Scene2:「氷雪の執事」の傍で
それから、数週間が経った頃。
ルナは城の応接間に座っていた。
祖父の家屋改築と開店準備に関する支援の正式な話をするため、城に招かれたのだ。
傍には、国王陛下付きの執事・ウィン。
彼が案内してくれる。
「王様の今日のスケジュールにつきましてはこの後、領内の代表者との会議が控えており、しばらくお時間をいただくことになります。王様がお疲れになられる前に、まずは夕方にお祖父様との思い出話を含めたご挨拶の時間を設けております。」
金色に輝く完璧なセンターパートの髪は整えられ、感情を読み取れないクールな青い瞳とはなかなか目が合っていない。
(……チャンス!)
今なら「氷雪の執事」に質問しても許されるだろうか。
ちなみに……「氷雪の執事」とは誰がつけたのか、街で噂される二つ名みたいなものなのだが。
ルナは背筋を伸ばし、一歩踏み出した。
「ぁ…。あの、ウィン執事様」
呼びかけられたウィンは優雅な仕草で、ルナの方に振り向いた。
彼の整った顔立ちは微動だにせず、青い瞳が静かにルナを捉える。
「……はい。何かご用でしょうか、ルナ様」
(ルナ様って…他人行儀!)
というのも幼い頃、彼もルナのことを"ルチェ"と呼んでいたはずだ。
やはり、王家の人間ではない自分との間に、はっきりとした線を引いているのだろうか。
ルナは少しだけ緊張を解き、努めて明るい声で話しかけた。
「先日はお忍びのところ、お騒がせしてすみませんでした。それから……この度は改めて、ありがとうございます」
その言葉に対し、彼は一度深く一礼した。
「ご配慮いただき、誠に恐縮でございます。国王のご意向による支援計画につきましては、私が責任をもって進めます。
然るべき支援を行うのは王家の務めにございますので、ご心配には及びません。」
言葉の節々からは、一切の感情を排した完璧なプロ意識が伝わってくる。……だけ。このまま氷点下に達してしまいそうだ。
「ありがとうございます!…ウィン様は、本当に完璧な執事になったのですね……。昔お城で会った時も──」
ルナが昔話に触れようとした瞬間、ウィンは僅かに、本当に微かに、青い瞳の焦点をずらした。
「ルナ様。恐れながら私は国王陛下の執事として、常に完璧であることを求められています。幼少期の記憶については…」
彼はそこで言葉を切ったが、その仕草は、
「今、それを話題にすることは適切ではない」
そう雄弁に語っていた。
ルナは気圧されつつも返答しようとしたが、ウィンから漂う、どこか張り詰めた空気で察して黙ってしまった。
時の流れを経て、幼い頃の少年の彼とは違う、複雑な背景を抱えているようで。
「ところで、王様の今日のスケジュールで、私がお邪魔にならない時間はありますか?もしよければ、お城の皆様にご挨拶がしたいのですが...」
これ以上は難しそうなのでルナは話題を変えた。
ウィンはルナの言葉の意図を測るように、一瞬だけ瞳を細める。
執事の表情は依然としてクールだが、彼の鋭い知性が、ルナが"公的な人物"ではなく"個人的な知り合い"を探していることを察知し始めていた。
「お城の皆様へのご挨拶につきましては...どなたを指していらっしゃるでしょうか。本日、公的な場に出席されているのは、主に陛下と宮廷の事務方のみにございますが」
ルナは彼の探るような視線に気づいたが、嘘をつく必要はないと思い、正直に答える。
「あの……実は、このお城には昔、幼い頃に何度か祖父に連れられて来たことがあるんです。
その時、王子様たちや、私と同じくらいの年の子どもたちとも何人か遊んでいただいた記憶がありまして…」
「皆さん、もう立派な大人になっていらっしゃるでしょうね…」と独りごちるように零した。
当時、王子殿下たちと文通していたことはあえて伏せたが、少し懐かしむように、控えめに笑ったルナ。
その言葉を聞くと、ウィンは微かに眉根を動かした。
「左様でございましたか……。お祖父様は、陛下とは長きにわたるご友人関係でいらっしゃいましたから、そうした機会もあったかと存じます」
彼は一度、自身の情報網を頭の中で巡らせたようだった。
「しかしながら、当家の公子様方は現在、公務や学術研究のため、皆様それぞれの場所におられます。使用人の子女等につきましても、成長後、城に残る者、新たな道へ進む者がおり、人事の変遷がございますゆえ──」
淡々とした口調だが、現在王子様たちは城にいないことを伝えてくれた。
ルナを分析するような鋭い青色の瞳と目が合う。
「恐れながら、ルナ様の幼少期の記憶と、現在の状況を結びつけるのは難しいかと存じます。」
彼との間に流れる空気は、かすかな既視感によって、一瞬だけピリッと張り詰めたような気がした。
(ん、既視感……?)
彼から凍てつくような視線を浴びたことなど、過去にはない。
幼い頃の記憶とは関係ないはずなのだが。
その既視感の正体はわからないが、今はどうでもいいなと振り払って、ルナは、
「そうなのですね。教えていただき感謝します」
とだけ、簡潔に答えた。
「ですが、お祖父様が国王陛下と長年のご友人であったというだけで、私のような一般人に、これほど大きなご支援をいただけて……本当に感謝しかありません」
また話題を改めると、次には、ルナの深いアメジストの瞳に、夢を叶えることへの決意が宿っていた。
彼女の真っ直ぐな意志を感じ、ウィンの青い瞳もほんのわずかに揺れる。
「あの……改めて私・ルナ=ステラリス、亡き祖父の叶えられなかった夢も、もちろん私の夢も、きっと叶えます!」
ルナは自分の夢を伝えることで、彼に一歩だけ踏み込もうとした。
「それから、ウィン執事様のお口に合うものも作ることができたら、是非お城に届けさせてくださいね。」
ウィンはルナの真摯な申し出に対し静かに、しかし丁寧に返答した。
「光栄に存じます、ルナ様。私の一存では、御用達の決定はできませんが、ルナ様のお菓子が陛下のお好みに沿うものであれば……必ず、お口にする機会があるかと存じます」
その発言すら、背の高くスマートな見た目と相まって、まるで氷の彫刻のように非の打ち所がない。
(……やっぱり、氷の壁が厚いっ!)
ルナは心の中で呟いた。
*
「それでは、夕刻までこのフロアにある『桜草の間』にてお待ちください。必要であれば、ベルでお呼び出しくださいませ」
ウィンがそう告げると、ルナを静かで落ち着いた客間に案内する。
部屋には柔らかな光が差し込み、座り心地の良いソファが置かれていた。
「何かご不自由がございましたら、遠慮なくお申し付けください。それでは失礼いたします。」
そう言い残し、音もなく部屋を出ていった。
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