Scene1:国王のお忍び、完璧な執事
一方、城内は静かに活動を始めていた。
「ウィン、本日の公式行事の変更は?」
アルドリック国王陛下は、既に軽装に着替え、お忍び用のマントを手にしていた。
宮廷の朝食テーブルには豪華な料理が並ぶが、彼は興味を示さない。
「陛下、本日午前の公式会議は予定通り、近隣諸国との通商条約についてです。ですが、ご安心ください。すでに資料を要約し、議論の結論は三択に絞られております」
国王の隣に立つ執事・ウィンは、完璧な立ち姿で答えた。
その声は冷静で、流れるような金髪と知的な青い瞳は、どんな時も乱れない。
どこぞの噂で流れたのか、まさに「氷雪の執事」の二つ名に相応しいといえばそうなのだが……。
「ははは!さすがウィンだ。私の『国民の暮らしリサーチ』の時間をしっかり確保してくれている」
朗らかに笑い、ウィンの肩を軽く叩いた。
「さて、今日は…そうだ。城下では、新しく開かれる予定の洋菓子店がもう話題だそうじゃないか。ウィン、私はその菓子を食してみたい」
「陛下、……いえ。承知いたしました」
ウィンは一瞬悩んだが、一言そう答えた。
陛下はこの場で菓子を召し上がりたいのではなく、城下へ赴くことを望んでおられるのだと思い直して。
国王の外出に必要な全て――護衛の配置、万が一の連絡網、そして国王が興味を示すであろう街の最新情報――を一瞬で脳内で構築するのだった。
このところ陛下は、かつての友人の作る菓子の話をよく口にされる。
(もしや『彼女』も街に戻っていると…?)
ウィンは表情一つ変えずに思考を巡らせた。
王族に仕える執事として、そして…それとは別の個人的な思惑が、彼の瞳の奥で微かに揺らめいていた。
***
王都の街並みは、長い歴史を感じさせる石造りの建物と石畳が特徴的だが、人々の表情は明るく、通りには活気がある。
王家が国民を信頼し、国民が王家を愛する。
その相互の信頼関係が、王国の穏やかな空気を作り出していた。
──ルナが家の前の小さな庭の手入れをしていると、突然、道行く人々が一斉に頭を下げ始めた。
何事かと顔を上げると、そこに立っていたのは、一目でその人物と分かるアルドリック国王と、その影のようにも、まるで絵画のように優雅に立つ執事の姿だった。
「ん?もしや、アルバートの孫……ルナか?」
突然の国王の声にルナの心臓は跳ね上がった。
そしてその隣で、青い瞳をわずかにこちらに向けている執事の変わらぬ完璧な表情に、息を呑む。
*
アルドリック国王陛下は、その気さくな雰囲気とカリスマ性で国民から深く敬愛されている。
王室と国民の間に厳格な壁はなく、国王が街の催しに顔を出されることも珍しくない。……の、だが。
予期せぬ再会を果たしたルナと国王・アルドリック。
『アルバート』と、ルナの祖父の名を呼ばれたことに驚き、そして戸惑う間もなく、国王はルナの祖父の家屋を見つめ、静かに尋ねた。
「そうか……この家は、アルバート……。おじいさんは、今どうされている?」
ルナは緊張しながらも、祖父が亡くなったことを伝えた。
その言葉を聞いた瞬間、朗らかだった彼の顔から、一瞬にして光が失われた。
「そうか……そうだったのか。知らぬ間に……。彼は私にとって、宮廷の外で唯一、気兼ねなく芸術の話ができる友であった」
アルドリックは深く悲しんだ。
隣に控える執事も、普段の完璧な無表情の中に、主の動揺を静かに受け止める気配を漂わせていた。
しかし彼はすぐに顔を上げた。
ルナの瞳に、祖父の家で夢を追う強い光を見たからだ。
「ルナ。君が、おじいさんの夢……そして君自身の夢を継ごうとしているのだな」
ルナは小さく「…はい」と、頷いた。
国王は、
「わかった。私は君の夢を支援しよう。おじいさんが愛したその場所で、君がブランフォード一の甘い芸術を咲かせることを、私は望む」
宮廷のしきたりなど気にしない国王の言葉は率直で、温かかった。
──アルドリックにとって、それは必然の出来事だった。
それはかつての友人が抱いた"夢"。そして交わされた"約束"をはらんでいたからだ。
そして、その支援は単なる資金援助ではなく、『王室御用達』を見据えた本格的なものとなるのだった。
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