表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

さくっと読めるお話たち

どうも、忘れられたモブ令嬢に転生しましたが、引き籠もりたい。

作者: 藤沢みや



 目が覚めて起き上がる際に気がついた……


 腹肉が、ないっ。


 そして、手を見る。細めだけれどふにふにした可愛いおてて。

 急に背が縮んだためうまく動かない体を駆使して、鏡の前に立つ……

 映るのは、小学校高学年くらいの少女の姿。


 真っ白な肌。

 真っ黒で艶やかな髪。

 痩せ気味で、少し跳ねたら骨折をしてしまいそうな体。


 呆然としていると、扉がノックされてから開く。

「クロティルデさま、おはようございます。お目覚めでいらっしゃいましたか。遅くなり、失礼いたしました」

 髪の毛をひっつめた、表情筋があまり動いていない侍女が入室してきた。

「おはよう」

 挨拶は呆っとしている間に、体が勝手にしていた。考え事していたのに、ちゃんと運転していたみたいな。いや、一応考え事に没頭していたわけでなく、ながらで……うん、気をつけよう……って私、運転、できるの?

 侍女達が運んできた洗面用具を使って顔を洗って歯を磨く。

 通常は寝台でお茶を飲むそうだけれど、今日はサイドテーブルにしてもらった。ネグリジェの上に室内用の上着を羽織ってお茶を飲む。

 温かいお茶にほっとする。

(う゛ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛、とか声出したい。お茶を飲むと、なんだか変な声が出るよね~)

 そんなことを思いながら侍女さんにカーテンを開けてもらい、空を見上げる。

 いい天気だ。

 とりあえず、お茶を飲んで……それから、考えよう。

 心の奥で、誰かが……アオゾラナンテ、ミタクナイ……そう、泣きじゃくっていた。





 クロティルデ。

 私が入った体の子の名前。

 山のように読み漁ったWEB小説の忘れられたモブ令嬢だ。タイトルは……なんだったかな~。確か、乙女ゲーに転生した天才調理師が世界で無双しつつ一大ファミレスチェーンを作る話だった気がする。

 WEB小説をランキングから読み漁るのが趣味で、広大な砂漠から宝物を探すように、溢れる小説群をちまちまと読み進め、お気に入りを見つけると誰かに自慢したくなっていたものだ。書いたの、作者さんで私じゃないのに。

 私は、可愛い女の子の体に入っているのが本当に申し訳なくなるような、どこにでもいるようなモジョモジョおばちゃんだ。

 最近、甥っ子が産まれた。

 おおっぴらにおばちゃんと言えることに、なぜか安堵したのは覚えている。

 名字までは覚えていなかったけれど、侍女や侍従、家族から、この体の持ち主が、パッティ公爵家の長女クロティルデだとわかった。

 勝手に『クロちゃん』と呼んでいた女の子。

 たくさんいるヒーローの中の一人が好きな、ちょっとツンデレの軌道がおかしい女の子。音楽が好きで、家にあるいろいろな楽器を弾くのが趣味の、声がとっても小さな女の子。

 この体に入って、過去の記憶も思いも考えもわかる。共有が出来ている。

 そして、クロちゃんは……まだこの体の奥にいる。

 もう弱々しくて、すぐにも消えてしまいそうだけれど……でも、まだ生きている。

 モジョモジョおばちゃんは、早めに就寝して……大きく息を吸い込んでから心の奥にダイブをした。






◇◇


 まるで、深海のような青の世界。

 色とりどりの青が溢れている静かな場所。

 輪郭だけは少女の、中味はおばちゃんの精神体になって潜る。潜って潜って潜って……奥にある、鳥籠に気がついた。

 大人が入っても余裕があるような銀の鳥籠。

 その中に、小さな女の子が膝を抱えて座っていた。

(クロちゃん……)

 おばちゃんは、ゆっくりと近付いていった。




 クロティルデ・パッティは、名前ありモブだ。

 ん? 名前ありの人はモブと言わないのか?

 わからないけれど、まあいい。

 最初は数多いるうちのあるヒーローの押し掛け婚約者候補で、そのうちきちんとした婚約者になる。けれど、ファミレスチェーン店が主題なのに産業革命が起きたり、隣国と戦争に発展したり革命が起きたりと、物語は急転直下で動き続けた。

 書籍化やコミカライズやアニメ化になったりしたら、どこで区切るんだ? と疑問に思ってしまう程、怒濤の展開だった。

 盛り過ぎである。

 まあ、おばちゃんは会社で疲れているので、WEB小説はほのぼのを所望するタイプだ。まあ、面白かったけれど。

 その異世界ファミレスチェーン店WEB小説は、小学生くらいのお嬢ちゃんお坊ちゃんが対峙するには政治的にも厳しい世界で、読んでいるうちについつい親戚のおばちゃん化をして応援をしていた。

 ヒロインも結構好きだったし。

 年をとると、『みんな頑張れー』と箱で応援してしまう現象は何なんだろう。もう、いつだって『おいしいご飯食べて、あったかな布団でしっかり休め』と思ってしまう。ごはんお食べ~。ぐっすりお眠り~。

