ちる。

 床に赤いワインが広がる。

 その向こう。

 弟の顔が見えた。

 アルゼリオは――笑っていた。

 ほんのわずかに。

 口元だけ。

 勝利を確信した笑み。

 レオニードは理解した。

 毒殺。

 継承権。

 皇位簒奪。

 全て繋がった。

「……お前、か……」

 絞り出した言葉は、それだけだった。

 アルゼリオは悲しげな表情を作る。

「兄上ぇぇ!!」

 名演技だった。

 周囲は誰も疑わない。

 レオニードの意識が暗闇へ沈んでいく。

 楽団の音色。

 悲鳴。

 駆け寄る足音。

 全てが遠ざかる。

 ああ。

 終わるのか。

 帝国も。

 私も。

 もっと寝たかった。

 最後に浮かんだのは、そんなくだらない考えだった。

 そして皇帝レオニード・アウレリアは死んだ。

はずだった。

 

次に目を開けた時。

 鼻を突くのは腐臭。

 豪華な天井ではなく、穴だらけの木板。

 身体は軽い。

 だが、腹が減っていた。

 信じられないほどに。

 内臓を獣に食われているような飢餓感。

「……誰ぞ」

 反射的に口にする。

 当然、誰も来ない。

 静まり返った薄暗い小屋。

 そこでようやくレオニードは、自分が皇帝ではないことに気づき始めるのだった。


第2話、転生の事実

腹が、減った。

 目を覚ました瞬間から、それしか考えられない。

 胃が痛い。

 いや、胃というより、腹の中全部が空っぽだった。

 皇帝レオニード――いや、今はもう違う誰かの身体なのだろう――は、薄暗い小屋の中で呻いた。

「……誰ぞ」

 言ってから気づく。

 来るわけがない。

 ここには近衛兵も侍女もいない。

 豪華な寝室も、柔らかな羽毛布団もない。

 あるのは腐臭。

 湿った床。

 穴だらけの壁。

 そして空腹。

「なんだここは……」

 立ち上がる。

 身体は驚くほど軽かった。

 鏡はないが、痩せているのはわかる。

 腕が細い。

 しかも寒い。

 服もボロ布同然だった。

 レオニードは外へ出た。

 途端に鼻を刺す臭い。

 汚水。

 酒。

 腐った野菜。

 人間。

 狭い路地。

 積み上がるゴミ。

 怒鳴り声。

 泣き声。

 スラム街だった。

「……帝都の裏側か」

 知識としては知っている。

 だが実際に足を踏み入れたのは初めてだった。

 皇帝は表しか見ない。

 いや、見せてもらえない。

 レオニードは歩く。

 ふらつく。

 腹が減りすぎて視界が霞む。

 すると、ゴミ箱が目に入った。

 反射的に近づく。

「……私は何をしている?」

 元皇帝がゴミ箱を漁ろうとしている。

 意味がわからない。

 だが身体は止まらない。

 そしてゴミ箱をどけた瞬間。

「む?」

 銅貨が三枚。

 落ちていた。

 いや、隠してあったのかもしれない。

 だが今のレオニードにはどうでもよかった。

「金……!」

 希望だった。

 レオニードは震える指で銅貨を掴む。

 そして匂いにつられるように歩き始めた。

 パン屋。

 焼きたての香り。

 香ばしい小麦の匂いが鼻を殴る。

「くっ……!」

 腹が鳴った。

 店の前には大量のパン。

 黄金色。

 柔らかそうだ。

 レオニードは吸い寄せられるように店へ入る。

 そして悩んだ。

「……どう買うのだ?」

 考えてみれば、自分で買い物などしたことがない。

 欲しい物は全て用意されていた。

 しばらく真顔で立ち尽くす。

 すると店主が怪訝そうな顔をした。

「買うのか? 買わねぇのか?」

「……うむ」

 たぶん買う。

 たぶん。

 レオニードは、とりあえず目の前のパンを掴んだ。

「おい!!」

 怒鳴られた。

 びくっと肩が跳ねる。

「勝手に触るな!!」

「なに?」

「金払ってからだ!!」

 そういう仕組みなのか。

 レオニードは真顔で頷き、銅貨を置く。

「これでよいな」

「先に払え!!」

「……面倒だな」

「あぁ!?」

 店主が睨む。

 元皇帝なら即刻不敬罪だった。

 レオニードは反射的に言い返す。

「無礼者――」

 だが腹が減りすぎて声が出なかった。

「……れい、もの……」

 ほぼ囁き。

 全然迫力がない。

 周囲の客が吹き出した。

「なんだアイツ」

「死にかけか?」

 レオニードは屈辱に震えながらパンを口へ運ぶ。

 うまい。

 涙が出そうになる。

 パンがこんなにうまいなど知らなかった。

 宴の高級料理より美味く感じる。

「……生き返る」

 夢中で食べる。

 その時だった。

「おい」

 背後から声。

 振り向くと、痩せた男が立っていた。

 目つきが悪い。

 チンピラだ。

「その金、俺のだよなぁ?」

「……なに?」

「ゴミ箱の下に隠してたんだよ」

 なるほど。

 そういうことか。

 だがレオニードは冷静だった。

「知らん」

「返せ」

「使った」

「じゃあ代わりに払え」

「金がない」

「は?」

 チンピラが肩を掴む。

 その瞬間。

 レオニードの身体が勝手に動いた。

