Scene4:氷雪の微笑み
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エルリックが去った後。
国王はルナとウィンの間に漂う微妙な緊張感を察したのか、
「ウィン、」
と静かに執事を呼びかけた。
「ルナ嬢をエントランスまで送って差し上げなさい。色々と騒がせてしまったからな。丁寧に送るように」
ウィンは一瞬……国王の意図を察したのだが、深く一礼し、完璧な姿勢でルナの隣に立った。
ルナは国王に再度深く感謝を述べ、サンルームを後にした。
*
豪華絢爛な装飾が施された城の長い廊下を、ウィンとルナは一定の距離を保って、歩き始めた。
午後の柔らかな光が二人の影を長く伸ばしている。彼の足音は、大理石の床にほとんど響かない。
沈黙が続く廊下で、ルナは再び先ほどの出来事を思い返し、彼に気を揉ませたことを謝罪しなければならないと感じていた。
ルナは一歩、ウィンの歩調に合わせるように近づき、静かに声をかける。
「あの……ウィン執事様。先ほどは大変申し訳ありませんでした」
ルナは深々と頭を下げた。
「私、あまりにエルリック殿下との再会が嬉しくて、つい、不敬な振る舞いを……。そして、ウィン執事様にも、その場で窘めていただくお手数をおかけしてしまって、ご迷惑をおかけしました」
ルナは心からそう伝えようと、彼の横顔を見上げる。
するとウィンは歩みを止め、ルナの方に向き直った。その青い瞳は、ルナの懺悔の色を観察するように見つめている。
「お気になさらないでください、ルナ様。職務でございますので」
彼の声は、低く、冷静だ。
「私の職務は、いかなる場においても、王族と来賓の方々の安全と、城内の秩序を保つことにございます。ルナ様の行動は不敬にあたりますが、国王陛下が寛容な笑みで受け入れられた以上、私からもはや申し上げることはございません」
彼はあくまで職務としてだと、一線を引いた。
しかし、彼の青い瞳はその言葉とは裏腹に、深く沈んだ感情を映していた。
彼は、彼女を公人として扱おうとすればするほど、記憶の中の『ルチェ』と重なり、心がザワついてしまうのだ。
「ルナ様の素直な感情が場を和ませたのも、事実でございます。ですが今後は、王城内での行動には、……十分なご配慮をお願いいたします」
彼はそう釘を刺したが、その直後、目を伏せ、わずかに声を潜めた。
「陛下は、貴女のお祖父様を心から信頼されておりました。ルナ様は、ご自身の夢を、ただ真っ直ぐに見つめていれば、それで十分でございます。」
それは、執事としての言葉なのか……それともルナの幼い頃を知る、別の誰かとしての激励なのか。ルナには判別できなかった。
ウィンは再び完璧な執事に戻り、静かにエントランスの重厚な扉を指し示して、告げる。
「さあ、ルナ様。お車が準備できております」
***
外には、ルナを街まで送るための控えめな馬車が待機していた。
ルナは扉の前で立ち止まり、改めてウィン執事に向き直る。
彼の言葉は全て職務的なものだったが、その根底にある張り詰めた空気が、ルナには痛いほど伝わってきていて。
「……あの、ウィン執事様は、どうしていつもそんなに冷静でいられるんですか?完璧でい続けるのって、すごく大変じゃないですか?」
ルナの問いかけは彼の個人的な領域に踏み込むものでありながら、何の悪意もない、ただの純粋な思いやりに満ちていた。
予期せぬ言葉にウィンは、微かに戸惑いを見せた。
彼の青い瞳が、一瞬、遠くを見るように揺らぐ。
その瞳の奥には、幼い頃からの執事教育、特殊な訓練の過酷さ。
そして──故郷である『レイヴノール帝国』のために、ここにいるのだという使命が、走馬灯のように過った。
感情を出すことなど、許されないのだと。
何度も、何度も。
(この鎧がなければ、私の居場所はどこにもない…)
彼は、その心を即座に閉じ込める。
「ご配慮ありがとうございます。ところで、執事に様付けは不要です。執事『様』はおやめください」
彼は些細な、しかし彼の立場を示す事務的な指摘を挟み、淡々と答え始めた。
「……私は、幼い頃より受けた執事教育と、日々の厳しい訓練により、感情を職務に持ち込まないよう徹底しております。それが、国王陛下にお仕えする者としての使命でございますので、大変だと感じたことはございません。それが私の存在意義ですから」
"存在意義"……?
彼の言葉は、あまりにも冷徹で、本心を隠し通すには完璧な壁だった。
ルナは、そんな彼の本心を語らない姿勢を見て、ふと切なくなる。
ますます彼への心配が募ってしまった。
こんなにも優秀で、孤独な彼に心が安らぐ場所はあるのだろうか?と。
(この人は、感情をどこに置いているんだろう。彼の心が安らぐ場所は、一体どこにあるの……)
そう思ったルナは、自分の夢の結晶を、彼の孤独に差し伸べようと決意する。
彼女は、ポケットから取り出した、シンプルだが温かいデザインのショップカードを、ウィンの白い手にそっと握らせた。
ルナは彼の指摘に従い、初めて「ウィンさん」と呼びかける。
「これは、開店したら渡そうと思っていた、洋菓子店のショップカードです。もし、お仕事で疲れたり、少しだけ甘いもので休みたいと思ったりした時に……ぜひ、お立ち寄りください。」
ルナは微笑み、少しおどけたように付け加える。
「ちなみに!これを提示してくれたら、割引…いや。ウィンさんなら特別におまけもしますよ。最高の紅茶に合う、最高の『魔法のお菓子』を」
「魔法のお菓子」――
その一言を聞いた瞬間、ウィンの青い瞳が、再びあの記憶と重なり合った。
幼い頃の雨の日に、ルナが彼に渡した小さな包み。
彼の鉄壁の仮面が、初めて、明確な感情によって崩壊してゆく。
スッ…と、冷徹な"氷雪の執事"の顔に初めて、穏やかで静かな笑みが浮かんだ。
それは幼い日に彼女が、秘密のお菓子をくれた時の温もりを思い出させるような、一瞬の、優しく儚い笑顔。
「……ありがとうございます。ルナ様。」
ウィンはそう答えると、すぐに表情を引き締め、ルナに一礼する。
そして重厚な扉を開き、ルナを馬車へと見送った。
馬車に乗り込み、城門を後にするルナの姿が見えなくなると、ウィンはゆっくりと廊下に戻る。
彼のポケットの中には、ルナの温もりと甘い香りが残る、たった一枚のショップカードが握りしめられていた。
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