 小学生高学年くらいの年齢の時には婚約者とか卒業後の就職とか、結構世知辛い話題が増えてきて……そして、クロちゃんは複数いるヒーローのうちの一人と婚約をした。

 まあ、よくある鈍感系ヒロインだったので、ヒーローか? と思われる男の子が複数いたのよね。一人はコックの幼馴染み。二人目は錬金術師の男の子。三人目は次期伯爵家当主と思われる、主人公が住んでいる街の領主の息子。四人目が学校の騎士先輩。五人目が十二歳の侯爵家当主。六人目が大商会の会頭。十二歳で家長って凄いな二人とも……。

 話が進むにつれて政治的な話しも増えてきたからか、権力を持っている男の子も増えてきて、七人目が第二王子で、八人目が隣国の皇太子だった……八人か……侍も小人も超えて八人になった。末広がりかよ。と思ったものだ。

 ヒーロー多過ぎて、正直言って『主人公が好きな人とくっつくなら、それでヨシ!』みたいな気分になっていた。

 私は、女の子キャラは、その子が好きな人とくっついて欲しい派閥の人だ。

 男の子の恋心なんて知らん。

 そんな数多いるヒーローの中の『十二歳の侯爵家当主』の婚約者がクロちゃんだった。

 金髪のやさしげな雰囲気でありつつ、わがままな彼は主人公によくたかっていた。ファミレスのごはん、おいしいもんね……とは思いつつ、食事代くらい払えよ……と毎度思っていたので、ヒーロー群の中では主人公とくっつく確率は低いと思っていた。

 クロちゃんが婚約者だし。

 なんでクロちゃんがこの子を好きだったかおばちゃんは知りませんが、クロちゃんが選んだのなら仕方がない……そんな思いで続きを読んでいたら、産業革命が起きて隣国と戦争が始まって、革命も起きて……確か魔物の氾濫も起きたはず。

 とにかくしっちゃかめっちゃかになっていたところで、侯爵領が新たな戦乱の地になり、クロちゃんの婚約者は戦場で行方不明になった。

 まあ、その後は想像が出来るだろう……WEB小説あるあるの記憶喪失ですよ~。

 おばちゃんは、記憶喪失と花魁と吸血鬼ネタが苦手です。精神入れ替わりネタもだいぶ苦手。学園ものネタは好き。日常ほのぼの最高だと思っている。

 そんな、個人の好みもあり、続きは流し読みだったのだが……クロちゃんは戦場で行方不明になった婚約者を必死で探しながら領を盛り立てて、戦陣を泣きながら駆け抜けていた。助けてくれる大人もいなくて、孤軍奮闘して婚約者の名誉を守ろうとしていた。

 そしたら、十二歳の侯爵家当主は記憶喪失のまま主人公に助けられて、主人公と恋仲になっていました~。

 その後、主人公はいつの間にか平民になっていた侯爵家当主とラブラブいちゃいちゃして、クロちゃんは二度と物語に出てきませんでした……

 とっぴんぱらりのぷう。

 ちなみに、とっぴんぱらりのぷうとは、昔話や民話の語りで話が終わったことを示すために使われるフレーズのこと。話が終わったよ~。


 で、今……この銀の鳥籠にいるのは、友達だと思っていた主人公と、いい関係が築けそうと思っていた婚約者に裏切られて傷ついているクロちゃんの心。


 さて、辿り着いたものの、どうすれば良いのやら。


 クロちゃんは、婚約を解消されて実家の公爵家に戻ってきていた。

 革命は済んでいても、なんとか婚約者の侯爵家はまだある。ただ、当主不在は良くないということで次の当主を決める話し合いがもたれていた。

 平民になって、ヒロインとイチャイチャラブラブなアホは参戦するつもりはないような描写だった。

 クロちゃんの父親は、すでにクロちゃんを別の人と結婚させるべく動いていたはず。


 おばちゃんは、実は結婚していない。

 大好きな彼氏を親友に寝取られてから、なんだかどうでもよくなって、結局仕事に逃げていた。

 あと、人が信用できない。

 弟はまあまあ信じられるけれど、両親は屑だったので、いい歳まで人間を信用できなくてここまで来てしまった。

 なので、おばちゃんがクロちゃんに声を掛けるのは、少しだけ躊躇われるのだ。


 閉じこもっていないで。

 世界は素敵だよ。

 いつかもっといい出会いがあるよ。

 そのうち信頼できる親友に出会えるよ。


 そんな嘘、言えない。


「……誰?」


 おばちゃんが近くでうんうん唸っていれば、そりゃあ気になるでしょう。

 クロちゃんが顔を上げた。

 涙目な彼女は、十二歳よりももっと年下に見えた。


「こんばんは。私は……」


 名乗ろうとして、吃驚した。自分の名前がわからない。

 どうしたもんだ。

 と、思いつつも、素直に告げる。

「私は、あなたの体に勝手に入ってしまったおばちゃん。理由はわからない。名前も思い出せない。でも、あなたが頑張っていたことは知っているおばちゃんだよ」

 へらーと笑ってみせる。

 私なら、こんな胡散臭い人、信用できないよな……


「……オバチャンさま?」


 小首を傾げて尋ねられる。


 かっっっわっぃぃいいいいいいい!!!!!