 帝国式体術。

 暗殺者対策として皇族が叩き込まれる護身術。

 重心移動。

 関節操作。

 最短動作。

 気づけば。

 チンピラの身体が宙を舞っていた。

「へぶっ!?」

 地面に叩きつけられる。

 周囲が静まる。

「……え?」

 レオニード自身も驚いた。

 身体が勝手に動いた。

 チンピラは白目を剥いている。

 パン屋の店主が口をぱくぱくさせた。

「な、なんだお前……」

「……わからん」

 本当にわからない。

 レオニードは困惑しながら、ふと横を見る。

 店の窓。

 そこに、自分の顔が映っていた。

「……誰だ?」

 思わず呟く。

 ぼさぼさの黒髪。

 汚れた顔。

 痩せた身体。

 だが。

 整いすぎるほど整った顔立ち。

 鋭い金色の瞳。

 スラムには似合わない気品。

「この汚い美形は」

 数秒見つめる。

 そして理解した。

「……俺か?」


第3話 少女の救い?

スラム街を歩く。

 いや、正確には彷徨っていた。

 レオニードは深刻な問題に直面している。

 臭い。

「……くさい」

 自分が。

 服も臭う。

 髪も臭う。

 身体も臭う。

 汗。

 泥。

 よくわからない何か。

 皇帝時代、香油と香水に囲まれて生きていた男には耐え難かった。

 通行人もちらちら見てくる。

「うっ……」

「なんだアイツ」

 傷つく。

 元皇帝は意外と繊細だった。

「風呂だ。風呂に入る」

 強く決意する。

 その時。

「兄ちゃん」

 声をかけられた。

 振り向くと、小柄な少女が立っていた。

 十歳くらい。

 ボサボサの茶髪。

 痩せた身体。

 だが目だけは妙に鋭い。

「なんだその喋り方」

「……?」

「貴族みたい」

「貴族ではない」

 皇帝だ。

 だが言わない。

 言っても頭のおかしい奴と思われる。

 少女はじっと見上げてくる。

「腹減ってんの?」

「減っている」

「死にそう?」

「かなり」

「変な兄ちゃん」

 そのまま少女は隣を歩き始めた。

 ついてくる。

「なぜついてくる」

「暇だから」

 軽い。

 レオニードは困惑した。

 普通、もっと警戒するだろう。

「お前、知らない男についていくな」

「兄ちゃん弱そうだし」

「……弱くはない」

 さっき人を投げた。

 だが見た目は、かなり弱そうだった。

 少女は鼻をひくつかせる。

「でも臭い」

「……」

 傷つく。

「風呂屋なら向こう」

 少女が指をさした。

 古びた建物。

 湯屋だろう。

 レオニードは感動した。

「おお……!」

 救いだった。

 急いで向かう。

 そして受付で止まった。

「銅貨五枚」

「……ない」

「じゃあ無理」

 終わった。

 レオニードは立ち尽くす。

 少女が横で笑っていた。

「入れないじゃん」

「……」

「兄ちゃん、世間知らずすぎない?」

「否定はしない」

 少女はケラケラ笑う。

 妙に失礼な娘だった。

 だが悪意はない。

 レオニードはため息を吐く。

「仕方あるまい」

「どうすんの?」

「山へ行く」

「は?」

「川なら無料だ」

 皇帝らしからぬ発想だった。

 だが現実である。

 レオニードは歩き始めた。

 帝都を抜ける方向へ。

 少女はまたついてくる。

「なぜついてくる」

「面白いから」

「帰れ」

「やだ」

 即答だった。

 レオニードは頭を抱えた。

 すると少女が聞いてくる。

「兄ちゃん名前は?」

「……レオ」

 皇帝名をそのまま言うのは危険だ。

 短くした。

「ふーん。あたしミーナ」

「そうか」

「どこ行くの?」

「静かな場所だ」

「あるの?」

「わからん」

 正直だった。

 ミーナは吹き出す。

「行き当たりばったりじゃん」

「……そうとも言う」

 歩く。

 スラムを抜ける。

 汚水の臭いが薄れ、少し風が綺麗になる。

 レオニードは空を見上げた。

 広い。

 皇城から見ていた空より広く感じる。

「……静かだな」

「もう帰れないの?」

「帰りたくない」

 即答だった。

 ミーナが少し驚いた顔をする。

「なんで?」

 レオニードは少し考える。

 そして呟いた。

「疲れた」

 本音だった。

 毎日毎日、国だの貴族だの陰謀だの。

 休む暇もなかった。

 殺されるほどに。

「だから山で暮らす」

「できるの?」

「……」

 沈黙。

 できる気はしない。

 火も起こせない。

 料理もできない。

 狩りも知らない。

 だが。

「なんとかなるだろう」

 皇帝らしい雑な結論だった。

 ミーナは腹を抱えて笑い始めた。

「兄ちゃん絶対すぐ死ぬ!」

「笑うな」

「だって面白すぎる!」

 その笑い声を聞きながら。

 元皇帝レオニードは、生まれて初めて自由というものを少しだけ感じていた。


※続きが気になる?あるよ・・無料掲載してるよ。探せるかな?

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