2話
涙が止まる頃には、すっかり目の下が真っ赤に腫れていた。声を上げて泣いたからか、喉も少しひりひりする。
泣いている間にロセウスに抱き上げられ、どこかに座らされたと思っていたら、リビングのソファへと移動していた。
十年経ったといっても、ベルにはいまいちピンとこなかった。なにしろ、ベルがゲームをしていた時と部屋の内装がほとんど変わっていなかったからだ。多少傷がついたり、汚れたりしたものもあるが、ほとんどは記憶の中のままだ。三人が三人ともベルが目覚めたときのことを考えて生活をしてくれていたからなのかもしれない。
鼻水をすすりながら辺りを見回していると、アーテルが紅茶を、アルブスが甘いお菓子を持ってベルの両隣に座った。少し窮屈ではあるが、傷心のベルにはありがたかった。すぐ近くにある温もりというのは、それだけで心を癒してくれるらしい。
「お嬢、紅茶飲める?」
「クッキーもあるよ? お嬢は甘いお菓子大好きでしょう」
「うん、紅茶もらおうかな。そのあとにクッキーも。……でもちゃんと一人で飲めるし、食べられるよ?」
紅茶を飲むと言えば、アーテルがベルの口元へティーカップを近づけ、クッキーを食べると言えば、アルブスが一つ摘まんで口元へ持ってくる。まるでどこかの姫のように世話をされ、うろたえていると、机を挟んで向かいにあるソファに座るロセウスと視線があった。助けてと視線で訴えるが、苦笑をされるだけで助け船はやってこなかった。
「ベル、アーテとアルのやりたいようにさせてあげるといい。二人ともベルが目覚めるのをずっと待っていたんだ。もちろん私もだけれどね」
――十年。
その言葉の持つ意味はおそらくベルが思うよりもずっと重く、長いものなのだろう。
召喚獣や召喚獣と複雑な契約を交わす召喚術師は、人間よりも遥かに寿命が長い。けれど十年が一年くらいにしか感じないのかと聞かれれば、実際はそうでもないのが現実だ。長い時を生きるだけで、一年の感覚は普通の人間とそうは変わらない。なにせ長い時に飽きて自然と一体化する召喚獣と召喚術師もいるくらいなのだから。
だから十年は彼ら三人にとって、とても長く感じられたに違いない。
「きょ、今日だけだよ?」
大人になってから、食べさせてもらったり飲ませてもらったりしたことは一度もない。初めての経験に心臓がバクバクだ。頬を赤らめながら口を開ければ、アーテルとアルブスは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
喉を潤わせ、小腹を満たすと、ベルは世の中の情勢を聞くために姿勢を正した。アーテルとアルブスはそれを察して、皿とティーカップを片付けにキッチンへと姿を消した。代わりにとでもいうように、向かいに座っていたロセウスがベルの隣へ移動する。
ロセウスはまるで宝石にでも口づけるかのように白銀の髪を一房手に取って口づけを落とした。それはまるで物語に出てくる騎士のようで、ベルはトマトのように顔を真っ赤に染め上げた。そんなベルをみて満足したように笑み、話を促してくる。
「それで、何を聞きたいんだい?」
「私が活動をしていた時から、何がどう変わったのかを全て」
「貪欲だね」
「当たり前。だって、無知ほど恥ずかしいものはないから」
「さすが私のベルだ。さて、ここ十年で変わったことといえば三つある」
そうしてロセウスは分かりやすいように大まかに纏めて話してくれた。
まず一つ目は十年前との日常の変化。これはこの世界に存在する五つの国同士がさらなる平和と繁栄を願って平和条約を結んだとかで、食物や人の行き来が以前よりも楽になったらしい。そのおかげでお金の価値はベルの常識と変わりないものの、物価が少しだけ下がったそうだ。
二つ目が輝人の存在について。輝人は現在ベルを含めて五人だけらしい。ベルとほぼ時を同じくして、輝人の一人が自然と同化するように長い眠りについてしまっているようだが、これについては、ベルの方で粗方検討がついている。
輝人は短くて数百年、長くて数千年単位で生きている、新しい輝人が誕生すると、最年長の者は新しい輝人が立派になるのを見届けたあと、長い眠りにつくという公式設定があるのだ。これには深い理由があるのだが、話を全て聞き終えたあとにゆっくりと思い出せばいいだろう。
そして最後三つ目。一人の輝人がいなくなり、ベルという輝人が眠りについたことで、均衡を保っていた五つの国の総戦力の差が大きく開いてしまったらしい。
輝人の召喚獣は一定の水準を超えた強さを持つ。これは輝人と召喚獣の複雑な契約の関係によるものだ。契約には魔力の量の多さや、個人の能力の高さが必須となるため、必然的に一定の水準を保つことになる。
ベルが眠っていたところで、実際の戦力でもあるロセウスたちがいるではないか、という意見も確かにあるのだろう。しかし召喚獣は基本的に主である輝人の命令しか聞かない。これはどの輝人の召喚獣も同じこと。いくらベルが目を覚まさないと言っても、他人である国王や騎士の命令をロセウスたちが聞くはずがなかった。もし戦わないことでベルが傷つく危険性があるのなら戦うだろうが、それでも国ではなくベルとベルが大切にしているものしか守らないだろう。だからベルの所属している国、ナツゥーレの戦力だけが大幅に低下してしまったのだ。
そこでナツゥーレは熟考したのち、契約術師の育成を熱心に取り組み始めたらしい。契約術師にとって、輝人であり召喚術師というのは目指すべき最高峰の存在であり目標だ。いつか輝人が誕生するかもしれないというのは、国にとって賭ける価値のあるものだったのだろう。
けれど残念ながら輝人はそう簡単になれるものではない。ベルは輝人となるために、現実世界の時間では一年ほどかけたと言っても、ゲームの中では十年という長い月日を費やした。けれど十年とは言っても、ベルの十年は輝人へのなり方を予めある程度提示されている上に、ネットでの情報や公式のヒントを駆使して費やした十年だ。それに、現在輝人が五人いる以上、輝人になれる確率はほぼゼロパーセントといってもいい。
聞きたかった話をおおまかに全て聞き終えて、頭の中でベルなりに整理をする。
「大体わかったわ、ありがとう。セス」
「これくらい、お安いご用さ。さて、二人も戻ってきたことだし、これからについて話し合いでもしようか」
片付けから戻ってきたアーテルとアルブスが机を挟んで向かい側のソファに座った。座ったことを確認したベルは、ロセウスの意見に同意するように頷いた。