 ふう、失礼。心が荒ぶった。

 可愛い仕草で聞かれて、おばちゃんはにこにこ笑顔で頷くことしか出来ない。


「おばちゃんは、なぜかあなたの体を動かせるの。でも、この体はクロちゃんのものでしょう? 勝手に動かすのは嫌だから、あなたを起こしに来たの」


 そう言えば、クロちゃんは目を見開かせて顔色を悪くした。

 真っ青に。

 ――― 生きていたくない。

 顔がそう言っていた。


「起きたくない?」

 私の質問に、クロちゃんは自分の手元を見つめて答えない。

 考えて、考え続けているのだろう。

「瞬時に答えが出せないのは、慎重で良いことだと思うよ」

 私の声に、彼女は顔を上げた。

「クロちゃんにはちゃんと感情がある。それを反射で出せないのは欠点ではあるかもしれない。けどね、長所も短所も本当は表裏一体。手のひらの表と裏。手のひらも手の甲もどちらも悪くはない。それと一緒」

 あ、あかん。つい、部下にいう口調になってきた。

口煩くちうるさくてごめんね。じゃあ、二人で寝ちゃおう!!」

「……え?」




 そして、おばちゃんとクロちゃんは心の奥に引き籠もった。






◇◇◇



「うーーん、あの後、ヒロインも元侯爵家当主の坊ちゃんも、クロちゃんのことは話題にすらあげていなかったな……」

 今、二人とも鳥籠にいる。

 いや、鳥籠……思想というか深層心理とかそういうふわっと世界だからか、融通が利く。大きな現代風の鳥籠に変えて、猫ちゃんのゲージにあるようなハンモックを搭載した。そして二人でゆらゆら揺られながらお喋りをしている。

 だいたいは私がWEB小説の内容を話しているんだけど……一気読みだったから、結構忘れているなあ。

 私の言葉に、クロちゃんは目を見開いて、そして自嘲気味に溜息を吐いた。

 美少女のアンニュイな仕草は美しいけれど、見続けたいものではない。

「……人は、裏切るものだよ、クロちゃん」

 私の父だって、母だって、親友だと思っていた子だって、彼氏だって……みんな裏切った。

「チャンさまも?」

 いつの間にか、他の国の人みたいな名前になっていた。

「うーーん、大葉さまのがいいかな……シソ」

「始祖さま?」

 最後の独り言を拾われる。

 なんだか意味が違う気もするが……

 でも、まあいいか。

 なんの始祖やら……笑いつつ、天井を見上げる。銀で区切られた世界。

「人生は、誰もが本人だけが主人公。それ以外の人は脇役……モブなんだって、裏切られる度に思っていた。友達の恋人に声を掛ける屑も、恋人の友達に手を出す屑も、子供を朝から夜まで働かせて何も思わない屑父親も、娘が栄養の足りない食事ばかりしていても気に掛けないような屑母親も、みんな自分が主人公だから、脇役の私が苦しんでいても関係がないの。勝手なんだよ」

「勝手……」

 クロちゃんが珍しく瞬時に復唱するので、彼女を見やる。

「今も、元侯爵家当主のこと……好きなの?」

 クロちゃんは隣のハンモックの私を見て、そして悲しそうに笑った。

「わかりません」

「わからないことを、わからないって言えるのは良いことだよ」

 私は、また部下の教育のような言葉を吐き出す。

「リードルーテさまのことを今でも好きか……どうなんでしょう」

「自分の心なんて、わからなくて当たり前だよ。私だって、今まで好きだった人を振り返ると、なんで好きだったかわからない人がたくさんいるもの」

「始祖さまも?」

「そうそう。自分の気持ちもわからないくらい、心は自由で、気ままなんだよ」

「心は、自由」

「うんうん。この世界の女の人は家父長制に縛られているけど、それでも心は自由だからね」

「かふちょうせい」

 あ、耳慣れない言葉かな?

 私は家父長制がまだまだ色濃く残っている時代に青春を送ってきたから、WEB小説を読んでクロちゃんの動けなさを理解できていた。

「宗教や法律や世間体で縛らないと、男は女の上に立てないと思った人たちが考え出した、男主体の制度のこと。ただ性別が男だってだけで威張れる、男にとっては便利な制度だね。家父長制を推進する男に「誇れることは男ってことだけなんですか~?」って語尾を上げて言うと、もれなく怒りを引き出せるよ。人は、図星を指されると怒り出すものです」

 ああ、思い出した。

 結婚に逃げ腰だった理由。

 誰かにへりくだりたくなかったからだ。

 男なんて、上手に手のひらに載せて踊らせればいい……なんていう女性もいたけれど、そんなスキルを使う世界にいたくなかった。




 あ、なんだか外界ががやがやしてる……




 私はクロちゃんを見て、首を傾げた。

 どうする?








 目が覚めて起き上がろうとした際に気がついた……


 力が入らない。


 そして、手を見る。細めだけれどふにふにした働いたことのない手。

 起き上がることも出来ない体を持て余して、そして左を向けば……自分にそっくりな母親がいた。


 真っ白な肌。

 真っ黒で艶やかな髪。

 痩せ気味で、少し跳ねたら骨折をしてしまいそうな体。


 本当にそっくりだ。

 その母親が、私を見て眉を吊り上げた。

「なんなのっ。面倒くさいっ」

 伸ばした手を扇で叩かれて、私は目を丸める。

 母はそのまま悪態を吐きながら部屋から出て行った。

(うっわー、想像力の欠如~)

 始祖さまが頭の中で囁く。


「ティルデ、大丈夫?」

 兄が、冷えた布で叩かれた手を包んでくれた。

「……お兄さま」

 あまり話したことのない兄は表面上は心配そうな顔をしていた。

(人は裏切るけれど、裏切らない人も稀にいるからさ……最初は信じてあげればいい。裏切られたら、こちらも心の中で裏切ればいい)

