1話
「…………あれ?」
電車に轢かれたはず鈴は、意識の目覚めとともに瞼を押し上げた。
「私、死んでない?」
電車に轢かれたときの痛みは全くなく、むしろ身体は轢かれる前よりも軽く感じられた。普段鈴が使っているベッドとは比べものにならないほどふかふかで大きなベッドから上半身を起こし、自身の身体をぺたぺたと触る。確かに電車に轢かれる衝撃や痛みは今でもはっきりと思い出せる。けれどまるでそれが夢だったかのように、身体には傷一つない。
奇跡的に助かったものの、ずっと眠りについていたのだろうか。そう一つの結論にを出してみるが、その可能性は低い。なぜならば頬はこけるどころかふんわりとしていて、肌も以前より瑞々しくもっちりとしている。
そしてベッド近くにある鏡台を覗き見れば、そこには鈴ではなく、もう一人の鈴――ベルがいたからだ。
「え、もしかして私異世界トリップした系?」
鏡台に映るのは黒髪黒目の鈴ではなく、VRSLGで使用しているキャラクター、ベル。白銀の長髪に蜂蜜のように柔らかな金の目を持った少女がいた。身長はベルの成長期が終わるときに現実と一緒になるように設定していたし、声も地声を採用していたので、目線の位置や声で驚くことはなかった。
けれど鏡台に映るのはどうみてもベルで、現実の鈴よりもかなりの美少女であることに間違いはない。そして鈴はベルの身体で生きていることで、現実を突きつけられた。
「異世界トリップか……。そっか、そっか。私現実で……死んじゃったから」
一瞬であれど、あの時感じた痛みが死んだ痛み。
そしてどういう訳か魂だけがゲームの世界、もしくはかなり酷似した世界の中のベルの身体に宿ったということだろう。
ぽろり、ぽろりと大きな金の瞳から涙がこぼれ落ちる。何もない空間で手をスライドさせてみても、半透明の画面は現れなかった。つまりここは、ゲームの世界ではないことが証明された。
電車に轢かれる直前こそ、ゲームのことしか頭になかったが、こうして冷静な気持ちと時間があると、色々な感情が湧き上がってくる。
もう両親にも友人たちにも会えない。そのことが悲しくて、寂しくて仕方なかった。しばらく静かに泣いていると、扉の先に三つの気配があることに気づく。その気配を感じて、鈴――いや、ベルははっと一つの可能性を脳裏に浮かべた。
(ここがゲームの世界、もしくは酷似した世界ならもしかして――!!)
主人公であるベルが許可をしないと、召喚獣は主人公の寝室に入ることができない。もし、ここが『召喚術師はじめました』の世界ならば。もし前回セーブしたところからの続きならば。
――ベルの召喚獣はこの家の中にいるはずだ。
そんな一縷の望みを心に抱いて、扉に手をかけた。
そうして扉の向こうにいたのは、驚きと喜びを顔いっぱいに浮かべた三人の召喚獣だった。
「ようやくその瞳が見れた」
そういうのは、ロセウス・ウルペース。桜色の癖のないさらさらな長髪に、ベルと同じ金目。本性は桜狐と呼ばれる三本の尾を持つレア度マックス、星五つの召喚獣。
「お嬢、笑って」
「そうだよ、お嬢には笑顔がよく似合うから」
ベルのことをお嬢と呼ぶ瓜二つの顔を持つ二人は、黒虎のアーテル・ティグリスと白虎のアルブス・ティグリス。黒虎族と白虎族の間に生まれた、本来は生まれるはずのない奇跡の双子だ。片方だけならばレア度は星四つだが、両方を召喚獣にするとなるとかなりの苦労をすることからレア度はマックスの星五つとなる。
見た目こそ瓜二つなものの、髪色ですぐにどちらかなのか見分けることができる。一房だけ白い髪でその髪のみを腰ほどまで伸ばし、黒髪は襟首で揃えているのがアーテル・ティグリス。その真逆の一房だけ黒い髪だけを腰ほどまで伸ばし、白髪は襟首で揃えているのがアルブス・ティグリスだ。通称ティグリス兄弟と呼ばれている。
このレア度が軒並み高い三人がベルの召喚獣だった。彼ら三人を手に入れるまでかなりの苦労を要したが、今となってはいい思い出だ。
むしろその苦労した思い出があったからこそ、今のベルはこの世界に来ても心が壊れずにいるのかもしれない。そう思えてしまうほど、三人の姿を見た途端、安堵して落ち着く気持ちが体中にゆっくりと広がっていった。
「セス、アーテ、アル」
それぞれ三人の愛称を口にする。それに対して、嬉しそうに三人は口角を上げた。元々ベルの頬を濡らしていた涙は、止まることなくさらに流れてくる。ベルはそれを拭うこともせず、その場にぺたんと座り込んでしまう。
「どうしたんだ。十年も眠っていたから寂しくなってしまったのかい?」
そうやって、優しく問いかけてきたのはロセウス。
どうやらここではベルは十年も眠っていたことになっているらしい。現実世界で起きたことを話せばややこしくなる上にロセウスたちの性格上、絶対にもっと心配する。いや、過保護になるという表現の方が適格かもしれない。だからベルは敢えてロセウスの言葉に乗ることにした。
「うん、そうかもしれない」
「お嬢は甘えん坊だな」
「だったら、決して今日からは俺達の傍を離れるなよ」
次いでうんと甘い声を出して、甘えて欲しい、ずっと傍にいて欲しいとアピールしてくるアーテルとアルブス。
「うん、そうだね」
ただ傍にいてくれる。ベルのことを知っていてくれる。
いつ目覚めるかわからないベルをずっと待っていてくれた。そしてこれからも傍にいてくれる。そんな頼りになる存在が三人もいてくれることが嬉しくて、ベルは三人の腕の中でしばらく泣き続けた。




