第2話:師の介入と「断罪者」の視線
空間が裂ける――それは、ただの破壊ではない。神崎零司の『空間断裂』は、世界そのものの連続性を否定する、文字通りの絶対的な切断だ。それは、九条刹那の『時間停止』が世界そのものの流れを否定するのと、根源で似ている。
「法と秩序の前に、例外は存在しない」
零司の冷徹な声が、薄暗い地下通路に響く。刹那の前に迫る透明な「裂け目」は、空気すら押し潰し、彼の命の線上に直進してきていた。
(この疲労度では、『時間停止』を再度使うのは不可能に近い。無理に使えば、肉体が魔力暴走を起こす!)
刹那は復讐の熱に浮かされていたが、プロの復讐者として、生還こそが最優先だと冷静に判断する。彼は咄嗟に身体を横に投げ出し、地面を転がった。
「チッ……」
空間の裂け目は、刹那が立っていた場所のコンクリート壁を撫でた。結果は、まるで高温のレーザーで切断されたように、壁が滑らかに、しかし完全に断絶された。
「逃げるな、刹那。君のその力は、僕らの管理下にあるべきだ」
零司は追撃の手を緩めない。彼の冷静な態度こそが、刹那の復讐心を最も逆撫でするものだった。
「管理?二年前、君たちの『管理』が僕の家族を殺したんだ。その腐りきった秩序に、僕を従わせることはできない」
刹那が反論の言葉を吐いた瞬間、彼の背後の通路の壁に、突如として青白い炎の渦が出現した。
「口論は、その後にしなさい」
炎の中から、一人の女性が姿を現す。霧島冴子。元・魔法庁幹部であり、刹那の師匠を務める女性だ。彼女は刹那の危機を察知し、空間移動系の魔法で現れたのだ。
「冴子さん!」
刹那は驚きと同時に安堵を覚えた。
「霧島冴子。やはり君が、この少年の背後にいたか」
零司は冴子を見て、表情一つ変えずに言った。その口調には、敵意よりも、純粋な「裏切り者」への非難が滲んでいる。
冴子は零司に向かって静かに微笑んだ。
「お久しぶり、神崎零司くん。相変わらず、その『法』という名の象徴に縛られているようね。刹那は、あなたの言う秩序の外側にいる。そして、彼は私の教え子よ」
冴子は手を一振りし、零司と刹那の間に、巨大な水の壁を作り出した。それはただの水ではなく、魔力を帯びた、零司の炎属性魔法をも相殺できる強力な障壁だ。
「さあ、刹那。今は撤退なさい。君の能力は、逃走にこそ真価を発揮する」
刹那は一瞬ためらった。零司に一撃を加えることもできたかもしれない。しかし、師の言葉に従うのが、今の最善策だ。
「借りを作るのは、性に合わない」
そう言い残し、刹那は水の壁を回り込み、通路の奥へと走り出した。
零司は水の壁に阻まれ、追撃できない。
「逃がすか……!」
彼は水の障壁に向かって再び『空間断裂』を放つ。水は空間ではないため、裂けることはないが、零司の強大な魔力は水の壁を瞬間的に蒸発させ、通路に水蒸気の熱を充満させた。
しかし、その間に冴子も姿を消していた。
零司は一人残された通路で、静かに眼鏡の位置を直した。
「『時間停止』か。そして、元幹部の霧島冴子……。ますます、君の存在は無視できなくなったよ、九条刹那」
彼の瞳の奥には、憎悪ではなく、冷たい「管理」の感情が宿っている。
(法を破る者は、秩序に回収されなければならない。それが僕の正義だ)
刹那は、地下鉄の最終電車に飛び乗った後、全身の力が抜けるのを感じた。呼吸は荒く、額には脂汗がにじんでいる。
(危なかった。零司の奴、なぜ僕の正体を知っていた……?)
座席に深くもたれかかり、疲労困憊の刹那の隣に、ひょっこりと黒いパーカー姿の男が現れた。情報屋の黒曜だ。いつからそこにいたのか、全く気配がなかった。
「おや、おや。チート級の『時間停止』使いが、神崎零司に追い回されているとは。まさか、一話目で主人公退場とかいう、スリリングな展開かい?」
黒曜は飄々とした口調で、刹那を揶揄する。彼の顔には、常に余裕のある、掴みどころのない笑みが浮かんでいる。
「……情報屋。まさか、あんたが零司に情報を流したわけじゃないだろうな」
刹那は鋭い視線を黒曜に向けた。
「心外だね。僕の顧客は君一人だよ。それに、君の仇討ちの物語がこんな序盤で終わっては、僕の情報の価値が下がる」
黒曜はそう言って、小型のタブレット端末を取り出した。画面には、先ほど藤堂が違法取引を行っていたとされる魔導具の詳細な情報が表示されている。
「藤堂幹部の件は、予定通り『自浄作用』が働くよ。彼は今頃、自分の記憶と取引相手の証言の矛盾に頭を抱えている頃さ。君が確保した証拠は、既に魔法庁内部の反主流派に流した。これで一件落着」
黒曜の仕事は、いつ見ても芸術的に巧妙だ。彼の手にかかれば、情報が物理的な武器よりも強力な力を持つ。
「だが、問題は、神崎零司が君をマークし始めたことだ。彼は君の家族の事件にも関わってはいないが、魔法庁の『完璧な正義』を体現する存在だよ」
「完璧な正義、か。その完璧さが、僕にはひどく傲慢に見える」
刹那は窓の外に目をやった。車窓に映る自分の顔は、復讐心に駆られた冷たい顔だ。
「傲慢で結構。だが、彼の正義は、君の『復讐』という名の感情論よりも、この世界では遥かに強固だ」
黒曜はタブレットをしまい、刹那の耳元に囁いた。
「彼が君を追う本当の理由を知りたいかい?君の『時間停止』は、彼らにとって二年前の事件をひっくり返す、最も恐ろしい『鍵』だからさ」
「……鍵?」
黒曜の言葉は、刹那の復讐の根幹に触れる、決定的な情報だった。彼の脳裏に、二年前の、炎と魔法の閃光に包まれた夜の光景が、断片的な回想としてよみがえる。
(そうだ、あの夜、僕が見たのは……)
刹那の回想が深まりかけたとき、黒曜はニヤリと笑い、席を立とうとした。
「さて、僕は降りるよ。君の次の獲物は、藤堂よりもっと大物、魔法庁の監査部長だ。復讐は、常に大義名分を伴うべきだ。頑張ってくれたまえ、『裏切りのクロノス』」
黒曜はそう言い残すと、開いたドアから人混みの中に消えていった。刹那は一人、暗い車内で深くうめいた。身体は疲労の極致にある。
「監査部長……。よりによって、あいつを狙うのか」
刹那はポケットにしまい込んだ、次のターゲットの情報を握りしめた。復讐の道は、始まったばかりで、既に血と法の迷路に迷い込んでいる。
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