 結局、始祖さまは……私の中に引き籠もることを選ばれた。

 私の体を自由に出来るというのに、御方おんかたはご遠慮なさった。慈悲深くて涙が零れる。

「……ティルデ。君は三日間眠っていたんだ……」

 三日。

 そう思うけれど、三日なら短いな……とも思った。

(クロちゃん、お礼。とりあえず真っ先にお礼だよ)

「お兄さま、ありがとうございます」

「礼を言われるようなことはしていない」

「心配してくださって、嬉しいです」

 始祖さまに促されてのお礼だったけれど、兄は目元をやや緩めてから、私の頭を撫でた。

「……父上が、王都で……亡くなられた」

(いやっふーーーーー!!!!!)

 頭の中で始祖さまが喜びで叫んだから、ついつい目を開けてしまった。淑女としてはしたないけれど、許して欲しい。

(誇れるものが男っていう性別しかないおっさんが死んだー!!!)

 始祖さまは狂喜乱舞だ。それくらい、自分の父は疎まれていたという事実に、私は眉をしかめた。

「お兄さま……不躾ですが、爵位は……」

 リードルーテ……ううん、もう名前も呼びたくない。『元婚約者』のお家騒動はまだ続いている。あんな領民を不安にさせるような事態に、我が領はなって欲しくない。

「ああ、安心してくれ。俺……私が、すでに継承している」

 兄が微苦笑を浮かべて言う。お兄さま、素の一人称が『俺』なんですね。なんだか新鮮です。

「ザクセン兄さま……」

「父上の葬儀はすでに終えている。だから安心して体を休めて欲しい」

 兄の瞳はやさしくて、悲しい。

「……ティルデ。今まで助けられなくて、すまない」

 兄は、私の片手を包んだまま号泣していた。

 名前で呼ぶのは始祖さまの入れ知恵だ。

 そして今も、煩いくらい兄を抱き締めろと叫んでいる。

 始祖さま、ちょっと煩いです。

「……ザクセン兄さま……ティルデは、ずっと兄さまの傍にいます」

 まずは、領地をまとめないといけない。

 始祖さまはなるべく領民と近付くように仰るけれど、兄さまの意にそぐわないことをすればまた籠の鳥に逆戻りだ。


 そんなことないよ。

 なんて、始祖さまは絶対に仰らない。

 人は裏切る生き物だから。

 それなら、始祖さまも……ううん、始祖さまが裏切るような人なら、最初から私の体を使っていただろう。

 やったー、生き返った!って。

 でも始祖さまは馬鹿正直に私の心を探してくれた。

 そして話を聞いてくれた。

 確認をしてくれた。

 なんて、お節介でやさしい方。



 とりあえず、始祖さま曰く『暴虐非道な家父長制の権化』が亡くなったので、悲しむ振りをしつつ、兄さまと一緒に領内の立て直しに心血を注ぐ。

 ヒロイン……今の彼女を『学生時代の仲がよかったはずの彼女』と混同したくないから、始祖さまに習ってヒロインと呼んでいる……彼女はもう知らない人だ。

 元婚約者も。

 彼のことが大好きで、彼に認められたくて、好かれたくて、大事にされたくて、全力で頑張ったけれど、どう足掻いても彼の中で私は脇役……始祖さま曰く『モブ』でしかなかった。

 元婚約者の家のために結構頑張ったつもりだったけれど、彼の中では私の比重なんてほこり以下だった。

 それが知れて、よかったのだろう。

 始祖さま情報では、ヒロインと元婚約者は王都で相変わらずふぁみれすちぇーんなるものを運営しているそうだ。後で、兄さまに頼んで裏取りもしておこう。

 二人のことは……思い出すと胸が痛むけど、『裏切る人』という名前が付いてしまうと心の中にすとんと何かが落ちた。納得できた……と言った方がいいのかもしれない。


 ――― 自分を大事にしてくれない人なんて、大事にする必要ないよ。一般的な礼儀作法を守る程度で充分。


 始祖さまは大人で……私にとっては初めての頼れる大人だ。

(子供が主人公の物語を読んでいるとね、頼れる大人がいるとほっとするんだ~。だから、私も頼れる大人枠を目指すよ!)

 と笑って仰っていた。






◆◆


 父が亡くなり、兄が爵位を継承した。いろいろあって時が過ぎ、私は十三歳になっていた。兄は私と二つ違いの十五歳。

 兄は年齢のこともあるから、革命後に王位に就いた新国王陛下の許可を得て内政に注力している。

 私は、病気療養をしている母の代わりに、兄の手伝いをしている状況。

 母は……兄と相談して、そういうことにした。

 内政を手伝ってもいなかったから、聞くこともあまりない。

 そろそろ、お亡くなりになるかもしれない。

 さすがに実の母親に手を掛けるのは後味が悪い。だから、兄も私も誰かが動いていくれるのを待っている状態だ。

 醜悪で曲解した家父長制を振りかざした父。そんな父に従う振りをして弱者を虐げていた母。

 父にごみのように見捨てられた人も、母に尊厳を汚された人もたくさんいることを知っている。

 その恨みが、私達に来ないように制御をするしかない。


 王都では、新しい料理が流行しているらしい。


 兄の配下が調べてくれた。

 けれど、興味はない。

 新しい料理よりも、領民が今日の糊口ここうしのぐのが先だ。

 父母が……いや、祖先達が吸い上げ続けたせいで貧しくなった領内を、まず整えないことには他者を羨む暇もない。

 兄と二人で領内を巡りながら情報を吸い上げ、少しずつ動く。

 産業革命、革命、新国王即位、新国王の諸々の発令……それらを意識しながらも根本的な対応もしないといけない。道は通れば破損汚損劣化するため、修繕が必要だ。橋だって経年劣化で落ちることもある。川が氾濫することだってある。

