第9話:研究棟の迷宮と、影山との距離
極秘研究棟の内部は、外部の旧式防壁とは対照的に、最新鋭の魔力トラップとセキュリティシステムで満たされていた。九条刹那は、暗闇の中を慎重に進む。
(零司は、外で待っている。時間は限られている)
研究棟のフロアは複雑な迷路のようになっており、床には微細な魔力感知センサーが張り巡らされている。不用意に踏み込めば、即座に警報が鳴り響き、零司を呼び寄せることになる。
刹那は立ち止まり、目を閉じた。そして、全身の感覚を研ぎ澄ませる。
「『気配遮断』は完璧じゃない。センサーを騙す必要がある」
彼は、自身の魔力を極限まで圧縮し、足元のセンサーに対して、微細な『時間遅延』を放った。センサーが魔力を感知し、情報を送信するまでのわずかな時間差を作り出す。
カチッ……カチッ……
センサーが作動する音は聞こえるが、警報は鳴らない。刹那は、その遅延が切れる直前に次のステップへと進む。それは、まるで停止した時間の隙間を縫うような、精密な綱渡りだった。
(冴子さん。これが、あなたが教えてくれた『認識の歪曲』の真価だ)
師の教えと、自らの能力の応用により、刹那は次々とトラップを回避していく。
研究棟の深く、彼の復讐のターゲットである影山特務部部長の所在が近づいてきた。彼の部屋の前に立つのは、最新式のゴーレム型自律防御兵器だ。全身が重装甲で覆われ、その瞳は赤く、侵入者を待ち受けている。
(力で突破することはできない。この兵器は、僕の魔力放出をトリガーに動く)
刹那はゴーレムの前で立ち止まり、冷静に観察した。ゴーレムの全身を覆う装甲の繋ぎ目に、微細な魔力供給パイプが見える。
「会話で乗り切れる相手じゃない。どうする……」
その時、彼の通信魔導具が再び振動した。音声通信ではない、黒曜からの、緊急の魔力信号だ。
【黒曜の指示(魔力信号): そのゴーレムは、『思考の停止時間』がある。起動直後の0.3秒。そこに『時間停止』を打ち込め。ただし、対象はゴーレムの魔力供給パイプに限定しろ。 】
黒曜の、神出鬼没にして正確な情報に、刹那は思わず皮肉を呟いた。 「相変わらず、命がけのゲームが好きらしい」
彼はゴーレムの起動魔力を、意図的に感知させる。ゴーレムの赤い瞳が、刹那に向けられた。
ゴオオッ……
ゴーレムが動き出し、その魔力が全身に満ちた、起動直後の0.3秒。刹那は躊躇なく、最後の切り札を使った。
「――『極小出力・時間停止』」
対象は、ゴーレムの魔力供給パイプと、パイプ周辺の空間のみ。
周囲の世界は動いている。だが、ゴーレムの内部では、魔力供給が途絶し、パイプ周囲の時間が停止した。
ゴーレムは、動こうとした姿勢のまま、一瞬で機能停止した。その瞳の赤い光が消える。
刹那は素早くゴーレムの横をすり抜け、影山がいる部屋のドアへと手をかけた。彼の目的は、兵器の破壊と、影山への断罪。
そして、ドアを開けたその瞬間、彼は凍りついた。
部屋の中は、がらんとしていた。影山の姿はない。あるのは、中央に置かれた、一つの古びたモニターだけだ。
モニターの画面が起動し、影山の顔が映し出された。彼は、遠隔地から、優雅にワイングラスを傾けている。
『やあ、九条刹那くん。よく来たね、復讐者』
影山の顔には、嘲りめいた笑みが浮かんでいた。
『私の持つ『対時間魔術兵器』は、既に最終調整段階だ。君の時間は、もう終わりだよ。君の家族のように、ね』
影山はそう言って、ワインを一気に飲み干した。
「てめえ……どこにいる!?」 刹那は、感情を抑えきれずに叫んだ。
『残念ながら、この部屋にはいない。この研究棟は、君を迎え入れるための、単なる『罠』だ。そして、君がここに来ることは、二年前から、全て予測されていたことだよ』
影山の言葉は、刹那の復讐の根幹を揺さぶるものだった。彼が歩んできた道は、すべて裏切り者に仕組まれた舞台の上だったのか。
そして、影山は画面に、別の映像を映し出した。それは、一之瀬雫が、帰宅途中の薄暗い路地を歩いている姿だった。
『君の友達だね?彼女の『回復魔術』は、私の兵器の最終調整に必要な、極めて貴重なサンプルだ。彼女は今、君という『時間』を扱う者と関わった代償を、支払おうとしている』
刹那のクールな表情が、初めて完全に崩壊した。彼の身体は、怒りと恐怖で、激しく震え始めた。
「雫に……手を出すな……!」
『彼女は、私が送った回収部隊に、もうすぐ捕まるだろう。君が唯一、心から守りたいと思った存在は、君の復讐劇の最大の弱点なのだよ、刹那』
影山はそう言い放つと、モニターの電源が切れた。
刹那は、復讐のターゲットを見失い、代わりに、最も大切なものが奪われようとしている現実を突きつけられた。彼の「正義と復讐」の道は、思わぬ方向へと転換した。
(くそっ!全ては僕の弱点を突くための罠だったのか!)
刹那は急いで研究棟を飛び出し、雫のいる街へと向かう。彼の復讐の炎は、今、「守護」という、新たな形となって燃え上がった。
しかし、研究棟の外には、超大型監査用ドローンを静止させたまま、神崎零司が待ち構えていた。零司の冷たい瞳は、既に刹那の逃走ルートを完全に予測している。
「逃がさないと言ったはずだ、刹那」
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