 少ない金銭でどこから手を付ければいいのか……寄子の当主の意見を聞きながら少しずつ手を付けていく。

 兄が男性達の、私が女性達の話を聞きながら、後から情報共有をする。

 拙いながらも真摯に取り組む兄妹を見て、大人が徐々に手助けをしてくれるようになっていった。

 忠誠なんていらない。信頼なんて望まない。

 ただ、協力してくれればいい。



 だって、人は裏切る生き物だから。



 兄と招待されたささやかな南方の寄子の家での晩餐会。その地域の郷土料理を食べながらどんな植生なのか再確認をする。

 亡父は女性が発信する目新しいものには反発をする人だった。だから、領内では今王都で流行の料理の食材は育てていない。

 私は始祖さまに勧められて、地域ごとの料理や食材もまとめていった。

 こういう記録が、後世の人にはありがたがられるらしい。



 さらに月日が過ぎ、王都でまた革命が起きた。

 以前の革命を主導していた政治家達が極刑になっているらしい。

 新国王は、権力をだいぶ削がれたようだ。



 ふぁみれすちぇーんで使われている食材を育てていた地域で、生育不良が起きているらしい。



 あと、牛肉の使用が多いため、牧草地が不足している。

 パッティ公爵家の領内では、あまり牛は飼っていない。豚や鶏が多い。

 田畑を耕したり、荷運びをさせるのに、始祖さまの故郷では牛を使っていたらしい。けれど、公爵領では馬のが多い。

 農村部では馬小屋は人間が住む建物と隣接させ、一番日当たりのいい場所で馬が暮らすそうだ。その付近を出入り口にし、馬糞の発熱で馬と人の住む建物を温めているという。

 脳内で始祖さまが喜んでいる。

 こういう実際の暮らしは書籍に残らないことが多いから、しっかりと書き取るように厳命された。

 私は見慣れた兄の護衛騎士に命じて文官を呼び、彼らに書き取りをさせた。

 兄が怪訝な顔をしていたけれど、下級の文官は「民の暮らしにご興味を持っていただけるなど……素晴らしい」と感涙していた。

 誤解も甚だしい。

 けれどにっこりと笑って訂正はしない。

 少し調べてみたけれど、ジャガイモの生育がよくない。

 始祖さまが豆豆言うので、なにか豆類はないか聞いてみると、この地域特産の赤くて大きな豆があるという。念のために豆類を多めに育てるとどうなるか随行している専門家に聞いてみた。

 専門家は頼られたことに驚いて、いろいろと教えてくれた。

 よくわからないが兄に提案して豆類を増やすことと、専門家の助言で種芋を守る工夫をすることになった。

 あと、寒冷に強い蕎麦という植物を見つけて、それも専門家と共に生育をしてもらうことになった。脳内の始祖さまが煩い。

 ショーユとかダシというのはヒロインから聞いたことがあるようなないような気もするけれど、思い出せないので諦めてもらうしかない。

 がれっと? とかいう食べ方があるらしい。

 それも、専門家に丸投げだ。

 卵もバターも乳製品も高級品だ。こんな田舎では手に入り辛い。

 この地域の長老や老婆に声を掛けて蕎麦の食べ方を聞き出しておく。田舎の老人を訪問したことで、民の目線がやや緩む。

 始祖さまが地域の人と同じものを食べるように強く勧めてくるので、兄に頼んでみた。

 始祖さまは私が食べた物を一緒に味わえるらしい。

 頭の中であーだこーだ仰るのでわからないままに書き付けて、ある程度まとまったら領城の料理人達に再現とまとめをお願いしている。

 当たり前だが、地域別と始祖さまの知識は分けてまとめてもらっている。

 上に立つ者は綺麗事を言うべきだという始祖さまの言葉に習って、私は立ち居振る舞いに気をつける。

 兄と懸命に取り組んでいる間に、また時は過ぎて……私は十六歳になった。



 今年は、国の北部でいなごが大量発生したらしい。

 どうしても『らしい』が多くなってしまうが、情報の大半は領内の商家達から買い上げているため、伝聞になってしまう。

 うちの領内は国の南部だから蝗が発生したり流れてきたりしないように祈るしかないが、兄は冷静に専門家や知り合いに蝗に詳しい者がいないか確認をしていた。




 兄は、十八歳。そろそろ結婚の話が出ても不思議ではないが、あの母を警戒して、仕事に夢中な振りをしている。

 私にもう少し友達がいれば、友達を紹介することも出来ただろうけれど……友達、いないわ。

 始祖さまのようにははっと心の中で笑った。

 文のやりとりをするような知り合いは数名いたけれど、元婚約者のために奔走しているうちにやりとりも途絶えてしまった。




 久しぶりに帰ってきた領城は……殺人事件が起きていた。

(真実はひとつ!)

 始祖さまが脳内でお元気だ。

 真実は、ひとつだから真実というのではないだろうか?

 え、複数真実がある場合もある?

 始祖さまの言葉は含蓄がある。

 被害者は……想像通り、母だった。

 城内の牢屋に捕らえられていた貴族の犯罪者が抜け出して、偶然通り掛かった母を人質にして立て籠もり、そして犯罪者は己の未来を悲観して心中をしたという。

 城の大人達が、口を揃えて嘘を真実のように言う。

 兄が……私達が、母親殺しの汚名を着ないように、先に処理をしてくれたのだろう。始祖さまの口調は、ちょっとだけ呆れている感じがした。尋ねれば、ちょっと羨ましいと思ってしまった自分を嫌悪されたとのこと。

 やっぱり、この方はおやさしい。

 私は始祖さまのことを思って泣いた。

 兄は、泣き出す私を見て小さく「よく泣けるな」と言ったけれど、他の人にはわからないように呼吸を止め続けて、苦しさから涙を浮かべていた。

 理由は別として泣く私達兄妹を臣下は黙って見守ってくれた。そして、程々というところで顔を上げて、葬儀の指示を始める。

 亡父の時の衣装はさすがに小さくて着られないけれど、上手に流用をして喪服を作る。父母のために予算を割く余裕はない。

 喪が明ければ兄のお嫁さん探しも出来るし、私もそろそろ結婚を視野に入れたい。嫁ぐのは駄目だ。人員が足りな過ぎるし、情勢も怪しい。

 始祖さまが、若い女性の体で顕現くださったら兄にお勧めするのに。

 脳内の欲望がダダ漏れになったのか、始祖さまがカラカラと笑っていた。本気なのに……


 母の葬儀後、私達兄弟は張り切って母の遺品を整頓し始めた。

 リスト化して、どの順で売り捌くか財務部と相談する。

 母の愛人達やパトロンしていた人物達ともこれを機にできるだけ縁を切っていく。父のそういう人たちはとっくに縁切り済みだ。

 その作業は、思っているよりも簡単だった。

 流行の発生場所が……王都から別の侯爵家の領地に移っていたからだ。

 ヒロインのふぁみれすちぇーんは、王都を始点として、北部へ広がっていた。けれど、今の王都は廃れているらしい。

 大きな革命が二度も起こり、血生臭い粛正が起きた場所では食事をしたくない人が多いのだろうか? よくわからない。


 脳内で始祖さまが他のヒーロー群の心配をしていた。

 物語の中に、ヒーローがたくさんいるのって、面白いのかしら? そう思いつつも、せっかくなので書き取りをして、文官に確認をしてみた。



 一人目のヒロインの幼馴染みのコックは、地元の娘と結婚して、幸せに暮らしていた。地域に根ざした食堂は強い。

 二人目の錬金術師の男の子は今でも王都で錬金術師をしているという。生活に根ざした産業は世間が荒れても確実なのかもしれない。

 三人目の次期伯爵家当主と思われる、ヒロインが幼少の頃住んでいた街の領主の息子は……革命で命を落としていた。安らかに。

 四人目の学校の騎士先輩は、なんと我が領にいた。出身地がここだったらしい。私は男性とあまりやりとりをしていなかったため、詳細は今知った。ちなみに、兄の背後にいつもいた。吃驚だ。

 五人目の侯爵家当主は私の元婚約者。今は、ヒロインの指示でいろいろ動いているみたいだけれど、詳細はどうでもいい。愛の反対は無関心だと始祖さまが仰っていた。たぶん、そう。

 六人目の大商会の会頭は、ヒロインに入れ込み過ぎて、十六歳で離婚していた。え? 何歳で結婚したの? 眉根が寄る。

 七人目の第二王子も革命で命を落としていた。何度か子供の頃にお目にかかったことがある……安らかに。

 八人目の隣国の皇太子は……すでに我が国の敵だ。だが、蝗害こうがいで大変らしい。イナゴは、植物性の物ならなんでも食べ尽くすという。怖い。



 あと、ちょっと気になったので、多少のやりとりがあった子女についても調べてもらった。

 ヒロインの友人枠の少女はすでに一児の母で、王都にあるヒロインの家の隣に住んでいるらしい。連絡を取る必要は感じられなかった。

 それ以外の、学生時代に私の取り巻きだった人たちは尋ねる気にもならなかった。

 寄子だったり、親戚だったり、母方の親戚なども調べてもらったけれど、兄に相応しいと思える女性はいなかった。

 それだったら、一緒に領内を回った家臣の姉妹の方が信頼できる。

 あとは、傍に居る侍女達。

 私と年齢が近い、表情筋があまり動かない侍女は結構お勧めだ。兄の好みもあるだろうが、どうだろうか……




 そんなことを考えつつ元気に領内を東行西走していたある日、ヒロインと元婚約者が……領城に訪ねてきた。





◆◆◆


ツラの皮、厚っっっ!!)

 始祖さまは今日もお元気だ。

 嬉しくなってしまう。

 私もだいぶ、始祖さまに影響されて反射で怒れるようになってきたけれど、始祖さまのキレには遠く及ばない。


 二人の対応は、兄に任せた。

 ――― だって、始祖さまがもう傷付かなくていいと仰るから……

 ううん、嘘。

 私が見たくないから。

 幸せな姿も、不幸な姿も、どちらも見たくない。

 心配すらせずに、手紙ひとつも寄越さなかったくせに、自分たちの都合では足取り軽く訪ねてくる厚かましさに、幻滅したくなかった。

 だから、私は始祖さまと引き籠もる。

 久し振りの鳥籠は、すでに鳥籠ではなくなっていた。

 小さなお屋敷が出来ていて、私の内で始祖さまは楽しそうに暮らしていらした。

「クロちゃん、久し振り~」

 私は首を傾げる。

 けれど、言われていればこういうふうに相対してお話をするのは久し振りだ。

 もっと始祖さまと時間を取ればよかった。

「始祖さま、お久し振りにございます」

 淑女らしく礼をすれば、始祖さまは嬉しそうに抱き締めてくれた。大きくなったわね~。ちゃんとお肉も付いてきているね。身長も伸びて、もう立派なお嬢さんね~。そこいらの男など私の目が黒いうちは許さん! と、私と同じ姿形で仰る始祖さまが微笑ましい。

 やっぱり、始祖さまとお兄さまを結婚させたい。

 死んだばかりの新鮮な死体を用意したら、始祖さまの新しい体に出来ないかしら?

「うわっ! なんか寒気がする」

 始祖さまが私の姿形で体をさするので、私はとりとめのない思考を放棄した。

「えーー? ヒロインと元婚約者が今お城の中にいるの?」

 始祖さまが淹れてくれたお茶を飲みながらお喋りをしている。

「はい。だから兄の許可を得て、引き籠もっています」

「そっかー。正解正解!」

 始祖さまはにこにこ笑って私の頭を撫でた。

 なんだか胸がぎゅうってする。

 始祖さまはいつだって私を肯定してくれる。

「始祖さまは、立ち向かえって思われないのですか?」

「え? 思わないよ~。無駄無駄、そんな努力」

 カラカラと笑って、始祖さまがお菓子を食べる。

「なんだっけ、この南のトウモロコシで作ったお菓子。おいしいよね」

 始祖さまは、ヒロインみたいにいろいろな料理を知っているけれど、再現が難しいとか詳細がわからないという感じで、あまり教えてはくださらない。

「私はさ……風俗史……ある時代や社会、地域、階層の衣食住や日常生活のしきたりや習わし、風習についての歴史のことなんだけど、そういうのが好きなの。だから、たったひとつの美意識や風俗だけが広まるのは嫌い。広めて欲しくない。ヒロインが、自分の周辺だけで広めるのはいいの……だけど、世界のどこへ行っても同じ物しか食べられないって……つまらないよね」

 私は考える。

 領内のいろいろの地域で、衣食住は変わる。

 それが楽しかった。

 じゃあ、どこへ行っても同じ食事、住まい、服装だったら?

 ――― つまらない。

「そうですね」

「あとさ、相手が大変な時に、社交辞令や上辺だけでも心配できない人間は、人でなしだよ。そして、受けた恩を忘れて、自分たちが大変な時だけ擦り寄ってくる奴らは低脳って言うの」

 ああ、いつもこの方は……私の気持ちを言葉にしてくれる。

 感情が言語化されて、心の底にすとんと落ちる。

「……はい」

「思い出は大切な箱にしまって、大事にすればいい。学生時代の思い出は、今の『現実』と結び付ける必要はないよ。扉を閉めて、拒絶して大丈夫!!」

 私は、やっぱりこの方の前では子供に戻ってしまう。

 涙が溢れて、そして零れる。

「クロちゃんは可愛いよ。こんな妹が欲しい。娘でも孫でもいい」

 くすくす笑いながら、始祖さまが私の頭を撫でてくれた。



 目が覚めると夕方だった。

 兄の伝言を持ってきた侍女に促されて執務室に向かえば、兄は一人で執務室のソファーで横になっていた。

「ザクセン兄さま……大丈夫ですか?」

「だい じょば ない」

 兄の言葉がこんなふうに乱れるのは珍しい。

 伝言を持ってきた表情筋動かない系侍女さんがくすりと微笑んでいるのに吃驚した。

「だいじょばないのですか……」

 困った時は復唱すればいいと教えてくれたのは始祖さまだ。

 ありがとうございます。

「あの二人……あんな、阿呆だったか?」

 どう答えればいいか、悩んでいたら扉がノックされた。兄の返事に扉が開かれて、いろいろなお菓子とお茶が並ぶ。

「お前達も、今日は無礼講だ」

 兄の言葉で、お茶などを運んでくれた表情筋動かない系侍女さん改め筆頭侍女や執事頭、筆頭護衛騎士もソファーに座った。みんな、領内大移動の時にもよく顔を合わせるメンバーだ。

 異様な状況に目を瞬く。

「……お嬢様は、あの為人ひととなりの方と長年、ご婚約をされていたのですよね……お疲れ様でございます」

 気さくに筆頭侍女がカップを上げて一礼する。

「いや、本当にティルデは凄い。あの二人、言葉が通じない。大陸共通語を話しているはずなのに、異国の言葉だった」

 何が起きていたのだろう。

 首を傾げていると執事頭、筆頭護衛騎士が代わる代わる状況を教えてくれた。最初は挨拶と不義理のお詫び、その後に促される前に食糧提供の依頼をし出したという。

 我が領内の食糧自給率があまり高くないというのに。

「あの、ふぁみりぃてーんとかいう? 店? に、客が来るかもわからない遠方に、貴重な我が領の食料を提供して欲しいなど……学生時代から悪い方向に不思議な方達だったが……忌々しい客人でした」

 その筆頭護衛騎士の言葉で私は彼を見上げた。

 この人が『四人目の学校の騎士先輩』だというのは調べたから知っている。でも、始祖さまの影響か、彼はヒロインのことを好ましいと思っていると思い込んでいた。

 国内情勢が安定していないこの時期に、遊興に金銭を使える者は少ない。

 ましてや、王都は荒廃の一途を辿っているらしい。実際に目で見たわけではないが、お世話になっている商会の人たちが治安の悪さを嘆いていた。

 今は、領内から王都などへ赴く際は、なるべく商人平民貴族関係なくまとめて領内の騎士と共に旅立つように促している。

「とりあえず不義理に関しては、彼はすでに別名を使っているから別人として知らない振りを通した。後、食糧支援は拒否をした。以後、あの二名に関連する取引はパッティ公爵家の名において認めないこととする。それが私達が出した答えだ。クロティルデからしたら甘い采配かもしれないが、許して欲しい」

 兄と……いや、この部屋にいる全員が、私を見て申し訳なさそうにしていた。彼らは平民。公爵家への不躾な訪問だけで命を取るような罰だって与えることが出来る。ただ、時代の流れ的にもしも行えばパッティ公爵家の信頼が落ちる。だから、いないこととする以外の方法が取れないのだろう。


 私は、涙を零す。


 小さな頃に、私を守ろうと動いてくれた人はいなかった。もしかしたら陰ではいたかもしれないけれど、実感ができなければいないと同じだ。

 でも、今はこんなふうに私を守ろうとしてくれる人達がいる。心配してくれる人達がいる。

 泣き出した私に全員がぎょっとしているのを見て、笑う。

 泣いて笑って、顔がぐちゃぐちゃだ。

 でも、いい。

 始祖さま以外に、私を思って行動してくれる人がいるだけで嬉しい。


「ありがとう。もう、あの二人のことは忘れましょう。それに次に来たら、ただの平民として対処しましょう。我が家に利益をもたらす存在でもないのですから」

「ティルデは、あいつらが作る料理に心引かれないのか? ふぁみれつてーんだったか?」

 兄が小首を傾げる。

 学生時代に食べた、面白い味。

 濃くて、贅沢で、地域に根ざしていない味。

 あの味をおいしく感じていたのは、あの時代の彼らと一緒だったから。

「私が知っている二人と食べた味の思い出だけで充分です。それに、我が領の『故郷の味』達も結構おいしいですよ」

 筆頭侍女のハンカチを借りて涙を拭き、そして笑う。

 私達は貴族家の者だ。

 逃げ出して平民になることはきっとできるだろう。けれど、それを投げ出して領地を見捨てることはできない。

 民達がどうなるかわからないのだから。

 だから、まだ貴族として生きるしかない。

 平民である彼女、平民であることを選んだ彼の真似は、できない。



 私は、彼らに忘れられたモブ令嬢。

 引き籠もりの始祖さまが心に存在するモブ令嬢。



 彼らに忘れられているなら、私だって忘れる。



 兄と、みんなと一緒に、この領を守っていきたい。

 強がりなんかじゃない。

 これは本心。


 そう思っていたら、心の中の始祖さまが、嬉し涙を流して煩かった。






◇◇◇◇


 クロちゃんは立派に成長した!!

 おばちゃんは嬉し涙で顔がぐちゃぐちゃだ。

 立派な子に育って~。


 そして、気がついたら時が過ぎていた。


 ふと目が覚めると、三日、十日、一ヶ月が過ぎている……


 ああ、そろそろ自我が保てないんだろうな~なんて、思っている。

 忘れられたモブ令嬢に転生して、彼女を復活させて、お兄ちゃんは筆頭侍女さんといい感じだし、クロちゃんも前を向けるようになっている。

 もしかしたら、あの騎士さんといい感じになるかもしれない。ならないかもしれない。


 でも、今のクロちゃんは笑っているから問題なし!






 きっと、私の心残りは……子供を育ててみたいってことだったんだと思う。

 母親のような育て方はもちろん無理だったけれど、クロちゃんはいい感じに育ったと思う。

 なんか部下を育てているのと何が違うのかはよくわからなかったけれど、彼女を裏切ることはなかったと思う。


 あ、でも黙って消えたらきっと泣いちゃうだろうな。


 だから、大きな声でお別れを言うよ。


 クロちゃん、お幸せに~!

 クロちゃんなら、きっと大丈夫!!


 私は、あなたの中で引き籠もれて、楽しかったよ~。






◆◆◆◆◆


 始祖さまと話しがあまりできなくなった。

 間が空いて、体の内で眠っていらっしゃるような感じだ。



 きっと、私が幸せになってきたから……






 ――― クロちゃん、お幸せに~!

 ――― クロちゃんなら、きっと大丈夫!!



 とびきり大きな声が聞こえてきたのは、筆頭騎士さんとの結婚式の日。ちなみに、兄と筆頭侍女さんとの合同結婚式だった。お金がないので仕方がない。

 あの日から、始祖さまの声は聞こえない。

 話し掛けても反応がないし、内の存在感もない。

 淋しいけれど……


 私なら大丈夫だから、きっと大丈夫。



 私は、大きくなったお腹を撫でて、ほんの少しだけ……泣いた。






おしまい


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